鬱金の間 捕殺の針・前編(マイダード←クーシナラ)



・何を血迷ったかマイダード←クーシナラ
・クーシナラって誰?という方へ
→鬱金1巻の最初の方に登場した10歳もしくは11歳の女の子です
「マイダードさまに乱暴なこと、しないで……」
「マイダードさまにはいつもお世話になってるんだから」
この2つの台詞だけで妄想が滾った結果の産物です
・無論、マイダードはスラヴィ一筋でありロリコンではないと思いますのでクーシナラの一方的な片思いです
・シャーティンも出ます。毎度悪役ですが、私は彼がむしろ大好きなので誤解のないよう
・いつも通りオリジナル封魔具などの捏造設定あり

↓大丈夫そうな方はどうぞ





転移門まであと少しのところで、事件は起こった。


「こ、来ないでっ!」
地面に転がっていた小石を拾い上げ、クーシナラは必死に威嚇をして見せた。
少女らしく二つに分けて束ねた黒髪が、頭から滲み出した汗でじっとりと湿ってくる。
視線の先には一体の小鬼がいた。教本に載っていた姿よりも、もっと奇怪な化け物が、目の前に居る。
護り手と呼ばれる、比較的まともな容姿をした魔性しか目にしたことの無い彼女が、初めて見るその醜悪な姿に怯えるのは無理もないことだった。
狼によく似た形をしたその小鬼は、鋭い爪と牙を持ち、四つの眼球を同時にぎょろりと動かして獲物の姿を捕らえていた。
眼を逸らした瞬間にでも襲い掛かってきそうで、視線を外せない。相手の足が地面を離れた時が自分の最期だと、クーシナラは自覚していた。
(ど、どうしよう……)
石を投げる勇気がない。彼女はまだ見習いの立場で、捕縛どころか攻撃さえも恐ろしくて出来ない。
逃げ出す他はないのだが、背中を見せれば食って掛かられる。それを思うと微塵も動けない。
確か、魔性と対峙した時の心構えというものがあったはずだ。彼女が尊敬する捕縛師が、丁寧に教えてくれた事だった。恐怖に押されることなく冷静に状況を見て、回避の手段を考えること……。

『相手から目を逸らすな。真っ直ぐに、睨み返せ』
クーシナラの知らない修羅場を、いくつも越えて来たらしい青年の言葉は、胸に強く響いた。
『逃げる時は、身に着けているものを何か一つ外して、敵の目の前に落とすといい。決してぶつけたりせずに、ただ、落とすんだ。知能の低い小鬼なら、そちらに気をとられることもある』
だが、それらは全て人に教えられた知識に過ぎず、その時になって実行できるかどうかは、また別の話だった。
恐怖が、足を竦ませる。足だけではない、全身が金縛りにあったように動かない。逃げなければ、と思うのに、その場から動けなかった。
小鬼は低く唸り声を上げ、近づいてくる。クーシナラは後ずさりした。
転移門の周辺には魔性を寄せ付けない結界が張ってある。それ故、白砂原付近で狩りをしていてもさほど危険な目に遭うことはない。
護り手たちが浮城を守護してくれているのだから、よほど運が悪くない限り、この近辺で魔性に遭遇する事はないはずなのだ。
これは、クーシナラの日頃の行いが悪かったという事だろうか。いや、そんなはずはない。
捕縛師となるための努力を怠った事はないし、同じ年に引き取られた仲間ともうまくやっている。大人たちの間では、年齢の割にしっかり者だと評判も上々である。
(いつか、立派な捕縛師になって……困ってる人を助けて、お金をたくさんもらって……)
逃避に走りつつあった彼女は、はっと我に返る。小鬼の足が地を蹴り、すぐ目前に着地したからだ。
かなり離れていたのに、一瞬にして間合いを詰めた。凄まじい跳躍力である。
これが、魔性の力なのか。知識のない者が戯れに狩ろうとして、返り討ちにあうのも頷ける。
間近で荒い息遣いを聞き、血の気が引いた。近くで見るとより一層恐怖が増す。裂けた口から赤黒い舌が伸び、動けないでいるクーシナラの左足首をぺろりと舐めた。
「ひ…!!」
おぞましい感触に、少女は身を竦ませる。ぬるりとした嫌な感触が伝わった。
舌が離れると、濡れた部分に冷たい風が当たる。相手は、何かを咀嚼するようにクチャクチャと口を動かした。
転移門はすぐそこに見えている。なのに、誰も助けに来てはくれない。このまま食べられる。
もう駄目だ。
その時、彼女の脳裏に浮かんでいたのは、故郷に残してきた両親でも、友人達でもなかった。
(マイダードさま)
無念に、彼女は歯を食いしばり、最後の時を待った。
獣の牙が、己の皮膚に食い込み、引き裂くのを、静かに受け入れるしかなかった。


