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夜叉白雪が弾き飛ばされ、鍔迫り合いをしていた鏡花に逃げる隙と体勢を整える時間が与えられる。鏡花も、そして敦も、目の前の光景に唖然とした。

単車の前輪が、夜叉白雪の背後へ勢いよくめり込んだのだ。
運転手は灰色の外套を纏う少女。夜叉白雪へ当たると同時に転がる様に地面へ着地し、単車は夜叉を縺れこませるような形で、混凝土の壁へ激突した。爆発が起き、黒い煙とガソリンの臭いが辺りに充満する。

「鏡花ちゃん!敦君!」

少女…美咲は二人の姿を確認し、ほっと安堵の息を吐いた。

「よかった…二人とも無事だね」
「美咲さん…!」

前回会った時から一日程度しか経っていないのに、彼女の姿を見るのは随分と久し振りに感じた。
敦と鏡花は彼女の元へ駆け寄る。所々に斬り傷はあるが大きな傷は見られない美咲へ、同じく安堵の表情を浮かべた。

「隙を作るな」

そんな時、場の空気を一転させるような低い声がした。
軽く咳き込み、此方へと歩いてくるのは芥川だった。敦は瞠目し、咄嗟に手に持っていた銃の安全装置を外して、芥川へそれを構える。先制しなければ…という強い思いが思考を埋めた。

「何故、此奴が…」
「私が拾った」

あっけらかんとした様子で答えたのは美咲である。
敦は勿論のこと、鏡花も無表情を崩して目を見開いた。一時は休戦を結んだ探偵社とマフィアだが、互いが互いを助ける必要はない筈だ。ましてや敦と芥川は、何度も衝突し合う敵同士である。
一体どういうつもりで、と敦が問おうとする前に、芥川が敦の銃を一瞥し、吐き捨てる様に云った。

「不細工な武器だ。だが…奴等には豆鉄砲など効かぬぞ」
「奴等?」

何のことかと訝しがりつつ、敦は芥川の視線を追う。
視線の先には、霧の中を歩いてくる人影が見えた。全身に黒い包帯のようなものを巻いた影は、ゆらゆらと生き物じみた動きで黒い帯が動く。その背後では、それより幾分か小柄な影が、長い刃を両手に握り込んで、此方への距離を確実に詰めてきていた。
芥川の異能“羅生門”、そして美咲の異能“生れ出づる悩み”だ。敦と鏡花は直感的にそう感じ、思わず息を呑む。

同時に、敦の背後から獣の唸り声が聞こえてくる。美しい毛並みとしなやかな巨躯を持つ白い獣…虎だ。
そして逃げ道を塞ぐ様にして、夜叉白雪も四人を囲む様にして刀を構える。
異能の中でも攻撃力の高い四体に囲まれている事実に、冷や汗が流れるのを感じた。

羅生門が人外じみた動きで跳躍し、黒衣を刃のように伸ばす。咄嗟に芥川が身構えるが…羅生門は、なぜか芥川ではなく、敦の背後にいた虎へと襲い掛かった。
虎が牙を剥いて、羅生門を迎撃する。二体は縺れ合い、激しい戦闘を始めた。どうやら異能同士も、持ち主に似たのか相性が悪いらしい。

「面白い…どちらが強いが見届けるか」
「そんなこと云ってる場合か!」
「本当に二人って仲悪いんだね…」

芥川が興味深げに唇を歪め、敦が思わず怒鳴りつけ、美咲は若干の呆れ顔を浮かべた。
羅生門と虎が此方に襲い掛かってきたら、異能を持たない身では大した反撃も出来ないだろう。夜叉白雪も、そして生れ出づる悩みだって残っている。事実、羅生門と虎が戦っている間に、刃を構えた二体が躍り出てきていた。

