書庫 嗤う砂塵5(カーガス×オリキャラ、バッドエンド)


「だいたい、あれは以前から気に入らなかったのよ。城長に贔屓されて大きな顔しちゃってさ」
 カーガスの一行は、浮城を出るまでの間、ラエスリールの悪口で大いに盛り上がった。
 同行した他の捕縛師たちも、日頃から件の破妖剣士には快い感情を持っていない者ばかりであったから、自然と彼女の言葉に相槌を打つようになる。
「早く見つけて、捕まえるなり殺すなりしましょう。あの女は浮城の恥だわ」
 彼女の機嫌は非常に悪かった。なぜなら、友人の死に衝撃を受けた護り手が、今回の仕事に同行することを拒んだからである。
 日頃からとても従順な彼だけに、拒まれた時の衝撃は大きかったのだ。もちろん、落ち着いたらすぐに合流してくれることは判っていたし、カーガスとて、そんな彼の繊細な心を責めるほど冷徹ではなかった。
 だから、そのやり場の無い怒りの矛先は自然と、ラエスリールへと向かう。あの女が何もかも悪いのだと思うことにして、カーガスは心の平衡を保とうとしていた。
 だが一人、異論を唱える者が居た。ウルガという新入りの破妖剣士だ。
「ラエスリール殿とは、二、三、言葉を交わした程度だが……」
 褐色の肌をした美女は、カーガスを真っ直ぐに見据えると落ち着いた口調で言った。
「皆が言うような人物には思えない。ここにいない人間を悪く言うのはどうかと思うが……」
 話に水を差されたカーガスは、相手をじろりと睨み付ける。
「じゃあ、どうしてあんたは追っ手に志願したわけ。あの裏切り者の女を捕まえるためでしょう?」 
ウルガはそれには答えず、黙って剣を磨いている。無論、この時のウルガには脱走者を捕まえる気など毛頭なく、別の目的があったのだが……カーガスにそれがわかるはずも無い。
 いけすかない女だわ、とカーガスは思った。それにどこかラエスリールを思い出させる。無欲なふりをして、最後には美味しいところだけさらっていってしまう……そんなところが非常によく似てはいまいか。



                      ※


 転移門を出た途端に、凄まじい妖気に襲われ、一行は立ち尽くした。
「こんな……転移門のそばに?」
 仲間の一人が呟く。カーガスも、少しばかりの緊張を強いられていた。       特殊な磁場に包まれている浮城は、魔性の干渉を妨げる造りになっている。結界の内と外をつなぐ唯一の手段である門を使って、いざ外に出た刹那のことだった。
 仲間達の間にざわめきが広がる。間近に敵が……それも、かなり上級の魔性がいることを、気配で感じる。
 怯える皆をよそに、逸早く駆け出したのはウルガだった。護り手が止めるのも聞かずに、彼女は破妖刀を手にし、刀身を引き抜く。
 抜け駆けをする気なのだ、とカーガスは思った。仲間と共に慌ててその後を追った。
「ちょっとあんた、勝手な行動は……!」
 呼び掛けたカーガスは、その先に待っていた光景に息を飲む。
 ウルガが、ラエスリールと瓜二つの女と対峙しているのが見えたからだ。
 どこまでも、本人に酷似しているその容姿は、しかし明らかに魔性としての残酷さを秘めて、またそれは、彼女の良く知っているラエスリールとは、左右の形が見事に対称であった。
 色違いの、共に力に溢れた双眸と、何より、その圧倒的な……美。一人戦うウルガの側に、敵か味方かも判らぬ魔性の青年が浮かんでいるのを認めたカーガスは、その美しさにもまた驚愕し、しばし言葉も出なかった。
 戦いは既に始まっていた。
 斬りかかるウルガを、女はかわす。大地に亀裂が走り、それは呆然とするカーガス達の足下をふらつかせた。女が攻撃を仕掛けるが、見えない力がウルガを守る。そして再び態勢を立て直し、憶することなく斬りかかる。 上級魔性と対等に闘える人間が存在することが、カーガスには信じられなかった。



「化け物だ……」
 彼女の背後で、仲間の男が呟く。
 確かにウルガは化け物だった。これほどまでに強大な妖気の持ち主達を、カーガスは知らない。自分が今すべきことも忘れて、その戦いの行方を見守るほかなかった。
「侮るべきではなさそうだな」
 美女が呟く……ウルガに対してのみ、言葉を向ける。
 背後にいる者のことなど、この魔性の女にはまるで眼中にないようだった。

