鬱金の間 夜の運び手(マイスラ甘め)


・マイスラ付き合ってます
・短いです





「スラヴィ、そろそろ帰らないと。消灯の時間よ」
細い肩を揺り動かされ、スラヴィエーラはぼんやりと顔を上げた。
目の前には、心配そうな女友達の顔がある。談笑の末、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。
「ああ……ごめんごめん。疲れがたまってたみたい」
半身を起こし、瞼をこする。日頃はチームを組んでいるふたりの男性と行動を共にすることが多いスラヴィエーラであったが──やはりというべきか、女同士の気安さに勝るものはない。酒も入り、ついつい気が緩んでしまった結果だ。
「大丈夫?色々愚痴をきかせてしまって、ごめんなさい」
彼女の、『恋人が冷たい』という相談事から始まった、遠慮の無い愚痴の吐き合いはこれにて終了。明日の仕事に備えて、スラヴィエーラは気持ちを切り替える。
「こっちこそ、長居して悪かったわ」
泊まっていっても良いという女性の申し出は、丁重に断った。浮城の破妖剣士として、明日もやるべき仕事が山積しているのだ。
上着を身につけ、扉を開ける。廊下からひんやりとした空気が流れ込んできた。
「今夜も冷えるわねえ。子供だったらこんな時、親が寝台まで運んでくれるのにね」
「え……?」
スラヴィエーラの内心の狼狽に気づかず、女性は微笑んで告げた。
「私たち、浮城でそれなりの地位を得て、恋人もいるけど……思えば、親に守られていたあの頃が、一番幸せだったのかも」
「そ、そうね……」
自ずと、声が小さくなる。相手に最後まで気取られなかったのは幸いだろう。
「それじゃあスラヴィ、おやすみなさい」
「ええ……おやすみ」
扉が閉まった後、スラヴィエーラはひとり頭を抱えた。
──子供だったらこんな時、親が寝台まで運んでくれるのにね。
言えなかった。
まさか、今でも恋人に、それをしてもらっているなどとは。


「うまい定食を出す店を見つけたんだ。スラヴィも気に入ると思うから、今度一緒に……スラヴィ?」
マイダードの話し声は低くて心地よい。
知らず船を漕いでいたスラヴィエーラは、体が床を離れ、ふわりと浮いたことにしばらく気づかなかった。
「仕方ないな……」
苦笑交じりの声が、耳元で聞こえる。話の途中で眠り込むのは、世間的には失礼に当たる行為なのだが、それが許される関係であることは互いに熟知していた。
しっかりとした足取りで彼の寝台まで運ばれ、優しく体を横たえられる。
スラヴィエーラは歯痒さと若干の苛立ちを覚えながら、目を開けた。
「マイダード」
「なんだ、起きてたのか。眠いなら何もしないって。疲れてるんだろ」
「ううん」
疲れてはいない、けれど。精神的なそれとは話が別だろう。
スラヴィエーラはそっと腕を伸ばし、マイダードの首に回した。慣れ親しんだ温もりが肌に伝わり、安堵する。
「近頃のわたしは、あなたに甘えすぎだと思うわけよ」
「……は?」
恋人からの抱擁に、彼は戸惑っている。喜びよりも、スラヴィエーラの様子がいつもと違うことに気を取られているようだった。
「こうやって運んでもらったりとか、いつまでも子供じゃないんだし、おかしいでしょう」
マイダードはしばし黙って、彼女の言葉の意味を咀嚼していたようだったが、未だ困惑を隠そうともせずに言った。
「おれが好きでやってることだぞ?」
まるで緩い地盤を確認して、慎重に足を踏み入れるように──何かを壊さぬよう気遣うように、彼はそんな言葉を口にする。常に大胆な作戦を考案してスラヴィエーラたちを振り回す、戦闘における彼とは別人のようだ。
「それにお前が甘えてるって言うんなら、あの女やあの女はどうなんだ」
女性に優しいと見せかけて、結構辛辣なところがある彼は、スラヴィエーラを漢前と称してはばからない。正直、過大評価が過ぎる──あまり嬉しくは無い。
抗議すると、マイダードはいつもこの寝台の上で、スラヴィエーラを宥めてきた。『あれは……そのくらい強いって言いたかっただけで、別に男みたいだなんて思ってるわけじゃないから。わかるだろ?おれは、男にこんなことしないって』
などという、慰めなのか止め刺しなのかよく分からないことを言いながら、宥めてきた──いつも。
『悪かったよ。嫌なら、もう言わないから……』
嫌だというわけでは無い。スラヴィエーラが苛立つのは現実との乖離──自分自身への至らなさだ。
力及ばず、魔性の脅威に苦しむ人々を助けられなかった時と同種の苛立ちだ。
ぎり、と唇を噛み、スラヴィエーラは起き上がった。
「それじゃあ、たまにはわたしがマイダードを持ち上げるわ!」
思いも寄らぬ申し出に、彼は狼狽する。誰も見ていないとは言えさすがに恥ずかしいし、何より、今の彼女には無理だとわかっていたからだ。
「いや……おれはこう見えても、だいぶ重いぞ?」
「いいから!」
スラヴィエーラの強引さに押し切られ、彼は大人しくベッドに横たわり、身を任せた。
いくら怪力自慢の女性であろうとも、林檎を握り潰すのとはまた勝手が違った。長身の彼を動かそうと、顔を赤くして力むスラヴィエーラの腰の辺りから、グキッという嫌な音が聞こえたのは、致し方ないことと言えよう。


数日後──。
湿布を購入するために売店に訪れたマイダードは、そこにいた女性陣の軽蔑の視線を浴びることとなった。
「聞いた?スラヴィ、しばらくベッドから起き上がれないんですって」
「腰を痛めたそうよ。マイダードの部屋で……」
「淡泊そうな顔して意外と……ねえ」
ひそひそ、ひそひそ。
不本意な噂話に、今度はマイダードが頭を抱える羽目になったことは、言うまでもない。




──おわり──


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