破妖剣士としての儀式を済ませたスラヴィエーラは早速、部屋替えを申し出た。 自分はこれから、浮城を代表する破妖剣士となるつもりだ。昼の訓練だけでは飽き足らず、夜中に素振りや柔軟体操をすることもあるかも知れない。 その際、迷惑がかからぬよう、自分の両隣の部屋を空き部屋にして欲しい、と告げたのだった。 だが、その申し出はあっさり却下された。破妖剣士長のサルディアンは、何事にも熱くなりすぎる彼女の性格を、とうに見抜いていた。 「駄目だ。お前だけを特別扱いするわけにはいかん」 縋るような眼差しで自分を見上げる少女に、彼は毅然とした口調で応じた。 「稽古ならば、昼間のそれだけで充分。夜は心身を休めておくための時間と決まっている。張り切るのも良いが、体調を崩しては元も子もないだろう」 「大丈夫です!!わたし、体力には自信があるんです」 サルディアンは、呆れた目で少女を見つめた。 「そんなに気負うものではない。破妖刀はお前のような子供が、一朝一夕に使いこなせる代物ではないぞ」 「でも…!!」 スラヴィエーラは、小さな胸に破妖刀を抱えた。 柔らかな短髪が、色白の頬を緩く覆い隠す。血色のよい唇は悔しげに噛み締められ、より赤みを増していた。きつそうな瞳は目上の人間に対しても怯むことなく見開かれ、いかにも生意気そうな印象を与える。 年齢的にはまだ十五にも満たない彼女は、確かに世間から見れば立派な子供といえた。けれどこの組織においては年齢ではなく経験や実績が物を言う。それを教えてくれたのは、上司である彼ではなかったか。 「年長者の言うことには従うものだ、スラヴィエーラ。お前のように野心を抱くあまり、道を見失って自滅していった若者を、私は大勢見ている」 「わたしはそんな風にはなりません!必ず、夢晶結にふさわしい使い手に……」 サルディアンは溜め息をついた。 「マイダードに追い抜かれたのが、そんなに悔しいか?」 彼女が焦っている本当の理由を知っているくせに、敢えて違う男性の名前を口に出す。それは、彼なりの思いやりだとスラヴィエーラは思った。 同期であるマイダードは、スラヴィエーラよりも先に捕縛師の資格を取り、順調に仕事をこなしている。早く出世したいと思っているのは、彼の存在も理由の一つかも知れない。だがそれを他人に指摘されると素直に頷けないのは、思春期の少女ならではの複雑さ……といえよう。 先代の使い手が浮城を去って以来、スラヴィエーラはどうしようもない喪失感を味わっていた。部屋で泣き暮らすのも飽き、誰かに稽古をつけてもらおうとしても、同年代の子供たちではもう相手にならない。じっとしていると余計な事を考えてしまうから、早く一人前になって仕事が欲しい。そうすれば、先代もいつかは彼女の事を認めてくれるかも知れない。 「私はお前を心配しているのだ。浮城の人間に必要なのは、魔に対抗する力だけではない。各国の王とも対等に会話できるだけの知性、気品と教養を兼ね備えていなければ」 「知性…」 スラヴィエーラはげんなりした。苦手な話題だ。 「ところでお前は、言語学の講義の最中に、居眠りをしていたそうだな」 サルディアンの鋭い目が五体を貫く。 「お前の言う立派な破妖剣士とは、やるべき事を放棄して自分の欲求を優先させることか?」 「そ、それは、ええと……」 先ほどまでの勢いは何処へやら、スラヴィエーラは言葉を濁した。 「わたし、単語を覚えたりするのがすごく苦手で……」 「言い訳はいい。浮かれて鼻息を荒くしている暇があったら、もう少し勉学に励むことだ」 「ああ、もう、むっかつくあの糞爺!!」 がこん、と低い音がした。 スラヴィエーラの手によって放り投げられた教本が、本棚にぶつかって落ちる音だった。 