鬱金の間 夜伽の城・前


・マイスラ15歳
・両想い設定。らぶらぶ




日が暮れかかっていた。外套の襟を立て、マイダードは足早に国境添いの街──転移門が設置された場所である──へと急いだ。
久しぶりの外出だったため、勘を取り戻すためにも、浮城まで歩いて帰ろう……と思ったのだが。
彼が通過しなければならないのは、どうやら予想していたよりも遥かに治安の悪い街だったようだ。
街中の至る所にゴミが放置され、道端には薄汚れた身なりの浮浪者が寝転び、明らかに人の手によるものだと思われる、建物の損壊も目立つ。
足を引きずった少女が、声を枯らして花を売り歩いていた。蚊の鳴くような声が、やがて車輪の音にかき消される。
人込みを割って、幌のついた大きな馬車が、ゆっくりとマイダードの目の前を通り過ぎていった。
荷台には、数名の若い娘が、押し込まれるようにして座っていた。その沈痛な表情を見れば、売られていくのだと一目でわかる。
気の毒だが、彼にはどうする事も出来ない。どこにでもよくある、悲惨な光景の一種だ。
──しかし、彼はその中に見知った顔を見つけた。

「ス……!?」

絶句したのは言うまでもない。
外套を翻し、マイダードは即座に馬車を追った。間違いない。遠目とはいえ、彼女の姿を見間違えるはずがない。
何故こんなところに、だとか、帰城が遅れるだとか、そんな理屈はどうでも良かった。
彼女を荷台から下ろし、いつものように自分の隣に確保する。頭の中はそれしか考えられない。




「妙な餓鬼が追って来るぞ」
娘たちの監視のために、一緒に荷台に乗りこんでいた男が、舌打ちとともに御者に声をかける。
馬の背に鞭を与え続ける年かさの男は、正面を向いたまま荒い返答をする。
「ああ!?聞こえん。もっとでかい声で喋ってくれ」
「餓鬼が追いかけてくると言ってるんだ。おい、お前らの身内か?」
問われて、スラヴィエーラは膝を抱えていた腕を解き、幌の中から外の光景に目を向けた。
そして目を瞠った。外套を風になびかせながら、一人の少年が猛然とこちらに向かって駆けてくるではないか。
「マイダード……」
あの馬鹿、と小さくつぶやいたつもりだったが、もともと彼女の声は大きい。すぐに男に聞きつけられた。
「なんだ、お嬢ちゃんの恋人か。大方、お前が売られるのを知って取り戻しに来たんだろうが」
ふんと鼻を鳴らしながら、男は御者に命じた。
「面倒だ、もっと速度を上げろ。引き離せ」
「あいよ」
他の少女たちも、暗い表情でスラヴィエーラに視線を送る。
「いいなあ、あなたには助けに来てくれる人がいるのね……」
別の少女が吐き捨てるように言った。
「馬鹿じゃないの。追いついたところで、この子を買い戻せるだけのお金がないと意味がないのに」
そうね……と、少女たちは再び膝を抱えた。そのうちに一人の少女が、何かに気づいたように声を上げる。
「待って。確かあの男の子の着てる、刺繍入りの衣裳って……」
「そうよ、どこかで見たことがあると思ったら、浮城の……!」
「浮城だって!?」
男の顔にあからさまに動揺が浮かぶ。
「馬車を止めろ!今すぐにだ!」



急停止した馬車の荷台に、彼はがっちりと手をかける。
砂煙をだいぶ吸いこんでしまった。咳き込んでいると、馬車から下りて来た若い男が、瞳に警戒の色を浮かべて近づいてきた。
「失礼。そのお召し物は、浮城のお方でしょうか」
「……ああ」
転移門が設置されている関係上、主要国の国境に近付くほど、浮城の知名度は高くなる。彼らのような荒くれにとっても、魔性を倒す唯一の組織の名は、脅威には違いなかった。
よって、まだ十五の少年であるマイダードに対しても、自然と敬語になる。
「国家権力の干渉を受けぬお立場の方が、我々に何の用ですかな?」
言いながら、男はさりげなく腰の刀に手をかける。浮城を敵に回すのは厄介だが、それはマイダードが無事に戻れたらの話。
お前一人ぐらいどうとでもなるのだと、剣呑な表情が告げている。
「お前たちの商売の邪魔をする気はない。ただ……」
マイダードは息を深く息を吐いて、荷台の中で仏頂面をしているスラヴィエーラを指差した。
「その娘を買いたい。いくらだ?」
少女たちの嫉妬と羨望の眼差しが、一斉にスラヴィエーラに注がれる。
一方、彼女は立ち上がって何か叫ぼうとしていたが、御者に押さえつけられていた。マイダードは思わず叫ぶ。
「乱暴はするな!金はいくらでも払うから、すぐ彼女を解放しろ!」
「ほう?銀貨840枚、今すぐ払って頂けるので?」
マイダードは無言で、報酬の入った袋を差し出した。
にやにや笑いを浮かべていた男は、袋の中を覗いて、一瞬のうちに真顔になる。
「こ、これは……」
袋の中に入っているのは、銀貨ではなく金貨だった。
「足りないか?」
「いえ、釣りが来ます。おい、その娘を放してやれ」
馬車から下ろされたスラヴィエーラは、よろめきながらマイダードに倒れ込んできた。
その華奢な体を、マイダードはそっと抱きしめた。怪我はしていないようだが、表情がいつもの彼女ではない。
早く浮城に連れ帰って労らなければ……。
「じゃあなお嬢ちゃん、幸せにな。よし、行けっ」
残りの少女たちを荷台に乗せたまま、馬車がガラガラと遠ざかって行く。
恨めしげな視線を送る少女たちの姿が完全に見えなくなると、マイダードは腕の中で震えているスラヴィエーラに声をかけた。

