病弱者と天ノ弱

小鳥のさえずりと共に、澄んだ朝の空気に満ちた廊下を雪村千鶴は歩いていた。

「…どうしたんだろう、北上さん。」

しかし、彼女の表情は普段の穏やかな笑みではなく、不安そうに曇っている。

昨日、雪村は北上と新選組幹部二人の試合を観ていた。
最初の藤堂との試合では力技で勝利するも、その次の沖田との試合で北上は散々に打ちのめされた。
それを見ていた彼女は試合終了後に道場から立ち去る北上を追おうとしたが、原田達に引き留められてしまった。
しばらくして、井戸の前に座り込んでいたという北上を山崎が手当てした事を知り、心配して北上の自室に訪れた際に見た彼の姿はなんとも痛々しいものだった。
自分に対する態度は普段と変わらないものの、彼の顔と二の腕には薬と湿布が貼られていた。
複数の薬品の匂いが気になるのか、口布を上げ下げしている彼に無理をするなと声をかけたはいいのだが、理解はしてくれた様ではあったが結局は笑って誤魔化されたような結果だった。
その後の夕食の際も、北上は自分の姿を見た新選組幹部数名に怪我の原因を問い詰められていたのだが、その原因となった人物もその場にいたためか一切口を開かなかった。
切れた口元を気にしつつも早々に食事を終えた彼は、普段は頑として飲もうとしない石田散薬を口の中に流し込むと呼び止める間もなく自室へと戻ってしまったのだった。

昨日の出来事を思い出しつつ廊下を進む。
この廊下の角を曲がれば、北上清虎の自室だ。

北上は自分の立場を気にして炊事には手を出さなかったが、小姓として働き始めてからは食事の準備に必ず顔を出していた。
しかし、今朝は朝食の準備が一通り済む頃合になっても広間に現れない彼に心配した雪村は、残り僅かな仕事を共に準備していた斎藤に頼み北上の自室に向かっていたのだった。

「北上さん?もうそろそろ朝食の、…!?」

思い切って廊下を曲がり、北上の自室へと声をかけた雪村だったが、返事の代わりに返ってきたのは大きな物音。
部屋の外である廊下にまで響いた振動に思わず身構える。
何か、大きな物でも倒したような音。
昨日にもこの部屋に自分は訪れたが、思い当たる様な物は置かれていなかったはずだ。
…なんとも言えない嫌な予感が、体中を駆け巡った。

「…失礼します!!」

目の前の襖に手をかけ、勢い良くそれを開ければ、畳の上でうずくまる様にして倒れている男の姿があった。

「…北上さんッ!?」

小さくうずくまっている北上に急いで駆け寄り、横になっている体を起こすと、彼は小さく咳き込んだ。
体が痛むのか顔をしかめ、その顔には赤みがさしてうっすらと汗が滲んでいる。

『…お、おはようございます。雪村の坊っちゃん。』

「北上さん、一体どうしたんですか!?」

『いやぁ、襖を開けようとしたのですが見ての通り背中を打ってしまって…。』

弱々しくも笑っている彼の周りを見てみれば、布団はまだ敷かれたまま、その隣には露伴が脱ぎ捨てられていた。
どちらも酷く乱れている。
恐らく、彼は体調が悪くて布団から起き上がるのに時間がかかったのだろう。
そんな中、彼は私からの声かけに反応しようと無理に体を動かして倒れてしまったに違いない。

「…ごめんなさい、北上さん…。」

北上さんは体が弱いと人伝に聞いてはいたが、まさかここまでとは思っていなかった。

彼はここ数日、小姓の立場としてずっと働き続けていた。
自分に任された仕事が終われば必ずと言っていいほど私の仕事も手伝ってくれたりと、私よりも彼の方が仕事の量が多い日もあった。
しかも、いきなり屯所に軟禁された上に監視もされているのに、彼は不満を漏らす事もせずに仕事をこなして誰にでも丁寧に接していて。
そして昨日に沖田さんとの試合で体を酷使した結果、いよいよ彼は倒れてしまった。
…今さらながら、北上さんにとって新選組に来てから気の休まる日はあったのだろうか。
せめて、私がもっと彼の事を考えて行動していれば少しは違う結果になったのでは…。

『…随分とお見苦しいところを見せてしまったみたいですね、恥ずかしいなぁ…。』

じわじわと押し寄せる後悔に思わずうつむいてしまった雪村に、北上は気まずそうに呟きながら背を向けた。

『坊っちゃん、今見た事は誰にも言わないでもらえませんか?』

北上からの予想だにしなかった言葉に、雪村はうつむいていた顔を
上げ彼の背中を見つめる。

「どうして…?」

『本当にお願いします。…これは誰にも知られたくない。』

「………。」

こちらに背を向けて座る北上の申し訳なさそうに項垂れている姿に、雪村は何も言えなかった。

「…わかり、ました。誰にも言いません。」

『…ありがとうございます。』

「…北上さん、朝食は食べられますか?」

『あはは、いくらなんでも大袈裟ですよ、すぐに広間に行きますね。』

…彼はどの様な状態であっても、人に気を使ってしまうらしい。
他人に迷惑をかけたくないのか、ただ人と距離を置きたいだけなのかはわからないけれど、ここまでくると北上さんは誰にも心を許していないのではないかとさえ思えてしまう。
こんな時ぐらい人に頼ってもいいのではないか。

こちらに背を向けたままの北上を心配に思いながら、雪村は静かに彼の自室を後にする。

「…井上さん?」

広間に戻ろうと廊下の角を見た雪村の瞳に、小さく手招きする井上源三郎の姿が映る。

「戻るのが少し遅いようだったから、様子を見に来たんだ。…そんなに酷いのかい、北上君の体は?」

手招きされて井上に近づいた雪村は、神妙な面持ちの井上に目を伏せた。
井上は、先ほどの自分と北上の会話を聞いてしまったのだと、雪村はすぐに理解した。

「…北上さんは、この事は誰にも言うな、…って。」

「そうかい。…しかし、彼には悪いがこれは私からみんなに報告させてもらうよ。」

いつの間にか小鳥のさえずりも止み、静かになった廊下。

「…北上さん…。」

袴の裾を握り締め、雪村は再びうつむいた。

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