雑記帳 漆黒の間ショーA


「見合い?」
食堂で卵を割ってご飯にかけながら、ラエスリールは目の前の赤い男に問いかけた。

「朝から何の冗談だ?闇主」
「やだなー、ラス。この顔が冗談言うように見える?」
「見える。もう一度言え、スラヴィエーラが誰と見合いだと?」

闇主と名乗った男は、なんやかんやですっかり浮城に居ついてしまった。無職だったからちょうどいい、と本人は言うが、あのボケの才能といい宙吊りのテクニックといい、舞台の経験があるとしか思えなかった。
一体何の目的で、素人同然であるラエスリールと組む気になったのだろう。義母も義母で、あっさりとこの男をラエスリールの相方と認めた。審査をパスしたのだから仕方ないが、依然として素性は知れない。
「だからぁ、大国ガンディアの次期国王とだよ。シュライン姫ばかりが目立って影は薄いけど、国王にはちゃんと後継者の息子がいたでしょ。そいつが、『夢しぐれ』の相方を見初めたみたいだよ」

闇主の話によると、『夢しぐれ』は一年ほど前、国王の聖誕祭の時に、王宮である青月の宮まではるばる漫才を披露しに行ったらしい。当時のラエスリールはハブられていたためにその事実を知らなかった。
そこで、次期国王はスラヴィエーラに一目惚れした。着飾った姫君を見飽きたお坊ちゃまの目には、男性の頭をハリセンで殴るスラヴィエーラの姿は、さぞかし新鮮に映ったことだろう。
「確かなのか。得意先の、それも王族からの見合い話は、よほどのことがない限り断れないと聞く」
卵かけご飯をかき混ぜながら、ラエスリールは唸った。
浮城は独立組織だが、個人が持ち帰る報酬だけでは成り立たない。大国からの援助がなければ運営が困難になる。特にガンディアは大事な得意先で、これまでも無理な要求をたびたび押し付けてきた。
浮城には容姿のいい男女が多いし、『芸』と聞いて邪な妄想をしそれを実行に移そうとする客も少なくはないのだ。
「ガンディアの王太子が不逞の輩だとは思いたくないが、しかし……」
スラヴィエーラは、仲の良い二人の青年のうちどちらかと相愛なのだと思っていた。彼女は仕事が大好きだが、それ以上に正義感が強い。自分の気持ちに嘘をついて、浮城のために犠牲になろうとしているのではないだろうか?

「よかったねー、ラス」
ラエスリールの気持ちも知らず、闇主はにこにこ笑っている。
「なんだと?」
自然と目つきが鋭くなる。とぼけた相方のおかげで、彼女の表情は以前よりも豊かになっていた。
「えーだって、あの女がいなくなれば、『夢しぐれ』も『氷雨』も解散でしょ。ライバルがいなくなって、そのぶんおれたちに仕事がまわってくるじゃなーい」
「ふざけるな!」
ラエスリールはテーブルに拳を叩きつけた。
「私など、まだまだ彼らの足元にも及ばない。それより、この事をマイダードたちが知ったら、どんなに悲しむか……」

「もう知ってるけどな」
のんびりした声に、ラエスリールは振り返った。
その先には、椅子に腰掛けて大きく反り返り、室内サンダルを履いた片足をぶらぶらさせているマイダードがいた。
『夢しぐれ』の相方として、いつもと変わらないように見える。だが一人の男性としてはどうだろうか。
「自分たちが売れ出したからって、早速よそのコンビの心配か」
「私は、そんなつもりは……」
マイダードはまったく目を合わせずに言った。
「コンビ名はもう決めたのか?」
「あ、ああ……『歩行者信号』と言う」
命名したのはラエスリールである。コ○ト○信号をリスペクトしたのだが、黄色がなくて進めと止まれしか知らない自分たちには、ふさわしい名だと思った。
「いいネーミングセンスだ。頑張れよ」
マイダードはボケもせずに素で答えて、パンを一口かじった。
「おれたちは解散するから。次はたぶんお前らの時代だ」
「諦めてしまうのか?」
背中を向ける彼に、ラエスリールは噛み付いた。
「スラヴィエーラが浮城からいなくなったら、寂しくはないのか?」
返事はなかった。




