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ヨコハマ裏社会史上、最も死体が生産された八十八日。
あらゆる組織を巻き込んで吹き荒れた血嵐、龍頭抗争──その終結前夜。



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血がぶちまけられたような赤い満月がぼんやりと照らす街は、人の住む場所とは思えないほどに荒れ果てていた。
生気を感じぬ大通り、煙を出す車、焼き払われた建物、そしておびただしい死体の数。おおよそこの世のものとは思えないが、それはまさしく現実であった。

その惨劇の中を、有島美咲は無表情で歩いていた。
深紅の絹紐リボンで軽く結わかれた艶やかな黒髪、コントラストで映える白い肌、前髪から覗く灰色の瞳──その目つきはまるで、目の前のその一歩先の事を考えているかのように見える。死臭が風に乗って吹き荒れ、彼女の纏う黒い外套がゆらゆらと揺れた。

右を向いても左を向いても死体の山。うんざりだとばかりに美咲は僅かに顔を顰め、道端に転がるそれらから目を逸らす。

──どうか、安らかな眠りを

黒社会の人間に安らかな永眠など相応しくない。この死体も、裏社会に身を置く美咲だって当然それは同じ。それでもそう願ってしまうのは、自分が甘いからだと。冷酷なポートマフィアに属する故にか、彼女は自身の持つ優しさをそう解釈していた。


『やァ美咲。そろそろかな?』


唐突に耳障りな雑音が片耳につけた通信機から聞こえ、その後に聞き慣れた声がした。美咲は歩く足を止めぬまま「太宰さん」と少し意外そうな様子で口を開く。

「目標まであと百メートルを切りました」
『上々。志賀君も到着するから後は頼むよ』
「はい…あの、太宰さんは今どういう…?」

此処へ来る前、情報を聞き出す名目で敵組織に捕らわれたと聞いていた。てっきり通信なんて出来る状況でないと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
太宰が『あぁそれはね』と話そうとしたその時。一瞬だけ通信が乱れ、今度は相手の通信機が奪い取られる音が聞こえた。

『美咲か』
「…?中也さん?」

聞こえたのは、上司であり美咲の師でもある中原中也の声だった。彼が太宰を救出した、という事には直ぐに気付き、成程そう云う事かと納得する。

『お前今何処に居んだよ』
「丁度中也さん達とは反対側の金融会社跡地です。お二人は…元凶を叩きに行くんですよね」
『まァな…って、お前は何しに──…』

中也の声が遮られるように、銃声が響いた。
通信機の方からではない──自分のいる場所の、左斜め方向からだ。咄嗟に顔を上げ、異能を発動し脳天を狙った銃弾を白銀の刃で弾き飛ばす。動かしていた足を止めると同時に、美咲から発せられる雰囲気ががらりと変化した。

「二人に邪魔が入らないように、第三勢力を潰します。すみませんが暫く通信機切りますね」
『は!?んなの俺は聞いてねェぞ!?なんで一々報告しねぇんだよお前は…って手前何し、痛ェ!?』
『まだ通信切ってないよね、美咲よく聞いて』

次々と銃弾が美咲へと向かってくる。やむを得ず一旦後ろへ跳んで距離を置きつつ、両手に刃を握り込み更なる弾を受け弾いた。
通信相手の方は、どうやら太宰が中也から力ずくで通信機を奪い返したらしい。

『君たちの相手は武装集団だ。人数はざっと三十…何が云いたいのか分かるね?』
「勿論。其方もお気をつけて」

ぷつ、と通信を切った。ここから先は生きるか死ぬかの世界だ、下手に会話を続けていればそれが命取りとなる。


敵は廃ビルと化した建物の中から、執念に銃を乱射していた。一発もそれを掠めずに躱し続ける美咲へ焦燥感を抱き、段々と狙いが粗くなり始めている。
そして銃へ意識を向け過ぎた余り…背後に立つ人物に、全く気付くことが出来なかった。

「おい」

相手が驚く間も与えず、脳天に一発の銃弾がのめり込む。
派手に血飛沫が舞い、後頭部から額へと貫通した銃弾は、反対側にあった鼠色の壁に当たって軽い音と共に落下した。

「戦闘時において、焦りは最大の隙とも云うだろ」

ずるり、と銃に凭れるようにして絶命した男の背後には、一人の青年が立っていた。
ぼさぼさな金髪、黒を基調とした革のジャケットに、僅かに細められた灰色の目。彼──志賀亮の左手には、一丁の拳銃が握られている。
志賀は拳銃を持ったまま、ビルの割れた窓から飛び降り、血の染み込んだ混凝土へ着地する。そうして、たった今異能を解除した美咲を見据えた。

「悪い、遅れた。前のが長引いて」
「銀行社長の暗殺?」
「そ。彼奴が海外の武装組織と繋がってたとは驚きだな」

志賀は基本的に暗殺を務める。特攻が多い美咲は常に戦場へ出ずっぱりだが、彼はどちらかと云えば表立った戦闘を行わない。今回の様に闇から出るというのは珍しいことだ。
そしてその時は、大抵が美咲と共に任務へ就く。その理由は明白だった。

目的地の金融会社跡地には、名前通り死体の山が積み上がっていた。
顔も知らぬ者がほとんどだが、中にはポートマフィアの構成員も数名いる。全員が恐怖に顔を凍りつかせ、瞳孔を開いたまま絶命していた。口を開けている者は、最期の最期まで悲鳴を上げていたのだろうか。
見ていて良い気分になれるものではない。美咲は勿論のこと、流石の志賀ですら顔を顰め、忌々し気な様子で舌打ちを溢す。

「ポートマフィアの若き精鋭──“夜桜”とお見受けする」

そんな時、物陰から現れる男。途端に身を潜めていた武装集団が飛び出し、一瞬で美咲と志賀を包囲する。動きに無駄はほとんどなく、余程こういった荒事に慣れていることが伺えた。

声を発したのはリーダー格であろう男だけで、それ以外は全員息を詰め、手に持つ重火器から何時でも発砲できるような状態だ。そんな数十人の集団に囲まれても“夜桜”と呼ばれた二人は表情を変えなかった。

今や“夜桜”は、黒社会最恐の組として名を馳せている。この龍頭抗争でも幾度となくその名で呼ばれただろう。正体が相手に知られていようが、やることは変わらない。

「俺達の事を知ってんなら、そちらも名乗るべきじゃあねぇの?平等フェアじゃない」
「貴様らになど名を名乗る価値もない」

飄々とした志賀の言葉に相手は応じない。応じられなくとも、彼らが海外組織に雇われた非合法な武装集団であることは既に知っているのだが。

これ以上の会話は必要ない。リーダー格の男が大声で指示を出す。
途端、美咲と志賀を襲う銃弾の雨。今から回避動作に入っても躱せない程の銃弾達が、目にも留まらぬ速さで二人を狙う。
だが…ここまで来ても、夜桜は表情を変えない。代わりにどよめきが起こるのは武装集団の方だった。

何故なら、放たれた銃弾全てが二人へ着弾する前にぴたりと動きを止めたからだ。
銃弾は見えない力に動かされるように、全て志賀の足元へと落下する。血の染み込んだ混凝土と銃弾がぶつかって乾いた音が響いた。

それが異能力──“暗夜行路”という、人智を超えた力であると気付いた時には、美咲が既に地を蹴っている。異能によって生み出された刃が、月明かりに反射して白銀に煌めいた。

抗争は今日終わる──太宰が嘗てそう云っていた事を思い出す。
この忌々しい戦いを終わらせるためにも、今はやるべき任務を全うする。二人の考えは直ぐに合致した。
灰色の目が集団の一人一人を確実に捕らえる。その目にぎらりと宿るのは、異名“死神”によく似合う残虐と殺気。僅かに吊り上がる口端は、後ろに立つ相棒にしか見えなかった。



●●●



銃弾が降る。血飛沫が舞う。誰かの悲鳴と、誰かの絶叫。建物が崩落し、人が潰れる。血塵が散る。
数多の命を奪い、夥しい惨劇を生んだ龍頭抗争。五千億という大金をきっかけに始まった抗争は、ヨコハマ全土を戦場へと変えた。

ある者達は双黒として戦いに身をやつし、ある者達は夜桜としてその名を知らしめ、ある者達は戦いで肉親を喪って路頭に迷い、ある者は後に迷子を引き取ることにした、血生臭い戦い。

それから六年後。
──龍は、眠りから目覚めようとしていた。

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