書庫 痛みの矢(サティン←鎖縛)


※架因を引きずっているサティンと鎖縛の話




どう耐えろというのだろう。
彼が何食わぬ顔で話しかけてくるたびに、体中の血液が沸騰しそうになるのを。
架因を羽虫と言い切った口でこの唇に触れ、かけがえのない護り手の命を奪った。
サティンが必要としているのは強力な力を持つ護り手であって、彼自身ではない。
それでも選んだのは、相手を苦しめそして償わせるためではなかったのか。
だがこのまま彼を傍におくことは、架因に対する裏切りに等しいのだと最近になって気付いた。
濁った悲しみが胸の奥に沈殿していく。いっそ激しい憎悪に身を任せてしまえたら、どんなにか楽になれるだろう。
今なら判る。人を傷つけることで、彼は自分の存在価値を確認していたのだ。
紛い物としてではない、本物の自分を見て欲しいから。わざと大きな物音を立てて、他人の目を自分の方に向けさせる。
構って欲しいのだろう、要するに。
だから彼女がどれだけ言葉を尽くして罵っても、それは逆効果に過ぎない。
魔性は人間の慟哭こそを糧とするのだ。罵倒は癒しにしかならず、悪意は心地よい刺激にしかならない。
ならば、自分に残された手段は笑うことしかない。
行き場のない憎しみで心が張り裂けそうになったとしても、ただ、笑うのだ。



「あら、綺麗なお花ねえ」
花束を抱えて廊下を歩いていくサティンに、同僚のカガーシャが声を掛けた。
彼女は足を止め、笑顔を見せる。
「ええ、今朝届いたばかりなの。今からあの子の所に持っていくわ」
カガーシャが僅かに表情を曇らせた。
「……そう。精が出るわね」
彼女が何を言いたいのかはよく判る。
仲間たちからも散々言われた、もう忘れろと。架因は幸せだった、主人を護って死ねたのだから。
今は新しい護り手がいるのだし、いつまでも昔の事を引きずっていても仕方ないだろう、と。
新しい護り手との関係を邪推する連中もいた。
魅縛師が捕まえたわけでもない護り手を連れてきた事で、上層部から叱責も受けた。
けれどサティンはそれすらも笑顔でかわした。架因を失った時の悲しみに比べたら、こんな事は何でもなかった。
「じゃあね」
ひらひらと手を振ると、彼女は中庭へ向かった。


日光を遮る天井がなくなり、日差しが目に眩しい。
果樹園の片隅に、雑草の類を除去した一空間がある。サティンが定期的に手入れしているのだ。
土が盛られ、手前に平たい小石が三つほど積んである。
以前に供えた薄桃色の花が一輪、そのままの姿で土のてっぺんに差してある。
これでも墓標のつもりだ。
サティンは花束を土の上に静かに置いた。
「おはよう、架因」
当然ながら、そこに彼女は埋まっていない。魔性はこの世に生きた証を残さない。
命が費えた瞬間にその体は砂塵と化し、骨も毛髪も崩れ消え去る。不便なのか便利なのか。
「私はどうにか元気よ。あなたも天国でうまくやってる?……あ、魔性だから地獄か。ふふふ」
気休めに過ぎないのだと判っている。
護り手が命を落とすことなど珍しくないし、その度に墓など作っていたら土地がいくつあっても足りない。
これは、サティンのわがままなのだ。架因には、主人らしいことを何もしてやれなかった。
せめてサティンが死ぬまでの間、この墓を置いてもらえるように城長に頼み込んだ。
例え一時でも、架因が浮城に生きていた証を残したかった。
「私ね、新しい護り手が出来たのよ。あなたは驚くでしょうけど……」

