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「…おいおい」

志賀は街を見渡し、そしてぼそりとそんな事を呟いた。
組合ギルドの一員の異能により、ヨコハマの木々とQの痛覚が繋げられ、そしてQが異能を発動させた──少なくともそうでなければ、こんな惨劇は生み出せない。

Qの異能を受けた者は幻覚を見て、辺りの人を無差別に襲う。人々の悲鳴が飛び交い、所々に怪我人が倒れていた。

「交通網を死守しろ!襲ってくる奴は撃て!!」

五大幹部の一人である中也も駆り出され、マフィアは総出で人々の鎮圧に動いている。当然志賀もその内の一人だ。
拳銃の安全装置を外しながら、襲い掛かって来る人々を蹴り飛ばしていく。キリがない、と舌打ち混じりに呟き、更に足を進めようとしたその時。

「…ぁ?」

空から、何かが落ちてくる。
咄嗟に後ろへ跳んで距離を置くのとほぼ同時に、その“何か”は道の真ん中へと着地した。幸いにも辺りには志賀以外に人はおらず、道路が窪んでも大した災害にはならなかったが…目の前の出来事に、志賀は柄にもなく目を瞬かせる。

一匹の虎だ。美しい白い毛並みの獣は、何処からともなく此処へ飛び降りてきて、凛とした姿勢で立っている。
その姿は見覚えがあった。実際に見ることは初めてだが、何度か資料で目にしたものだ。

「お前は…」

不意に虎の身体がふらりと傾く。青白い光に包まれた途端、其処に居たのは白虎ではなく一人の少年。
直ぐに目を覚ました少年…敦は倒れながら自分の身体を見た後、信じられないとばかりに「生きてる…?」と呟いた。

「おい。人虎」
「!」

そんな敦へ志賀が声をかける。
人虎──裏社会で七十億の懸賞金が掛けられている探偵社員、中島敦。こんな場面でなければ直ぐに彼を殺していたかもしれない。
しかし敦の持っている人形を見て、志賀は全てを察した。

──此奴…白鯨から飛び降りやがった

とんだ自殺行為だが敦は生きている。虎の力があってこそだろうが、飛び降りようとする意志に内心で感嘆の声をあげた。

「お前は…っ」
「俺の事は後。それよりその人形──…」

警戒心を強めつつ立ち上がる敦へ口を開きかけたその時、上空から風を切る音がした。
敦の虎眼はいち早くそれを捉える。白鯨から発砲された銃弾が、志賀の脳天を撃ち抜こうとしていたのだ。

「ッ危ない!!」

咄嗟に敦が叫ぶ。しかし間に合わない。目の前の彼が少し驚いた表情を浮かべていた。
だが…一直線に向かってきたはずの銃弾は、志賀に着弾する前にぴたりと動きを止める。まるで意志を持ったような動き──目の前の出来事に唖然とする敦は、瞠目して志賀を凝視した。

「…あれ、刃物女から聞いてない?俺の異能」

刃物女?異能?というかそもそもこの人は誰だ?
敦の中に疑問が次々と生まれる。こうしている間にも何発かの銃弾が操られ、志賀の周りをふよふよと漂っていた。

「まぁいいか。つかその人形、早く自殺愛好家マニアに届けんだろ」
「!」
「急げ。生憎俺はこの先お前と一緒に行けないが…まぁその代わり、彼奴が来るし」

独り言のように志賀が呟いた途端、敦の背後から「敦君!!」という名を呼ぶ声が聞こえた。
聞き覚えのある声──はっとして敦が振り返ると同時に、肩で息をしながら此方へ駆ける美咲の姿が見えた。

「美咲さん…!」
「詳しい事は後で聞くから…今は早く、太宰さんのところに」

その表情は緊迫している。敦は頷き直ぐに走り出そうとして…先程まで居た筈の男が居ないことに気付き、思わず目を見開いた。
何時の間に居なくなってしまったのだろうか。礼の一言ぐらい云いたかったのだが、こんな状況では仕方が無い。Qの人形を抱え、敦は駆け出す。

美咲は異能を発動させ、白鯨からの銃撃を次々に弾いて行った。
距離が遠くなればなる程に弾の着弾地は読みやすい。その分銃弾は速くなり威力が上がるので刃は直ぐ駄目になるが、また生み出せばいい。一撃一撃に意識を集中させつつ敦の後を追う。