それぞれの異能は持ち主を狙い、鋭い斬撃を繰り出す。鏡花が持っていた短刀で夜叉の刃を抑える一方で、美咲は横へ飛んで一撃一撃を躱していった。

「非常通路!」

時には手持ちの短刀で攻撃を受け捌きながら、美咲が声を張り上げる。

「マフィアの非常通路を使って!」
「ふん…」

その言葉に、芥川が不本意そうに眉を顰めつつ「来い、人虎」と敦へ告げる。身体を翻し、そのまま歩き始めた芥川へ困惑しつつ、敦が鏡花と美咲を見た。

「でも!」
「行って!」

咄嗟に芥川を引き留めようとした敦を、鏡花が厳しい声で制する。そうして再び戦闘へ戻る鏡花の代わりに、美咲が身体を捻って刃を避けつつ口を開いた。

「私も鏡花ちゃんも、必ず行くから!」
「…っ分かりました!」

躊躇いつつも、敦は二人のことを信じるように頷き、芥川の後を追った。



●●●



美咲は異能に押されつつあった。
躱す、という行為は体力と精神力を断然多く使う。一撃を躱したその瞬間には、次なる一撃を躱すために思考を巡らせ、動かなければならない。

異能に体力の限界はない。生身の人間である美咲は、体力が底を尽きかけていた。

「早く!!」

声が聞こえた。手を付くように地へ着地しながら目をやれば、鏡花が夜叉白雪と交戦しながらも、敦と芥川の向かった方へ駆けて行く姿が見える。一瞬だけ視線が交差した時に見えた鏡花の目は、此方への心配が滲み出ていた。

──頃合いかな…

避けるだけでは埒が明かぬし、何より今は身の安全を確保する方を優先すべきだ。
瞬時に地を蹴り一気に駆け出す。駆けるその足を刈り取ろうと、異能は執念に足元を狙い刃を振るってきた。
跳ぶようにしてそれを躱しつつ美咲が飛び込む様にして入ったのは、街中にある何の変哲もない中華料理屋だった。

カウンター席とテーブル席が並ぶ狭い店内。壁に貼られたメニューは年季が入り茶色く変色している。厨房は中華鍋や食器などが雑多に積み重ねられながらも、それなりの清潔を保っているようにも見えた。
その入り口の扉を体当たりで壊し、奥の厨房を目指す。

「鏡花ちゃん!美咲さん!!」

壁にあった隠し扉へ鏡花が駆け込む。丁度その時、美咲はカウンターを飛び越え、背後の一撃を躱しているところだった。

「閉めて!!」

そう叫んだのは美咲だった。まだ彼女は隠し扉へ辿りついていない。
何を云ってるのか、と敦が瞠目したその時、美咲の背後に大きな影が迫る。

「ッ美咲さん!!」
「──!」

夜叉白雪だ。鏡花を追って此処まで来て、そしてこの時になって目標を変えたのである。
最初に繰り出されたのは、生れ出づる悩みの斬撃。身を屈めてそれを躱す美咲だったが…前に出るように夜叉白雪が動く。

美咲の右肩下が夜叉の刀によって貫かれるのと、芥川が拳を叩きつけるように扉のボタンを押したのは同時だった。

「っ!!」

扉が閉まり始める。まだ美咲は来ていない──敦、そして鏡花が大きく瞠目する。彼女を見殺しにするつもりなのか、と。

美咲が動いた。
自身を貫く刃を掴むと、美咲はそれを軸にするかのように身体を浮かし、脚を振り上げる。
夜叉白雪の顎と首に、強烈な蹴りが入った。その威力で夜叉は後ろへ吹っ飛び、美咲を貫く刃も抜ける。夜叉白雪がその後ろにいた美咲の異能をも巻き込んで反対側へ激突すると同時に、血を流しながらも美咲が再び駆けた。

人一人がやっと入れるような隙間に飛び込む。彼女の腕を引っ張ったのは…ボタンを押した張本人である芥川だった。
美咲が入るのとほぼ同時に、隠し扉が閉まる。間一髪で、四人全員が一先ず逃げることに成功したのだ。

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