そのことに気付いたカーガスは、ぎゅっと拳を握って見せる。
 今まで築き上げてきた誇りが、このままでは台無しだった。志奇がいなくとも、自分一人で何とかして見せると、捕縛長に豪語してきたばかりだというのに。
 彼女は静かに足を前へ踏み出した。
 健闘したウルガに何かを言い残し、姿を消そうとする女に、勢い良く怒鳴りつける。


「待ちなさい!」


 ぴくり、と女の眉が動き、カーガスの姿を視界に納める。
「やめろ!」
 誰かが叫んだ気がした。しかし、制止の声などカーガスの耳には入らない。
 度胸だけなら、誰にも負けてはいなかった。敵に悟られないよう、静かに捕縛の準備にかかりながら、彼女は女を睨み据える。
「ふん?」
 ラエスリールの顔をした女が、意地の悪そうな目を向ける。
「身の程をわきまえない愚か者は、どこにでもいるというわけだ」
「なんですって!?」
 カーガスは激昂する。護り手のいないことを気付かれたのだろうか……いいや。
 憶する心を押さえ付け、彼女は指輪に触れる。
 彼に頼らずとも、一人でやっていける。志奇が望んでいるのはそういう女なのだ。だから、自分は強くならねばならない。弱音を吐いてはならない。
 そうでなければ、嫌われてしまう…………!
「人は図星をさされた時ほど、よく怒るものだとか。わかっているなら隠れていればよいものを…………わかっていないのならば、一度思い知るのもいい経験だろう」
 優位を確信した、傲慢な笑みが、カーガスの上に降り注ぐ。
「揺鈴」
 女が囁き、一体の魔性を呼び出した。
 それは、見たこともない化け物だった。漆黒の剛毛、鋭い嘴、四肢は堅そうな鱗に包まれ、明らかに人間の姿とはかけ離れている。
 それを小鬼であると彼女は認識した。この程度なら封じることは簡単である……そう思った。
「小鬼ですって!?大きな口を叩くから、なにを呼び出したかと思えば」
 高らかに笑いながら、勝利を確信した彼女は、腕を上げ、次の瞬間、奇妙な事に気付いた。
 普段ならすぐに見える魔性の心臓の位置が、この日に限って全く掴めないのだ。焦る心を奮い立たせ、彼女は必死に強がりを吐いた。
「なりは大きいようだけど、しょせん、この程度の魔性なら、足止めにすら」
 彼女の言葉は、最後まで続かなかった。
 相手の嘴から放たれた牙の破片が、カーガスの全身を一瞬にして貫き、引き裂いて、朱に染めた。


                      ※



 主の異変を察知して、志奇はびくりと体を震わせる。
 脳裏に浮かんだのは、卑しい輩の手に掛かり、全身から真っ赤な血を噴き出して、力なく砂地に倒れ伏す女性の姿だった。
「あ……」
 強烈な喪失感が、彼を襲う。さらさらと、指の間をこぼれ落ちる砂塵のように、内側にあった強固な信念が、次第に崩れていく。
 それは彼の力の核とも呼ぶべきものだった。主を守るのだという固い意思が、今、彼の知らない何者かの手によって壊されたのだった。
『愚かなもんだ……自分の作戦に、まんまと嵌まっちまうなんてな』
 嗤う、妖鬼。
『あの時、側を離れたりしなければ……こいつは駄目でも、あの女だけはあんたの力で助けられただろうに。これであっちもこっちも、両方失っちまったな……はははは』
「……だまれ」
 この時の彼の頭の中には、シバや夢依のことは全くなかった。
 行き場のない怒りと悲しみ、自らのふがいなさ……それら全てを、魔力に還元する。
「黙れ、貴様……っ!」
 理性も、調整も、枷も、何も彼もが砕け散った。
 遠慮のかけらもなく、志奇は力の限りを叩き付けていた。