「おい…」 そんな彼女を、呆れたように、しかしどこか優しげな目で見つめる少年……名を、『刺青のマイダード』という。スラヴィエーラの幼馴染みで、八つ当たりの対象でもある───彼にとってその役割が不本意であることは、言うまでもないが。 「ものを粗末に扱うなよ。また破妖剣士長に怒られるぞ」 変声期を終えたばかりの低い声でそう言いながら、再び本に目を落とす。肩まで伸びた真っ直ぐな髪をひとつに束ね、真剣な目で文字を追っている。 まだ幼さが残ってはいるが、その横顔は端正で、少女達が騒ぐのも判らないではない。しかし、マイダードが洟を垂らしていた時分からの付き合いであるスラヴィエーラにとっては、いまさら容姿などどうでもいいことだった。 しぶしぶ本を拾い、スラヴィエーラは唇を尖らせた。 「だって、破妖剣士長ったら…人がせっかく張り切ってるときに、油をさすようなことばっかり言うんだもの」 破妖剣士長は、先代の使い手とは幼馴染みの間柄だった。たまに、スラヴィエーラに対して冷たいように思えるのは、そのせいかも知れない。 マイダードは本を閉じた。 「……スラヴィ」 「なに?」 「それは、『水をさす』の間違いじゃないのか」 スラヴィエーラはごほんと咳払いした。 「い、いいじゃないの、別にどっちでも」 「良くない。お前、冗談抜きでもう少し勉強した方がいいぞ。この間の試験も、散々だったんだろ?」 最近、彼は生意気な口をきくようになった。反抗期と言うやつか……それとも、これも捕縛師としての自信の現れだろうか。泣きべそをかきながら自分についてきた少年と、今のマイダードの姿がどうにも一致しない。 幼い頃はスラヴィエーラの後をついて歩いていた、泣き虫で甘ったれの少年は、いつの間にか彼女の全てを追い越していた。元々頭だけは良い少年だったが、捕縛師となってからは逞しさも備わり、依頼を片付けていくうちに自信がついたのか、少女達に黄色い声で騒がれるようにまでなったのだ。 焦らない方がおかしい。置いて行かれる───そんな不安が、心のどこかにあった。 「そんなの、わたしには関係ないわ」 内心の感情を押し隠すように、彼女は言った。 「ないって、お前…」 「破妖剣士になるのに、書き取りや単語の暗記が、何の役に立つわけ?そんな暇があったら身体を鍛えた方がよっぽどいいわよ」 マイダードは何か言いたげな顔をしたが、スラヴィエーラが不意に顔を近づけてきたため、口を噤んだ。 「ね、それよりこれって、どういう意味?」 背表紙に見える文字を追って、呟いた。かいごのはな、と書いてある。 本を読むのが苦手な彼女は、マイダードに要約だけ説明してもらうことがたまにある。判らない言葉なども、辞書をひくよりも身近にいる彼に質問した方が早いため、そうする。 マイダードは読みかけの本に栞を挟んだ。 「美しい女性のことを、言葉を理解する花に例えて、そう呼ぶんだ」 「へえ…」 「お前もそう呼ばれるように頑張れよ」 「あら、わたしは美人じゃないから、関係ないわ」 スラヴィエーラは笑った。彼女が同年代の少年達にいまいち好かれない理由は、容姿ではなくその勝気な性格にあるのだが、本人はまるで気づいていない。 先日も、隣室の少年と、些細なことで大喧嘩をしてしまった。実は、部屋を変えたいと思ったのは、それも原因の一つだった。 『お前みたいなのは将来あばずれになるんだぞ!』 スラヴィエーラに指を突きつけ、彼は叫んだ。その頬には、彼女によってつけられた引っかき傷があった。もっとも、スラヴィエーラの方も髪の何本かは引っこ抜かれ、衣服も破られていたが。 「ねえ、マイダード。もうひとつ聞いていい」 「なんだよ」 「あばずれってどういう意味?」 マイダードの動きが止まった。 「誰が言ったんだ」 本を閉じ、低い声で尋ねる。 彼の表情が強張ったことにも気づかず、スラヴィエーラは無邪気に言葉を続けた。 