ふと敦の目に入った横浜の光景。その惨劇に敦は言葉を失った。
地盤が割れ、所々で煙が立ち込め、人々は泣き、血を流し、傷つき、叫び…死人すら出ている。
Qの異能によって一部の人間は無差別に周りを襲い、被害は秒刻みで広がっていた。

「…酷い……」

ぽつり、と言葉が漏れる。後ろの美咲もまた、悔し気な表情で唇を噛んでいた。
この悲劇を止められるのは自分たちしかいない。唇を噛み締めた敦が再び走り出し、美咲もその後に続く。

と、其の時。乳母車に乗った小さな赤子が、地割れを起こした道路の窪みへと落ちそうになっていた。
先にそれに気付いた敦が、反射的にその子の元へ走り出す。彼は美咲も見失う程の疾さで乳母車ベビーカーを掴むと、寸でのところで落下を阻止した。

嗚呼、彼は凄い。一部始終を見て、美咲は素直にそう感じた。
前々からそう思っていたが、改めてそれを実感する。太宰が目をつけるのも当然かもしれない。

しかし、いつまでもその子を預かっている訳にもいかない。さっと辺りを見回すと、丁度近くに顔見知りの人物が居たのに気が付いた。

「敦君、その子貸して!」
「!」

美咲の声に反応し、敦が彼女の元へ乳母車を投げる。
しっかりとそれを受け取った美咲は、偶然近くに居た青年…もとい黒蜥蜴の立原に、それを半ば無理矢理に押し付けた。

「立原!この子頼んだ!」
「は!?美咲さん!?え、ちょ、待ッ…おい!!」

無理矢理彼に向かって赤子を押し付けると、美咲は再び敦の後を追って走る。わぁわぁ騒ぐ立原には可哀想なことをしたと思ったが、不可抗力である。立原もさぞ驚いたことだろう、嘗ての先輩が突然子供を無理矢理に押し付けてきたと思ったら、何処かへ走って行ってしまうのだから。

この時間帯、太宰は探偵社にいる。息を切らしながら探偵社を目指す敦の後を追っている時、ふと道端に並ぶ謎の物体を見つけた。

──…こんなの、元々あったっけ……?

少なくとも一週間前は無かった筈だ。貨物車の荷物が転がっているのだろうか。
そんな事を思いつつ意識を敦の方へ向けた途端──とんでもないものが彼の元に迫っていたのに気が付いた。

「ッ敦君!前!!」
「なッ、」

二人の前にあったのは、大型の燃料輸送車。
思わず息を呑むと同時に敵の銃弾が命中し、大爆発が起きた。

敦と美咲の身体は爆発に巻き込まれ、いとも簡単に吹き飛ばされる。
硬い混凝土に身体を打ち付けると同時に、美咲の両足に二発の銃弾が撃ち込まれた。

「――ぅあ゙ッ…!!」

銃弾を全て弾かれるのは厄介。よって狙撃者は先に美咲の動きを封じた。
運の悪いことに銃弾は貫通していない。銃弾を取り除かなければ、ただ回復を待つだけでも完治しない…敦程の再生能力を持っていない美咲は、これで当分立てなくなった。

一方の敦は血を拭いながら立ち上がり、必死に呪いの人形へと手を伸ばす。
その人形の元へ、誰かがゆっくりと歩み寄った。こつ、と足音をたてて二人に手を伸ばす、その人物は…


「君たちの勝ちだよ。敦君、美咲」
「…!」
「太宰さんッ…!?」


二人が探していた人物、太宰であった。
突然の登場に、敦だけでなく美咲も驚きを隠せていない。

「君たちの魂が勝った。これで街は大丈夫だよ」
「き、危険です太宰さん!空から銃撃が…」
「どうかな?」

太宰が外套から取り出したのは、赤い釦。
それを押すと同時に、先程美咲が不思議に思ったあの物質から、突如として煙幕が飛び出した。

すぐに準備できる代物ではない。敦と美咲が人形を届けに来ることを信じて、あらかじめ太宰が仕込んでいたものだろう。
これによって、白鯨からの追跡は不可能。当然だが遠距離からの発砲も出来ない。
呆然とする敦と美咲だが、これでようやく確信する。
太宰の云った通り、此方の勝ちであると。

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