書庫 人殺しの末路2


当時その村には、人間離れして美しい少女が住んでいた。

地主の娘で、村で一番の大きな屋敷に住んでおり、人前には滅多に姿を現さない。
リロというその少女が姿を現すのは、年に一度、村の祭りの時だけだ。実は人間ではなく、色男であった地主の父と魔性の女との間に生まれた半妖であるとか、それゆえ母親が彼女の美しさを妬んで幽閉しているのだとか、村にはまことしやかな噂が流れていた。
ある日、ラエスリールは少女と会話をする機会を持った。毎年祭りの手伝いに駆り出される父母が、その年だけは二人揃って体調を崩したからだ。
大人たちに交じってやぐらを組みたてているラエスリールを、高い所からじっと見下ろす少女の瞳には、生気がなかった。本当に生きているのか疑問に思うくらいだった。
「ねえお嬢さん、少しはあなたも手伝ったら?」
何の気なしに言うと、周りの大人たちは血相を変えて、ラエスリールを殴打した。
「馬鹿、なんてことを……!」
「お嬢さんに謝るんだ!」
「どうしてよ。私は何も悪いこと言ってない」
大人たちの蒼ざめた顔をよそに、リロは傷ついた様子もなく困惑した顔をした。そして蚊の鳴くような声で、やり方がわからないの、と言った。
リロの両親は近くにいなかった。実の親すらも娘を畏怖しており、祭りの時にのみ姿を現すのも、娘の面倒を他の人間に見てもらえるから、ということらしい。
「なんだ、それなら教えてあげる」
ラエスリールが言うと、リロはこくりと頷いた。覚えは意外に早く素直だった。周りが言うほどおかしな少女でもないじゃない、と思った。




それをきっかけに、二人は毎年のように距離を縮めて行った。祭りの日でなくともラエスリールがリロの屋敷を訪ね、一緒に遊ぶような仲になった。
気の強いラエスリールと大人しいリロ、性格は正反対だったが、不思議と気は合った。リロの両親は、娘が下々の者と遊んでいることを咎めるどころか、遊びに連れ出すたびに、もう戻ってこなくていいと言わんばかりの態度を取るのが気になった。
「仕方ないの、私は不幸を招く娘だから。早く余所の村の若い男に押し付けてしまおうと思われてるの」
遊び疲れ、屋敷に戻る道すがら、リロは陰鬱な表情で呟いた。
幼い頃から魔性絡みの被害に遭い、お付きの者を死なせてしまう事件が後を絶たなかったらしい。貴族の娘にでも生まれていれば浮城に依頼するなりして防衛できただろうが、小さな村の地主などという中途半端な地位では、両親も娘を守り切れない。周囲の人間が持て余すのも無理はなかった。
「リロ……。皆はリロのこと、綺麗過ぎて気持ち悪い、人間じゃないみたいだなんて言うけど、私はあなたの味方よ」
ラエスリールにはそう言う他はなかった。
この少女と共にいるのは、決して友情からだけではなかった。同情と、そして義務感、何より自分のため。
村人たちにも、リロお嬢さんの支えになってあげなさい、と言い含められている。
リロが本気で両親に泣きつけば、地主も浮城に依頼するために重い腰を上げるだろう。依頼には莫大な費用を必要とする。その資金を村人から募るようなことがあれば、困るのはラエスリールたちなのである。
「私の傍にいたら、あなたまで酷い目に遭うかも知れない」
「大丈夫よ!あたしの家には破妖刀がある。いざとなったらリロを守ってあげる」



