書庫 三銃士(マイスラオルタラ)


フランスは花の都、ルイ13世統治下のパリでの出来事──。
みすぼらしい恰好をした一人の少年が、銃士隊の詰所の門を叩いていた。

「お願いです、この通り紹介状もあります!」

必死な声はまだ若く、よく見ればなかなかの美少年である。しかしブロンズの髪をした門番は、彼が懐から取り出した紹介状を一瞥しただけで、すぐにそっぽを向いた。

「駄目なものは駄目ですよ。頭数は充分に足りていますからねえ」
当時の若者にとって銃士隊は憧れの的であった。この少年のように、田舎からひと旗挙げようと出てくる者は掃いて捨てるほどいた。彼らをふるいにかけて門前払いするのも、門番の大事な仕事だった。
「そんな!せめてこれに目を通して下さるだけでも……!」
泥で汚れた紙を突きつけてなおも言い募る少年に、門番はため息をついてやむなく槍の先を向けた。
「そもそも、面接を受けるのにその乞食のような出で立ちは何ですか。神聖な銃士隊に相応しい人物でない事は、紹介状を見るまでもなく見てとれますよ?」
鋭い指摘に、少年は身を竦ませる。
「う……こ、これは、来る途中でスリに遭って……」
「そら見たことですか。そのような迂闊な者に、務まる職務ではありませんよ。諦めて、田舎にお帰りなさい」
唇を噛みしめる少年の目には、門番の後ろに見える光景が映っていた。
大勢の銃士たちが、訓練に精を出している。その中に一人、女性らしき人物の姿があった。
「あれは……!」
視線に気づいた門番が、渋面を作ったまま視界を遮る。
「こら、勝手に見てはいけません。早くお行きなさい」

見学者の存在に気付いた銃士たちが、こちらに近づいてくる。
「なんだ、何の騒ぎだ?また入隊希望者か?」
その中には例の女性もいた。髪が短く、大きな目をした美人だった。
「気の強そうな子じゃない。紹介状は持ってるのかい?」
「はい!」
勇んで返事をする少年に、門番はやれやれと肩を竦めた。
「あなた方には関係ありませんよ。私が責任を持って追い払いますから」
「関係ないってことはないだろ。だって……その子、女の子だよなあ?」
そう言った長髪の銃士は、興味深げに少年──否、少女を見つめている。
ブロンズの髪の門番は、唖然として少女を見つめ直した。その様子がおかしかったのか、彼はくすくす笑う。
「お前さんもだいぶ耄碌したんじゃないのか、セスラン?汚れちゃいるが、結構な別嬪さんじゃないか」
その背後で、逞しい体つきの銃士が「そうだな」と深く頷く。
「女が銃士隊に入りたいなど、よほどのことだ。どれ、おれたちが話を聞こう」
「ありがとうございます!」
「あなたたち、勝手な真似を……」
呆れたように呟く門番を遮るように、髪を短く切り揃えた美女が口を開いた。
「ねえ、あなた。本当に女の子なの?名前は何と言うの?」
気さくな口調に、少女はほっとして口を開いた。
「私は……ダルターラです。よく男の子に間違えられます」
美女は微笑んだ。
「ターラ、ね。さっき、わたしを見ていた?あんなに遠くからよくわかったね」
ダルターラは恐縮して頭を下げた。まさか同じ女性がいるとは思わなかったから、嬉しくなって凝視してしまったのだ。
「ああ、わたしの名前はスラヴィス。この逞しいのがオルグァス、最初に話したのがマイダス。よろしく」
「よろしくお願いします!」



応接室に通された少女は、三人の銃士に紹介状を渡した。
「ガスコーニュ地方の没落貴族出身の、ダルターラ……か」
最初に話しかけてくれたポニーテールの青年マイダスは、先程とは打って変わって、つまらなさそうな顔で紹介状を読んでいる。
屈強な体つきの青年オルグァスも、渋い顔で書面を見つめていた。彼らが何を言いたいのか、ダルターラにはわかっていた。
興味を引かれて面接したはいいが、期待外れだ。出自も経歴も、とてもエリート揃いの銃士隊にはふさわしくない──そう思っているのだろう。
しかしここで諦めては、せっかく繋いだ希望の糸も途切れてしまう。
頼みの綱は同じ女性であるスラヴィスだけだったが、どういうわけか、先程から一言も口を利かない。

「あの、私……どうしても銃士隊に入りたいんです!家を立て直すため、そして生き別れになった弟を探すために」
彼らの関心が既に薄くなっているのを感じつつ、ダルターラはどうにかそれらを繋ぎとめようとした。
マイダスはもう見る価値なしと判断した紙片を弄びながら、上目遣いに少女を見た。
「しかしなあ、基本的に女は銃士隊に入れない事になってる。お前さんがよっぽどの手練れなら別だが、百姓仕事ばかりで、ろくに剣も握ったことがないんだろう」
「これから覚えます!それに……」
失礼を承知で、ダルターラは彼らの背後にいる美女に矛先を向けた。
「女は入れないって言っても、スラヴィスさんだって女性じゃないですか!」
沈黙が、部屋に満ちた。
マイダスとオルグァスが動きを止めている。心なしか蒼ざめたその顔に、ダルターラも顔色を失った。
門番の肩越しに、スラヴィスの姿を発見した時は心が躍った。女一人で故郷から出て来て心細かった時に、男性の中に交じって稽古しているスラヴィスを見つけて、とても心強く思ったのだ。
彼女のようになれるとは思っていなかったが、女性の前例があると言うだけで心強い。

