病弱者と天ノ弱
北上清虎が倒れた。
源さんがそれを口にした時、騒がしかった広間から音が消えた。
たしかに、小姓の仕事を始めてから休まずに食事の準備を手伝っていた北上君を今朝は見かけないなと思っていたら、彼は自室で倒れていたらしい。
体が弱いという話は前から耳に挟んでいたけど。
北上君を呼びに行った千鶴ちゃんの様子を見に行った源さんの話を聞いて、平助達が慌てて北上君の自室に向かおうと立ち上がったところを源さんと一緒に広間に戻った千鶴ちゃんが止めていた。
なんでも、北上君は自分が倒れた事を誰にも言うなと彼女に伝えていたみたいで、これ以上彼を辛くさせたくないのだと必死な様子だった。
その様子を見ていた近藤さんは酷く顔を曇らせ、土方さんの場合は昨夜に聞きそびれた北上君の怪我の原因を左之さんから聞いていた事もあってか、鬼の形相で僕の事を睨んでいた。
そんな中、遅れて広間にやってきた北上君はやはり体調が悪いのか普段より顔が赤い様に思えた。
それ以外は特に変わりはない様に見えたけど、今までの行動を見てわかるように彼は自分の体の事を隠したがっているみたいだから実際にどうなのかはわからない。
「北上君って軽いよね。もしかして本当に幽霊だったりするの?」
『…昨日に木刀で私を滅多打ちにした沖田さんなら、わかっているんじゃないかと。』
「なんだ、死にかけって事?」
『目の前で元気にご存命してますね。』
自室に敷かれた布団の中で、不機嫌そうにしている北上君。
彼は今朝、土方さんから今日一日自室から出るなと言われていたのに、無断で自室から抜け出していた。
たまたま僕が道場に顔を出してみたら平隊士に紛れて彼がいたものだから、昨日ここで散々な目にあったばかりなのによく平気でいられるなと少しだけ驚いた。
…とりあえず、北上君は土方さん達の言いつけを破っているんだし、自室に連れ戻して布団に寝かしつけたはいいけど、自分に原因があるのに機嫌を悪くされるのは困るなぁ。
『困るってなんですか。散々引きずり回された挙句に布団に無理矢理突っ込まれたら誰だって怒るでしょう。』
「すごいね北上君、僕の考えてる事がわかるだなんて。」
『…口から漏れているんですよ、わざとでしょう?』
掛け布団を口元まで引き上げ、こちらにじっとりとした視線を向ける彼は、普段は落ち着いた態度なのに今はまるで子供の様に見える。
思わず吹き出しそうになって口元を手のひらで押さえれば、僕から目を逸らしてより一層布団を上へと引き上げた。
「それにしても、どうして部屋から抜け出したりなんかしたの。…駄目だって言われてたよね?」
『とても、暇だったものですから、…つい。』
「…君って、変なところで子供っぽいよね。」
『お言葉ですが、沖田さんには言われたくないです。』
勢い良く寝返りを打ち、北上は沖田に背を向ける。
それを見て、まるで不貞腐れた子供の様だと吹き出し笑いつつも、不意にある言葉を思い出した沖田は翡翠色の瞳を細めた。
北上清虎は、新選組に仇をなしたのか。
朝食が終わってからの僅かな時間に、斎藤から投げかけられた言葉。
それが真実かどうか見極めるまでは、その物事を信じないという考えを持つ斎藤らしい言葉だと沖田は感じていた。
…北上は、新選組に何をしたのか。
彼が新選組に寄越した文については彼自身がその内容に頭を下げ、局長である近藤やその他の幹部もその件について彼を赦している。
彼が新選組に留まる事となった原因である羅刹の目撃については、前川邸について詳しく聞かされていなかった北上よりも、新選組側に主な原因と責任があった。
北上清虎は、新選組に何も仇をなしてはいないのだ。
むしろ、屯所襲撃の情報提供に捕物の際の隊士救出など、新選組に良い結果をもたらした事の方が多い。
北上を新選組に取り込む事にしたのは彼自身の意思ではなく、他でもない新選組自身の意思だった。
新選組のためだと主張して北上に厳しい態度を取り続ける沖田に対し、
新選組の問題ではなく、自分自身の問題ではないのか。
と斎藤は問いかけていたのだ。
昨日も、原田からそれを指摘されたばかりだった。
そしてまた、沖田もそれを理解していた。
心配されていた間者の疑いも、普段の生活や昨日の試合の結果からから可能性が低い事もわかっている。
自分は多くの修羅場を経験してきたのだ、相手の技量が演技かどうかなんてすぐにわかった。
