甘い香りと姫若子

予想外の出来事に、体が動かない。

男の長い前髪が、自分の顔に触れそうなほどの距離。
背は高く、わざわざかがんで私の顔の高さに合わしている。

『…ああ、お掃除中だったんですか。お疲れ様です。』

男の人が口を開く度、口布越しになんとも言えない不思議な甘い香りがして頭がくらりとした。
こんな人、新選組で見た事ない。
明らかに普通の人とは違う。
きっと、この人が…。

「ごっ、ごめんなさい!!」

『え?ちょっと、待った待った。』

「…きゃっ!」

踵を返して逃げようとすれば、男の人に肩を掴まれて結局同じ様な体勢に戻る。

『驚かせてしまったかな、私は北上清虎。貴方に少し聞きたい事があるのですが。』

混乱する頭でどうしようと考えても上手く考えが纏まらない。
そして淡々と話す彼の言葉からは、やはり不思議な香りが漂ってくる。
…何の香りだろう。
何かの花、果物の様に甘い…。

『こちらの隊士の、千鶴≠ニいう方を知っていらっしゃいませんか?』

…私?
心臓が跳ね上がる。

「わ、私です!雪村千鶴といいます。」

感情がわかりにくいが、北上さんは少し驚いた様だった。

『貴方が千鶴さんでしたか。昨夜の食事は貴方が用意して下さったと聞いたので。』

「…え?」

『とても美味でした。今朝の食事も、ありがとうございました。』

…それを言うためだけに、私を捜そうとしていただなんて。
土方さん達に変わった男だから近づくなと言われていたけれど、本当はとてもいい人なのかも。
でも…、

「お、お口に合ったのなら良かったです。北上さん、あの、…顔が…。」

『…顔?』

小首をかしげる北上さん。
両肩を掴まれているから逃げられない。
お互いの顔が近くて恥ずかしいです。

「おい、清虎!!千鶴に何してんだよ!?」

『ほう、藤堂組長。こんにちは。』

さっきの私の声を聞いたのか、平助君がこちらに走って来た。

「こんにちはじゃねぇって!顔近づけすぎだろ!!」

『ん?…ああ、こりゃ失敬。』

北上さんも気がついてくれたのか、顔を離した。
ああ、とても恥ずかしかった。
…顔が赤くなってないか心配だなぁ。

『それにしても、雪村さんの様な隊士の方がいるとは思いませんでした。随分とお若いですね、まだ十五、六ぐらいでしょう?』

北上さんが問いかけてくる。
…私が女だってバレないように説明しなくちゃ。

「はい、十六です。あと、私は隊士じゃないんです。」

『あれ、違うのですか?』

平助君が頷く。

「そうなんだよ。千鶴は蘭方医の息子なんだけどさ、ちょっと事情があって小姓として働いてんだ。」

『蘭方医とはすごいですね、将来有望だ。ふむ、雪村の坊っちゃんか。』

北上さんは頭の袈裟を弄りながら、私をじっと見つめてくる。

『ところで、坊っちゃんはどなたの小姓を?』

「土方さんの小姓をさせてもらっています。」

袈裟を弄る手が止まる。

『土方副長殿ですか!?へぇ、副長殿かぁ…。』

今までの淡々とした声と打って変わって楽しそうな声を出し、顎に手を当てて何度も頷いている北上さん。
平助君は不思議そうな顔をしている。

「何だよいきなり!びっくりするだろ。」

長い前髪の間から僅かに見える北上さんの目が細められる。

『ああ、土方副長殿はいい趣味をしてらっしゃると思いましてね。』

「はぁ?……なッ!?」

北上さんの言葉に、最初は訳がわからないという様な顔をしていたけれど、急に顔が真っ赤になった平助君。
いったいどうしたんだろう。

「ひ、土方さんと千鶴はそんなんじゃねぇよ!」

『女性に人気があるのは聞いていましたが…。副長殿はなんとも多趣味な方なのですね。いやぁ、驚いた。』

「だからちげぇって!!」

…女性に人気、多趣味?
私は一応男になってるはずだけど。
…まさか。
北上さんの言葉の意味がわかって、一気に顔が赤くなるのがわかる。
北上さん、ひどい勘違いをしてるみたい。
どうしよう。

『もしかして、土方副長殿に無理やりですか?雪村の坊っちゃんも大変だ。』

「だから、土方さんと千鶴は男色じゃねぇっ…て…!」

平助君の声が段々と小さくなる。
北上さんの高い背の後ろに、廊下の向こうから近づいてくる薄紫の袴が見えた。

『あれ。どうかしましたか、藤堂組長?』

「てめぇ、本人のいないところで好き放題言いやがって!!」

『ぅえ゛ッ。』

廊下の向こうから歩いてきた土方さんに首根っこを掴まれて仰け反る北上さん。
土方さんはそのまま部屋の中に彼を引きずり込んでいく。

『ちょっ、まだ坊っちゃんとのお話しが…。』

「誰がさせるか!あいつに変な事を吹き込むんじゃねぇよ!!」

部屋の襖が閉められる。

『え、なんの事やらさっぱり。』

「平助の話に惚けてやがっただろうが!わざとらしすぎるんだよ!!」

『無理やりとは感心しませんが、別に恥ずかしがらなくてもい…、あだっ!!』

北上さんの声と、ガツンと大きな音が響く。

「てめぇは少し黙ってろ!!…いいか、夜まで部屋から出るなよ。」

『え〜…。』

土方さんが部屋から不機嫌そうに出てきてピシャリと襖を閉めた。
一瞬だけ見えたけど、北上さんが頭を抱えていたから、きっと土方さんに思い切り殴られたんだと思う。
あっという間の出来事に平助君と顔を見合わせる。

北上さんって、悪い人じゃないけど…。

「…不思議な人、だなぁ。」

土方さんと平助君のため息と共に、私はそう呟いたのだった。

[ 19/70 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -