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「そういえば太宰君」
青白い満月の照らすヨコハマ一帯の霧。そこから突き出るようにして延びる塔の最上階で、不意に澁澤龍彦はそんな声を上げた。
「君の元には、異能を複数所持する者がいるらしいじゃないか」
三つ並べられた椅子に腰かける太宰は表情を変えない。目を閉じ、何かを考えているかのようだった。生憎、何を考えているのかは誰も知り得ないが。
「情報が早いねぇ」
「ぼくが仕入れた情報です。と云っても、それなりに有名な話でしょう」
続けるように云ったのは魔人──ドストエフスキー。向かい合うように三人で純白の椅子に座り、ゆったりと会話が続く。
太宰は片目を開けて澁澤とドストエフスキーを見据えた。
「という事は、その能力内容まで判っているのかい?」
「当然です。普段なら決して発動しない異能力ですが…」
ドストエフスキーの赤い瞳が細められる。凡人が見ればその目つきで身を竦ませてしまうような、そんな冷酷さが垣間見えた。
「例の二人が居れば、それは間違いなく脅威です。こんな塔なんて直ぐに破壊されてしまうでしょう」
「尤も…此処へ辿りつくことは出来ないだろうがね」
私の予想を超えた者は一人もいない──澁澤は興味が無さそうな様子でそう返す。椅子の手すりに指を這わせ、独り言のように「しかし」と再び口を開いた。
「片方はまだしも…異能を強化させる能力は実に面白い」
「…」
「是非とも私のコレクションに加えたいものだ。さぞ美しい輝きを放つのだろう」
自身の異能を明け渡す能力と、異能を強化させる能力──片方に二つの異能を持たせることで、その者は一時的に異能の本来の力を引き出す事が出来るようになる。
そも、彼らが黒社会で名を馳せたのはその能力があったことも影響している。海外組織までもが目を付けていたのだ、ドストエフスキーや澁澤が知っているのも当然である。
「彼女を狙うのかい?」
ふと太宰が口を開いた。声は落ち着いているが、開かれた目は先刻よりも鋭い。
澁澤はくつくつと喉を鳴らして笑う。
「不満かね太宰君。その異能を独り占めしたいとでも云うのか?」
「彼女は私にとって大切な人でねぇ。正直、今だって彼女をヨコハマから無理矢理に連れ出さなかったことを後悔しているんだよ」
嘘か本当か解らない様な口調だった。独り言のようにも聞こえる言葉に、ドストエフスキーは「ほぉ?」と楽しそうな声をあげる。
「意外です。貴方のような人にも、人並みの愛情はあるのですね」
「失礼な事を云うね。惚気ならいくらでも話すけど聞きたいかい?」
「結構だ。私はそんなものに興味はない」
意外と乗る気だったドストエフスキーと太宰を遮る様に澁澤が吐き捨てるように云う。
「云ったろう?私が興味を持ったのは異能だけだ。それ以外はどうでも良い」
「残念。彼女の良いところを千個ぐらい並べようと思っていたのに」
大袈裟に肩を竦める太宰。ドストエフスキーは面白そうに口元を抑えて笑っていた。
澁澤は軽くため息を吐き出し、改めるようにして口を開く。
「異能の本来の力を発揮させる能力…か」
「面白そうですねぇ。ぼくも興味が湧いてきます」
発動した回数は少ないが、恐らくその異能は万能な類に入るものだ。それに極めて戦闘向きな異能も得ている──彼女の使い方の可能性は無限大に近い。
澁澤に続きドストエフスキーが言葉を紡いだ。
「太宰君。彼女は此処へ来ると思いますか?」
「さぁ。どうだろうね」
太宰は即答した。最初からそう答えるのを決めていたかのようだ。
「云っただろう。私の予想を超える者はいない…辿り着くわけがないのだ」
繰り返す様にして澁澤が云った。
何か確証があるのですか、とドストエフスキーが素直に尋ねると、意外にも澁澤はその問いに答える。
「異能の結晶を使い、少しだけ細工をした。何、直に死んで二つの異能が結晶体になるさ」
「それは初耳だなぁ」
太宰が顔を上げる。笑みが貼りつけられている筈なのに…まるで表情が消えてしまったようにも見えた。
「今、本当に後悔しているよ。彼女をヨコハマの外に出さなかった事をね」