ラエスリールは思い悩んだ挙句、義母に相談することにした。
執務室に向かう間にも、相方はまとわりついてくる。
「ねーラス、余計なおせっかいはやめなって。なるようにしかならないよ」
「うるさい。私だって『夢しぐれ』と『氷雨』の漫才は好きなんだ。このまま解散なんて絶対に駄目だ」
「ラスが決めることじゃないと思うけど……」
「それに、まだお前を許したわけじゃないんだぞ!私の戦闘服を、あんな!」
「笑いをとろうと思って」
「一歩間違えば犯罪だ!いや間違わなくても窃盗は犯罪だ!この変態!」
「わかってないなあ。笑いなんてもともと、他人を傷つけて得るものでしょ」
「な!」
相方の言葉に、ラエスリールは絶句した。
「もしくは、自分より劣った奴の滑稽な姿を見て、安心する。それが本質だよ」
ぞくりとするほど冷たい笑顔で、闇主は言い放った。先日、ラエスリールのハリセンで吹き飛んだのはわざとだ、そのくらいはわかっている。
だが彼女が本気で殺すつもりで殴ったのだとしても、彼にはまるで効かないだろう。そう思わせる不気味な表情だった。
「お前は……何者、なんだ」
自分はひょっとしたら、恐ろしいモノと組んでしまったのではないだろうか。そんな思いがラエスリールの中を駆け抜けていった。
「言ったでしょ?ラスの相方だって」
闇主は笑う。
「ほら、義母上に話があるんだろう?早く開けなよ」
いつの間にか執務室の前に着いていた。
「わ、わかっている!」
こんなところで相方と口論をしていても仕方ない。
ラエスリールは気持ちを切り替え、思い切って執務室の扉に手を伸ばす。
「失礼します、義母上。スラヴィエーラのことで……」

「あらラエスリール、どうしたの?」
扉の向こうには、マンスラムの他に二名の人物がいた。
人形とも見紛う美しい金髪の少女と、虹色の髪のこれまた美しい女性だ。
「それでは座長、あたしはこれで。長い間お世話になりました」
「ええ、元気でね」
金髪の少女は頭を下げると、相方を伴って部屋を出ようとする。
何やらただならぬ雰囲気を感じて、思わず呼び止めた。
「リーヴシェラン!?」
相手はいやそうに振り返った。
「なによ」
「あ……その……」
リーヴシェランは商売道具である琴を大事に脇に抱えていたが、営業に行くにしては荷物が多すぎる。
浮城屈指の曲芸師が、正月の稼ぎ時にまさか旅行でもあるまい。それに、『元気で』とは?
疑問を口に乗せることができない彼女に代わって、相方の女性が助け舟を出してくれる。
「実は私とリーヴィは、祖国に帰ることになったのです」
「え!?」
驚くラエスリールの前で、リーヴシェランは面倒くさそうに答えた。
「国に帰って、結婚するの。兄さまが頼りにならないから、あたしが家を継がなきゃならないし」
「結婚……リーヴシェランが?」
自分よりも年下の少女から告げられた真実に、彼女は唖然とする。
「そうよ。もともと結婚までは好きにさせてやるって条件付きで、浮城に入ったんだから。そろそろ親孝行して義務を果たさないとね」
誇らしげに告げるリーヴシェランは、ラエスリールよりもはるかに大人びて見えた。
「リーヴシェランは、まだ十代じゃないか。もっと遊びたいだろうし、やり残したことだってたくさんあるだろう」
半ば自分に言い聞かせるように言うが、少女の決意は揺るがない。むしろ、ラエスリールを哀れむように見つめながら言い放った。
「あなたこそ、いつまで子供でいるつもりなの?自分の進むべき道も定まらないのに、人のことを気にかけるなんて、傲慢以外のなにものでもないわ」
鋭い指摘が胸に刺さった。
確かに、リーヴシェランの表情に悲壮感はない。ただ己の責任を果たそうとしているだけだ。それを第三者がとやかく言うべきではないだろう。
(私は……本当に未熟だ……)
相手のためを思っても、何もかも空回りだ。いや、本当は自分のためだろう。
自分が浮城を去らねばならなくなったら、惜しんでくれる友人はいるだろうか。そう思うとスラヴィエーラたちがうらやましかった。
これ以上ひとりにはなりたくない。できればみんなと仲良くしたい。それだけなのに。
「そうだな……すまなかった。向こうに行っても元気で……」
「せいぜいあなたもね。じゃ、行きましょ彩糸」