「お前……」
ようやく口を開いたマイダスは、かすれた声で問いかけた。
「それを、どこで知った?」
その言葉に、ダルターラは首を傾げた。
もしや、このスラヴィスが女性であることは、彼ら二人しか知らない公然の秘密と言うことか。確かに男装していて髪も短く、口調もたまに男のようではあるが。
中世的もとい中性的なダルターラと比べて、スラヴィスには大人の女性としての凛とした色気があり、とても隠し通せているようには見えないのだが……。
「ご、ごめんなさい!わたし、誰にも言いませんから!」
頭を下げるダルターラを、彼らの沈黙が支配した。しばらくして、オルグァスが深い息を吐いた。
「……なるほど。入隊前に、おれたちのことを色々と勉強したことはわかった」
言っている意味が判らず、ダルターラは首を傾げる。
彼らとは今が初対面であるし、予め彼らに付いて勉強した覚えもない。けれどここで意味が判らないと言ってしまえば、せっかくの機会を逃してしまいそうだった。
「え、ええ、そうなんです……」
消え入りそうな声で嘘をつくダルターラに、マイダスは続けて言った。
「では質問だ、ダルターラ。おれたちは何銃士だと思う?」
「え?」
唐突な質問に、ダルターラは面食らった。マイダス、オルグァス、スラヴィスの顔を交互に見るが、どう考えても答えは一つしかない。それともこれは意地悪な引っかけ問題だろうか。
これを間違えたら、恐らく後がない。ごくりと生唾を飲み込んで、ダルターラは見たままの答えを口にする。
「ええと、三銃士、ですか……?」
マイダスとオルグァスは顔を見合わせ、そして苦笑した。その背後でスラヴィスも、何とも言えない苦い笑顔を浮かべていた。
──その意味を彼女が理解するのは、まだ先の事であった。





入隊許可を貰ってから、一週間が経った。
パンの焼ける美味しそうな匂いで、ダルターラは飛び起きた。
急いで着替え、顔を洗って、ギシギシと軋む階段を下りていく。台所を覗くと、黒髪の女性の穏やかな笑顔が出迎えてくれた。
「おはよう、ダルターラ。今パンが焼けたところだ」
「あ、ありがとうございます……」

ダルターラの下宿先は、パリでも評判の仕立て屋の屋根裏だった。小さく狭い部屋だが、門番の青年が渋々紹介してくれたのだ、贅沢は言えない。
女主人である黒髪の女性の名前は、コンスラス。その亭主はと言えば、むっつりと不機嫌そうに新聞を読んでいる。

「ラスもお人よしだねー。こんな田舎娘、住まわせてやる義理なんてないのに」
「何て事を言うんだ、アンシュー!ダルターラ、気にしないでいつまでもいていいんだぞ」
「はい……」
せっかくの美味しいパンも、居候の身では肩身が狭く、味すら感じない。
今は見習いだが、正式に採用されて給金が入るようになれば、アパートを借りられる、それまでの辛抱だ。
「しかし、あの厳格な銃士隊が、よく女性の入隊を許可してくれたものだ。ダルターラの熱心さが伝わったのだろうな」
器にスープを注いでくれながら、コンスラスが気を遣ってくれる。するとまたしても嫌味な亭主が口を挟んできた。
「なーに言ってるの。ラスだっておれと結婚する前までは銃士隊にいたじゃない」
意外な言葉に、ダルターラは危うく口に含んだスープを吹き出す所だった。
「そ、そうなんですか?コンスラスさんのような大人しそうな人が、どうして」
同時に、やはり心強いと言う気持ちが湧いてくる。スラヴィスに、コンスラス。ダルターラが知らないだけで、過去にも女性の入隊者は沢山いたのだろうか。しかし、それなら何故門番を始め、男性たちはあんなことを……?
「アンシュー!!私の黒歴史を掘り起こすな!」
コンスラスは赤い顔をして拳を振り回す。
「いいんじゃなーい、いずればれることだしー」

夫婦のいちゃつきを見せられた後、ダルターラはコンスラスに説明を受けた。
コンスラスが銃士隊にいたのは事実だが、在籍時に色々と騒動を起こし、周囲の顰蹙を買って、クビ同然に退職した。その後でこのアンシューと結婚し、一女をもうけた。
「今はとても幸せだが……私と同時期に在籍していた、スラヴィスという女性には、迷惑をかけてしまった。これだから女は、という偏見を植え付けてしまったのは私のせいだからな。もう一度会って謝りたいが、今となってはそれも叶わない」
「そうだったんですか……」
以来、銃士隊は女性の採用に慎重になっているのだと言う。その罪滅ぼしというわけでもないだろうが、コンスラスは後輩にあたるダルターラにとても親切にしてくれた。

「ごちそうさまでした。では、訓練に行って参ります」
荷物を持って玄関まで出ると、ダルターラはコンスラスに笑顔を向けた。
「大丈夫。先程の言葉、スラヴィスさんに会ったら必ず伝えておきます」
「え──」
コンスラスは目を見開いた。
「待て、ダルターラ!それは……」
そんなに恥ずかしがることもないのにと思いながら、ダルターラは笑いながら詰所へ向かった。




「おはようございます、スラヴィスさん」
「スラヴィスでいいよ。おはようダルターラ」
短髪の美女は今日も男装が決まっているが、少し困ったように微笑んだ。
「……悪いけど、もう少し声を落としてくれないかな。周りの目もあるし」
「どうしてですか?銃士隊で挨拶は基本と……あ、おはようございます!」
すれ違う銃士の一人に、ダルターラは頭を下げた。しかし銃士は二人をちらりと見ただけで、何も言わず去ってしまう。
気が短いダルターラはむっとして後を追おうとしたが、スラヴィスに窘められた。
「無駄だから、やめておきなさい」
「だって、新入りの私はともかく、スラヴィスまで無視するのは!」
またしても男性達の視線がこちらに集中する。ひそひそと、何やらよからぬ事を囁いているのが聞こえてくる。
「……いいのよ、わたしは」
スラヴィスは目を伏せた。その理由は何となくわかった。スラヴィスは恐らく女性であるがゆえに、銃士たちの間で認められていないのだ。
認めてくれているのは、スラヴィスと親しい、あの二人の男性だけ。
マイダスと、オルグァス。彼らが入隊を許可してくれたのは、恐らくダルターラが彼らを指して『三銃士』と言い切ったからだ。スラヴィスを仲間と認めてくれたダルターラの存在に、彼らは大いに励まされたのだろう。