眼を閉じて、時が経った。
しばらく待っていても、予期していた痛みは襲って来ない。
「あ…?」
クーシナラは恐る恐る眼を開けた。
足元にいたはずの存在が消え失せている。夢ではない証拠に、舐められた跡が残っている。
どういうことだろう───思って、周囲を見回す。どこを向いても砂だらけの風景の中、気配を感じる方角に意識を向けた。
そして、クーシナラは見た。
つい先ほどまで彼女の足首を舐めていた小鬼の後ろ姿が、蜃気楼の向こうに消えていくのを、見た。





「小鬼に会ったって?」
部屋に駆け込んできた少女から、事の顛末を聞いての第一声が、それだった。
昼間だと言うのに寝巻き姿のままで、目を丸くしている青年──通り名を、『刺青のマイダード』と言う。
クーシナラが日頃から世話になっている先輩捕縛師であり、また仄かな憧れを抱いている相手でもあった。
美女はともかく、美青年となると浮城では数が限られてくるため、その存在は貴重である。加えて彼は捕縛師としては稼ぎ頭の一人であるため、狙っている女性も多い。
同じ捕縛師の女性から、忠告を受けた事もあった。マイダードを慕うのも良いが、後輩としての節度は守るように、と。言われた当初は意味が判らなかったが、後になってあれはやっかみだったのだと気付いた。
しかし、幼馴染みという肩書きを持っているスラヴィエーラにだけは、誰も文句が言えないようである。マイダードと一番親しくしているのは、どう見てもあの美人破妖剣士なのだが……彼女が他の誰かから嫌がらせを受けたと言う話は、あまり聞かない。
勝てない勝負はしないという事だろうか。大人は差別的で卑怯だとクーシナラは思う。
ともあれ、死の恐怖から逃れた後、クーシナラは一目散に転移門に駆け込み、その足でマイダードの部屋を訪ねた。
青年は部屋の片づけをしていたらしく、散らかっているけれどと前置きした後、扉を開けてくれた。
言葉通り、室内は足の踏み場もなかった。座れそうなところといえば、寝台くらいしかない。勧められるままそこに腰をかけると、掛布の上にまだ温もりが残っている。
揃えた膝の上に手を置き、クーシナラは呼吸を整えた。走って乱れた黒髪は、ここに来る前にきちんと結び直している。これでも恋する乙女だ。
「はい、ついさっき。それで、捕縛師長に相談しようかとも思ったんですけど、その前にマイダードさまに報告した方がいいかと思ったんです」
「それで正解だ」
マイダードは頷き、怪我はなかったかと尋ねた。その目が労るようにクーシナラの全身を見ているので、何やら気恥ずかしくなった。
青年は床に直接座っているため、クーシナラの方が高い位置から見下ろすような形になっているが、それを気にしている様子はない。
「怖かっただろうに、よく頑張ったな。偉い偉い」
思いもかけない労いの言葉をもらい、彼女は慌てた。
「え、あ、そんな…あたし、ただ、逃げただけですから。マイダードさまみたいに、格好よく捕縛とか出来たらいいんですけど、まだ見習いですし、ただ、怖くって……」
言いながら、思わず自らの体を抱きしめた。食われていたら、クーシナラは今ここにいない。
あの時はもう駄目かと思ったのだ。生きて、こうして好きな人と再び会話が出来たことを、心の底からガンダル神に感謝した。
「でも、すごいですね、マイダードさまって」
興奮も醒めやらぬまま、クーシナラは告げた。