約束は、果たされなかった。
それから二年後の祭りの日に、村は妖主によって焼き滅ぼされた。

「ラエスリール!これを持って逃げなさい!」
崩壊した家の下敷きになった父が、ラエスリールに破妖刀──闇月輪を押し付けてくる。
こんなもの、と彼女は呻いた。何の役にも立たない。
燃え盛る家が、深紅の舌を伸ばしてくる。それは父を焼き母を焼き、大切な家を跡形もなく灰にした。ぼろぼろと泣きながら、ラエスリールは両親に別れを告げて走り出した。
破妖刀は自ら主を選ぶ。どれほど優秀な刀であっても、持ち主を使い手として選んでくれなければ意味がないただのお荷物だった。
遠くに見えるリロの屋敷も燃えていた。彼女はやはり災厄を招く娘だったのか。全身が火傷でひりひりと痛みを訴える。枯れて使い物にならない井戸に村人たちが一斉に飛び込んでいくのを、ただ見ていることしか出来ない。
体から力が抜け、熱い地面に膝をつく。煙が迫ってくる。呼吸をするたびに喉が焼けるようだ。
「おやおや……」
男の声が、頭上から降って来た。
顔を上げると、そこには若い男。燃え盛る深紅の炎そのもののような、美貌の青年が浮いていた。
「こんなところに破妖剣士がいるとはな」
耳にしっとりと甘く、魅惑的な声であった。
だが阿鼻叫喚の地獄図の中、自分だけが高みにいて、平然と笑ってラエスリールを見下ろす──その行為だけで、人ではない畜生である事がわかる。
魔性だ。それも、恐らくこの騒ぎの元凶。
「お前が……お前がこれをやったの!?」
怒りに全身の血が沸騰する。
「そうだと言ったら?」
男の楽しげな表情を見れば、その答えは一目瞭然だった。
この村は、もうお終いだ。両親の遺言では浮城に身を寄せるようにとのことだったが、ラエスリールはまだこの破妖刀に選ばれたわけではない。形見の刀だけが回収されて自分は放り出されるくらいなら、浮城などには行かず、こんな事態を招いた魔性に一矢報いる方が余程いい。
たとえ自分の命をかけても……!
「降りて来なさい、卑怯者!」
罵声を投げても、空中にいる男には届かない。それどころか、騒ぎを聞きつけた村の生き残りの男たちが、必死になってラエスリールを羽交い絞めする始末だった。
「馬鹿、よせ!相手は魔性だぞ、刺激するな……!」
「お願いします、我々はあなたに抵抗しません、どうか、どうかご慈悲を……!」
「そうだ、この村には稀なる美貌の娘がおります!その娘を差し上げますから、どうか我々の命だけは……!」
男たちに押さえつけられながら、ラエスリールはこみ上げる怒りを必死で堪えていた。
だが、自分にはこの男たちを責める権利など無いのかもしれない。自分とて、確かに保身の意味もあってリロと仲良くしていたのだから。
「あー、その娘なら知ってるぞ。さっきおれの知り合いが拉致したところだ」
何でもないことのように青年は言い放った。命乞いが通じない気配を悟った男の一人が、今度はラエスリールの髪を掴んで持ち上げる。
「そ、それならこの娘を差し上げます!容姿は数段落ちますが、他にも若い娘の生き残りがたくさんおります!お望みならば──」
「ふざけないでよっ!!」
堪忍袋の緒が切れたラエスリールは、男たちに体当たりした。不意の行動に彼らはよろめき、彼女は二本の足でしっかと立ち上がった。
「あんたたち、魔性にやられっぱなしで悔しくないの!?男どもがやらないなら、あたしが代わりにやってやる!」
力のない自分が悔しく、歯軋りするラエスリールの腕の中の破妖刀が、不意に強烈な輝きを帯びた。
「リロを返して!村の皆を元に戻して!!」
絶叫と共に、破妖刀が眩しい光を放つ。闇月輪が、ラエスリールを使い手として認めた瞬間だった。
「……ほう。面白い」
青年が感心したように目を細めた。
少女がやけくそで振り回す破妖刀を楽しげに見守りながら、彼は敢えてラエスリールの目の前まで下りてくる。
「な……!?」
美しい顔が間近に迫る。
と、彼は指を伸ばしてラエスリールの額をつん、と突いた。
眩暈がしたのはほんの一瞬のこと。周囲にいた男たちが急に苦しみ悶えて倒れ、意識を失う。
何をされたのか自覚する暇もなかった。気付けば彼女の体からは火傷が消えており、村を包む炎も沈火していた。

「追って来い」
茫然としているラエスリールの耳に、青年の声が響いてくる。
「おれが憎いなら、追って来い。いつでも相手してやるよ……何せ、暇だからな」
青年のその言葉を理解するのに、実に数十年を必要とした。





「では、あなたはその間ずっと一人で……?」
言葉を失うマンスラムの前で、ラエスリールはこくりと頷いた。

彼女の言う故郷とは、既に五十年ほど前に滅んだ村のことだった。目の前にいるのは、十代の少女──それが何を意味するのか、わからぬ城長ではない。
柘榴の妖主は時を操る力を持つ。
村を滅ぼした元凶を討とうとする、その憎しみすらも彼は娯楽とし、その時からラエスリールの肉体的成長を止めたのだ。
世界のどこにいるかもわからぬ柘榴の妖主を探し当てるまでは死ぬこともできない、それは永遠の呪いに近かった。
「こんな幼い少女に……何と残酷なこと……」
ラエスリールが柘榴の妖主に殺意を抱くのは、十分な理由だった。
けれど、まだ肝心なことを聞いていない。なぜそれで彼女の養女の方である『ラエスリール』が死なねばならなかったのか。
「残酷、ですか」
ラエスリールはくすりと笑った。
「柘榴の妖主も残酷ですが、それ以上に彼の奥さんは残酷でしたよ……そう、彼は確か『ラス』と呼んでいました」
部屋の人間の気配がざわめいたのに、半世紀以上も生きた少女は不審そうに視線を彷徨わせた。
破妖剣士が妖主を倒した、この点だけなら実に喜ばしい話題のはずなのに、先程から、この人たちはどうも変だ。まるで私が悪い事をしたかのような態度がおかしい──そう言いたげな視線であった。
「……どうされました?」
真実を教えられないマンスラムたちは、彼女の疑問に答えられない。
「何でもないのよ、話を続けて」
「そうですか……」