扉が閉まった後、ラエスリールはマンスラムに向き直った。
「義母上、実は」
口を開きかけた彼女を、マンスラムは片手で制す。
「わかっているわ。スラヴィエーラのことでしょう」
「はい。ですが今のリーヴシェランの言葉を聞いて目が覚めました。本人が決めたことなら私が口を挟む余地はない。コンビ解散は残念ですが……」
すると、マンスラムは意味ありげな微笑を浮かべた。
「私も本当は反対なのよ。あの三人は浮城にとって大事なドル箱。ガンディアからの援助と天秤にかけても、スラヴィエーラが残ってくれた方がよほど有益だわ」
私情ではなくそろばんを弾いた結果、その結論に達したらしい。マンスラムはにっこり笑う。
「要は、向こうから断らせればいいのよ。幸い、マイダード&オルグァンコンビの『氷雨』は政治ネタを得意としている。見合いの席の余興として彼らを呼んでくれるよう、国王に要請しておいたわ」
「まさか、義母上……」
血の気をなくしているラエスリールをよそに、マンスラムは満足そうに頷いた。
「そのまさかよ。マイダードが書いたホン(漫才の脚本)を見せてもらったんだけど、さすがにいい出来だったわよ、風刺が効いてて」
王族の目の前で、政治批判。それがどれほど危険なことか、彼女は漠然とではあるが理解していた。
「命がけの仕事ではありませんか!最悪、不敬罪で首を斬られますよ!!」
さすがに殺されることまではないとは思うが、今後のガンディアとの関係に問題が生じることは間違いない。
マンスラムは、それでもいいと思っているのだ。スラヴィエーラにはそれほどの商品価値があると。
ラエスリールはますます胸が痛くなった。嫉妬でもなく、羨望でもなく、ただ透明な空しさだけがある。
「あら、彼らはふたつ返事で受けてくれたわよ。よっぽどスラヴィエーラを取られたくないのね」
言われてラエスリールは納得する。
今朝のマイダードのあの妙な落ち着きは、危険を覚悟した者だけが辿り着く境地だったのだ。
「それなら……!私も、ガンディアに行きます!彼らのフォローをさせてください!」