「ん?」
「だって、魔性の中でいちばん下級の小鬼だってあんなに怖いのに、マイダードさまは妖鬼なんかも、もう何十体も封じてるんでしょう?」
熱っぽい口調で話すクーシナラに、マイダードは苦笑した。
「知らないって事は恐ろしいな。浮城には、おれなんかよりもっと強いのがいたんだぞ」
言葉の内容よりも、過去形である事が引っかかった。
「マイダードさまより、ですか?」
そう言えば、妖貴を倒した破妖剣士がいると、噂で聞いた事はあるけれど。詳しくは教えられていない。何故ならその人物について尋ねようとすると、大人たちは示し合わせたように口を噤むからだ。
触れてはいけないことだと察したから、それ以上知ろうとはしなかった。クーシナラは捕縛師を目指しているのだから、余り関係のない話だと思っていた面もある。
「おれなんて、とてもとても」
マイダードは手を振った。ごまかしや謙遜は彼の得意技だが、今回はそんな風には見えなかった。ずっとこの青年を見てきたから、わずかな表情の変化でそれくらいは読み取れる。
見つめていると、青年はふと真剣な顔になって、話題を戻した。
「……で、その小鬼は、結局お前さんに何もしなかったんだな?」
案じてくれているのが判り、クーシナラは嬉しくなった。
「そうです。犬みたいに、足をぺろっと舐めて、そのまま行っちゃったんです」
犬よりは狼に近い姿をした小鬼だったが、今にして思えばあの行動は犬に似ていた。
何を思ってあんな奇怪な行動を取ったのか、いくら考えても思い当たらなかった。マイダードなら答えを知っているかも知れない。
「助かったのに、こんなことを言うのも変ですけど…おかしいですよね。下級魔性は、人間を見つけたら真っ先に食べようとするって教わりましたけど」
だからこそ、クーシナラは命の危機を感じて恐怖したのだ。
魔性の中にも人間に好意的な者がいる事は認めるが、言葉が通じないのでは話にならない。殺されてから仲良くなったのでは遅い。
「ああ。興味を持った相手を、傷もつけずに開放するなんて事は、普通は考えられん」
「あたしの足がよっぽど不味かったんでしょうか?」
冗談めかした口調で言ってみると、マイダードは少し笑った。
「魔性にも好みがあるらしいからな……だが念のため、しばらくは外出は控えた方が無難だろう」
言葉の後半で、声が真剣味を帯びる。
クーシナラの表情も自然と引き締まった。彼は、後輩を悪戯に怯えさせて喜ぶような人ではない。
外出出来ないとは、どういう事だろう。何か、理由があるのだろうか。
「ど…どういう事ですか?」
思ったことをそのまま口に出すクーシナラに、青年は尋ねた。
「足を舐められたと言ったな。少し、見せてもらっていいか」
「はい…」
上の空で返事をしたクーシナラは、しばらく間をあけた後、「ええっ?」と顔を上げた。その表情に、相手が女性であることを思い出したのか、青年は困ったように告げる。
「見せたくないか?」
直截的な言葉に、耳朶がかあっと赤くなった。見せたくないはずがない。むしろ、大歓迎である。
「ど、どうぞどうぞどうぞっ!!どうぞ見てやってくださいっ!」
膝のあたりまで服の裾をまくり上げてしまったクーシナラだったが、真顔で「足首だけでいいから」と言われてしまった。
やはり子供の足には興味がないらしい。安心したような残念なような気持ちで、裾を戻す。

