「どうしたの、マイダード。熱でもあるの?」 大きな目でこちらを見つめている少女の存在に気付いた途端、マイダードの手から何冊もの本が滑り落ちた。 「な、なんでもない」 何かいい匂いがすると思ったら、いつの間にかスラヴィエーラが傍に来ていた。稽古の帰りらしく、肩に手拭いをかけている。 彼女は読書があまり好きではないから、書庫にいれば考え事の邪魔をされないと思っていたのに、甘かった。 「こっち来るなよ、何の用だよ。どうせ本なんか読まないんだろ」 ぶっきらぼうに言いながら、床に落ちた本を屈んで拾う。スラヴィエーラにはあまり見せたくない内容の本だった。 あれから、グレザールの言っていたことが気になって、浮城の結婚制度について色々と調べていた。浮城には確かに、家族層と呼ばれる既婚者の一角が存在する。士気が下がると言う理由で、独身層とはかけ離れた場所に存在するが、食堂や講堂などの施設は共用だから、結婚後も生活が激変するわけではない。 特殊な環境にいるせいか、地上に比べて子供は産まれにくいという。それに、せっかく産まれた子供も、その子に才能が無ければ両親との別れが待っている。 親としては切ないが、浮城の人間は幼い頃から親元を離れて暮らしている者が多いので、城内で結婚すれば自分の子供と引き離される覚悟も、ある程度は出来ているのだろう。 かつては才能のある子供を自家生産するために、浮城の人間同士の結婚が奨励されていたらしいが、出生率の低さもありその政策は徐々に立ち消えていった。 それでも、「俺も年頃だし、手近な女で手を打っとくか」と思う人間は、昔も今も一定数存在するわけで………斡旋行為は消えても、家族層自体が消失する事は無かったのである。 もし、マイダードがスラヴィエーラと家庭を持てば、二人でこの『家族層』に移って暮らすことになる。本当にそんなことが可能なのだろうか? 『お前がスラヴィエーラを嫁にもらえば、何の問題もないわけだ』 グレザールの言葉が耳を離れない。他に方法がないのだとしたら、スラヴィエーラに求婚するしかない。 彼女は家出をしてきて、帰るところがないと言っていた。マイダードのことは嫌いではないはずだ。もし、求婚を受けてくれたら。 子供が産まれ親子三人、仲良く食卓を囲んでいる未来図を想像してしまい、身悶えしたくなった。 「グレザールに頼まれて本を借りに来たのよ。ちょっと……ほんとに大丈夫?顔が真っ赤よ」 スラヴィエーラは、心配を通り越して気味の悪そうな顔をしている。彼の妄想している内容を知ったら、平手の一発や二発では済まないだろう。 「うるさいな、関係ないだろう」 マイダードは複数の本を隠すように抱きかかえ、少女に背中を向けた。本棚の方へと歩いていく。 脚立を使って、読み終わった本を所定の位置に戻していると、背後で大きな声が聞こえた。 「浮城のけいふ、ひにんこころえ、浮城のこんいんせいど、浮城のいがく、歴代城長めいかん、城内きそくそうらん、新・こせきほう………?」 ぎょっとして振り返ると、遙か後方にスラヴィエーラの姿が見えた。 彼女は、元の位置から一歩も動いていなかった。にも関わらず、マイダードが本棚に押し込めた本の、背表紙に書いてある文字をすらすらと口にしたのだった。 一句一字、違わない。先ほど彼が読んでいた時に、暗記していたとはとても思えない。 「そ、そこから見えるのか!?」 驚くべきことだが、他に考えられなかった。スラヴィエーラはこくりと頷くと、「意味はわからないんだけど」と言った。 「わからなくていい。お前、……そんなに目が良かったっけ」 脚立を降り、焦ってスラヴィエーラの元へ駆け寄る。棚に並んだ背表紙から注意を逸らしたかった。結婚について調べていたことを、知られたくない。 「昔から視力は良かったのよ。グレザールにも感心されたんだけど」 ───また、あいつか。 胸に、ちくりと痛みが走る。彼女は、グレザールの言う事なら素直に聞く。他人の代わりに本を借りに来るなど、これまでのスラヴィエーラからは考えられなかった。 