                      ※


「カーガス!」
「何てことだ!」
 仲間たちの悲鳴が聞こえる。
「思い知る暇もなかったようだな」
 ラエスリールに瓜二つの顔をした魔女が……あきれたように、そうつぶやくのも……ああ、確かに聞こえる。
 それはあまりに一瞬のことで、痛みすら感じられなかった。ゆっくりと地に顔を伏せながら、薄れていく意識の狭間で、カーガスは幼い少女の声を聞いた。
『女は悲しい時でも嗤うのね』
 嗤う……。
 カーガスが漏らした音は、声にはならなかった。
 知らないわ。
 少なくとも私は嗤ってなどいないわ。
「嘘つき」
 そんな言葉とともに、輪郭を現したのは黒髪の幼女……いや、妖女か。       
 ……おそらくは現在浮城に在籍する魔性の誰よりも、美しい容姿の、だがし年端も行かぬ少女。
 いや……違う。
 女では……ない。
 どこかで会った……?
 そんな疑問を払拭するように、重い闇が瞼を押さえ付けてくる。
 閉じようとする動きと、開こうとするそれとが相反し、眼筋が痙攣を繰り返す。
『ふん。ラスの行方に通じる手掛かりでもあるかと思って、来てみれば……』
 独り言のようにつぶやくと、彼女に歩み寄ってくる。
『あなた、哀れね』
 小さな腕に一羽の鷺を抱えたまま、幼女は冷たい瞳で見据えている。
『大切なものから目を背けているから、そうなるのよ』
 幼女はそして、当然の権利のようにカーガスの胴体を蹴りつける……だが、既に肉体的な感覚の麻痺した彼女には、夢の中の出来事のようにしか思えず……。
 普段の彼女であれば考えられないことだが、その行為を甘んじて受けた。
 そうだ、これは罰なのだと、受け入れた。
『大切なものに、意地を張って何になるの。そこまでして自分の誇りを守りたかったの、あなたは……哀れね』
 けなされていることはわかった。だが、不思議と怒りは沸いてこない。変わって沸き上がってきたのは得体のしれない笑みだった。
『……あたしは、あなたみたいなのが大嫌い』
 邪魔だから消えちゃってよ。
 そう、言外に告げて。幼女はふい、と背を向ける。
『いこう、ヨル。ここにもラスはいない』
 黒い軌跡が、幼女の後ろ姿を追っていく。どんどん小さくなる。
 待って。
 あなたは。
 誰なの……?


                   ※



 空気を裂くような悲鳴と共に、シバの体は壁に背を打ち付ける形で倒れこんだ。
 肩から腕にかけて、襷を掛けたように斜めに走ったのは火傷の跡……傷口は幾つもの水泡を作り、生臭い匂いが部屋中に充満しはじめる。
「志奇…………」
 魂だけでなく、肉体そのものにも損傷を与えられた青年の意識が、再び浮上してくる。
「辛い役目を引き受けさせて、済まなかったね……もう、これで最後だよ」
 何ごとにも真剣になるという事を知らなかった彼の顔は、不思議な安らぎに満ちている。
「俺はこの瞬間の為に……死ぬ為に、生きていたのかも知れないな。命を懸けてもいいと思える事なんて、これまで一つもなかったよ。希有な力に恵まれていると知った時も、何の感慨も沸かなかった。女性に愛を告白された時も、何の感動も覚えなかった。人に背中を向けられた時も、まあこんなものかと思っていた。女の体が欲しいと思う事はあっても、心までは欲しいとは思わなかった……」
 切れ切れの言葉に、彼の真実が垣間見える。
「シバ……でも、夢依のことは好きだっただろ?」
 穏やかに問い掛ける志奇の表情は、とても優しかった。それにシバは安心したのか、ゆっくりと頷いて見せる。
「ああ……好きだったよ……」
「嘘だな」
 声の上から志奇は否定する。
「無理はしなくていいよ。シバは本気で女を好きになったりしない。そしてそのことを僕は責めたりしない……だって、シバは昔の僕によく似てるから」
 青年の瞳が、潤んだものに変わっている。そうだな……と呟きながら、シバは大きく息を吐いた。
「君が俺に惹かれたのも、そのせいなんだろう。確かに俺たちはよく似ていた……でも、君にはもう大切な人がいる……」
 カーガスの身に起こった事態に、シバは気付いていないのだ。切ない思いに襲われながら、志奇はこくりと頷いた。
「さようなら、志奇。輪廻が叶うのならその時はきっと………………」
 最期の別れの言葉だった。
 人を愛することのなかった、悲しい男の魂は、肉体を離れ、黄泉路へと旅立つ。
 少年の見守る前で、ゆっくりと瞼が閉じ、そしてそれは二度と開かれることはなかった。

