書庫 魅縛の糸(邪羅×リーヴシェラン)


ぽろん……ぽろん……。

夜の静寂に包まれた室内に、琴の音が響く。
この日、リーヴシェランは一人だった。傍らにいつもいる彩糸の姿はない。
自分が、遠ざけたのだ。
きり、と唇を噛みながら、彼女は先日の事を思い出していた。
彩糸と喧嘩して───と言ってもリーヴシェランが一方的に怒り、彩糸がそれをなだめるといういつものパターンに過ぎなかったのだが───ひとりになった今、落ち着いて奏でてみても、 やはり違う。
以前とは明らかに音色が違うのだ。
「彩糸、どうしよう」
リーヴシェランは不安になった。
思い通りに弾けないことなど今までなかった。指先から、想像していたのとは全く違う音が零れてくる。
それでいて心地よい音色だった。そう、彼女の魅縛の能力は確実に向上していた。
だが、教練を怠けまくり、依頼を断りまくり、自室に籠もってラエスリールの安否を気遣う日々ばかりを過ごしているリーヴシェランには、その理由が全く判らなかった。
「恐いわ。今までのあたしじゃないみたい。こんな音、今まで出したこと無かったのに」
「大丈夫ですよ、リーヴィ。あなたの不安や苛立ちが音色に影響を与えているだけです」
虹色の髪の護り手は常と変わらぬ穏やかな微笑をたたえていた。
それでも彼女は安心出来なかった。
「彩糸、あなた何か知ってるんでしょう?」
答えなど期待していなかったのに、彩糸は何故か顔を強ばらせた。
「い、いいえ。わたしはなにも」
何かある、と思い問い詰めると、彼女は重い口を開いて意外な人物の名を告げた。
「邪羅に……逢ったの?」
紫紺の一件以来、再び姿をくらましてしまったあの青年が、先日彩糸の前に現われたのだという。
「どうして黙ってたの、そんな大事なこと」
動揺するリーヴシェランを落ち着かせるように、彩糸は肩に手を置いてきた。
「何を話したの?ひょっとしてあの時の事がきっかけで、あたしの体に何か」
「リーヴィ、落ち着いて。わたしからは詳しくお教えすることは出来ません」
「どうしてっ!」
「まだ、時期ではないのです。件の姫君が行方知れずとなってから、優しいあなたがそのことでずっと心を痛め続けていることは知っていますよ。けれど今のあなたに真実を告げても、いた ずらに混乱させるだけ……」
リーヴシェランには彩糸の気持ちが痛いほどよくわかっていた。
だからこそ、歯痒く思えるのだ。
以前の……ラエスリールと親しくなる以前の彼女であれば、こんな焦りは覚えたりしなかった。
あの頃のリーヴシェランは彩糸の想いも、己の魅縛師としての義務もなに一つわきまえていなかったのだ。
それがふとした切っ掛けでラエスリールの真実の姿に触れ、彼女は正直打ちのめされた。
戦いの中で血を流し続け、それでも止まることを知らないあの無垢な魂に触れた瞬間、自分の中で何かが崩れていく音がした。
強くなりたい、力が欲しい。
だから、もう守られているだけの子供ではいたくないのだ。
「混乱したっていい。教えて彩糸!」
何故、自分だけが蚊帳の外なのか。焦りのままに問い掛けるが、彩糸は、首を横に振るだけだった。
そしてとうとう癇癪玉を破裂させたリーヴシェランが、彼女を追い払った、というわけなのである。


「彩糸のばか……」
見守る者もいず、独りで奏でる琴の音は悲しい。寂しい。
こんなことを考えてしまうのはやはり、体の成熟に心が追い付いていないからだろうか。
実際、独りは辛い。
孤独だった幼い頃を思い出してしまう……。
すん、と鼻を鳴らした彼女の耳に、聞き慣れた声が聞こえてきたのはその時だった。
「なーに一人で感傷にひたってるんだかなあ?」