それだけグレザールの指導に賭けているという事であり、それだけ浮城という場所に愛着を持っているからだとも言えた。 「あのな……スラヴィ」 痛みを押し隠しながら、彼は言った。 「なあに?」 「お前、どうしても浮城に残りたいか?どんな手を、使ってでも」 彼女に帰る故郷が無いのを知っていて、こんな事を言い出すのは、卑怯だろうか。 それでも、マイダードは一緒にいたかった。姑息だろうと、汚かろうと、彼女が浮城からいなくなってしまうのは嫌だった。 「当たり前でしょう。何言ってるのよ」 何も知らないスラヴィエーラは、無邪気に見つめ返してくる。彼は、机の上に置いた手をぐっと握った。 「だったら、もし、おれが………」 勇気を出して口を開いた途端、ドラが鳴った。 「あ、もう午後の教練の時間だわ。急がないと」 スラヴィエーラはいそいそと本棚に向かい、目当ての本を棚から抜き出し、受付へ駆け寄った。 「スラヴィ……」 マイダードの声は、空中でかすれて消えた。彼女が持っている本の表紙が目に留まったからである。 さすがに咎める勇気は無かった。よもや、スラヴィエーラがあれを読むわけではないだろう。 「すみません、これ一冊貸し出しお願いします。グレザールの代理で、わたしが読むわけじゃないんです。……はい、はい」 受付で記名を済ませると、スラヴィエーラはくるりと背中を向けた。 「あっ、ちょっと待ちなさい!」 司書の女性の静止は、どうやら間に合わなかったらしい。スラヴィエーラは慌ただしく走り去った。 その脇を無言ですり抜けようとしたマイダードは、女性に呼び止められた。 「あなた、今の子の友達?」 「はあ………戸籍上の友人と言うか、なんと言うか」 直前まで読んでいた本の影響で、訳の判らない返答をするマイダードに、司書の女性は小声で告げた。 「じゃあ、あの子に言っておいてね。今度からは、たとえ代理であっても、成人指定の本は貸せないって」 食堂は何時も通り混雑していた。その中で、マイダードはグレザールの姿を素早く見つけ出していた。 大柄な身体は、何処にいても目立つ。スラヴィエーラにとってもそれは同じだった。 「グレザール!」 スラヴィエーラは男の名を呼んだ。マイダードが傍にいるのに、平気であの男の名を呼ぶのだ。 「待ってて。わたしが、ついでによそってきてあげる!」 遠くにいるグレザールに手を振ると、彼女は配膳台へと向かい、後ろにいるマイダードに首だけ向けた。 「マイダード、ちゃんとついてきてる?人が多いからって迷ったら駄目よ」 「うるさいな」 告白の機会を奪われた彼は、かなり苛立っていた。そしてそんな自分にも腹が立つ。 辛いのは、いつ浮城を追い出されるとも判らない彼女の方なのだ。破妖剣士の選定式が行われる時期は、未だ未定である。それが終わって、どの破妖刀にも選ばれなければ、彼女は浮城を追われる。親しくなった友人とも離れ離れだ。 いつ、選定式の告知があるのか、毎日が緊張の連続で、気が気でないはずだ。なのに、マイダードに心配をかけまいと、明るく振る舞っている。 そんな彼女に対して、身勝手な八つ当たりで苛立つ自分が、情けない。 スラヴィエーラは配膳台の前に立つと、器を一つ余計に取って、グレザールの分の煮込み麺を盛った。 お前がそんな事をしてやる必要は無いじゃないか、と彼は言いたかった。けれど、言えなかった。 「ほら、マイダードもぼんやりしてないで、早く」 彼女に急かされるまま、マイダードはグレザールの向かいの席に座った。スラヴィエーラは煮込み麺が入った器を、グレザールの前に置いた。 「はい、どうぞ。作りたてのあつあつよ」 グレザールの手から空の器を回収し、自分のものと重ねる。 「お前が作ったわけでもあるまいに」 言いながら、グレザールはちらりとこちらに視線を投げて寄越した。 「そっちの坊やは、喋らないな」 マイダードは、黙って麺を啜り続けた。せっかちな母親に躾けられたため、食べるのは早い。 子供に成人指定の本を借りに行かせるような無神経な男と、会話を楽しむ気にはなれなかった。