「そう言えば、私いま、コンスラスさんの家に下宿しているんですよ」
せめて明るい話題を持ちかけようと、少女はにっこり笑う。
「え?」
「彼女、スラヴィスに謝りたいって言ってました。私のせいで迷惑をかけてすまなかった、って」
「コンスラスが……?」
スラヴィスの顔が陰る。何かを飲み込むように口を噤んだ彼女は、それきり押し黙ってしまった。
「おはよう、ダルターラ」
背後からかけられた親しい声に、ほっとして振り返る。マイダスとオルグァスが立っていた。
「おはようございます。今日も一日よろしくお願いします」
「ああ、頑張れよ」
彼らも周囲の好奇の視線には気づいているのだろう。「あんな連中の事は気にしないでいい」と言いながら、ダルターラの頭をくしゃりと撫でた。
「最初は、スラヴィスと比較してあれこれ言う輩もいるだろうが、負けるなよ」
彼女の名前を口にする時、マイダスが辛そうな顔になる。それなりに権力のあるはずの彼らも、スラヴィスに対する冷遇を止められない、と言うことか。
「ええ、でもスラヴィスと比べられるなんて光栄……あれ?」
気付けばスラヴィスは遠方に去っていた。その寂しげな後ろ姿を見送りながら、どうして、と唇を噛んでいると、やはり周囲のひそひそ声が耳に刺さる。
(こんなのって酷過ぎない?)
自分だけでも、スラヴィスの味方になってやらねば。そのために、マイダス達はダルターラを迎え入れたのだろうから。



その頃のフランスでは、王室転覆を狙う正体不明の怪人物『鉄仮面』の噂が流れていた。銃士たちは彼とその配下の暗躍を警戒し、同時にスパイの存在にも注意を払っていた。

「服を脱げよ。俺たちが身体検査してやる」
夜、殆どの者が寝静まった後、一部のにやついた銃士たちに囲まれて、ダルターラは壁際に追い詰められていた。
「私はフランスに忠誠を誓っているわ!スパイなんかじゃない!」
抵抗するが、数人がかりでかなうはずもなかった。それに先輩である彼らに逆らっては、隊に居られなくなる。
「スパイかどうかは、俺たちが決めること。お前に拒否権なんて無いんだよ」
いやらしい指がダルターラの胸元に伸びてくる。もう少しで胸を鷲掴みにされそうだったその時、ひらりと白いものが一閃した。
刹那、銃士の指が目の前でボトボトと落下した。
甲高い悲鳴を上げ、彼はうずくまる。鋭利な糸のようなもので切断された指が、無残にも床に転がっていた。
ぞわりとした風が頬を撫でる。上からだ。

見上げたダルターラの目に、漆黒のマントを翻し夜空を飛ぶ怪人の姿が映った。しなやかで逞しい体つきは青年のもので、その顔は鉄の仮面で覆い隠されている。
彼の掌の凶器がきらりと光った。意外にもそれは刃物ではなく、丸い……なんだろう、あれは。

「鉄仮面だ!」
「ついに奴が出たぞ!捕まえれば大手柄だ!」

銃士たちは倒れた仲間には目もくれず、ダルターラをその場に置き捨てて外に走り出して行く。
「あれが……鉄仮面」
建物と建物の間を、まるで飛ぶように移動する姿は、とても人のものとは思えない。
何故助けてくれたのか──それとも、殺そうとして手元が狂っただけか。パリを守る銃士の暗殺も、彼らの目的なのだから。
よろよろとその場を離れる。いつの間にかスラヴィスが近くに来ており、心配そうに顔を覗き込んでいた。
「大丈夫かい?部屋まで送ろうか」
「いい」
「まさか、奴を追う気なの?ダルターラの敵う相手じゃないよ、わたしが……」
「鉄仮面たちは、私の婚約者と弟の仇なの!」
ダルターラの叫びに、スラヴィスは息を飲んだ。

本来は、ダルターラはこんなところにいるべき立場ではなかった。故郷に許嫁がいて、いずれ政略結婚をする身だった。
それがある日、鉄仮面の仲間を名乗る黄金の仮面の男が現れ、故郷の村々に火を放った。その地を治めるダルターラ家は大打撃を受け、許嫁は目の前で殺され、弟は行方不明となった。

「あの男と決着をつけるまでは、私、故郷に顔向けできない……!」
「そうだったのか」
スラヴィスは頷き、ともかくダルターラを落ち着かせようと、肩に手を置いた。
「気持ちはわかるが、焦っちゃいけない。マイダスとオルグァスなら、きっと力を貸してくれるから」
言っている傍から、騒ぎを聞きつけた二人が向こうから駆けて来た。
「ターラちゃん、大丈夫か?苛められてるって聞いたから」
「鉄仮面が出たそうだな」
そのターラちゃんという呼び方はやめて欲しい。
「マイダス、オルグァス。ターラをお願いね」
スラヴィスはダルターラの身柄を二人に預けると、そのまま走って行ってしまった。
「あっ……」
引き止めようとしても、物凄い速さだった。さすが、彼らに認められている女剣士だけのことはある。
「鉄仮面を追わなくていいんですか、二人とも」
問いかけると、マイダスは肩を竦めた。
「おれたちでどうにかなる相手じゃあるまい?」
「上に同じ」
ダルターラは困惑して、彼女が駆け去った方向を改めて見た。
心配もしていないとは、よほど信頼しているのか。もしかして、スラヴィスは彼らより腕が立つと言うことなのか?まさか……。
混乱しているダルターラの背中をぽんと叩き、マイダスはその場に彼女を座らせた。
「鉄仮面を見たんだろう?どんな奴だった?」
問われて、今しがた見た光景を思い出す。
体つきは青年に見えたが、その手に持った光る武器、あれは明らかに……。
「ヨーヨー」
「は?」
マイダスが首を傾げる。無理もない、この時代にあったか否かわからない代物の名前が出て来たのだ。
ダルターラもあまり認めたくなかったが、見てしまったものは仕方がない。
「ヨーヨーを持っていたわ。その糸で、私を襲おうとした銃士の指を切断したの」
「ヨーヨーねえ………」
考え込むマイダスの隣で、オルグァスが真顔で呟いた。
「鉄仮面にヨーヨーか。懐かしいな」
ダルターラは驚いてそちらを向く。
「オルグァスさん、何か心当たりがあるんですか?」
「旦那、心当たりがあるのか?」
若い二人の純粋な問いかけに、オルグァスは気まずそうに目を逸らした。
「いや……昔『ス○バン刑事』というドラマがあってな。そのヒロインが、鉄仮面にヨーヨーを装備していたんだ。あれをリアルタイムで視聴していたのは、若くとも30代後半から40代。つまり例の『鉄仮面』男も、結構な年だろうなということがわかる」

