非情かどうか
翌日は何事もなく過ごし、就寝した。泥水に沈むように寝入る私は、その日一つの夢を見る。
小さな男の子が泣いていた。踞るようにしてしくしくしている彼に、まだ幼い私が近づき、手を伸ばす。「大丈夫だよ」、「もう痛くないよ」。告げて彼の傷を癒してやれば、ふ、と顔をあげるその少年。涙の溜まった瞳をこれでもかと見開く彼に、私はふわりと笑ってみせる。
「ねえ君、名前は?」
「……しむら……しむらてんこ……」
「転弧くんっていうの? 私、神道カリン。よろしくね、転弧くん」
「カリン……」
少年はおうむ返しのように呟き、口を閉ざした。
転弧……。ああ、そうだ。そうだった。
私は知っている。知っていた。彼のことを。あの哀れな少年のことを。
出会ったのは公園。その隅っこ。隠れるようにして縮こまっていた彼を見つけたのが始まりだった。その日から幾度か見かけた彼は、いつもどこかを怪我していた。だから私はいつもその怪我を治療していた。それが当たり前だった。
思えばあの日もそうだった。公園の片隅で縮こまっていた死柄木弔。腕を怪我した彼は、今思えば待っていたのだろうか。私のことを。私の治療を。だからなにも言うことなく去っていったのだろうか。今となってはもうわからない。わからないけれど……。
ふっ、と意識が浮上し、目を覚ました。時計を見れば、もう少しでベルが鳴りそうな時間だ。
私は上体を起こし、額を押さえる。そのままはぁ、と息を吐き出せば、自然と肩が下がった気がした。
「転弧くん……」
君は今、何処にいるのだろうか……。
◇◇◇◇◇
「おはよー」
「あ、お、おはよう、カリンちゃん!」
身支度を整え一階に行くと、出久くんが起きていた。走り込みをしていたのか、若干息を乱す彼に「おはよう」を返せば、彼は安心したように笑みを浮かべる。
「最近カリンちゃんと話せてなかったから、なんか嬉しいな……僕、話してもらえないくらい嫌われたのかと思ってたから……」
「出久くん……」
私の大人げない態度のせいで随分と心配をかけてしまったようだ。
眉尻を下げ「ごめんね」と謝罪すれば、「ううん! いいんだ! 僕もあの時はなにも知らず酷いことしちゃったし!」と彼はわたわた手を振った。そして沈黙し、「でも……」と小さく言葉を紡ぎ出す。
「こう言ったらカリンちゃんには悪いかもだけど、僕、カリンちゃんが此処にいてくれることが嬉しいんだ。カリンちゃんは、その、帰りたいだろうけど……」
「……」
ぼんやりと目を瞬き、やがて小さく笑う。「そうだね」。そう言えば、出久くんは泣きそうな顔で口をつぐんだ。
「……でも、最近わりとどうでもよくなってきちゃってるんだ。こっちもあっちも、私の居場所にかわりはないから……」
「カリンちゃん……」
「まあ、勝己くんにいろいろ言われたってのもあるけどさ。今はそんな、帰りたいって強く思うことはないんだ。非情かもしんないけど……」
これは事実だった。あの日、勝己くんと言葉を交わしてから、私はあまり帰りたいと思わなくなっていた。此処も私の居場所。そう思えば、自然とあちらへの思いも薄れていったのだ。まあ帰りたい気持ちに変わりはないのだが、強く思わなくなった。そういうことである。
すん、と鼻を鳴らした出久くんがごしごしと目元をこする。やがて顔をあげ、「非情なんかじゃない……」と告げる彼に、私は小さく微笑んだ。
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