「…本当、面倒だし憎たらしいよね、北上君は。」
新選組にほぼ害の無い人間だとわかっていながら、なぜ自分はこの男に執心し続けているのか。
『…それは沖田さんも同じ、…ッ!?』
背を向けたまま返答する北上に、寄りかかる様に沖田は布団に勢い良く倒れ込んだ。
『ちょっと、沖田さん?重いッ…!!』
北上は急に動きにくくなった体をやっとのことで仰向けに戻し、人の腹部を枕にしている男を睨みつける。
「僕も昼寝しようかなと思っただけだよ。あと、こうすれば君も部屋から抜け出せないでしょ?」
『意味がわからないですね。』
完全に力を抜いて目を閉じている沖田に溜息をつくと、北上は布団の中で体をよじらせる。
『眠いなら沖田さんも自室に戻ればいいじゃないですか!嫌いな人間ならば気にかけなくてもいいでしょう!?』
「…うん。嫌いだけど、嫌いじゃないんだよね、君の事。」
『……は?』
閉じていた目を開き、翡翠色の視線をを横になったままこちらに向けへらりと笑う沖田。
予想外だった沖田からの反応に、思わず北上は目を見開く。
驚きで体の動きが固まった彼を見て、沖田は満足そうに目を細めた。
「北上君は面白いから、暇な時に丁度いいしね。」
『…沖田さんって、私の事を玩具か何かだと思ってません?』
なんとも言えない含みを持った沖田の言葉に、北上は呆れた様に苦笑いを浮かべた。
『まぁ、私を玩具代わりにするだなんて、沖田さんってかなりの物好きですね。』
「…あはは、僕もそう思う。」
『あれ、認めちゃうんですか。』
「だって、君もそうでしょ?」
互いにへらりと笑い合う二人。
しばらくして、ふと笑うのを止めた沖田は視線を北上の顔から部屋の天井に戻すと再び口を開いた。
「…そういえば、もう一人物好きな子がいたよね?道場で君の隣に座ってた。」
『ああ、吉田さんの事ですか。彼はとても親切な方ですよ。』
「そうそう、吉田くんだっけ。」
沖田から急に話題を振られ、北上は不思議そうに沖田を見れば、翡翠色の瞳と視線がかち合った。
「…もう、彼とは関わらない方がいいよ、北上君。」
沖田の呟きの内容をうまく飲み込めず目をぱちくりさせる北上を、沖田は怒るでも笑うでもなくただ見つめている。
『…関わるなって、なぜです?』
「…北上君、平隊士とは関わるなって前に言われたばかりじゃなかったっけ?」
『確かに、言われましたけど…。』
本当に、それが理由なのだろうか。
そう沖田に問いかければ、ただそれだけだと一言返して目を細め、再び目を閉じてしまった。
彼の返答にどこか納得がいかず、追求しようと北上は声をかけ続けるも、もう会話するつもりがないのか沖田は一切反応を示さなかった。
その様子に追求を諦めた北上は大きく溜息をつき、人を枕にして眠り始めた茶髪の男を見つめる。
…沖田の言葉の真意も気になるところだが、彼は本当にこの状態で眠るつもりらしい。
腹部に乗せられた重みに苦笑いを浮かべつつ、自分も同じ様に目を閉じた。
「…どうしたんだ原田、北上の部屋なんか覗き込んで。」
昼下がりの廊下を進んでいた土方は、とある部屋の中を覗き込む大きな背に声をかけた。
「…ああ、土方さんか。あんたも見てみりゃわかるって。」
少々抑えた声でこちらを手招きする原田。
なぜだか微笑を浮かべているその男に近づき、僅かに開けられた襖の隙間から部屋の中をそっと覗けば、土方は思わず目を見開いた。
「…なんだ、北上だけじゃなく総司も一緒に寝てやがんのか?」
「そうなんだよ。…まるで兄弟みたいだろ?」
布団に横になって眠っている北上と、それに寄りかかる様にして眠る沖田。
この二人が揃えば必ずと言っていいほど騒がしくなるのが普通なのだが、今の彼らには驚くほど穏やかな空気が流れていた。
「…昼間は屯所中を駆けずり回って喧嘩するわ、仲がいいのか悪いのかわかんねぇなこいつらは。」
「正しく言えば清虎が引きずられてたってところだが…、喧嘩するほど仲がいいって言うしな。」
「随分と嫌な兄弟ができちまったもんだ。原田、もうしばらくしたら二人を起こしてやってくれねぇか。…そろそろ日が傾くからな。」
「わかった。…もうしばらくしたら、な?」
兄弟の様な二人から視線を戻し、目を合わせて口元を緩めた土方と原田は、ゆっくりと部屋の襖を閉めたのだった。
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