「………」
何の有益な情報にもならなかった。





翌朝のパリは、『鉄仮面出没!』の噂で持ち切りだった。
彼の足取りを追っていた銃士たちが、四人ほど遺体で見つかり、また行方不明者も多いことから、パリ市民は不安にどよめき、その重苦しい空気はダルターラにも否応なしに伝わって来た。
鉄仮面を追っていなくなってから、全く連絡がないスラヴィスの行方も心配だった。

「大変なことになったな」
いつも通りコンスラスの作ってくれる朝食を食べながら、ダルターラはダルそうにタラタラと相槌を打った。
「らしいですね……」
「詰所前に、市民が大勢押し掛けているそうだ。これでは安心して出歩くこともできない、銃士隊はちゃんと仕事をしているのか、と」
「そうですか……」
ため息をついたダルターラは、ふと前の席が空いている事に気づく。いつも朝からテンションの高いコンスラスの亭主が、この時間になっても起きて来ないとは珍しい。
「あの、旦那様は……お具合でも悪いのですか?」
コンスラスは亭主のいる二階を見上げ、深く息を吐いた。
「どうも、ゆうべ遅くまで飲み歩いていたらしくてな……帰って来たのは明け方なんだ。疲れているだろうから、もう少し寝かせておく」
「そうですか」
ダルターラもほっと息をつく。こう言っては何だが、彼に嫌われている自覚はあったから、顔を合わせないで済むのはありがたい。
安心してパンを口に運ぶ様子を、コンスラスはじっと見ていた。
「なあ、ダルターラ」
「はい……?」
どこか平静でないその声に、自然と背筋が伸びてしまう。
「お前は以前、私に言ったな。私がすまないと思っていると、スラヴィスに伝えておくと」
その琥珀の瞳には、剣呑な光が宿っていた。いつもの彼女らしからぬ態度に、ダルターラはやや怯える。
「え……ええ、言いました」
そう言えば、あの時のスラヴィスは浮かない顔をしていた。何があったのか知らないが、コンスラスの事を、まだ許していないのだろうか。
「どういうつもりだ。何故、あんな事を言った?」
その時になってようやく、ダルターラは彼女の怒りに気付いた。持っていたパンを皿の上に置き、茫然として問い返す。
「わ、私は……その、ごめんなさい」
穏やかなコンスラスが突然怒り出したことに、彼女は激しく動揺していた。
「謝って欲しいのではない。どうしてあんな事を、と聞いたのだ」
どうして、と言われても、どう返せばいいのかわからない。思いもよらないコンスラスの態度に、ダルターラはひたすら蒼ざめる。
「私はただ……コンスラスさんが、謝りたいと言ってたから……」
どうやらまたしても、自分は余計なことをしてしまったらしい。せっかく親切にしてくれた人を、怒らせてしまった。
「ごめんなさい……!」
身を竦ませる少女を見下ろして、言い過ぎたと思ったのか、コンスラスはふう、と息を吐いた。
「わかれば、いいんだ。もう二度とあんなことは言うな」
「はい……」

ドンドン、と店の扉が叩かれる。見れば、マイダスとオルグァスだった。
わざわざ迎えに来てくれたのか。ダルターラは慌てて腰を浮かせ、コンスラスもそれにならった。
「ど、どうしたんですか?まさか私、また何か粗相でも」
先程の件もあって自信なげにしているダルターラに、マイダスは静かに首を振った。
「そうじゃないが、緊急事態だ。おれたちに鉄仮面追撃の命が出た、すぐ来てくれ」
「おれたちって、まさか私もですか?まだ見習いなのに」
「今朝また三人やられてな、人手が足りないんだ。何ならそこの退役した女にも、来てもらって構わないが」
言ってマイダスは、冷たい瞳でコンスラスを見つめる。
「腕だけは確かだったからな、あんたは」
怒りと苛立ちがこもったその態度に、コンスラスは目を逸らした。ダルターラに説教した時の強気な態度とは、まるで別人のようだった。
「すまない……もう剣は、持たないと決めたから」
そんなコンスラスの足元に、いつの間にか起きて来た愛娘が縋りつく。どうしたの、おかあしゃま、と言いながら。
愛らしい子供の様子に、マイダスはふっと目を細め、しかし一方で、コンスラスに対しては強烈な皮肉を口にする。
「おれたちを散々引っかきまわしておいて、自分だけは女として幸せな家庭を手に入れる……か。いい御身分だ。あいつが見たらどう思うかな」
耳に痛い事を聞かされたのか、コンスラスが堅く目を瞑る。彼ら三銃士とコンスラスの間にどんな確執があったのか、ダルターラは知らない。しかし、今はごちゃごちゃと考えている時ではない。
今のダルターラは、彼らの味方であり、仲間なのだ。
「マイダス、オルグァス。行きましょう」
「ああ、行こう」



『鉄仮面』は街を抜け、山に逃げ込んだのだと言う。
よって、生き残った銃士たちによる山狩りが始まった。西側と東側、北側と南側から挟み撃ちにする。

山道を行く途中で、スラヴィスも合流した。どうやら無事だったらしい。
彼女の姿を見るなりダルターラは挨拶をしようとしたが、何故か人差し指を口元に当てられ、止められた。
「昨夜は鉄仮面を逃がしちゃってね……あいつの逃げ足は相当早いよ」
焦りを滲ませるスラヴィスに、ダルターラはこくりと頷く。それ以降、スラヴィスは押し黙ったまま歩みを進めた。話している余裕もないと言うことか。
けれど、重装備の男性二人に対し、スラヴィスは極めて軽装だった。荷物を二人に預けているのかも知れない。
「大丈夫か、ターラちゃん?」
息を荒くして山道を登っているダルターラに、マイダスが笑いながら声をかける。
「スラヴィスならこんな坂、楽勝だけどな。おっと、比べちゃいけないんだったな」
そのスラヴィスは、二人を置いてどんどん先に登ってしまっている。当たり前だ、あれだけ身軽なのだから。自分は新人だから荷物持ちも甘んじて受けるが、この差は酷い。彼らはどれだけスラヴィスを甘やかしているのか。
「おーい、どこを見てるんだ?もっと急がないと日が暮れるぞ」
マイダスのからかう言葉と、遠くに見えるスラヴィスの後ろ姿を恨めしく見ながら、ダルターラは告げた。
「いつも、スラヴィスはどんどん先に行ってしまうんですか?二人を待たずに」
「え?……ああ、そうだな」
マイダードは寂しげに微笑んだ。その横でオルグァンも、何とも言えない顔をしていた。
それにしても、チームワークと言うものがあるではないか。ダルターラは思わず上方に向かって叫んでしまった。
「スラヴィス、聞こえてる?先に行かないで戻って来てよ!少しはマイダス達のことも考えて……!」
マイダスとオルグァスが顔を見合わせる。
それから、くすりと笑って、ダルターラの頭の上にそれぞれ手を置いた。
「ありがとな、ターラちゃん」