「ええとね。隣の部屋に、カディスって子がいるんだけど。彼が、わたしは将来、あばずれになるって言ったの」 「…あいつか」 マイダードは舌打ちした。 「ねえ、どういう事。アバズレって、何かの職業?」 「違う」 「じゃあ、何…」 「教えられない」 その晩、スラヴィエーラたちが暮らしている階の一角で、ちょっとした事件が起こった。 捕縛師のマイダードが、同じ捕縛師のカディスと乱闘騒ぎを起こしたというのである。 廊下で激しく揉みあっていた二人は、駆けつけた大人たちによって引き離され、それぞれの部屋で懇々と説教を受けた。 自分の発言がきっかけであることは、さすがのスラヴィエーラも気づいていた。 だが、カディスと喧嘩した件は、マイダードには話していない。何故、こんな事になったのだろう。 スラヴィエーラがいくら問い詰めても、マイダードは理由を教えてはくれなかった。 黄色い砂塵が巻き上がり、竜巻となって洞窟を叩く。 浮城の人間にとって、白砂原は庭のようなものだとは言うが、この自然の猛威の前には、成す術もない。 岩陰に身を潜めても、その音を聞いただけで、身震いがする。砂漠を歩く旅人の命を奪う、地獄の砂嵐だ。 スラヴィエーラは、冷たい岩の壁に張り付き、風の音に耳を澄ませていた。それでも、目だけはしっかりと、幼馴染みの少年を見据えている。 白砂原における狩りは、男女共に当番制と決まっている。獣の肉を捌くことも出来ない軟弱者──言い方を代えれば、育ちの良いお嬢様やお坊ちゃま──は、ここでは生活していけない。 本日はマイダードと別の少女が担当だったが、スラヴィエーラは少女に頼みこんで、当番の日を交代してもらったのだ。彼と二人で話がしたかったため──どうも近頃、彼に避けられているような気がしていた──強硬手段に出たのだ。邪魔の入らない場所を選ぶのはなかなか難しいが、転移門の外に出てしまえばこっちのもの。 何かと冷やかす友人も、口うるさい長も、ここにはいない。 他人の目を気にして出来ないような話も、存分にできるというものだ。 「風がすごいわね。外に出たら、大陸のはずれにまで飛ばされちゃいそう」 両腕を広げ、スラヴィエーラは努めて明るく言った。 マイダードは答えず、収穫を詰めた袋を地面に置いた。砂まみれになった上着を脱ぎ、振っている。袖の隙間から乾いた砂がさらさらと零れ落ちた。 「転移門まで、歩いて行けない距離じゃないが…」 傍らにいる少女を無視して、まるで独り言のように少年は呟く。 「嵐が止むまで、ここにいた方が無難だな。夜は夜盗も出るし」 スラヴィエーラは頬を膨らませた。壁を離れ、彼の方へとにじり寄る。と、マイダードは素早く反対側の壁へと逃れた。 「待ってよ」 少女は、少年の腕を掴んだ。 「わたしは、ちゃんとお礼が言いたいだけなの。どうして、それくらい言わせてくれないの?」 あの後、スラヴィエーラは初めて自発的に辞書を引き、カディスの吐いた言葉の意味を理解した。 そして、彼があの少年に対して暴力を振るった意味も、何となくではあるが、理解した。 ずっと、疑問だったのだ。マイダードは理由もなしに他人に拳をあげるような少年ではない。彼が教えてくれなかったことが辞書を引くことによって、解けた。 「わたし、今まで…色々なことを、損していたのかも知れない」 大人たちが、勉強しろ、と口を酸っぱくして言っていたのは、こういう事だったのだ。 「物を知らないのは、わたしが恥をかくだけだから、他の人には関係ないと思ってた。でも、無知が人を傷つけることもあるのね」 マイダードは、珍種の生き物でも見るような目で、スラヴィエーラを見ていた。 彼は、その時まで知らなかったのだ。いや、知識としてはあったが、認めたくなかったのかも知れない。