「どうしてだ」
 苦い思いが胸を占め、彼は問う。今度は妖鬼に向けた言葉だ。
「そこまでの力があったのなら、さっさと逃げてりゃいいものを……」
 憎むべき相手とはいえ、既に消滅を待つだけの者に、敢えて攻撃を重ねようとは思わなかった。その冷静さ、したたかさこそが彼の長所であり、同時に短所でもある。
「一つだけ、わかったことがある…………お前が苦しめたかったのはカーガスじゃなくて、むしろ僕の方だったみたいだな。以前の僕を知っていたのか。お前は誰なんだ」
『名乗るほどのもんじゃない。あんたが人間なんぞに膝を折る前までは、あんたを尊敬し、遠くから見ていた……ただの下級妖鬼さ』
 宿っていた肉体の意識は、既に尽きていた。魂そのものに衝撃を与えられ、消滅を迎える妖鬼の声はどこか満足げだった。
『頭の回る人だと思ってたが。たかが、人間の女一人のために状況を見誤るなんてな……お笑い種だ。最後に……面白いもんが、見れたよ』
 そして……消え失せる。
 何も彼もが終わったのだと、その瞬間に彼は悟った。



「そう、だな……」
 志奇は、木の葉よりも小さな自らの両手を広げ、見つめたまま、ぼんやりとつぶやく。
「どうやら……僕の負けみたいだ……」
 騒ぎに気付いた人間達が乱暴に扉を開け、一人、二人と集まってくる。
 部屋に入った彼等がまず目にしたものは、明らかに深手を負っている魅縛師と、宙で攻撃の姿勢を保ったまま、その視線の先を彼に向けている、豆粒のように小さな少年の姿だった。
「志奇!」
 顔見知りの男が彼の名を叫ぶ。
「何をする……血迷ったか!」
 模範的護り手として知れた志奇ではあったが、ここ数ケ月の間、浮城の内部では組織の中枢に関わる人物の裏切り、逃走などが相次いでおり、そのため上層部は常日頃から生活態度の良好な者の監視も決して怠ることがなく……無論、護り手もその例外ではなかった。
 今や、志奇を見つめる彼らの目は、動揺と不審に染まっていた。無理もない。床の上で、永遠に動くことのない体を横たえているのは、彼等の同胞たる男であり、その傷口は細い煙を上げて、炎が消えた今も皮膚を舐めるように焦がし続けていたのだ。
 護り手である彼が、浮城の人間に危害を加えることなど、あってはならないはずだった。志奇を捕まえようと、幾つも伸ばされるその手をかいくぐりながら、彼は力のこもらぬ弁明を続ける。
「落ち着いて下さい。これはシバの意思でしたことです」
 信じてもらえるはずもなかった。彼は溜め息をつくと、こっちへおいでと誘うように、開け放たれた部屋を出て行く。その後を数人の人間が追いかけていった。  廊下を抜け、辿り着いたのは封魔庫のある部屋の前だった。結界を解き、その姿を露にした封魔庫の内部には、既に魔性の命のひとかけらも宿ってはいない。
 彼を追いかけてきた捕縛師長に、志奇は静かに声を掛けた。
「鍵を開けて下さい。この中に答えがあります」
 怪訝な顔をしながらも、捕縛師長は封魔庫を開放する。
 中には確かに、夥しい数の封魔具が安置されていた……ただし、未使用の状態で。
「そんな……馬鹿な……!」
 どれもこれも、封印前のまっさらな状態であった。あの妖鬼が封印をすべて解き、中に宿る魂を根こそぎ食いあさってしまったからだ。
 封印の綻びも、経験を積んだ捕縛師長なら見えているはずだった。愕然とする彼らを哀れむような目付きで見下ろしながら、志奇は言葉を続ける。
「逃げ出した妖鬼が、シバの体内に侵入したんです。彼の護り手だった夢依も、その妖鬼に殺されました。魔性の排除の為にはやむを得ないと思った為、彼に攻撃を加えた次第です」
 言いながらも、彼の心には空しい思いが満ちていた。親しい人が皆死んでしまって、何故自分だけが生き延び、こうして分からず屋どもに釈明など続けているのだろう。
「お前が……何を言っているのか、わからんな」
 捕縛師長が、暗い表情で志奇を見上げた。おや、という思いが志奇の中に芽生える。そして、次の瞬間傍らにいた上層部の男が突然、志奇に向かって力を放つ。
 ひらりとそれをかわしたと思えば、反対側から別の種類の力が襲いかかってくる。有無をいわさず彼らはひたすら、志奇を捕らえようとしていた。
「捕まえろ……彼は裏切り者だ!」
 その言葉に、志奇はくすり、と笑う。予想はしていたことだった。
「やっぱり……そう、くるか……」
 封魔庫が破られた驚愕の事実を明るみにすれば、組織全体の信用が大きく揺らぐ。
 問題の妖鬼が消滅した今、このことを他者に漏らす必要性は皆無で、住人の不安をいたずらに煽るだけだ。
 ならば、この事実に蓋をし、志奇の存在ごと抹消するのが、上層部としては賢いやり方なのだ。
「汚いなあ、人間は……これじゃあシバも浮かばれないって」
 封魔庫の番人を務めていた護り手たちは、自分達の落ち度を追及されることを恐れていた。志奇に全ての罪を被せて逃れようと、一斉に彼に攻撃を加え始める。
 自らの保身のみを考える軟弱な精神は、元来魔性の持つ性癖ではなく、むしろ人間に近い。人を守る為に飼い慣らされた魔性は、次第に人間と同じ思考を持つようになるのかも知れない。
「ごめんなさい、志奇くん」
 そう言って彼の背後に回ったのは、カーガスと親しくしていた女性の、護り手だ。
「本当は、優しい貴方にこんなことはしたくないの。でも……貴方も悪いのよ。私たちに相談もなく、あの妖鬼を始末しちゃったりするから……みんなで協力して捕まえて、気付かれないうちにもう一度封印し直せば、すべて丸く収まることだったのに」
 あくまでも自分の都合しか考えぬ台詞であった。志奇が何か言うよりも先に、彼女は一方的に魔力を叩き付けてくる。彼女の心の声が、志奇にははっきりと聞こえた。
 私たちのために、犠牲になってちょうだい―――。
 四方から振ってくる攻撃の一つが、彼の足に当たる。彼の力では、逃げおおせることは不可能だと知っていた。また逃げるつもりも彼には無かった。ただ、目先のことしか考えない連中に、今の志奇が言えることが一つだけあった。
「……浮城は、いつか滅びるよ」
 不吉な言葉に、住人たちは息を飲む。構わずに彼は言葉を続けた。
「こんなやり方をしていたら、組織は続かない。近いうちに浮城は必ず墜ちるよ」
 予言めいた彼の言に、人間達は戸惑い、それを怒りに変える。
「こいつ……何と不吉なことを……!」
「これまでの恩も忘れて!」
 彼らから恩を受けた覚えなど、志奇にはない。カーガスやシバや夢依……人間や魔性という種族の壁を越えて大切に思う存在がいたからこそ、自分はここでやって来れたのだ。それが判らない連中は、もはや人でも魔でも無い、ただの屑だ。
 ……そして、そんな屑に限って長生きするのだ、と彼は自嘲気味に笑う。