捜索は深夜まで続いた。火を焚き、彼らは山の中腹で野営をすることにした。
ぱちぱちと爆ぜる火の傍に女性二人が座り、向かいにマイダスとオルグァスが座った。
「そう言えば、覚えてるか、スラヴィス」
突然話しかけられたスラヴィスが目を瞠った。
マイダスの瞳は、正確にはスラヴィスを見てはいない。照れくさいのか、手元だけを見ている。その彼の手元には、プレゼントらしき包みが握られていた。
続いてオルグァスも、炎を見つめながら口を開く。
「今日は、お前の誕生日だったな」
スラヴィスの瞳が、にわかに潤んだ。
「ええ……」
よく覚えてたわね、と。
消え入りそうなその声と、二人の男性との間に漂う空気に、ダルターラはやや引いた。
仲が良いのは結構だが、何も山狩りの最中に祝うこともあるまい。他の銃士たちは、離れた所にいるからいいようなものの……。
マイダスがこちらに目を向けて笑った。
「ターラちゃんも、一緒にお祝いしてくれるよな?」
「も、もちろん!」
引きつった顔を見抜かれたらしく、マイダスは苦笑いしながら「そんなに引くなよー」と言った。
「でも私、プレゼントの準備なんてしてない……」
そもそも、大事な任務の最中に祝っている場合か。
と言い出せないのは、新人の悲しさだった。それに彼らは、ふざけているようにはとても見えず、咎める気にはなれなかったのだ。
「いいんだよ、そこで見ててくれれば」
マイダスとオルグァンは、そっとプレゼントを掲げた。
素直にスラヴィスに渡すのかと思えば、何といきなりその包みを炎の中に放り投げた。
「ちょ!」
ダルターラは思わず起立してしまった。
自分がもらえるわけではないが、何と言う勿体ない事をするのか。それともこれは何かの儀式なのか?
何か、引っかかる。ダルターラは隣にいるスラヴィスを見た。
スラヴィスは、ただ黙って焚火を見つめている。新たな燃料を与えられた炎は一層激しく燃え、彼女の美しい顔を明るく照らし出していた。
「「ハッピーバースディ、スラヴィス……」」
マイダスとオルグァスが、静かに歌い出す。ちなみに思いっきり英語である。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために。おれたちはずっと一緒だ」
「これからは、ターラもいる。お前は何も心配しなくていい」
立派に戦力に数えられている事に、ダルターラは困惑してスラヴィスを見つめる。
スラヴィスは耐えきれないと言ったように立ち上がり、炎を越えて歩み寄った。そして、俯いている二人の頬に、それぞれキスをした。
「ありがとう、マイダス。ありがとう、オルグァス」
「………」
ダルターラは目を逸らす。いい年をした大人が、後輩の前で何をしているのか。正直、恥ずかしくて見ていられなかった。
男性二人は慣れているのか、照れる素振りすら見せない。普段からこういうことやってんのかよ、とダルターラは心の中で突っ込みを入れる。
そのまま食事が始まった。元の位置に座って黙っているスラヴィスに、ダルターラは皿を差し出す。
「はい。これ、スラヴィスの分」
「ありがとう……でも、胸がいっぱいで入らないわ」
「……?」
恐らく毎年祝って貰っているのだろうに、そんなに感動することなのだろうか。
取り敢えずスラヴィスの前に皿を置くと、マイダスが優しく微笑んだ。
「ターラちゃんは本当にいい子だな」
「ああ。いい子だ」
オルグァンも微笑んだ。

皿の上の食事は、結局手を付けられなかった。
仕方がないので、スラヴィスの分もダルターラが食べてしまった。
それはいいのだが、当のスラヴィスはよりにもよって、マイダスとオルグァスの間に挟まって寝ている。しかも、体をぴったりとくっつけて。
これはさすがに文句を言うべきだろう。
「……あのう」
どこから突っ込んでいいのかわからないでいると、マイダスが薄眼を開けた。
「ん、ターラちゃんもこっちに来るか?」
「結構です。」
軽蔑を込めてダルターラは吐き捨てる。
いくら仲間だからと言って、大人の男女が抱き合って寝るのは、倫理的によろしくない。しかも男二人に女一人とは。
このままでは、コバルト文庫ではなくフランス書院な展開になってしまう。いくらフランスが舞台だからと言って。
「あなたがたの仲がいいのは、よーくわかりました。でも、少しは状況見て下さいよ。さっきから人前でべたべたと、恥ずかしくないんですか?」
オルグァスも薄眼を開け、困惑したように少女を見つめる。
「しかし、おれたちはいつもこうやって寝てるから……」
硬派に見えた男の口からもそんな言葉を聞いてしまい、ダルターラは真っ赤になった。
「オ、オルグァスまで……信じられない!何考えてるんですか!!」
ダルターラの怒りに、彼らは焦ったようにその身を起こした。
「おいおい、お前さん何か勘違いしてるんじゃないか?おれたち、別にそんなんじゃないって」
あわあわと両手を振るマイダスに対し、オルグァスは冷静に眉をひそめる。
「のけ者にされて、怒っているのか……?仕方ないだろう、お前は女の子なんだから、くっついて寝るわけにはいかない」
「何よ、スラヴィスは私と違って『女の人』だからいいってわけ!?だったらなおさら悪いでしょう、はしたない!」
口から飛び出した言葉に、マイダスが唖然とする。
「──え?いやいや、スラヴィスとはちゃんと離れて寝てたって!お前さん、さっきから何を言ってるんだ?」
「嘘、離れてないじゃない!ほら!」
ダルターラは二人の間で丸くなっているスラヴィスを指差す。しかし、マイダスもオルグァスも、困ったようにその空間を見つめているだけだ。
「ターラ……お前、さっきからおかしいぞ……」
オルグァスも、ここに至ってようやく、ダルターラの様子がおかしいことに気付いたらしい。
「目の焦点が合ってない……?いや、おれたちとは違う所を見ているな。どこだ?」
マイダードがダルターラの視線の先を追う。
そこには、スラヴィスがいる。起き上がって、いつものように、少し悲しそうな顔をしてこちらを見ている。
「ここに、何かいるのか……?」
マイダードの手が動き、スラヴィスのいるはずの位置で右往左往する。
その手が、彼女の体を掴むことは決してなかった。
「……もしかして、二人とも、見えないの?」
自分の口からかすれた声が発された途端、二人はさっと顔色を失くす。
その表情が、何より雄弁に語っていた。入隊してからこれまで感じて来た、数々の違和感──その、正体。
「嘘よ──だってスラヴィスは、ずっと私と喋ってた!」
叫んだ刹那、マイダードに勢いよく肩を掴まれた。切ない表情が間近に迫り、痛みよりもまず、その真摯な顔に驚かされる。
「いるのか、スラヴィスが!?どこにいる、教えてくれ!」
いくら悪ふざけが好きな彼と言えど、この状況で冗談は言わないだろう。
けれど、彼らの言っていることが真実なのだとしたら、ダルターラが今まで接してきたスラヴィスは何だと言うのか。
「そ、そこ……。さっきから、二人の間で泣きそうな顔してる……」
震える指で、マイダスとオルグァスの間を示す。
スラヴィスは悲しげな口調で「ごめんね」と言ったが、その声に男性二人が反応することはない。

