揺らぐ心、走る蝶


「…北上。」

『なんでしょうか、土方副長殿。』

「すまなかったな、こんな事に巻き込んじまって。」

私は土方と数名の隊士と共に、新選組の屯所へと向かっていた。

『いきなりどうしたのです?今回の捕物に同行したのは私の意志ですよ。』

私の隣を歩いている土方は、視線だけをこちらに向けた。

「いや、それもそうだが。…辛そうだったからな、お前。」

…きっと、胡蝶蓮を抜いた時の事を言っているんだろう。

「自分で決めた決意ってもんは最後まで貫き通さなくちゃならねぇ。」

『……。』

「だがな、お前のした事は何も間違っちゃいねぇよ。それに、てめぇの譲れないもんを犠牲にして何かを守るってのも簡単な事じゃないからな。」

予想外の言葉に目を見開けば、土方と目が合った。

「お前がどうして刀を抜かないか、何が辛いのかなんて野暮な事は聞かねぇし、責めたりもしねぇ。お前は正しい事をしただけだ。…むしろ、感謝してる。」

『副長殿…。』

「…それに、お前は俺よりまだまだ若いんだろう?まだまだこの先長いだろうが。」

土方はやれやれといった様に目を細めると、私の頭に手を置いた。
思わず笑みがこぼれる。

『…随分と、お優しいのですね。明日は槍が降りそうだ。』

土方は何も言わず、私の頭を袈裟の上から軽く叩いた。

『あと、私の背丈は副長殿よりも少し高いのですから頭に手を置くのはちょっと…。』

「なんだ?年下は年上を敬うもんだろうが。てめぇは色々と頭が高いんだよ。」

土方はふっと笑うと、そのまま私の頭をぐいっと下に引っ張ってから手を離した。

…私はこの男を好んでいなかった。
だが、それは私が歴史として残っている情報から判断しただけであって、相手の本質を見ていなかったからだ。
ここは私のいた時代ではない。
私が今いるのは彼ら≠フ時代だ。
私のモノサシでは測りきれないモノがある。
先入観を持って考えてはいけなかったのだ。

『…土方副長殿。』

「…どうした。」

『ありがとうございます、副長殿。』

明日は槍が降るな、と呟く土方。

『…副長殿、私には怖いものがあるのです。』

土方は黙ってこちらを見つめる。

『それが怖くてたまらない。だから、私は刀が抜けなかった。』

背負っている胡蝶蓮の背負い紐の結び目を握る。

『…ですが、少々考えを改める事にします。』

怖くて堪らなかった。
胡蝶蓮を抜いたが最後、元いた時代に戻れなくなるのではないか、そう考えていた。
しかし、私は刀を抜いた。
そこで、私は、私自身の何かが変わるのを確かに感じた。
何が変わったのかは、わからない。
私の恐れる事が起こるのか、起こらないのかも。
何もわからない。
刀を、胡蝶蓮を抜いたら元いた時代へ戻れなくなるかどうかなんて、わからないのだ。
今まで考えていた、逆の可能性だってありえる。
まだ、決まったわけじゃない。

『それ≠ェ怖いのには変わりはないのですが 、どうしても諦められない事がありまして。』

「……そうか。」

『それに、私はまだまだ若いですし。』

一言余計だ、と私の袈裟を引っ張った土方。
その瞳はどことなく優しく感じた。
…どことなく、は間違いか。
この男は、とても優しい人だった。

「…お前は、まだ旅を続けるのか?」

頭の袈裟の位置を直しているところで、土方が私に問いかける。

『ええ、…続けますよ。』

「…今夜は月が綺麗だからな。しばらくは天気もいいだろう。」

『そうですね、その方が嬉しいです。動きやすいし…、早く旅も終わらせたい。でも、旅が終わったらもうこんな夜空は見れませんね、きっと。』

空に浮かぶ月を見上げてみれば、土方は私の顔を訝しそうに見る。

「…それは、どういう意味だ。」

『あー、秘密です。秘密。』

少し、喋り過ぎたかな。
気をつけなくちゃ。
…それにしても、月が綺麗だ。
やはり、昔の日本と現代は違うなぁ。
星も月も、とても輝いて見える。
これなら、明日も青空が見れるだろう。

視線を夜空の月から京の都の通りへと戻し、

『………ッ!!』

息を呑んだ。

目を凝らして見れば、間違いない。
今、私達が歩いている通りの奥に、アレがいた。
一年前、私がこの時代に来る事となった元凶。
月明かりに照らされ、ゆらゆらとあの蝶が飛んでいる。
その姿は、照らされているのが夕日ではなく月になった事以外、全くあの日と同じ姿。

「…おい、待て、北上ッ!!」

気がつけば、動き出す足。
土方の制止を無視して、蝶の元へと走る。
彼には悪いが、あの蝶を逃がすわけにはいかない。
元いた時代に戻れるかもしれないのだ。
ある程度近づいたところで、優雅にひらひらと飛んでいた蝶の動きが速くなり、どんどん遠ざかっていく。

旅の終わりを求めて、私は、あの日の様に蝶の後を追うのだった。

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