鬱金の間 夢を辿る音・前編(オリキャラ←マイスラ子供時代、マイダード視点)


※『夢を砕く音』のマイダード視点です。内容はほぼ同じ
※いつも通り捏造設定


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檻の中に、一人の男が繋がれている。
壮年に差し掛かったと言っていい年齢の男で、満足に食事を採っていないのか、痩せて顔色は悪い。髪にも、白髪が混じり始めている──それでいて、瞳だけは猛獣のように生気に溢れていた。
マイダードのよく知っている少女が、その檻に近づく。彼女は、腕に燦然と輝く破妖刀を抱いていた。檻に繋がれているのはれっきとした人間の男だ。彼女もそれは知っているはずだ。
───スラヴィ、どうしたんだ。そいつは人間じゃないのか?
問いかけるマイダードには答えずに、スラヴィエーラは檻の中の男に話しかける。
ごめんなさい、と、その口が動いた。彼女は泣いていた。
闇を割るように男の腕が伸びてきて、少女の華奢な身体を捕らえた。檻に叩きつけられても、少女は抵抗する素振りすら見せない。
肉の裂ける音が、マイダードの耳に入ってきた。獣と化した男が、少女の肉体を屠っていた。スラヴィエーラは、腕に抱えた破妖刀を振るおうとはしなかった。涙を流しながら、黙って男に喰われていた。
マイダードの両脚は、その場から動かなかった。スラヴィエーラを助けたいのに、その場から一歩も動くことは出来なかった。

息苦しさに目覚めると、真っ暗な天井が見えた。
彼がいる場所は、自室の寝台の上だった。無論スラヴィエーラの姿など何処にも無い。
「夢、か………」
寝言と混ざった独り言をつぶやき、マイダードは汗ばんだ瞼を瞬かせた。
後頭部に引き攣れるような痛みを感じる──どうやら、髪を結んだまま眠ってしまったらしい。
むくりと上半身を起こし、髪をほどく。変な癖が付いてしまった分け目を、指で撫で付けた。夢の記憶が未だにまとわりついていて、気分が悪かった。
そうだ、思いだした。あれは夢晶結の使い手で、現在スラヴィエーラの指導をしている男だ。名前はグレザールと言った。一匹狼を気取っているところがあり、実力は確かでも愛想が悪い。
そんな男が、何を思ってかスラヴィエーラの指導役を引き受けたのは、数ヶ月前のことである。
あの張り切り屋の少女は通常の教育では物足りないらしく、グレザールに直々に剣術の指導を願った。最初はうるさい子供だと敬遠していたグレザールも、次第に彼女の熱意に打たれ、まともに稽古をつけるようになった。
マイダードとしては、スラヴィエーラの稽古の相手から解放されて喜ぶべきなのだろうが───どうも、気に入らない。
嫉妬だと思われるので口には出せないが、あの二人が一緒にいるところを見ると、妙な胸騒ぎを覚えるのだった。親子ほども年の離れた相手である。普通に考えれば恋愛の対象になるはずが無いし、その点では心配などしていない。
それなのに、この不安は何だろう。スラヴィエーラが破妖剣士になれば、浮城から追い出されることも無い。
グレザールは、彼女が破妖剣士になるための手助けをしてくれるのだから、マイダードは感謝こそすれ、不快に思う道理など無いはずだ。それなのに………。
浮城に来てから、彼が夜中に見る夢の内容は、しばしば現実になる。予知夢などという大袈裟なものではない。崖から転落する夢から醒めれば、実際に体が床に落ちていたり、嵐に巻き込まれる夢を見れば、翌日は少し嫌な事があったり、その程度のことだ。誰にでも一度や二度は覚えがあるだろう。
それでも、今見た夢はこれまでになく鮮明で、しかも想っている少女が男に傷つけられる夢だった。その事が、彼の不安をいつになく煽っているのだった。
スラヴィエーラはいつも前向きで、じっとしていることが嫌いだ。気の強い面ばかりが目立つけれど、本来はとても優しい少女であることを彼は知っている。
その彼女が、捕縛師にも破妖剣士にもなれず、浮城から弾き出されてしまうかも知れない───その不安が、あの不気味な夢の形をとった。せっかく仲良くなれたと思ったのに、彼女の姿を二度と見られなくなるのは、嫌だった。
あの夢が、これから起こる事の予知だったとしたら。彼女を不幸にする要因に、グレザールが関与しているとしたら、自分はどう対処すればよいのか。