「───なんてこった」
マイダスがその場に膝をつき、オルグァスはきつく目を瞑って宙を仰いだ。



マイダス、オルグァス、スラヴィス。
彼ら三人は銃士隊の中でも極めて仲が良く、『三銃士』と呼ばれていた。
明るく勇敢な気性のスラヴィスにマイダスは密かに想いを寄せており、いずれ結婚を申し込むつもりでいた。
スラヴィスもまんざらではなかったようだが、件のコンスラスが入隊してきてからは事態は一変した。
スラヴィスと同様に若く美しい女性であること、正式な手続きを踏まず親の縁故で採用されたこと、人付き合いが苦手で周囲から浮いていたこと……。
原因は、『それ』ではない。彼女がしでかした事に比べたら、それらはあくまでも瑣末な問題だった。

「コンスラスは、鉄仮面の一味のスパイだったんだ」
苦虫を噛み潰したような顔をしてオルグァスが告げる。
ダルターラが驚いてスラヴィスを見ると、彼女も同じく苦い顔をして俯いた。
信じられない、という気持ちだった。コンスラスはいつも優しくダルターラを気遣ってくれた。スラヴィスに謝りたいと言ったのも恐らく本心のはずだ。
「もちろん、そんなつもりはない、と本人は言ったんだが……仲間が殺されているのに鉄仮面を庇って逃がそうとした時点で、もう誰も彼女の事を信用しなくなった。そんな女を隊に置いていくわけにはいかない」
本来ならば極刑を免れぬはずだが、彼女の親は王族の血を引いており、除隊処分に留まった。
何故、彼女が敵を庇ったのかはついぞ謎のままだった。鉄仮面はいい男だと言う噂だから、それで情が移ったのかも知れない。
除隊してあっさり別の男と所帯を持ったコンスラスを、今でも悪しざまに罵る者は多い。
同じ女性であるスラヴィスにも、同様の視線が向けられるようになった。
『嫁ぐまでの腰かけ程度に思われちゃ迷惑だ』
『これだから女は』
『銃士隊を何だと思っているのか』
スラヴィスは、マイダスの求婚を断った。マイダスも彼女の気持ちはわかったから、拒否を受け入れるしかなかった。
『……ごめんね』
『いいって。おれたちが仲間だってことには変わりないんだから』
『みんなは一人のために、一人はみんなのために』

それ以来、スラヴィスは下らない偏見など吹き飛ばすように、今まで以上に任務に励んだ。
そうして小雨の降るある日、鉄仮面の仲間と斬り合いのさなか、揉み合ってセーヌ川に転落したのである。
マイダスとオルグァスは、必死で彼女を捜索した。何日も、何週間も、何カ月も。遺体はついぞ見つからなかった。
彼女の功績は、他の隊士たちも認めるところだった。名誉の殉職扱いにしてやる、諦めろと何度も言われた。
けれど、彼らは断じて首を縦に振らなかった。
『スラヴィスは死んでない。亡骸をこの目で見るまでは、死んだなんて認めない』
『おれたちは三人で一人だ。これからも、三銃士と名乗り続けよう』
『ずっと……』
『ああ、ずっとだ』

ダルターラの瞳から、涙がぼろぼろ流れ出した。
弟を失った己の悲しみと、目の前の彼らの悲しみを重ね合わせ、溢れるものが止まらなくなった。
マイダスはハンカチを渡してくれながら、夜の闇の向こうに視線をやった。
「初対面でおれたちを『三銃士』って言ってくれた時は、てっきりスラヴィスの事を、前もって調べていたからだと思ったんだが……」
途切れて消えた言葉を、オルグァスが続ける。
「スラヴィスの姿が見えていたから、だったんだな。ではやはり、彼女はもうこの世の人では……」
それまで黙って聞いていたスラヴィスが不意に、「ターラ」と言った。
「二人に言ってちょうだい。もうわたしのことは探さなくていいって。特にマイダスには、わたしのことなんて早く忘れて、新しい恋人を作るようにって」
ダルターラは困惑し、マイダスの顔を見つめた。今でもスラヴィスを深く愛しているであろう彼に、そんな残酷なことを言えるはずがないではないか。
自分だって、無関係な他人に弟を──トーンを諦めろと言われたら激昂する。それだけを支えに日々頑張っているのに。
「ターラちゃん、スラヴィスは何て言ってる?そこにいるんだろう?」
真摯に問いかけてくるマイダスに、ダルターラは答えられずに目を逸らした。
「ターラ、お願い。わたしの言葉を彼らに伝えられるのはあなただけなの」
スラヴィスに詰め寄られ、ダルターラは一歩後ろに下がった。板挟みとはまさにこの状況を言うのだ。