音色が止んだ。
部屋の中に突如現われた青年に驚いたリーヴシェランが、琴を弾く手を止めたのだった。
そんなはずは……ない。
けれど目の前で呆れたように自分を見つめている美貌の青年は、確かに別れた時そのままの姿で佇んでいたのだ……それも、彼女の寝台の上に。
「じ……邪羅っ!あんたねえっ!」
耳まで赤くなるリーヴシェランである。
琴を放り出し、ずかずかと邪羅に歩み寄るが、あまり効果はないようだ。
美貌の青年は悠然と腕を組みながら、人をからかうような笑みを浮かべている。
「どこ座ってるのよっ、信じられないっ!だいたい乙女の部屋に勝手に上がり込むの、これで何回目っ!?」
再会の挨拶も忘れて一方的に怒鳴りつける美少女に対し、邪羅は目を細めて言った。
「相変わらずだなあ、お前……」
ずきり、と胸が痛んだ。邪羅の言葉を、「進歩がない」という意味に解釈したのだ。
「な……何よ……」
俯く彼女の頭に、邪羅がそっと手を置いた。びく、とリーヴシェランの肩が震える。
「苛々すんのも判るけど、あんまり彩糸に八つ当りすんなよな。姉ちゃんたちが見つからないのは、おれの力不足のせいなんだから」
自分を未熟と言い切れる邪羅の強さが、リーヴシェランは憎たらしかった。
「何よ……偉そうに。こんなことしてる暇があったら早くラス探しに行きなさいよ…彩糸とはちょくちょく会ってるくせに。どうせ、二人であたしの悪口でも言ってたんでしょっ!」
邪羅は大きく溜め息をついた。
「あのなあ。それ、彩糸が聞いたら泣くぜ?例の魅縛師蒸発事件の時、あのバカ親父に膝を折ってまでお前を守ろうとしたのは誰だった?」
彼の言いたいことはよく判っていた。
思い出すたびに胸が痛くなる…あの事件。同胞たちの悲惨な最期。彩糸と邪羅が紫紺の妖主にうまくかけあってくれたからこそ、あの絶望的な状況から逃れることができた。
身を挺して自分を守ろうとしてくれた彩糸には、いくら感謝しても足りないくらいだ。

「判ってるわ……でも」
「へ?」
「彩糸にはちゃんとお礼を言ったわ!それに、何も言わなくてもあたしと彩糸の心はつながってるのっ!でも、あんたは…あの後お礼を言う間もなく姿消しちゃって……ベ、別に心配なんて全 然してなかったけどっ!そりゃあ、あんたはいいわよっ!ここに来ようと思えばいつだって来れるし……でも、あたしはただ待ってるだけで何も力になれ、なくて……」
悔しくて、情けなくて…責められるべきなのはリーヴシェランだった。
なのに、二人は一言も彼女を咎めない。
大丈夫だからと、心配するなと、同じことを何度も言うのだ。リーヴシェランを安心させるために。

「なんだ、おれも同じこと考えてた……」
邪羅の声が笑いを含んで返ってくる。
顔を上げると、目眩を起こしそうなほどに秀麗な青年の笑みがそこにあった。
「邪羅?」と問い掛けると、青年はもう片方の手でこりこりと額を掻いた。
「言っとくけどなあ、度重なる不祥事に上手く対応できなくて、自信喪失してんのはお前だけじゃないんだぜ?おれだってせめてお前が望んでるような朗報の一つや二つ手にしてからここ へ来たかったさ。だけどそんなことも言ってられなくなったからな。お前、さあ……」
そこで邪羅は声を潜め、真剣な眼差しで覗き込んでくる。
「…なんて音出してんだよ。聞いてるこっちまで切なくなっちまう。一体何があったってんだ?騒々しいのがお前の取り柄じゃなかったのか?」
依然、頭の上に感じる温もりに、リーヴシェランは戸惑った。

もしかして、心配して来てくれたの……?

しかし、頭に浮かんだその疑問は口に出されることはなかった。
雰囲気をぶち壊すように、青年がいきなりリーヴシェランの髪を引いたのだ。
「しっかし、こんなものであんな音色が出せるんだもんなあ。人間ってのもあなどれないよなあ」
「ち、ちょっと、何するのよ!」
「あ、お前、最近あんまり手入れしてないだろ。毛先が荒れてんじゃん?」
「余計なお世話よ、この半熟魔性っ!なんならあんたも魅縛してあげましょうか?奴隷として一生こき使ってやるんだからっ!」
怒りに腕を振り回す彼女に、青年はにやりと笑いながら答えた。
「やれるもんなら、やってみな」
言ったわね、とリーヴシェランは思った。同時に、言わせたわね、とも思った。
見てらっしゃい……いつか、本当に、絶対に、後悔するくらいに……ぎちぎちのがちがちに縛ってあげるんだから。

固い決意を胸に、リーヴシェランは楽しげな青年の顔を睨み付けた。
もし明日目が覚めた時に彼がまた遠くへ行ってしまっていても、もう泣いたりはしない……今度は自らの力で、彼を捕まえにいくのだ。


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