「俺に何か用か、坊や」
人の悪い笑みを浮かべながら言う男に、マイダードは身を竦ませた。
尾行を気付かれているとは思わなかった。大人たちに気配を隠すのが上手いと誉められて、いい気になっていたくらいなのに。
「確か、マイダードだったな。言いたいことがあるのなら、はっきり言った方がいいぞ」
グレザールはかなりの長身だった。それでいて、年頃の少年が憧れる、がっしりした体つきをしている。
思わずぶら下がって遊びたくなるような二の腕と、程よく筋肉の付いた二の足───声を聞けば年齢がいっていることは察しがつくのだが、後ろ姿だけなら立派に若者で通る。
自分が大人になった時、こういう男になっている自信が全く無いマイダードとしては、かなり劣等感を刺激される相手ではあった。
消灯時刻をやや過ぎているため、廊下に人影は無い。物陰から姿を現し、マイダードはゆっくりとグレザールに歩み寄った。
一笑に付されることは覚悟で、夢の事を話してみようと思ったのだ。この壮年が誠実な人物ならば、喩え子供の話でも、真剣に耳を傾けてくれるだろう。
「スラヴィのことで……」
いつも自分に纏わり付いてくる少女の、愛らしい笑顔を思い浮かべながら口にする。
グレザールが即座に言葉を返してきた。
「スラヴィ、とは?」
からかう口調に、思わず頬が赤くなった。
親しい友人の事を愛称で呼ぶのは、浮城の人間のみならず下界においても共通した習慣である。わざわざ突っ込むほどのことでもあるまいに。
「あんたが教えてる娘のことだよ。知ってるくせに……!」
スラヴィエーラが師として選んだ相手だから、あまり嫌な人間だとは思いたくなかった。
けれどマイダードを見下ろすグレザールの眼差しは、縄張りに迷い込んできた鼠をいたぶる猫のようにしか見えなかった。
「スラヴィエーラを取られると思って焦っているのか」
グレザールの問いかけに、マイダードは答えなかった。半分は当たっていたが、半分は外れていたからである。
本音を言えば、自分よりも優れた異性は、スラヴィエーラに近づいて欲しくは無い。比べられた結果、自分は決して彼女の一番にはなれないことが、判っていたからだ。
だがそれ以上に、あの夢の内容がひっかかっていた。グレザールがもしもスラヴィエーラを傷つける存在であれば、自分はそれを黙って見過ごすわけには行かない。
「お前が心配しているような事態にはならんさ、マイダード。あの娘は、稽古中にもよくお前の話をするし、俺もそれを聞いていて楽しい」
彼の気持ちも知らず、男は的外れな答えを返してくる。
想っている少女を横取りされそうで、焦った少年が言いがかりをつけてくる。この男の目に、恐らくマイダードはそんな風にしか映っていない。
「そんな話が聞きたいんじゃない。あんたたち、スラヴィを破妖剣士にしてやるだなんて、いい加減なこと言ってるらしいけど……責任なんて取れるのか?」
夢の中で、スラヴィエーラは破妖刀を抱えていた。
破妖剣士になることをあれほど望んでいたのに、彼女は何故か悲しそうな顔をして、泣きながら『ごめんなさい』と言った。
この事から導き出される結論は一つである。彼女が破妖剣士になることで、傷つく人間がいる。誰か、迷惑を被る人間がいるのだ。
今まで考えた事も無かった。自分の夢を叶えようとすれば、他人を蹴落としていかなければならない。マイダードもいつか、その現実に直面するかも知れない。
そしてスラヴィエーラは、他人を傷つけて平気でいられるような少女ではない。自分はそれ以上に苦しむだろう。
破妖剣士になれなければ、彼女は浮城を去る。だが破妖剣士になったとしても、辛い現実が待っているとしたら。
「努力したって、破妖刀に選ばれるとは限らないんだろう。そうやって期待させて、もし破妖剣士になれなかったら、どう責任取るつもりなんだよ」
マイダードには判らなくなっていた。このままスラヴィエーラを応援すべきなのか、破妖剣士になることを反対すべきなのか。
彼女が破妖刀に選ばれさえすれば、ずっと一緒にいられると思っていた。けれど、夢での彼女は───念願の破妖刀を手に入れた彼女は、滅多に流さない涙を流していたから。