ワオォオン。←夜になった音

夜も更けた頃、ラエスリールは、『氷雨』のコンビの前で土下座をしていた。
「頼む。私もガンディアに同行させてくれ」
いつになく真剣な様子のラエスリールに、オルグァンとマイダードは一瞬面食らったような顔をしたが、すぐに不愉快そうな顔をして横を向いた。
「……女が土下座なんてするもんじゃないぞ」
多くのお笑い芸人がそうであるように、彼らは舞台では暴れまくるが、私生活では大人しくて真面目な男性だった。
少なくとも、女性が地べたに頭をこすり付けているのを見て喜ぶような性格はしていない。
「私には伝説のハリセンと有能な相方がいる。きっと、役に立てると思う」
その相方には、少々席をはずしてもらった。ラエスリールのこんな姿を見たら大げさに嘆くに違いないからだ。
「その様子じゃ、座長から聞いたんだな。おれたちがスラヴィの見合いをぶち壊そうとしているって」
ラエスリールに頭を上げるように言いながら、マイダードは静かに言った。
「幸い、座長も同じ考えでいてくれる。そろそろガンディアとは切りたいって零してたからな」
より強力なスポンサーがついたので、かの国はもう用済みと言うことらしい。となれば、わざわざスラヴィエーラを生贄に差し出す必要もなくなったわけだ。
「で、なんでお前がしゃしゃり出てくるんだ?スラヴィと仲が良かったわけでもないんだろう?」
「それはそうだが……」
彼女は言い淀んだ。自分でもよくわからない感情に突き動かされていた。
「わ、私は座長の養女だ。座長の願いを叶えるのが私の仕事だから」
他にもっと言いようはあるだろうに、それくらいしか言い訳が出てこない。
案の定、オルグァンたちは醒めた目で彼女を見下ろした。
「まあ、そうだな。お前はおれたちとは違うからな」
失敗したことをラエスリールは悟り、己の失言を呪ったが、いまさらどうにもならない。
普通でない相方の発言には、遠慮なくズバズバ突っ込めるのに、なぜ普通の男性との会話はうまくいかないのだろうか。
「そ、それに……マイダードたちが無茶をして捕まったりしたら、大勢のファンが悲しむはずだ。『夢しぐれ』も『氷雨』も、何もスラヴィエーラのためだけに存在するわけではないだろう?」
痛いところを突かれたらしく、彼らは押し黙った。
一番いいのは、相手の顔を立てつつ、うまく断ってもらうことだ。ラエスリールの考えは、相方とは正反対だ。人を傷つけるような漫才はすべきではないし、『氷雨』の名前にも傷をつけたくない。
「お前、おれたちを馬鹿扱いしてないか。捕まったり殺されたりするために行くんだと、本気で思ってるのか?」
意外な言葉に、ラエスリールは首を傾げた。
義母から聞いて、てっきりこの見合いに反対しているのだと思っていたが、まさか本気で祝福するつもりなのだろうか。
「では、スラヴィエーラ抜きで活動を……?」
「それは無理だ。お前に顔芸をやれって言ってるようなもんだ」
ひどい喩え方をして、オルグァンは腕を組んだ。
「おれは叩きツッコミや普通ツッコミしか出来ない。だがスラヴィは違う……乗り、引き、仕草、あらゆる技を使ってつっこんでくる。あの才能を潰して王宮で飼い慣らそうとしている男が、個人的に許せん」
許せないとは言っても、国政に比べたらお笑いなど庶民の娯楽に過ぎない。次期国王がスラヴィエーラに対して何らかの暴挙に出たというのならともかく、彼らの嫉妬は大人として度が過ぎているような気がした。
『氷雨』は文字通りクールな芸風が売りだったはずだが、スラヴィエーラと言う緩衝材がいないとこうも違うものだろうか。
「あいつがそれで幸せになるんなら、おれは構わないさ。おれが怒っているのはな」
ラエスリールの内心の疑問を察したかのように、マイダードが怒りをあらわにしながら言った。
「次期国王には、既に正式な妃がいるってことだ。それもとびきり美人の」
ラエスリールの目は点になった。
「は?」
聞き返すと、マイダードはあきれた目で見下ろしてくる。
「そんなことも知らずに同行したいなんて言ってたのか……いいか、つまりスラヴィのことは第二妃として迎えたいと、あちらさんから申し出があったんだよ」
「だ、第二妃?」
生々しい現実に言葉を失いかける。
「当然だろ。王族が、一介の女芸人を正妃にするとでも思ってたのか」
女芸人は基本的に女を捨てているので、外見はともかく中身はお世辞にも結婚向きとは言えない。考えればわかることだが、スラヴィエーラの美貌ならあるいは、と思ったのも事実だ。
(二番目の妃……)
知った瞬間、次期国王への同情心は一気に醒めた。努力家で、何をおいても一番になるために頑張っていたスラヴィエーラを、永遠に二番手の立場に押し込めようとするとは、マイダードたちが怒るのも当然だ。
「許せない」
本心から呟くと、オルグァンたちが身を乗り出してきた。
「やはりそう思うか。そう、一部の金持ちだけがいい女を囲うのは間違っている」
「おれたちさえ一人ももらえないのに、あっちは最低でも二人以上嫁をもらう気なんだぞ」
「……」
そっちかよ、とラエスリールは内心で突っ込んだ。
まあこの辺りが男と女の違いだろうが、彼らが本気でスラヴィエーラを案じているのは事実なので、ハリセンをお見舞いするのはやめておく。(まだそんなに仲良くないし)
「で、では何のためにガンディアに行くんだ。見合いをぶち壊すのではないとしたら……」
再び話を戻す。
二人の言い分を整理するとこうだ───次期国王は気に入らないし、スラヴィエーラのことは大事だが、自分たちの今後の人生もあるから、下手な芝居を打って捕まるような無茶はするつもりはない。
スラヴィエーラが引退してしまえばどの道『夢しぐれ』も『氷雨』も解散するしかない。ファンが悲しむから出来ればそれも避けたい。
彼らとしては、自分たちの経歴には一切傷をつけずに、スラヴィエーラに戻ってきて欲しいと考えるのが自然だ。そうなると、他の誰かに見合い話を壊してもらうのが一番いいわけだが、そんなにうまい話が、あるはずが………