スラヴィエーラが本の内容に無頓着な性格だったから良かったものの、大人としての自覚が足りなさ過ぎる。未だ独身である理由がわかろうというものだ。 「マイダードは、おとなしいのよ。わたしといるとよく喋るんだけど」 スラヴィエーラはこちらを覗き込み、「ね」と言った。 「………ま、いいさ。ところでスラヴィエーラ、折角席に着いたところ悪いんだが」 「なに?」 「胡椒を取ってきてくれないか?この麺は美味いんだが、もう少し風味が欲しい」 グレザールがスラヴィエーラに命令している。何様だ、と彼は心から思った。 「うん、わかったわ」 スラヴィエーラは嫌な顔一つせずに席を立つと、調味料が置いてある棚の方へ向かった。 彼女の姿が人込みに消えていくのを見計らって、グレザールは口を開く。 「そんなに俺が気に入らないか、坊や」 マイダードは箸を動かすのを止めた。 気に入る気に入らない、の話ではない。スラヴィエーラにとってこの男が有害か無害か、の話だ。 「何度も言うが、スラヴィエーラを取る気はないと言っているだろう。あいつのことは娘のように思ってる。心配するような事は何もないぞ」 完全に、子供扱いだった。 グレザールは、マイダードの話を真剣に聞いてくれる気はない。それなのに自分の意見だけを押し付けてくるのだ。 あの夜だって、眠いからという理由で彼を追い払った。地位がある大人特有の、自信に溢れた態度が彼は不愉快だった。 「こっちこそ、何度も言うぞ。おれが心配してるのは、スラヴィじゃなくて、あんただ。悪い事は言わないから、さっさとあいつから離れろ」 目上に対する敬意を一切排除した物言いに、さすがにグレザールは絶句していた。 もちろん嘘である。マイダードはこの男のことなどかけらも心配してはいない。ただ、夢の中のグレザールがひどく疲れ切った表情をしていたのは事実だ。 彼がスラヴィエーラと一緒にいると、何か良くないことが起きる。あれから何度も同じ夢を見て、それだけは確信していた。 「グレザール、これでいいの?」 スラヴィエーラが戻ってくると同時に、マイダードは席を立った。 「先に行ってるぞ」 グレザールと一緒にいるスラヴィエーラを、見ていたくはなかった。 告白を先延ばしにしてしまったのは、彼の人生最大の、そして唯一の汚点であった。 あの日の翌日に、本当は想いを告げるはずだった。急な仕事が入りさえしなければ。 先輩捕縛師とともに無事任務を終え、浮城に帰還した彼を待っていたのは、スラヴィエーラが破妖刀に選ばれたと言う吉報だった。 吉報───そう、確かにそれは、良い報せだった。たった一人の男を除いては。 「スラヴィ、スラヴィ!開けてくれ!!」 少女の部屋の扉を、彼は何度も叩いた。部屋にこもったまま食事も採らないと聞かされては、黙っていられるはずもない。 扉の向こうから、嗚咽まじりの声が返ってきた。但しそれは、マイダードに向けてのものではない。 ───ごめんなさい、グレザール。ごめんなさい……… この場にいない相手に向かって、彼女はひたすら謝罪の言葉を口に乗せていた。 マイダードには、破妖刀のことなど判らない。彼が知っているのは、スラヴィエーラが人一倍努力家であることと、とても思いやりのある心の持ち主であるということだけだ。 それだけ知っていれば、十分だった。グレザールが彼女に暴力を振るって傷つけたのだとしたら、自分は彼を決して許さない。 「なんでだよ!」 彼女の悲しみを止めるために、彼は必死に叫ぶ。 「悪いのはあいつじゃないか。お前のせいじゃないのに、お前を悪者にして、勝手に暴力沙汰を起こしたんだろう!?」 自慢の破妖刀に見捨てられたグレザールは、八つ当たりで同僚を殴りつけたらしい。そのせいで、地下牢に監禁されているとか。 年の割りに子供っぽいところのある男だと思っていたが、そこまで愚かだとは思わなかった。 ───違う、彼は悪くないわ。わたしが、彼に稽古をつけてもらわなければ……… 「だったら、破妖刀だ!お前の手から離れない、その刀が悪いんだ!」 