「スラヴィ、大丈夫か?何もされてな……」
「馬鹿っ!!」

聞き慣れた怒声が耳を貫く。その大声たるや、往来の人々が何事かと振り返るほどだった。
マイダードは思わず耳を塞いだ。目の前で、スラヴィエーラが怒りに瞳をきらきらさせながら、マイダードを睨みつけている。
「な……」
「マイダードのせいで作戦が台無しじゃない!おまけに、わたしなんかのために有り金全部はたいちゃって、浮城にどう言い訳するつもり!?」
その言葉で、彼はようやく状況を理解した。
スラヴィエーラは攫われたのではなく、浮城から命を受け、人買い集団の調査をしていたのだ。脱力していたのは落胆ゆえ、震えていたのはマイダードに対する怒りゆえ、だった。
「そ、そんなこととは露知らず……ゴメンナサイ」
自分の勝手な先走りで、彼女の仕事の邪魔をしてしまったのは、言い訳のしようもない。
ひたすら頭を下げる。さっぱりした気性のスラヴィエーラは、それ以上彼を責めたりはしなかった。代わりに、馬車が消えた方角を睨んだ。
「まあ過ぎたことはしょうがないわ。こうなったらマイダードにも協力してもらうわよ、いいわね?」
「そりゃあ勿論……おれの責任なんだし」
本当は仕事の帰りで疲れていたが、そんなことが言える立場ではない。
「未羽。あいつらの行方を突き止めてくれる?奴らの本拠地がわかったら、わたしに教えて」
「ええ」
蜻蛉のような羽をもつ少女の護り手は、主の要請に応えて馬車を追っていく。
「そうか、未羽がいたんだったな……」
護り手がいるのに、スラヴィエーラが人間に攫われたりするはずがない。落ちついて考えればわかることだ。
物のように荷台に押し込められているスラヴィエーラの姿を見たら、胸が苦しくなり、冷静な思考が吹き飛んでしまっていた。
彼女のこととなると我を失ってしまう傾向が、どうも自分にはある。スラヴィエーラの足を引っ張るくらいなら、離れた方がいいのかも知れない、が……。
「マイダード」
スラヴィエーラが袖を引いてくる。叱り過ぎたと思ったのか、心配そうな顔をして彼を見ている。
「今日は野宿になるけど、それでもいい?」
「……うん」



ぱちぱちと焚火が爆ぜる。

小高い丘の上からは、荒んだ街の風景が一望できる。
二人は毛布を頭から被りながら、身を寄せ合って炎を見つめていた。
「……で、その人買いの元締めが、魔性かも知れないって話なんだな?」
「ええ。領主直々に調査の依頼があったの」
この街の領主は年若く頼りない男で、彼がその地位についてからというもの、街の治安は悪くなる一方だった。
人身売買の根絶を訴えてはいるものの、一向に成果が上がらず、特にここ数年は、若い娘が次々と行方不明になる。
民たちが無能な領主に矛先を向ける前にと、彼はついに多額の報酬を払い、浮城に調査を依頼した。
「街が乱れるのは私のせいではありません、背後に魔性が絡んでいるに決まってます、ってね」
皮肉な口調でスラヴィエーラは呟く。マイダードも彼女と同意見だった。
下級魔性が女性を攫うのはよくあることだが、人間を介さずとも、己が牙や爪を使っていくらでも略奪できるはず。わざわざ人買いの男たちを使う必要性を感じない。
魔性が絡んでいると言うのは依頼人の妄想、いや希望だろう。
しかし依頼人としては、自分にとって都合のいい結論──魔性のせいである、という類の──を浮城が持って帰るまで、どうあっても納得しないはず。
ある意味、いくらでも金を絞り取れる絶好のカモと言えるかも知れないが、重税を課せられる民の気持ちを思うとやり切れない。
それに、自分たちとて暇ではないのだ。人間同士で解決すべき問題にまで、いちいち駆り出されてはたまらない。世界にはもっと、魔性による蹂躙に苦しんでいる人々がいると言うのに……。
「いっそ別件で捕まえた妖鬼を、犯人に仕立て上げるってのは?」
「どうやってよ。魔性は死体を残さないし、捕縛師のあなただって封魔具がソレなんだから、証拠にならないでしょうが」
「……それもそうか」
スラヴィエーラは破妖剣士、刺された魔性は砂になってしまう。マイダードは捕縛師だが封魔具を持たないため、依頼人に「これが妖鬼です仕留めました」と証明して見せることが出来ない。
「しかし、なんだって城長は、お前をこんな危険な仕事に駆り出したんだ?調査だけなら、破妖剣士のお前の出番は無いだろ」
「違うわ、マイダード。わたしがこの仕事を請けたいって頼んだのよ」
「なんでまた……下手すりゃ本当に売られてたぞ?」
「わたしは破妖剣士としての実績もまだまだだし……腕力的にはどうあがいても男の破妖剣士には敵わない。でも、こういう仕事ならと思って」
「……」
「要はわたしが戻って来た途端に、人攫いがぴたっと止まればいいわけよ。そうすればわたしが魔性を斬り殺したおかげでってことに出来るし。だから奴らの本拠地に潜入して、全員とっ捕まえればいいの」
「簡単に言うけどな、どうやって連中を捕まえるんだ?破妖刀……は未羽に運ばせればいいとして、まさか人間を斬るわけにもいかないだろう」
魔性が絡んでいないのなら、破妖剣士の出番は無い。はっきり言ってスラヴィエーラは、破妖刀さえなければ普通の少女なのだ。
「それは、わたしも考えてたところなんだけど……」
しばし考えた後、スラヴィエーラは口を開いた。
「人買いには人買いで対抗しようと思うの」