そこまで考えて、ラエスリールははっと息を呑んだ。
顔を上げると、マイダードたちがにやにや笑っている。目の前に、一枚の紙片が差し出された。
「そうそう。……これ、座長からだそうだ」

『朱烙へ(コンビ名:歩行者信号)
来月付けでガンディアへの出向を命じます
仕事内容は 『氷雨』の代行業務
スラヴィエーラの身辺警護も兼ねてますので4649 頑張ってね
あなたがやる気になってくれて嬉しいわ  マンスラム』

「だ、騙したな!」
真っ赤になって紙を握りつぶすラエスリールに、マイダードは肩をすくめる。
「おれたちがいつガンディアに行くと言った?言ったのは座長だけじゃないのか?」
「そ、それは」
熱くなっていた頭が急激に冷えていく。やられた。義母にひと芝居打たれたのだ。
「座長が言ったんだ、それでもあの子なら、あの子ならきっと何とかしてくれるって」
「私は仙道じゃない!!」
「(無視)彼女がそこまで言うんだ、お前に託すことにした」
とうに四十路をオーバーしている腹黒義母を『彼女』とは、オルグァンのマンスラムへの心酔ぶりはただごとではない。
それはともかく、今までラエスリールのことをないがしろにしてきた彼らが、こういう時だけ手のひらを返したように頼ろうとするのが悲しかった。
義母のこともだ。『氷雨』は大事でも、ラエスリールのことは平気で鉄砲玉にする気だ。
「所詮、私は使い捨てられるだけの存在か」
「それは違うぞ、ラエスリール」
打ちひしがれる彼女を見下ろして、マイダードが静かに言った。
「正直、座長にこの案を持ちかけられた時は、半信半疑だったんだ。人と関わることが苦手なお前が、乗ってくるはずがないって。スラヴィみたいな騒がしい奴のことは、当然嫌ってると思ってたから」
マイダードの表情からは、先ほどまであった悪意や警戒心のようなものは既に消えていた。代わって苦笑めいたものを浮かべながら、彼は続けた。
「どうしてもっと早く言わなかったんだ。スラヴィも、ずっとお前と仲良くなりたいって言ってたんだぞ」
隣でオルグァンも頷いている。
「そんな、まさか……」
信じられないことを聞いた気がして、ラエスリールは耳を疑った。自分が思っていたのと同じことを、まさか相手も思っていたとは。
「本当だ。お前の才能だって見抜いてた。ツッコミが下手でも相方が見つからなくても、ピンならだ○たひ○るくらいにはなれるんじゃないかって」
『ピンでやっていくには限界があるのよ。早く相方を見つければいいのに』
脱衣所でのスラヴィエーラの言葉が、脳裏に思い起こされた。
女としての思考で辿ってみる。ひょっとしたら彼女はこうなることがわかっていて、マイダードたちをラエスリールに託そうとしたのかも知れない。
だが既にラエスリールは闇主という相方を得た。別の形で、彼らの力になることは出来る。
「スラヴィエーラが……」
ラエスリールは俯いた。嫁ぐために浮城を引退していったリーヴシェランとも、もっと話す機会があれば、仲良くなれた可能性はあったのだ。
「人は、失くしそうになって初めて、大事なものに気づくもんさ」
『氷雨』のボケ担当が、らしくもなく真面目なことを言い出す。相方はすかさずハリセンを握った。くだらないことを言ったら即座に振り下ろす気だ。
「でも、今なら間に合う。二人の才女のお墨付きのお前ならきっと、ガンディアと浮城、双方にとって良好な結果を───」