幼い彼は、他人を悪く言う事でしか、少女を慰める術を知らなかった。その事が却ってスラヴィエーラを追い詰めることになるとは、夢にも思っていなかった。 ただ、笑って欲しかったのだ。いつもの彼女に戻って欲しかった。普段は誰よりも親しくしているのに、彼女が一番辛い時に近くにいてやれなかった後悔が、彼を苛んでいた。 「スラヴィが、おれなんかよりずっと頑張ってたことを、みんな知ってる。だから、報われたのは当たり前だ。お前が自分を責めることなんて、何も無いじゃないか……!」 彼女は恐怖し、怯えていた。努力と結果が結びつかない破妖剣士の世界に、足を踏み入れたことに。 他人を傷つけてでも、破妖刀を背負って前進しなければならない、その事実を突きつけられて。 ───もうやめて。グレザールを悪く言わないで。お願い、そっとしておいて。一人にして!! 薄い板の向こうで、少女の切ない息遣いが聞こえる。 何を自惚れていたのだろう。彼女はマイダードの慰めなど必要としていない。スラヴィエーラが救われるとしたら、グレザールの『許す』という言葉だけなのだ。 慰めの言葉のみならず、己の存在ごとスラヴィエーラに無視された彼は、グレザールがいる地下牢に向かった。 夢で見た通りの姿で、グレザールはやつれ果てていた。 不思議と、いい気味だとは思わなかった。彼が破妖刀よりもスラヴィエーラの事を大事に思っていたのだとしたら、それはそれでマイダードは困るのである。 だがグレザールは、夢晶結をより愛していた。夢晶結を横取りしたスラヴィエーラを恨み、拳を振るった。二人の関係は、二度と元に戻ることはない。 「良かったじゃないか、スラヴィエーラが浮城に残ることになって。邪魔な年寄りはいなくなるし、坊やとしては万々歳だろう」 指摘され、途端に罪悪感が襲ってくる。 そう、スラヴィエーラとグレザールの間に修復不可能な溝が出来たことに、自分は安心しているのだ。彼女は、今も傷ついて泣いていると言うのに。 最低だ…………。 「破妖剣士長に頼んでみるわ!あなたが浮城にいられるように───」 スラヴィエーラの涙ながらの訴えを、グレザールは一蹴した。これ以上おれに恥をかかせるな、と。 同じ男として、マイダードには彼の気持ちがよく判った。スラヴィエーラに口付けを持ちかけたのも恐らく本気ではなく、近くで会話を聞いていたマイダードを傷つけたかっただけだろう。 人間だから、弱さを見せる事はある。他人に対する、嫉妬や憎悪が抑え切れない事もある。 それでも、グレザールは最後の瞬間まで破妖剣士であろうとした。子供であった二人の心に強烈な印象を残し、努力ではどうにもならない現実があると身を以て教えた上で、浮城を去っていった。 当日の朝、スラヴィエーラは転移門に見送りには行かず、通常通り鍛錬室で木刀を振るっていた。辛い目に遭っても、いつまでもめそめそしないのが、彼女らしいと思う。 グレザールとの関係を興味本位に噂する連中は多かったし、逆に彼を煙たく思っていた連中は、ここぞとばかりにスラヴィエーラを庇う振りだけした。そして大人たちは、『夢晶結』の幼い使い手を、外交に利用することしか考えていない。そんな状況にもめげず、スラヴィエーラは二本の足で毅然と立っていた。 「追わないのか」 女々しいのは自分だった。こうしてまた、彼女の心の隙間に入り込もうとしている。彼女にとってグレザールが大切な存在であることを知っていながら、一刻も早く忘れて欲しいと思っている。 「いいの。……あの人の言ったこと、嫌ってほどよく判ったもの」 振り返ったスラヴィエーラの表情には、曇りはなかった。窓から差し込む朝の光を浴びて、その姿は神々しくさえ見える。 「わたし、いつか、浮城一の破妖剣士になるわ。自分を選んでくれたこの『夢晶結』以外は、誰の事も好きにならない。それが、グレザールに出来るせめてもの恩返しだと思うから………」 マイダードは何も言えなくなった。彼の思いはこの瞬間に、永久に封じられてしまったのだ。 後悔は先に立たない。