クーシナラは以前、この青年に告白したことがある。
不器用ながらも、真剣に想いを打ち明けたクーシナラに、マイダードはわかった、と頷いてくれた。
だがこの青年の性格上、果たして本当に判っているのか疑問である。今回のように、突然部屋を訪ねても嫌な顔ひとつしないし、たまに食事に連れて行ってくれたり、依頼先で土産を買ってきてくれたりするけれど、それはクーシナラが求めたからと言うよりも、彼本来の性質であった。
子供好きで面倒見がいい。温厚であまり腹を立てることがない。一方、真剣なのかふざけているのか判らないとも言われており、それが城内での彼の主な評価だ。
それは当たっていると思う。クーシナラ自身、彼が誰かを本気で憎んだり、また激しく誰かを想ったりするところは、想像がつかない。
それとも、あの破妖剣士の女性の前では、また違った顔を見せるのだろうか。
(別に、スラヴィエーラさまに勝てるなんて思ってないけど……割って入るつもりもないけど……)
内心で煮え切らない思いを捏ね回していたクーシナラの耳に、青年の低い呟きが入ってくる。
「妙だな…」
不穏な呟きに、クーシナラはやや怯えて尋ねた。
「あの、どうかしました?」
左の足首には、傷など全く見当たらない。痛みもないし、彼女自身では何も判らなかった。
「妖鬼の体液が、人間にとっては猛毒だって、知ってるだろう?」
マイダードの問いに、彼女は深く頷いた。
猛毒だけに、勝手な処理をすると状態が悪化することもある。だから自分で判断せず、先輩の指示を仰ごうと思ったのだ。
「でも、唾液に含まれる毒素は、それほどでもないって…聞きましたけど」
危険なのは、人間で言う血液、つまり皮膚を裂いた時に噴出してくる液体だ。目に入れば失明することもあるらしい。
魔性を直接殺傷する破妖剣士でもない限り、そんな危険な体液を浴びる体験など、滅多にないと聞く。それに、いざとなれば護り手が助けてくれるわけだし。
(早く護り手が欲しいな……)
魔性に傅かれる己の姿を想像しただけで、気持ちが浮き立つ。それなりに聡明ではあるが、彼女はまだ夢見がちな少女だった。
「もちろん、舐められたくらいで死にはしないさ。だが場合によっては皮膚が爛れたり、軽い火傷のような症状が出ることがある。お前さんのことだから、てっきり気丈に我慢してるもんだとばかり思ってたが……こりゃ、完全に無傷だな。痛みもないんだろう?」
「はい、全然」
「そうか…」
マイダードは、難しい顔をして呟いた。
「実は、ごく稀だけどな、魔性は気に入った人間の体に『印』をつける事もあるらしい」
聞き慣れない言葉に、クーシナラははしばみ色の瞳を瞬かせた。
「印……?」
思わず足首を見る。見たところ、それらしきものは確認できない。
「例えば、美味そうな人間を見つけても、ちょうど腹が一杯で食えないってこともあるだろう?その時は、一度標的の前から姿を消す。立ち去る前に、そいつにしか判らない跡をつけておくってことだ」
餌とは酷い言い方だが、事実下級魔性は人間の心臓を好んで食すらしい。そうすることで力をつけ、新たな獲物を狩る。
「ええと…例えば野良犬が、気に入った場所におしっこをかけるみたいなものですか?」
好きな人の前で口にするにはやや抵抗のある言葉だったけれど、あまり意識し過ぎるのも馬鹿らしい。今は大事な話をしているのだ。
何より、言葉の内容が気になる。もしもあの小鬼が、再びクーシナラの前に現れたら……。
「そうだ。もちろん、後で探し出して、食べるためだな」
背筋がぞくりとした。
「印をつけて、あとで食べる…」
──いちど逃れたからと言って、まだ安心は出来ない、という事か。
相手の小鬼は、クーシナラを食べるのを諦めたわけではなく、貯蔵庫に入れた、ぐらいの気持ちでいるのかも知れない。
だとしたら……今度会ったら、その時こそは。