女は、男より早く成長する生き物だということを。 「わたしがもっとしっかりしてたら、マイダードを困らせずに済んだのにね。カディスにも悪いことしたわ。あとで謝っておかないと……」 「お前は、何か勘違いしてる」 少女の言葉を遮るように、マイダードは言った。 「あいつは、おれが貸した教本をくしゃくしゃにして寄越したんだ。それが気に入らなかったから、殴った」 ただ、それだけだ。 スラヴィエーラと目線を合わせずに、少年はそう言った。 「うそよ」 少女は苛立ち、マイダードの袖を掴んだ。 「だったらどうして、捕縛師長たちにそう説明しなかったの?あの時は、ただの口げんかだって言ってたじゃない。話が違うわ」 「うるさいな。済んだことなんだからもういいだろう」 マイダードは袖を振り払った。勢いで、スラヴィエーラは後ろに数歩よろける。彼は一瞬、心配そうに視線を遣ったが、少女が転ばないのを確認すると、すぐに横を向いた。 「なんで…」 スラヴィエーラは泣きたくなった。信じていたものを否定されてしまった時、人はこんな顔になるのだ。 あの人も、そうだった。何があってもスラヴィエーラの味方でいてくれると、約束したのに────彼女を拒み、離れてしまった。 「なんで…嘘を教えるの?」 「嘘じゃない。あいつを殴ったのは、お前とは全然、全く、これっぽっちも関係ないことで、だ」 スラヴィエーラの勘が告げていた。 彼は、これ以上何かを追求されることを恐れている。それが何なのか、隠されれば隠されるほど、無性に知りたくなる。知識欲、というのとは少し違う。 彼の想い、考えていること──より深く、知りたい。理解したい。スラヴィエーラがもう少し言葉に配慮していれば、以前の使い手を傷つける事はなかった、かも知れない。言葉は良く知って、選んで使うべきなのだ。あの時の失敗を、マイダードには繰り返したくなかった。 「あの人がいなくなってから、マイダード、変よ」 少年の腕をきつく握りながら、スラヴィエーラは言った。 「何だか、わたしのこと避けてない?言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいじゃない」 スラヴィエーラはこれから、破妖剣士の仲間に入っていかなければならないのに、マイダードには既に捕縛師の同僚が何人かいる。浮城に入ったばかりの頃とは違い、いつまでもスラヴィエーラ一人と仲良くする理由がない。 つきあう友人の層が変化するのは、思春期ならばよくある事だ。仕事が入ってきて忙しくなれば、こうして話す時間も減る。それが嬉しいなら、はっきりそう告げればいい。 「別に言いたいことなんてない」 頑なな少年に、ついにスラヴィエーラの堪忍袋の緒が切れた。 「じゃあ……じゃあ、いいわよ。マイダードなんかもう知らない!」 くるりと背中を向けた。 「おい、今出たら危な……!!」 焦ったような、少年の声が背後で聞こえる。 構わず、スラヴィエーラは洞窟から出た。瞬間、横殴りの風が彼女の華奢な身体を攫うように吹き付けてきた。 甲高い、悲鳴にも似た音を耳元で聞いた。それはスラヴィエーラ自身の声であったかも知れない。鼓膜がきぃんと苦痛を訴え、反射的に両耳を押さえる。開いた口にも砂が侵入し、呼吸困難に陥る。 風に突き飛ばされ、少女の身体は砂漠に転倒した。大人ならば、這って前に進めるだけの力があるが、スラヴィエーラのように体重の軽い者は、そのままいずこかへと運ばれてしまう。何か、捕まるものが欲しい。手をじたばたさせたが、触れるものは頼りない砂のみだった。 最初に見た時は、星ひとつない漆黒の夜空だった。 それが今や、黒と白の風景が混ざり合い、大地と空の区別がつかなくなっていた。自分の身体が回転しているのだ。