「なんかいい話にしようとしてるけど」
低く魅惑的な声が、背後で響いた。
「結局、ラスの力を都合よく利用しようとしてるだけでしょ?女一人助けるのに他人を頼るなんて、浮城の男って腰抜けなんだねー」
軽い口調とは裏腹に、鋭い視線が二人の男性を睨みつける。ラエスリールは慌てて相方の前に立ちはだかった。
「闇主!表に行ってろと言っただろう!」
この男は出会った当初からラエスリールに偏執しており、他の男と話をするだけでも不満そうな顔をして、強引に割って入ってくる。マイダードたちが相手のことを思って気持ちを伝えないのとは対照的だ。
「腰なら、あいつと会った時からずっと抜けっぱなしなんでね」
『歩行者信号』の相方の不遜な態度に、マイダードはボケらしくやんわりと返す。
「いまさらまっすぐには立てないな。舞台の上では、さすがに背筋は伸びてるから安心してくれ」
ラエスリールはつい笑いそうになったが、闇主の表情は揺るがなかった。硬い表情のまま告げる。
「ラス、本当にこんな連中のために仕事するの?おれ、気が進まないな」
「おれも気が進まないなー」
「なんでだよ。」
バコ、と、オルグァンがマイダードの頭をはたく。心なしか、ツッコミにいつもの切れがない。
彼らはスラヴィエーラを取り戻したがっているが、恐らくラエスリールに強制する気はない。闇主の反応と合わせて、様子を見ている。
だからラエスリールは自分で決めた。ようやく出来そうな、新たな友達を手放す気はなかったから。




「セスラン!?あの男、ガンディアにいるのか!?」
スラヴィエーラの見合い当日。
早朝に最後の打ち合わせをしながら、ラエスリールの口から飛び出した単語に、マイダードたちは驚いていた。
介護施設『漆黒城』の所長、ミノ・モンチッチ・セスランは、以前は浮城に在籍したと言っていた。稽古が中断した時に間が持たなかったのでつい彼の存在を口にしたのだが、思っていた以上にいい反応がもらえた。
「し、知っているのか?私が浮城に入る前の話らしいが」
「知ってるよ、サティンと組んでた男だろう。仲間内では『ゲラのセスラン』と呼ばれてて、評判は良くなかったな」
常に笑顔を浮かべていた、親切な青年の顔を思い出す。
ゲラというのは、つまらない冗談でもよく笑ってくれる人のことだ。一般人ならともかく、芸人としてはあまり好ましくない。
「おまけにあの『漆黒城』の所長だって?あそこはかつて政界に名を轟かせた連中の吹き溜まりなんだぞ。ボケた振りをして、実は未だに影でガンディアの政治を牛耳ってるって噂すらある」
下っ端の芸人がたまに無償で芸を披露しに行くのも、本当は慰問のためではなく、情報収集のためだと言う。以前訪問した際に義母が何も教えてくれなかったのは、ラエスリールにその手の活躍は期待していなかったからだろう。
「ちょっと待ってくれ。『漆黒城』にはこれまで何度も芸人が足を運んでいるのだろう?それなのにセスランが所長だってことを、今まで誰も知らなかったのは不自然じゃないのか」
マイダードはしばらく考えた後、口を開いた。
「セスランは、マンスラム様に晩飯のおかずを横取りされたのを根に持って、浮城から抜けたんだ。だから基本的に、浮城の人間には正体を明かさないようにしていた。日頃所長として接客していたのは別の人間だろう」
「なぜ私にだけ正体を……」
ぼんやり呟くと、マイダードがやや寂しそうな顔で告げた。
「お前、今のは突っ込むところだぞ?」
「あ!す、すまない。えーと……『晩飯て!そんなくだらない理由でかい!!』」
「もういい。それは多分、お前が前座長の娘だと知っていたからだ。セスランはチェリク様寄りだったからな」
「何を企んでいるか知らんが、奴には気をつけることだ」
オルグァンがそう言った時、稽古場の扉がぱしんと開かれた。
そこには一人の女性が立っていた。化粧をして美しいドレスを纏ったスラヴィエーラである。