後輩の怯えを察してか、青年は安心させるように言った。
「大丈夫だ。もし印をつけられていたとしても、数日も経てば消えるだろう。もっとも、これが上級ともなれば話は別だが」
妖貴以上の実力者になると、一生消えないような『印』を残すことも可能らしい。無論、食べるためではなく、玩具として使うためだ。
上級に目をつけられた場合、助かる見込みは殆ど無いと言って良い。
クーシナラは傷ひとつない足首を見て、尚更不安になった。
「マイダードさまでも、判らないんですか?本当に、印をつけられているかどうか……」
今の彼女にとっては、化け物の姿そのものより、目に見えない印とやらの方がよほど恐ろしかった。
外出しない方がいいと言っても、狩りや水汲みの当番があるのだし、代わってもらうわけにも……。
「あーーーーっ!!」
突然、クーシナラは大声を出して立ち上がった。
マイダードは特に驚きもせず「どうしたんだ」と尋ねる。女性の突飛な行動には免疫があるらしい。
「あ、あたし、お使いの品を落としてきちゃった……どうしよう、シャーティンさまに怒られちゃう!!」
先ほどから、どうも懐が軽いなと思ったのだ。命を拾った代わりに、頼まれものを落としてくるとは笑えない。
シャーティンというのは元捕縛師の名前だ。数年ほど前、仕事に出かける際に重傷を負ったらしく、以降は後輩の指導に専念している。
指導力は確かだが、いかんせん口が悪く陰湿なところがあるため、子供たちにはあまり良く思われていない。
「シャーティン?……あいつ、後輩に使い走りなんてさせてたのか。何を頼まれてたんだ?」
呆れたように問うマイダードに、彼女は口ごもった。シャーティン本人に、固く口止めされていたからだ。
年少者が辛いのは、このように目上の者同士の板挟みになるところだ。どちらの味方をしても恨まれるのが悲しい。
「ごめんなさい、喋るなって言われてるから……」
クーシナラもあの男性は好きではない。名誉の負傷だか何だか知らないが、仕事もしないのに威張ってばかりで、過去の実績にしがみ付いている。
そのくせ、自分が育てた後輩が捕縛師として名を上げようものなら、おれのおかげだと吹聴し、たかりのような真似もしているらしい。
けれど、それとこれとは別だ。浮城で生きていくためには、嫌いな相手の信頼を勝ち取ることも必要になってくる。
「誰にも言わないから、話してみろって。そうしたら、おれが探してきてやるから」
包み込むような優しい声に、決意がぐらつきそうになる。
浮城に入った頃、クーシナラの指導をすることになっていたのは、このマイダードだった。それからすぐに彼に大きな仕事が入ったせいで、結局実質的に教えを請うのは別の人間になってしまったけれど。
そんな事とは関係無しに、彼はクーシナラによく声をかけてくれた。おれも子供の頃は右も左も判らなくて心細かったから、気持ちは判る、と。何か悩みがあったら、どんなに些細なことでも話して欲しいとも言ってくれた。口に出すだけでも楽になるから、とも言った。
父と母から引き離され、知らない土地で寂しい思いをしていたクーシナラには、青年のその言葉は涙が出るほど嬉しかった。安心して相談できる相手が出来たことで、逆に自信がつき、同い年の子供たちにもそのように接していたら、自然と周囲の評価は上がった。
捕縛師の勉強も面白くなってきた。もう少しで、資格が取れる。そうしたら、いつかこの人と一緒に仕事がしたい。そう思えるようになった。
(だけど……)
時折、ジレンマに陥る。この青年を思う気持ちと、捕縛師として大成したい気持ちを、この先両立させていくことは出来るのだろうか。
クーシナラが捕縛師になりたいと願ったのは、マイダードを目標としているからだ。いつか、その目標とする男性がいなくなった時、自分はまだ捕縛師でいられるだろうか。
「クー」
「は、はいっ」
赤くなって顔を上げたクーシナラの瞳に、マイダードの姿が映る。
取りあえず、怒ってはいないようだ。その表情を見てほっとしたのも束の間、彼はさらりととんでもない事を言い出した。
「シャーティンが、何で今日、お前さんに使い走りをさせたか判るか。自分の痛めた足じゃあ、門限に間に合うかどうか怪しいからだ」
「え……?」
目をぱちくりさせる少女に、青年は溜め息をついた。
「その様子じゃ、聞いてないな。今日は夕方から砂嵐が強くなるって事で、いつもより二時間ほど門限が早いんだよ」
クーシナラは真っ青になった。
思わず、寝台の脇にあった時計を見る───門限まで、あと一時間を切っている。
「ご、ごめんなさいっ、失礼します!!」
猛烈な勢いで部屋を辞そうとしたクーシナラの腕を、青年ががっちりと掴んだ。
「どこに行くつもりなんだ?闇雲に探したって、見つかるはずがないだろう」
「だって……!」
半泣きになっているクーシナラを見て、青年はやれやれと立ち上がった。床に無造作に投げてある上着を手に取る。
「おれも行く。一緒に探してやるよ」
クーシナラはぶんぶんと首を横に振った。
「だめです、これ以上ご迷惑はかけられません!それよりこの、足の踏み場もないお部屋を先に何とかすべきです!」
「結構きついな。これでも片付いた方なんだが……」
言いながらも、彼は既に着替えを始めている。さすがに寝巻きのまま出歩くわけにはいかないらしい。
「マイダードさまは優しすぎるんです。どうして、いつもあたしなんかを気にかけてくださるんですか。そんなだから、あたしだって……」
背中を向けてそちらを見ないようにしながら、クーシナラは俯いた。教えを請うのがシャーティンで、逆に良かったかも知れない。
「自分で何とかしようとするのは立派だが、立場も考えた方がいい。お前さんが風に巻かれて死んだら、あいつも責任を感じて心を痛めるだろう」
「………」
そんな殊勝な人物には見えないが。
部屋の窓が音を立てて揺れる。外はだいぶ風が出てきたようだ。
いくら転移門付近で落としたことが判っていても、砂嵐の中、一人で探すのは、無謀だ。それに先ほどの小鬼のこともある。
品物が砂に埋もれることを思えば、誰にも言わないと言う約束を破ることの方が、遙かにましだろう。
黙ってしまったクーシナラの肩を、マイダードはぽんと叩いた。着替えが終わったようだ。
「甘えられるのは、子供のうちだけだ。特権は使うためにあるんだぞ」
「はい……」
この人には敵わないと思った。
部屋を出ようとした矢先、マイダードがふと思いついたように言った。
「一応、封魔具を持っていった方がいいな。部屋にあるんだろう?」
思いも寄らない言葉に、クーシナラは驚いた。
確かに、彼女の適性に合った封魔具を職人に作ってもらってはいたが、もちろんまだ演習でしか使用したことがない。
「あたしの封魔具……針を、ですか?」


──後編へ続く──



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