与えられた個室で、ラエスリールはふうと息をついた。
五十年以上放浪し色々な人間を見て来たが、やはり浮城の人間は異質だと改めて思った。
護り手などというものを付けてくれるらしいが、出来れば断りたい。人間に危害を加える魔性がどうして信用できるものか。
それに、あの人たちは何か隠している。それが現実だった。
新入りの自分に対して慎重なのとは別の理由で、何か知られたくないことがあるのだ。
そうでなければ、妖主を倒した功労者を、こんな軟禁に近い状態に置くまい。
「……あの」
生活の世話をしてくれる砂色の髪の女性に、ラエスリールは話しかけた。
「なに?」
女性の返答は冷たい。その棘のある態度は、ずっと孤独に旅をしてきた六十八歳の少女を竦ませるほどのものだった。
「私を破妖剣士として雇って下さるとおっしゃいましたよね。なぜ、こんな罪人のような扱いを受けなければならないんでしょうか」
罪人と言う単語に、女性の肩がぴくりと反応した。
「……そうね。あなたは何も悪くないんだものね」
その言葉は逆に、お前が悪いと言われているような気がしてならない。ラエスリールが何をしたと言うのか。長年追ってきた敵を倒した、ただそれだけのこと。
それとも、何か別の理由が……?
思いつくのは、柘榴の妖主の妻の存在だった。けれど魔性の味方をしている人間を斬った所で、浮城の人間に冷たくされる謂われはない。
現に浮城の人間とて、魔性に操られた人間をやむなく手にかけたことがあると聞く。立派な正当防衛ではないか。





「許せなかったんです」

破妖刀を握り締めながら、ラエスリールはもう一度繰り返した。
室内の空気が明らかに変わったのはわかっていた。
人殺しと罵られることは覚悟していた。柘榴の妖主はともかく、あの女性は人間であるように見えた。
その事についての反論は用意していた。だが、顔を上げた時のマンスラムの表情に、ラエスリールに対する軽蔑はなかった。
蒼白な表にあるのは怒りではなく、純粋な衝撃。室内の他の人間にしても同じことだった。
話を続けてもいいのだ、とラエスリールは思った。少なくとも一方的な罵倒を受けて拘束されることはない。それだけで、随分と救われた。
村を失ってから、ラエスリールはこの広い世界を彷徨った。成長の止まったこの肉体を持て余しながら。
あの男を殺さなければこの身体にかけられた呪いは解けない。失った故郷には二度と戻れない。妖主の行方を突き止めるためには、高名な占い師、呪い師の類に払う依頼金が必要だった。生活のために、身体も売った。
そんな荒んだ人生の果てに、ようやく柘榴の妖主を探し当てた時には、彼は美しい妻と子供に囲まれて幸せそうに暮らしていたのだ。
「最初は、人間の女性を拉致して、騙して暮らしているのかと思いました。でもそうではなかった」
柘榴の妖主の妻は、彼が魔性であることも、そして本性を知っていながらも、そんな彼を愛していた。そして彼が散らしていった数多の命を、更に侮辱して踏みつけにした。
それが、許せなかったのだ。