その時、遠くの方で仲間たちの悲鳴が聞こえた。
「いたぞ!鉄仮面だ!」
「今度こそ逃がすな!」
答えに詰まっていたダルターラは、助かったとばかりに声の方角に走り出した。
他の仲間たちもついてくる。とは言え足の速さが違うから、途中で追い抜かれた。マイダスとオルグァスの背中を眺め、いずれ彼らのようになれるだろうかと焦燥する。
「大丈夫」
背後を守ってくれているスラヴィスが、静かに言った。
「これからは、ターラがわたしの代わりにあいつらを守ってあげて」
「そんな事……!」
ざわっ、と木々が震えた。
銃士たちが一斉に足を止める。見上げれば森の高い木のあちこちに、仮面をつけた男たちが立っている。その数は、全部で五人。
「どういうことだ。鉄仮面は一人ではなかったのか!?」
狼狽する銃士の一人が銃剣を構え、仮面の男に狙いを定める。と、仮面が反射した光に目がくらみ、それが鉄ではなく黄金で出来た仮面だと気付く。
「ばーか、どこ狙ってる。おれはそっちじゃないっての」
別の木に登っている鉄仮面が、気安い口調で告げる。その声に、ダルターラは聞き覚えがあった。
「あなた、まさか………!」
「そのまさかさ」
鉄仮面はゆっくりと仮面を外した。その素顔は、ダルターラが下宿している仕立て屋の主人であった。
「お前は、コンスラスの亭主!」
「そうか……あの女が庇った鉄仮面の正体は、お前だったのか!」
怒り狂った銃士たちが木によじ登り、馬をけしかける。鉄仮面は心底楽しげに笑いながら、木から木へとひらりと飛び移った。
「撃て、撃て!」
銃声がこだまする。それらは木の上の何体かに当たったが、落ちてきた体を確認するとそれは全て、先日倒された銃士たちの遺体だった。
「酷い……!」
亡き者までも目くらましに利用する男の非道さに、ダルターラは歯噛みした。
「どうして!?銃士隊に何の恨みがあるの。わたしたちは、国を守る大事な使命を負った──」
「知らんよ」
鉄仮面が放つヨーヨーが、銃士隊を次々と蹴散らしていく。次々と倒れていく仲間たちの中、三銃士だけが最後に残されたのは恐らく意図的であろう。
ひらりと木の上から降りてきた鉄仮面は、剣を構えるダルターラを不遜に見下ろした。
「おれは、とあるお方の命令に従って動いてるだけだからな」
「あるお方……?」
「政府転覆なんざ、本当はどうでもいい。ただ、あいつを苛めて追い出した連中が気に入らないだけだ」
あいつというのが彼の妻を指していることが、ダルターラにはよくわかった。けれど、全く同情できない。
「銃士隊は全滅させる。なに、先日入ったばかりの田舎娘には興味はない。おれが用があるのはそこの二人だ」
鉄仮面──いや、アンシューの冷たい目が、二人の青年を捕える。
恐らく彼の脳内では、何の罪もないコンスラスを周囲が苛めて退職に追い込んだと、そういう妄想物語が出来上がっているのだろう。
いつの時代も勝者が正義を名乗り、歴史は歪められる。ここで彼らが敗北すれば三銃士の名も汚されるのだ。
「……だ、そうだぞ。下がってろ、ターラちゃん」
負傷したマイダスとオルグァスに庇われ、ダルターラはかぶりを振った。
彼らを見捨てて逃げるなど、冗談ではない。知り合ったばかりで彼らのことなどまだ何も知らないけれど、間違っているのがあの男であることは明白だ。
こんな男に、二人を殺させるわけにはいかない。
「いやよ!」
叫び、男に向かって走り出す。
「見てて、スラヴィス!あなたの分まで、わたしが彼らを守る!」
二人の制止も構わず、ダルターラは男に斬りかかった。一瞬早く、その間合いにもう一体の仮面の人物が滑り込んできて、彼女は肉体ではなくマントを切り裂く羽目になった。
「……?」
柔らかな手ごたえとともに、マントがはだけ、仮面が地面に落ちた。
そこに隠された、女性の顔があらわになる。その人物の姿を目にしたダルターラは、今度こそ心臓が止まりそうになった。

「スラヴィス……!?」

ダルターラの背後にいるスラヴィスも息を飲んだ。目の前の彼女は裸にマントを纏っただけの状態だったが、マイダスとオルグァスは視線を逸らすこともなくその姿を凝視していた。
「スラヴィ……ス……」
ダルターラにとっては初めて目にする生身のスラヴィスは、霊体よりも遥かに存在感があって美しい。彼らが忘れられないのがよくわかった。
ただ、その目には光が宿っていない。魂のこもらない、虚ろな眼差しを三銃士に向けている。
彼らの疑問に答えるように、仮面の男は笑う。
「数年前、川に落ちてたのを拾ったんだ。今はおれの言いなりに動く操り人形だ、いくらでも傷つけて構わんぞ?」
どうやら、鉄仮面は死人を操る力を持つらしい。その力をもってして、亡くなった人間に仮装させ、部下として侍らせていたのだろう。
人の命を平気で弄ぶ男の言動に、彼ら三人は戦慄を覚えた。
遺体が見つからないのもそのはずだ。鉄仮面一味を倒すために亡くなったスラヴィスが、よもや当の本人に操られていたとは。
銃士としてこれほどの屈辱もあるまい。霊体のスラヴィスも、自分の体を好きにされる怒りに青ざめていた。
「よくも……よくもやってくれたわね!」
その声が鉄仮面に届くことはなかった。妖しげな術を使う彼だったが、霊感能力は全く持ち合わせていないようだ。
「さあ、仲間のよしみで、連中を楽にしてやれ」
男が命令を告げると、スラヴィスは無言のまま、ダルターラに斬りかかった。ダルターラの小さな体はその怪力に弾き飛ばされ、木の幹に背中ごと叩きつけられる。
「う……」
背骨が軋む音がする。女だてらに銃士隊の一員と認められているだけあって、さすがに凄い腕前だった。
「ターラ!」
男性二人が駆け寄ってくる。情けないが、今のダルターラの腕では彼女を取り押さえることすらできない。
痛みでぼんやりとかすむ視界の中、スラヴィスは今度は、傷だらけのマイダスにゆっくりと近づいていく。
「やめて、スラヴィス!彼らを殺さな……」
叫びかけて、ダルターラははっとした。スラヴィスの肉体の中に、スラヴィスの霊体が入っていくのが見えたからだ。
そうだ、肉体さえ無事ならば、彼女は生き返ることが出来るかも知れない。二人の男性が惹かれた気高い魂は、未だ未練を残してここに在るのだから。
状況がまるで見えていない鉄仮面は、勝利を確信した高笑いを開始する。
「惚れた女に殺されるなら本望だろうよ。やれ」
「スラヴィス……」
振り下ろされる刃に、マイダスは観念して目を閉じた。
だが次の瞬間、彼に降ってきたのは刃ではなく、柔らかな接吻だった。