馬車は郊外の森を抜け、古びた屋敷の前で止まった。
人が住まなくなってから何年経ったのか、壁には蔦が生い茂り、建物を取り巻く池も重く濁っている。
貴族の別荘のなれの果て──そんな印象を受ける屋敷に、男たちは扉を開けて入って行った。
隙をついて逃げようとした娘が、男によって打ちすえられ、転倒して悲鳴を上げる。
「往生際の悪い娘だな。まだ痛い目に遭いたい奴はいるか?」
娘たちは震えあがり、ひたすら首を横に振る。
「大事な商品だ。その辺にしておけ」
御者は淡々と言い、倒れている娘を引っ張って歩き出す。他の娘たちも虚ろな表情で後に続いた。

未羽は特に何の感慨もなく、その様子を見ていた。
彼女は基本的に、スラヴィエーラ以外の人間はどうでも良い。あの娘たちの末路がどうなろうが知った事ではなかった。
ただ、彼女の命令通り、この連中の背後にある存在を確かめなければ。そしてスラヴィエーラに褒めてもらうのだ。
人間たちの言う「鍵」など、魔性である未羽には何の意味も持たない。壁をすり抜けて室内に侵入し、鼻歌を歌いながら男たちの足取りを追う。
「奥の部屋は……っと。あら?」
不意に、背後に魔性の気配を感じた。
振り返るが、そこには埃を被った男性の胸像が、じっとこちらを見ているだけだった。
今回の事件に、魔性は絡んでいないはずである。浮城の人間もここにはいないし、同胞の残り香などあるはずもないのだが……。
「気のせい……か。なんだか気味が悪い屋敷ね。さっさと済ませちゃおう」

未羽が奥の部屋に向かおうとしたその時、ひび割れた壁から二本の腕が伸びて来た。
「きゃあ!」
体を鷲掴みにされた彼女は必死で抵抗するが、剛毛の生えた腕はびくともしない。
そのまま彼女の体を壁の中にひきずり込もうとする。

『ミニクイ』

男の低い声が耳朶を打った。
間違いない、自分と同じ魔性のモノ。未羽は己の不覚を恥じた。依頼人の言っていたことは正しかったのだ。
彼らの裏にいるのは魔性──でも、何故、このような手の込んだ真似を?

『オマエ、ミニクイ』

見にくい……?一体何が?
浮城の人間の誰もに「可愛い」と言われる容貌を持つ未羽は、男の放った言葉の意味を、正確にとらえられない。
ぎりぎりと、男の爪が体に食い込む。凄まじい怪力だった。
痛みに顔を顰めながら、未羽は最後の力を振り絞って、自らの羽を毟り取った!

「行って……!」
力の幾ばくかを乗せて、スラヴィエーラの元へ飛ばす。魔力を込めた羽は空中で踊り、姿を消した。
ほぼ同時に、彼女の体は壁に吸い込まれて消えた。静寂に包まれた廊下を、少女たちを引き連れた男たちが静かに歩いてくる。
男性の胸像が台座から落ち、破損していた。それを見て、彼らは顔を見合わせる。

「どうやらまた、鼠でも迷い込んだか」
「なに。あの方が守って下さる限り我らは安泰だ」
「確かに……」

男たちは奥の部屋に姿を消し、廊下には再び静寂が戻る。
床に打ち捨てられた胸像の破片が、窓からの月光に鈍い光を放っていた。


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