果たして破妖剣士になることが、本当にあの少女の幸せなのだろうか。他に、浮城に残る方法はないのだろうか。
それを、この男に聞いてみたかった。
「あのな、坊や……お前の気持ちは判らんでもないが、その考えはあまりにも、スラヴィエーラに失礼じゃないか?」
マイダードはむっとした。
この男は、自分の知らないスラヴィエーラを知っている。それに気付いて、今度こそ正面から嫉妬したのだ。
共に過ごした時間はまだマイダードの方が長い。年だって近いし、この男よりずっと気が合っている自覚がある。
何を、知ったような口を利くのか。マイダードは決してスラヴィエーラを見下しているわけではない。一緒にいたいから、そのために最善の方法を模索しているのではないか。失礼だなどと、決め付けるように言わないで欲しい。
「スラヴィエーラは、お前が思うよりずっと大人だ。もし破妖刀に選ばれなかったとしても、あの娘なら後悔などしないだろう」
そんな事はわかっている。彼が聞きたいのは別のことだ。誰も傷つけずに、自分たちが一緒にいられる方法。そんなものが果たしてあるのかどうか。自分たちより長く生きており、浮城で生きるための知識も経験もあるグレザールの口から、都合のいい結論を早く引き出したいだけだった。
「……これからも稽古をつけるつもりなのか、あいつに」
マイダードの声は、自然と低いものになった。
夢の件がなくとも、この男をスラヴィエーラの傍に置いておくのは危険な気がする。
皮肉屋で現実的、実力はあっても不自然に驕らず、孤高で高潔。グレザールは、男が憧れるあらゆる要素を詰め込んでいるように思えた。
「当たり前だ。せっかく見つけた、俺の老後の楽しみを奪わないでくれ」
老後と言いながらも、あと数十年は生きる気満々、といった男の言葉に、マイダードは引っかかるものを感じた。楽しみ……彼は、スラヴィエーラに稽古をつけることが楽しいのだ。けれど夢の中の彼は、スラヴィエーラに牙を剥いていた。
ごめんなさい、と泣いていたスラヴィエーラ。彼女が傷つけてしまう相手とは、もしやグレザールのことではないのか。
「おれは、破妖刀のことは判らないけれど……」
グレザールから眼を逸らし、彼は呟いた。二人が一緒にいることで、何か良くないことが起きるのかも知れない。
「あんたが、スラヴィに近づきすぎるのは良くない気がするんだ」
口にした後で、すぐに後悔した。今更こんな事を言っても、焼き餅としか思われないだろう。
果たして、グレザールは呆れたような顔で見返してきた。
「わかった、わかったよ。坊やの気持ちはよーくわかった。からかったりして悪かったよ。周りの大人が色々言うから、不安になったんだな。よしよし、心配しなくても、スラヴィエーラを取ったりしないさ。ちゃんとお前に返してやるよ」
彼は既に逃げの体制に入っていた。自分に噛み付く子供を軽くあしらい、自室に戻ろうとしている。尤もこれは、スラヴィエーラとの稽古で疲労している際に話しかけた、マイダードの方も悪かったのだが。
「違う!そういう事じゃなくて、俺が心配してるのは、あんたの……」
夢で見たことを告げようとした彼の頭上に、グレザールは巧みに釣り糸を垂らしてきた。
「それにな、破妖剣士になれなくたって、スラヴィエーラが浮城に残る方法はあるぞ」
「え……」
目の前にちらつかされた餌に、マイダードが己の主張を止めてしまったのは、仕方の無い事と言える。この時の彼は、破妖刀の重要性を理解しない、ただの子供だった。破妖刀はあくまでもスラヴィエーラを浮城に繋ぎとめるための道具に過ぎず、彼女が破妖剣士として活躍することを、特に望んでいたわけではなかったのだ。
「浮城に在籍するのは何も戦闘員だけじゃない。その伴侶も、別の層での生活が許されているって知ってたか?」
話が飲み込めず、怪訝な顔をしている少年の額を、グレザールは指でつついた。
「つまり、だ。お前がスラヴィエーラを嫁にもらえば、何の問題もないわけだ」



──後編へ続く──


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