「志奇」
 このままでは埒があかない、と思ったものだろう。
 捕縛師長が、沈痛な面持ちで彼に近づく。
 彼の好きな飴玉を、カーガスに内緒で幾度となく与えてくれた、初老の男の顔は、普段よりも数倍やつれて見えた。
「全てが判っていながら、何故カーガスの側を離れた?」
 それは、今の彼には最も効果的な一言だった。
 その言葉に凍りつき、隙が出来た志奇の体を、目に見えない力が固く縛り付ける。
「つい先程、連絡が入った……転移門の側で、カーガスが殉死したと。破妖剣士のウルガも、同じく殉死したらしい。お前のことだ、もう知っているのだろう……?」
 彼を責めるどころか、むしろ宥めるような言葉だった。
 誰もが一瞬言葉を失い、その場は水を打ったように静まり返った。
 志奇の体から次第に抵抗する力が抜けていき、やがてがっくりと頭を垂れる。その瞳に涙が浮かんでいたように見えたのは、その場に居合わせた者の錯覚だったのだろうか。
 覇気を失った彼を、護り手たちがこぞって捕まえ、その体躯を強制的に固定した。
「例の部屋に連行しろ」と捕縛師長が命じる。





捕縛師カーガスの護り手『志奇』の罪状―――。
極めて私的な口論の末、魅縛師シバを殺害す。
浮城の調書には、そう記録された。



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