他人の人生を変えてしまったことを悔いているスラヴィエーラは、今度は破妖刀に自分の人生の全てを捧げる気でいた。それが、グレザールに対する贖罪なのだと。 「……そうだな」 彼女に合わせて笑いながら、少年の心は軋んで悲鳴を上げていた。 なんだよ。なんで、そうなるんだよ。いなくなった奴のことなんて、考えていても仕方ないだろう。 お前には幸せになる権利があるし、何一つ悪い事はしていないのに。 今、そばにいるのはおれなのに………。 初恋が破れる音が、静かに鼓膜に響く。スラヴィエーラはもう、破妖刀のことしか見えていなかった。夢晶結はいわば、グレザールに託された彼の子供なのだ。 「マイダードにはちょっと遅れを取ったけど、負けないわよ。いずれ追い抜いてやるんだから」 彼女はいつも、マイダードが張り合うことの出来ない相手ばかり好きになる。破妖刀といい、護り手といい、浮城から消えて、永遠に思い出の中に残る大人の男といい。 彼は、戦うことすら出来なかった。好きな少女に自分の気持ちを伝えることすら、許されていなかった。グレザールを今でも深く慕い、夢晶結と添い遂げることを決めているスラヴィエーラにとって、この気持ちは重荷でしかない。 マイダードが唯一、あの男に勝っている事があるとしたら、スラヴィエーラに一度も手を上げていない、という点においてのみだった。だから彼は、この一点を誇りにすると決めた。この先何があっても、彼女を傷つけるような真似だけはしないと、心に誓った。 あの日以来、スラヴィエーラは肌の露出を抑えた地味な服装しかしないし、髪も伸ばさない。女として見られることを、無意識に避けてでもいるかのように。 破妖剣士の実力は、努力とは比例しない。しばらくは不遇の時代が続いたが、ここ数年でようやく彼女は実力を認められるようになった。そんな最中、あの事件が起こったのだ。 「紅蓮姫を持ち逃げするなんて、絶対に許せないわ!」 紅蓮姫奪還チームに自ら志願したスラヴィエーラは、久しぶりに再会するなりマイダードに噛み付いた。 成人してからはあまり時間が合わず、二人で遊びに出かけることも少なくなった。 このまま縁が薄れていっても、彼女が幸せならばそれでもいいか、と思うくらいの境地にまで到達していたのだが。 スラヴィエーラは、まるで変わっていなかった。美しい女性に成長しても、少女の頃のままの、愚直なまでに純粋な気持ちを持ち続けていた。 「破妖刀は自分だけのものではないのに……歴代の使い手の思いが詰まった、かけがえのない財産なのに!そう思わない?」 力説する様子を見てにやにやしていると、スラヴィエーラは訝しげな顔をして見上げてきた。 マイダードの身長は、かなり伸びていた。今では大抵の女性は彼を見上げないと会話が出来ない。それも、彼女には気に入らないらしい。 「ちょっとマイダード、なに笑ってるのよ。頭に蛆でも湧いたの?図体がでっかくなった分、脳が退化したんじゃないの?」 「お前もな」 「むっかつく………あと、その髪と服装、何とかしなさいよ!みっともないったらありゃしない!」 彼女が、昔と変わらぬ所作で腕を掴んでくる。相変わらず、生意気な弟ぐらいにしか思われていないようだ。 「これはまあ、反抗というか願掛けというか。どっちにしろお前には関係ない」 思春期を過ぎて、彼も大人になった。スラヴィエーラへの思いも形を変え、もう、近くに寄られても露骨に心臓が高鳴ったり、触れられて赤面するというような事はなくなった。 ただ、忘れる事だけはどうしても出来なかった。時が流れても、楽しく過ごした記憶と、培った思いそのものは消えない。出来るなら子供の頃に戻って、初恋をやり直せたらとも思う。 「因みに今回の仕事を受けたのは、実は個人的な理由だったりするわけだけど、余計な詮索は無用ってことで………」 仲間に自己紹介をしながら、彼はちらりとスラヴィエーラの様子を伺った。その視線が含む意味に彼女が気付くことは、恐らく無いだろう。 ──おわり── 戻る [*前] | [次#] ページ: |