「………」

周囲の空気が、しんと静まり返る。誰も手を出せない雰囲気がそこにはあった。
硬直しているマイダスの頬に手を添え、スラヴィスはさらに唇を重ねる。優しい口づけとともに、感情の宿らなかったスラヴィスの瞳に、徐々に生気が戻って行く。白かった頬には赤みが差し、睫毛は震え、その体には再び魂が宿った。
やがて愛しい男性から唇を離すと、スラヴィスは振り向きざまに、憎い男の体に思い切り刃を突き立てた。
「く……!」
意表を突かれた男はのけぞって背後に下がる。突き立てられた刃は、腹部に深々と埋まっていた。
「ふん、おあいにくさま!わたしはずっとこいつらの傍にいたのよ!」
スラヴィスは続けざまに刃を繰り出す。しかし、手ごたえはない。
血の一滴も流れないことをダルターラが不審がっていると、男はくつくつと笑いながら木の上に退避した。
「残念だったな。こんなこともあろうかと、懐に雑誌コバルトを入れておいたんだ」
そう言って、刃の刺さった雑誌をぽいと放り投げる。
「Webに移行すればこの手は使えないだろうがな。悪いが今日の所は退散だ!」

悪役のお手本のような捨て台詞を残しながら、男は森の奥に姿を消した。
ダルターラはその背を追い、オルグァスはスラヴィスとの再会を単純に喜び、マイダスは魂を抜かれたようにその場で固まっていた。





後処理を終え、件の仕立て屋に詰めかけた三銃士を待っていたのは、口から血を流して倒れているコンスラスの姿だった。
どうやら毒をあおったらしく、近くには遺書らしきものが置いてあった。
そこには、自責の念に駆られて死を選んだことと、娘のイリアだけは許して欲しいという内容がしたためてあった。
「周囲からの批判に耐えられなかったようだが……この女も相変わらずだな」
オルグァスが呆れたように呟き、三人はコンスランスを病院に運んだ。
もともと彼女は、刀で刺されて大怪我をしてもすぐに治るほど生命力の強い女性で、今回も命には別条ないという話だった。
「よかった。コンスラスにはまだ、色々と言いたいことがあるんだもの」
三銃士の一人───スラヴィスは大きく伸びをした。数年鈍っていた体をもとのように動かすには、まだ時間がかかるようだ。
回復したコンスラスは、今度という今度は夫に愛想を尽かしたようで、彼の弱点を洗いざらい話してくれた。
自分の罪を軽くするためかも知れないが、ともあれ妻に裏切られるとは思わなかった鉄仮面は、パリを脱出しようと彼女の元に戻って来た所を、あっさり捕縛された。
今は、愛する妻ともども牢の中である。罪悪感から解放されたコンスラスは、拗ねる夫の世話をしながら、心なしか以前よりも幸せそうに見えた。

「スラヴィス、マイダス、オルグァス!本当にありがとう!」
元気のいい叫び声が聞こえて、オルグァスは詰所の窓から顔を出した。荷物を背負ったダルターラが、こちらに向かって笑顔で両手を振っていた。
パリを騒がせていた鉄仮面騒動に決着がついたので、彼女は報告のためにひとまず故郷に帰ることになったのである。
「……ターラは一人で大丈夫だろうか」
すっかり保護者のような感情を抱いているオルグァスを、スラヴィスは微笑ましく思った。
「何、ついていきたかったの、オルグァス?心配しなくても、あの子はすぐに戻ってくるわよ。わたしたちの大事な仲間なんだから」
一方、マイダスは二人から少し離れた場所で椅子に座り、ぼんやりと壁にもたれかかっていた。
先ほどから少しも口を利かない彼に、スラヴィスがためらいがちに声をかける。
「マイダス、なんでそんなに離れて座るわけ?こっちに来なさいよ」
少しも意識している様子のない女性に、オルグァスは苦笑する。
「放っておけ。照れくさいんだろ」
「それにしても、再会してからろくに目を合わせてくれないなんて、酷すぎない?」
「二度と会えないと思っていた大事な女が、生きて戻ってきたんだ。男としてどう接していいかわからないんだろう。察してやれ」
「だけど……放っておくって、いつまでよ?」
スラヴィスとて気まずいのは同じだ。けれど、一度死ぬような目に遭って、ようやくマイダスの大切さに気付いた。今度こそ素直に彼を受け入れようと思っているのに、このまま単なる仲間に戻ってしまっては意味がない。
「口を開かせたければ、もう一度接吻でもしてやればいい」
他人事だと思って勝手なことを言うオルグァスに、マイダスの背中がぴくりと反応した。
「よーし」
なぜか袖をまくって、彼ににじり寄るスラヴィス。マイダスは危険を感じたのか、身を翻して走り出した。スラヴィスはむっとしてその後を追う。
「なんで逃げるの?なんで今さら赤くなるの?ちょっと!!」

彼の後を追って階段を駆け下り、広場に出る。ちょうど門の方角へ向かっていたダルターラと鉢合わせする。
「あ、ターラ!ちょうど良かったわ、捕まえて!」
「え?」
門番に挨拶をしようとしていたダルターラは、困惑して目の前を走り抜けるマイダスを見つめる。
「捕まえてってば!そいつ鉄仮面よ!!」
スラヴィスが叫び、
「ど、どう見ても違うと思うけど……?」
ダルターラが戸惑い、
「やれやれ、先が思いやられますねえ」
年季の入った門番が苦笑を浮かべる。


パリの空は今日も澄み渡っていた。











おまけ(後日談)



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