『柘榴の妖主、覚悟っ……!』
考えるより先に、体が動いていた。
積年の恨みを込めて振り下ろした刃は、女性の不思議な力によって阻まれた。
気を失ったラエスリールは、あろうことか彼らの暮らす小屋で目覚めた。そこで、枕元で交わされる、信じられない夫婦の会話を聞いてしまった。
『闇主、これはどういうことだ。この娘に何をした!?』
女性は柘榴の妖主を親しげに『闇主』と呼んでいた。それは、この女性が彼に拉致された被害者と言うわけではなく、本当の妻なのだと言うことを意味していた。
『昔のことだからすっかり忘れてたんだよ。そういやいたな、こんな娘。怯えて媚びを売る人間が多い中で一人だけ気丈だったから、つい悪戯心で術をかけちまった』
柘榴の妖主は、案の定ラエスリールの事を覚えていなかったらしい。けれどそれ以上に、共にいる女性の発言は衝撃的だった。
『早く解いてやれ!かわいそうじゃないか』
彼の妻である美しい女性の口から飛び出した『かわいそう』という単語に、ラエスリールの心がささくれ立った。
間違ったことは言っていないかも知れない。確かにラエスリールは同情されるべき人生だ。だが、気のせいだろうか。女性の無邪気な言葉から、ねっとりとした悪意を感じるのは。
『解いた所で、この娘は命ある限りおれを追ってくるぞ?半世紀も正気を残しているのは見上げたもんだが……ここはひと思いに殺してやるのが情けってもんだ』
情けの意味を履き違えているらしい青年の言葉に、女性は激しくかぶりを振った。
『駄目だ、絶対に殺すな!お前なら、この娘の記憶を消して、遠くに飛ばすことぐらい出来るだろう?』
何を……。
横たえられた寝台の中で、ラエスリールは耳を疑った。
何を言っているのか、この女性は。
両親を殺され村を焼かれた恨みを忘れ、水に流して生きろと言っているのか?
『もう彼女を解放してやれ!嫌なことは忘れて、新しい人生を歩ませてやるべきなんだ』
確かに嫌なこともあった。否、嫌なことの方が多い人生だった。
けれど、何故それを決める権利がこの女性にあるのだ。
眠っている隙に記憶を書き換えるような権利が、一体どこの誰にあると言うのか。
リロと過ごした偽善の、それでも友情めいたものも確実にあった日々。村を焼かれた苦しみ、半世紀も彷徨っていた悲しみ。柘榴の妖主に対する激しい憎悪。
全て含めてのラエスリールの大事な人生だ。
それを妖主の指先一つで、「なかったこと」にしようとしているのだ、この女は。夫に苦しめられた人々のことなど、何一つ考えずに。
他人の不幸の上に成り立った幸せであるのに、ただ自分たちだけの安息を求め、障害になるものを取り除こうとしている。
ラエスリールを心底打ちのめしたのは、それが『魔性』ではなく『人間の女性』の意思によって紡ぎだされた結論であること、だった。
ラエスリールの心は今度こそ絶望に突き落とされた。初めに見た時は、優しそうに見えた。魔性に犯され無理矢理妻にされた不幸な美女だと思っていたが、とんでもない話だった。

この女だけは許せない。
この女は、ここで死ななければならない。
人間でありながら魔性側につき、魔性に魂を売った存在など、決して許してはならない──。

ゆらり、とラエスリールは起き上がった。
「ラス!」
柘榴の妖主の声は間に合わない。
気配に気づいて振り返る女性の胸に、ラエスリールは迷わず『闇月輪』を突き刺した。
その行為は間違ってはいなかった。なぜなら、人間相手には破妖刀は使えないはずなのに、闇月輪は嬉々として女性の命を啜ったのだ。
即ち、この女性は既に柘榴の妖主の手によって、魔性化されていたのだと言うこと。あるいは最初からそうだったのかも知れない。
女性は、信じられない、という顔をしていた。最後まで、どうしてこんな目に遭うのかわからない、自分が何故他人の恨みを買うのか、全くわからないといった顔だった。
本当にわかっていないのだろう。夫を攻撃する相手を庇って、家の中に入れて介抱し、おまけに夫に助命懇願までしたのに、どうして殺されなければならないのかと、そう思ったまま命を落としたに違いない。
その空虚な表情を見て、ラエスリールは悟った。この女性は今までもこんな風にして、何度も他人の尊厳を踏みにじって来たのだと。
ふと視線を感じて顔を上げると、柘榴の妖主は笑っていた。妻を殺され憤怒に染まるどころか、不気味な笑顔と共にその身体は徐々に輪郭がぼやけていく。
ああ……。
臍の緒のように、妻と命を繋げていたのか、とラエスリールは悟った。妻が死ねば自分も死ぬ、そのように思える程度には彼女を愛していたらしい。
長い人生に飽き、自殺も選べず、誰か殺してくれないかと思う気持ちは、自分も体験したばかりだ。そのためにラエスリールの憎しみを利用したらしい。何もかもがこの男の掌の上だったと言うわけだ。
仇は討ったが、空しい気持ちだけが残った。荷物をまとめてラエスリールは小屋を出た。
背後で、おかあしゃま、と叫ぶ声が聞こえたが、相手にはしなかった。子供まで手にかけるつもりはない。


そうして真っ直ぐに、浮城へと向かった。
今のラエスリールにあるのは、同じ境遇に苦しむ人々を少しでも救いたい、という思いだけだった。




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