「ラエスリール、何してるの!?そろそろ迎えの使者が来るんだけど!!」
相変わらず感嘆符の多い女性だ。この大声は王宮のサロンではなく、舞台の上でこそ映える。
「あ、ああ、わかった───それじゃ」
これからスラヴィエーラの護衛も兼ねて、ガンディア王宮の『青月の宮』に向かうのだ。ちらりとマイダードたちに目をやると、彼らは頷いた。

ゴトゴトゴトと、荷馬車が揺れる。スラヴィエーラを乗せて。
もしも翼があったならば、楽しい浮城に帰れるものを。
「スラヴィエーラ、本当にいいのか?」
仏頂面で揺られているスラヴィエーラと向き合いながら、ラエスリールは尋ねた。
馬車に乗った途端ずっと口を利かない。これで本当に「友達になりたい」などと思ってくれているのだろうか。マイダードたちの勘違いだったとしたら、自分はとんだピエロだ。
「当たり前でしょ」
聡明な彼女は、ラエスリールの言わんとしていることを察して胸を張った。
「次期国王と結婚が決まれば、夢のような生活が出来るんですもの。もう暴力女なんて言われずに済むし、客に罵声を浴びせられることもない。贅沢のし放題なのよ」
「……マイダードが」
ラエスリールの口からこぼれた相方の名前に、スラヴィエーラは不快そうに片眉を上げた。
「マイダードが、言っていた。お前とスラヴィは容姿も性格も正反対だが、ひとつだけ似ているところがあると」
「なによ」
「嘘が苦手なところだ」
がたん、と馬車がひときわ大きく揺れた。
馬の嘶きに加えて、外で御者の悲鳴が聞こえる。尋常ではない事態に、ラエスリールは荷台にいるはずの相方に向かって声を張り上げた。
「闇主!どうした!?」
返事はない。彼女は舌打ちして、ハリセンを握って外に飛び出した。
そして息を呑む。馬車が無数の老人たちによって囲まれていた。みな虚ろな目をして、ゾンビのようにお付きの者に群がっている。
「ぎゃー、離せ!」
「助けてくれーーーー!!」
濡れたおむつを顔に押し当てられ、御者は悲鳴を上げていた。ガンディアから派遣された使者や侍女たちも、老人たちにのしかかられ、耳元で『閻魔堂の騙し討ち』を聞かせられて混乱している。※管理人のトラウマ
「一体なんの騒ぎ!?」
「だめだ、出るな!」
ラエスリールの制止は間に合わない。馬車から顔を出したスラヴィエーラを、あっという間に老人たちが担ぎ上げた。
見たことのある顔がちらほらある。これは、『漆黒城』のボケ老人たちだ。
彼らが何の目的でスラヴィエーラを拉致しようとするのか、彼女にはわからない。ただ、今の彼女の使命はスラヴィエーラの護衛だ。おめおめと攫われるわけには行かない。
「何をする気だ!スラヴィエーラを離せ!」
ラエスリールはハリセンを振りかぶったが、すぐに躊躇する。
炎の属性を持つ『レッドプリンセス』、このまま振り下ろしては、スラヴィエーラまで巻き添えにしてしまう。
老人たちとて、焼き殺すわけには行かない。どうする。どうすべきか。
「ラエスリール!」
スラヴィエーラの叫び声に、はっと我に返る。
『スラヴィも、ずっとお前と仲良くなりたいって言ってたんだぞ』
「ええい、ままよ!───何すんじゃわれぇ!!!」
ツッコミの言葉を発しなければ、ハリセンは発動しない。怒声とともに凄まじい炎が噴出し、老人たちに襲い掛かった。


続く


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