背後に気配を感じて、サティンはくすりと笑った。
「なあに、鎖縛。あなたもお墓参り?」
背後には漆黒の青年がいた。
架因を殺めた張本人であり、サティンの葛藤の原因である護り手の青年は、ごくつまらなさそうな顔で彼女を見ている。
「嫌味か、それは?」
サティンは笑顔のまま振り返った。
「別に。そうだ、せっかくだからあなたもお供えしたら?架因、きっと喜ぶわよ」
束の中から一輪だけ抜き取り、鎖縛に渡す。
青年は面食らったような顔で、茎のついた紅い花とサティンの顔とを見比べた。
「……本気で言ってるのか」
サティンは微笑む。
「あら、私はいつだって本気よ」
鎖縛は仮初めの墓を一瞥した。
「おれが本気でこいつを哀れんでいるとでも、思ってるのか?」
架因をどのようにいたぶり、どのように殺したのか、青年は語ることをしない。
サティンも聞きたいとは思わなかった。聞いた後と聞く前で、彼に対する感情にさほど変化が生じるとは思えなかったからだ。
目の前にいるのは架因の仇で、自分の護り手。
それ以外の事実などサティンには何ら意味を持たない。
青年は指先で花を弄んだ。
「所詮は気休めだろう」
苦々しいものが、口調に滲みでている。
彼は、サティンが時々ここに花を供えに来ている事を、知ってはいるようだった。
気付いていながら気付かぬ振りをしていた。
「ええ。架因も、あなたに弔って欲しくはないでしょうし」
いつかは彼女が諦めるのを待っていたのかも知れない。
サティンが彼の罪を許して、つまらぬ気安めを中断してくれるのを、彼は望んでいたのかも知れない。
鎖縛は膝を折って、墓前に花を添えた。それは彼にとってひどく苦痛を伴う作業であるようだった。
サティンはその横顔を凝視していた。
この視線を矢に換えて、彼を貫くことが出来たら良いのに。視線で、言葉で、どれだけ矢を放っても彼には届かない。
痛むのは、サティンの心だけだった。
嫌っている相手の守護を受けなければならない苦痛。今の彼女はその立場に甘んじている事しか出来なかった。
「架因、そこから見守っていてね?この人が私に変なことをしないように」
冗談めかした口調で言ってみる。
「誰がするか」
鎖縛は眉を寄せて呟いた。



墓参りが終わると、二人は中庭を出、並んで歩きだした。むっつりと黙り込んでいる青年にサティンは話しかけた。
「ねえ、あなたは何か苦手なものってあるの?闇主以外に」
最後の一言は余計だ、というような顔で彼はサティンを睨んだ。
「何だってそんなことを聞く?」
サティンは真顔で言った。
「あら、だって。あなたがちっとも傷ついてくれないのは、私の言葉が的確に急所をついていないからでしょう?」
鎖縛は怪訝な顔をした。
「何を言って……」
足を止める彼の鼻先に、指をつきつけた。
「だから。弱点を教えてちょうだいな。そうしたら私は、そこを集中攻撃すればいいんだものね」
言いたいことを抱えているのはサティンの性に合わない。もっと積極的に復讐に出るべきなのだ。
「……お前、な……」
鎖縛は呆れたようだった。
それから、サティンの護り手になってからもう何十回と聞いた深いため息を披露してみせる。
「敢えて言うならお前が弱点だ。……これで満足か?じゃあな」
言い捨てて、姿を消してしまう。
サティンはむっとした。天井に向かって、声を投げた。
「ちょっと、それは困るわ。それじゃ私は、私を攻撃しなくちゃいけないじゃないの」
答える声はない。サティンは天井を睨んだ。
憎むことに慣れていないから、時々、気持ちの置き場所に困る。
本当は、彼をどうしたいのだろう。架因がもし生きていたら、何らかの答えを導き出してくれるだろうか。
「負けないわ……」
ぐっ、と拳を握り、サティンは歩き始めた。


今は苦痛でしかないけれど、いつか完全に彼を支配してみせる。彼を傷つけるのも滅ぼすのも、自分次第になるまで。
胸の奥に刺さったまま抜けない、痛みの矢。
いつか彼にも刺してみせる。その時こそサティンは、本当の意味で強くなれる気がするのだ。





──おわり──


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