書庫 嗤う砂塵6(カーガス×オリキャラ、バッドエンド)


 血の塊をひとつ吐いて、カーガスは覚醒を果たす。
 不意に、失われたはずの肉体的痛みが戻り、これは現なのだと自身に知らしめる。
 全身が心臓と化したように、激しく脈を打つ度に、朱が外へと流れ出て砂塵に吸い込まれていく。乾いた砂地は嬉しそうに真紅の体液を吸い込み、彼女の体をその場に縫い付けて放そうとはしなかった。
 指を動かすと、爪の間にざらついた砂が食い込んだ。視界を遮る茶色の髪の一房が、血に染まって赤毛に見える。
 彼女の声にならぬ声に、気付く者は誰一人としていない。彼女の意識がわずかに残っていることに気付く者も、ここには誰もいなかった。
「いない、の……?」
 唇を動かす気力も、もはや費えようとしていた。宙に差し伸べた手は何も掴むことがなく、結局力を失って下に落ちた。
「ねえ、お水を、ちょう、だい」
 口中に鉄っぽい味が満ちてくるのを感じながら、彼女はいまだ姿を見せぬ護り手に、しきりに喉の渇きを訴える。引き摺る足がひどく重く感じられた。
「そこに、いるんで、しょう…………………………志奇」
 遠くの方に、千切れた片腕が転がっていた。
 ああ、あれは自分の腕なのだ………………。
 彼女にはそれがわかっていた。肩から吹き飛んだ細身の腕の、その指にはしっかりと封魔具が嵌められていたからだ。幼い頃に壊した妹の人形と同じ運命を、いま彼女は辿ろうとしていた。
 指先に、くすぐったい感触が伝わる。
 カーガスは最後の力を振り絞り、顔を上げた。
「……………………し、き………………?」
 いつも志奇を乗せていた親指の上を、一匹の蟻が静かに、這っていくのが見えた。


                      ※


 浮城の殉職者はあまりに多い。
 ゆえに、カーガスの捕縛師としての能力も、また彼女の存在そのものも、希有なものではなく、数ある才能のうちの一つとして、新たに生まれる若い才能の下に埋もれ、月日の流れと共に風化し、忘れられていく。


                      ※


 カーガスの死から数日後、浮城内のとある場所で、志奇の処刑が行われた。
 立ち会ったのは、城長代理と、執行人。それにシバの恋人であったアイシャンだけだった。
 アイシャンは日頃の優雅さもかなぐり捨て、口汚く彼を罵倒した。
「裏切り者……人殺し!シバは、あんたのことをずっと心配してたって言うのに……!」
 城長代理が止めるのも聞かずに、彼女は志奇に掴みかかった。
「止めないでよ!この、寸詰まりの悪魔、握り潰してやるわ!」
 人の良さそうな執行人は、アイシャンを下がらせると、志奇に同情めいた視線を投げ掛ける。
「俺は君を助けてやれない……許してくれ」
 後ろ手にきつく縛されたまま、いいえ、と志奇は答えた。助けて欲しいなどとは思っていない。
 しかし相手は、この小柄な少年の体に刃を突き立てる瞬間を少しでも遅らせようと、意味のない話を続けている。
「君の主人の遺体は、故郷に届けさせた。彼女に瓜ふたつな……人形のように美しい妹さんが出迎えてくれてな。姉は誇り高い、立派な人でしたと……そう語っていたそうだ」

 カーガスの過去など、志奇にはどうでも良かった。
 彼に残されたのは、救いようのない現実。あの、気高く、傲慢で……とても寂しがり屋な女性は、もうこの世のどこにも存在しないのだという事実だった。
 だから、彼は遺言らしき言葉を残さなかった。
 催促され、震える手で刀を握る執行人に向かって、億劫そうにこう告げただけだった。
「……僕、痛いの嫌ですから。さっさと終わらせてください」

 志奇は破妖刀でふたつの心臓を刺し貫かれ、形残さず消滅した。











 それからしばしの時が経った。
 封魔庫の結界はより厳重になり、護り手たちもいっそうの警戒を強いられていた。 自らの誇りにかけて、二度目は許さぬと、結界の維持と強力化に日夜、力を注いでいた。

 けれどそれは、突然の闖入者によってあっけなく破られてしまう。
「ちょっと邪魔するぞ」
 深い、深い……あざやかな真紅の色彩が、その存在の力により、強固な結界を内側から染めかえ、当然のごとく自分の支配下に置きかえる。
 止める者など誰もいなかった。あまりにも圧倒的な力の前に、彼らは怯え、震え上がる。 逃げ出す者も、中にはいた。
 悠然とその部屋の中央に歩み寄る青年は、脆弱な存在には何の興味もないと言わん許りに、彼らを完全に無視しきった足取りで、触れることもなく障壁を破る。

 露出した封魔庫の、そのうちの一つを乱暴に蹴破ると、青年は楽しげにその内部を眺めた。
「ふうん……どうやら、おれのいない間、面白いことがあったようだな」
 この中で起きた異変を、青年は一目で見抜いていた。
 結界が、内側から破られた形跡がある。封じられた雑魚どもの中にも、多少は知恵の回る者がいたらしい。
 ひとつの封魔庫に納められる命数は、大したものではない。それでも、封じられたまま同胞に命を吸い尽くされ、慟哭する下級魔性たちの思念は、幾重にも連なって流れ込んでくる。
 朱金の鈴が、その片隅に安置されていた。数珠のように連なる美しい飾り物だ。
 封魔具であるその鈴の内部には、複数の命が宿っている。なぜかそれだけは、中に宿る命を食い荒らされた跡は全くなかった。
「ま、当然だな……他の連中と、一緒にされちゃ困るってもんだ」
 雑魚の力を持ってしては決して破ることのできぬ、強力な封印が、その鈴には施されている。
 青年と同じ色の瞳を片方だけ持つ、ラエスリールという少女による、強力な封印が。

 ……だが、その仕掛けを青年は解いた。
 拓榴の妖主の目的は、この中に宿る男の魂を解放することだったのだ。
「おい、起きろ」
 鈴の飾りを乱暴に掴み、揺さぶってみる。お世辞にも丁重とは言えぬ手つきだった。
 朱金の鈴がびくりと震えた……ように見えた。青年は人の悪い笑みを浮かべると、今度はえもいわれぬ優しい声で、中にいる存在に語り掛ける。
「お前にもう一度、機会を与えてやるよ……なあ、鎖縛」
 くつくつ、と青年が喉を鳴らす。
 固唾を飲み、その成り行きを見守る護り手たちがいた。




───おわり───




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