どこまでも、どこまでも、転がって止まらない。 「スラヴィ!」 少年の声が遠くに聞こえる。離れたところに飛ばされたせいか、風の音が膜となっているのか。 砂を踏みしめて近づいてくる足音がする。捕まれ、と叫んでいる。 指を伸ばすと、すぐに掴まれた。引っ張られる…強い、力。夢中で、しがみついた。 耳を支配していた轟音が、不意に、ぷつりと途切れた。再び洞窟の中に戻されたのだと気づいた時には、マイダードの腕の中に収まっていた。 「手を焼かせるなよ…」 大きな溜め息とともに、ぐっと腕に力がこもった。引き寄せられ、目を丸くしているスラヴィエーラの顔は、そのまま彼の服に押し付けられた。 砂と埃の匂いがする。けれど、不快ではない。 温かかった。 その温もりを、もっと確かなものにしたくて、少女は腕を伸ばした。感謝の言葉を受け取らない彼には、こうするのが一番いいように思えた。 背中に、腕を回し、服ごと掴んだ。ざらざらして滑る。その奥にある彼の皮膚は硬く、自分のものとは全く違った。 マイダードの手が、遠慮がちに髪を撫でる。妖鬼を封じるための手が、時には人も殴ってしまうその手が、今は優しくスラヴィエーラの髪に触れている。 不思議な感覚だった。スラヴィエーラは目を閉じた。次第に早まっていく彼の鼓動も、耳に心地よい。 ───が。 しばらくして、彼はゆっくりとスラヴィエーラの身体を離した。 どこか、罰の悪そうな顔をしている。 「…悪い」 「え?」 「だって、お前、震えてるから」 スラヴィエーラはきょとんとした。 「何言ってるの。別にわたし、震えてなんか…」 いないわよ、と続けようとして、スラヴィエーラはようやく事態に気づいた。 確かに、先ほどから自分の身体は、細かく振動している。 カタカタカタ。 金属が擦れあうような音につられて、腰の辺りが小刻みに動いている。 カタカタカタ…… ───夢晶結の、鍔鳴りだ。スラヴィエーラを主と認めてくれた夢晶結は、あの日以来、常に彼女と共にある。 まるで仲の良い姉妹のように、寝食を共にし、出かける際には、しっかりと腰や背中に結わえ付けている。 なかなか言うことを聞いてくれない頑固な破妖刀だが、鞘から抜いてもいないのに、ここまで激しく『食欲』を訴えるのは、初めての事だった。 この近くに、魔性が、いる。それも、浮城の護り手たちにも劣らぬ実力の妖鬼が。 マイダードも異常に気づいたらしい。表情が変わった。 湿った音がする。洞窟の奥からだ。魔性は、暗く閉鎖された空間を好むという。だとしたらこの場所に、妖鬼がいてもおかしくはない。 「…まさか、でも」 半笑いのような顔で、スラヴィエーラは少年を見上げた。 「浮城の結界が、すぐそこなのに…まさか」 感じる気配は、一匹や二匹ではなかった。 浮城からさほど離れていないこの場所が妖鬼の巣窟だなどと、誰が信じるだろうか。 皮膚が擦れるような音と、荒い息遣いが、交互に聞こえてくる。 最初は一方向からだったのが、今では前後左右から聞こえる。反響しているわけではない。全て違う音だ。 「逃げなきゃ…」 獣の唸り声に似たそれは、やがてはっきりと人間の言葉を発した。 『ヒンヘンダ』 『ヒンゲンダ』 『イイニオイ』 スラヴィエーラは少年の袖を掴んだ。 「に、逃げましょう!早く…」 しかし、少年はかぶりを振った。 「無理だ。いま外に出たらどうなるか、判ってるだろう?」 「だって…それじゃあ、どうすれば!」 洞窟内が、急に暗くなった。出口を塞がれたのだ。 『ウマソウナニンゲンノ』 『コドモ』 足音は、二人の前で止まった。 「わたしたち、ひょっとして…」 スラヴィエーラの喉が、ごくり、と鳴った。 「食べられちゃう…わけ?」 風の音は、もう聞こえない。 ──後編へ続く── 戻る [*前] | [次#] ページ: |