書庫 くるみ割り人形(リーヴシェラン、彩糸)


「リーヴィ、お誕生日おめでとう」
優しい父からのプレゼント。それは、虹色の髪をした人形だった。
「ありがとう、ソルヴァンセス父さま!あたし、ずーっと前からくるみ割り人形が欲しかったの」
リーヴシェランは喜び、美しい人形を抱きかかえてくるくる回った。
と、その横からにゅっと手が伸びてきた。
「ったく、ガキだなー。十四にもなってこんな玩具で遊ぶなんてさあ」
弟のザハトはそばかすだらけの顔で笑いながら、リーヴシェランの手から人形を取り上げてしまった。
「ちょっと、返しなさいよっ」
「やだねー、ここまでおいでっと」
リーヴシェランが真っ赤な顔をして追いかけてくるため、ザハトは室内をばたばたと逃げ回った。
「こらこら二人とも、やめなさい。ご近所に迷惑だろう」
ソルヴァンセスは困り顔で見ている。
そうこうしているうちに弟が椅子の足につまずき、二人は折り重なるような形で派手に転んでしまう。
ザハトの下敷きになっていたくるみ割り人形が、
「ぽきっ」
といやな音をたてた。
「きゃー!」
リーヴシェランは悲鳴を上げて、弟の背中を力いっぱい突き飛ばした。ザハトの体は猛烈な勢いで三回転半して柱に激突し、やがて動きを止めたが、彼女はそれどころではない。
慌てて人形を拾い上げた。
しかし、時すでに遅し。買ってもらったばかりの人形の腕が、見事にもげてしまっている。
リーヴシェランはへなへなと床にへたりこんだ。
「あ、あたしの人形が…壊れちゃった」
ソルヴァンセスは、そっと娘の肩を抱いた。
「人形ぐらい、また買ってあげるよ」
「あたしの人形が…」
「リーヴィ。それより、ザハトが頭から血を流しているんだ」
「あたしの人形が…」
「リーヴィ。それより、ザハトがさっきからぴくりとも動かないんだ」
「あたしの人形が…」
「リーヴィ。聞こえているかい」
「あたしの人」
「えー加減にせいっ!!」



深夜。
帰宅した佳瑠は、台所の掃除をしているソルヴァンセスに声をかけた。
「今帰ったよ」
「ああ、おかえり佳瑠。遅いから心配したよ」
「焔矢と飲んでいたら遅くなってね。それより何だい、この匂いは」
佳瑠は顔をしかめながら手を左右に振った。
「実はかくかくしかじかで、ザハトの血の後始末を」
「なるほどね。…しかしどうも気になるね、その人形」
妻の言葉に、ソルヴァンセスは目を丸くした。
「え、どういうことだい?」
椅子に座った佳瑠は、難しい顔をして天井を見つめる。
「人形には、作り手の意思が宿る。粗末に扱う者に、不幸をもたらすものもあるってことさ」


リーヴシェランは、泣きながら人形の腕を縫い付けていた。
「ごめんね、ごめんね」
涙が、人形の顔にぽたぽたと落ちた。
(泣かないでください)
不意に、どこからか声が聞こえてきた気がした。
ここは寝室だから、周囲には誰もいない。
思わず人形を見つめる。
「あ、あなた…なの?」
(はい。初めましてリーヴシェラン。私の名は彩糸)
くるみ割り人形は、そう言ってにっこり笑った。
「う、腕は大丈夫なの…?」
(ええ。元に戻してくださってありがとうございます)
「良かった!」
リーヴシェランはきゅっと彩糸を抱きしめた。




部屋の隅から、紫色のネズミが一匹。
その正体が誰なのかは、説明するまでもないと思う。
ネズミは軽やかな足取りで寝室の絨毯の上を滑り、すやすやと寝息を立てているリーヴシェランの寝台へとよじ登った。
「ふふふ、もう逃がさないよ…」
彼の狙いは少女ではなく、枕元に置いてあったくるみ割り人形だった。
「わたしの可愛い、お人形さん」
しかし、人形に手をかけた途端、それは虹色に発光した。
「うわー!」
溢れ出す光に目がくらみ、ネズミは後方へと弾き飛ばされた。
彩糸は、憤然とした表情でネズミを睨みつけている。
「今更、何の御用でしょうか。我が君」
かつての配下の前で醜態を晒してしまった藍絲は、顔を赤くしながら態勢を立て直す。
「用も何も。わたしはお前を迎えに来たのだ!さあ、一緒に我が城へと帰ろう」
彩糸はかぶりを振った。
「いいえ。私の今の主人は、この少女です」
「何を馬鹿な事を…」
「私は知っているのです。あなたがあのお方の怒りを買って、夜になるとネズミの姿に変わってしまう呪いをかけられたことも。その呪いを解くには、一人でも多くの配下の力が必要だということも」
ネズミは沈黙した。
「いい気味だとまでは申しませんが、私はこれ以上、あなたに利用されるのは耐えられない。どうか、お引取り下さい」
「おのれ…わたしを裏切るつもりか!」



翌朝、目覚めて枕元を見たリーヴシェランはぎょっとした。
縫い付けておいたはずの彩糸の腕が、また折れているではないか。
しかも、明らかに何者かの手によって千切られている。
「ひどい…誰がこんなことを!」
彩糸は返事をしなかった。もしかしたら、夜にならないと口がきけないのかも知れない。
「わたしに逆らうからだ」
低い男性の声が聞こえて、彼女は再びぎょっとした。
目の前に、紫紺の長髪を持つ、美しい男性が出現していた。ひどく疲れ果てた様子で、肩から血を流している。
彼は、鋭くリーヴシェランを睨みつけていた。その手がこちらへ伸びてくる。
逃げる暇もなく、喉を絞められた。
「小娘、お前さえいなければ…!」

その時。
「何やってんだこの変態親父ーっっ!!」
ザハトの空中キックが、見事に藍絲の背中に決まった。
呆然としているリーヴシェランの前で、青年は三回転半して柱に激突した。ワンパターンな親子である。
「お、おのれ、お前までわたしを裏切るか」
ザハトはあかんべをした。
「おれはもうこっちの家の子なんだよ。それに、母ちゃん怒らせたのは自分の責任だろ?幸せなおれたちの邪魔すんなっての」
「くっ…」
藍絲は悔しげだったが、いかんせん、手負いで分が悪い。
「ここは退こう。決着は今晩だ!」



再び、夜。
彩糸を囲んで、家族会議が行われていた。
「まさか、我が君がネズミに変えられていたとは…」
佳瑠が痛ましげな表情をしながら言った。ソルヴァンセスがそっとその手を握る。
「君が責任を感じることはない。君はもうあの人の配下ではなく、わたしの奥さんなんだよ」
優しい言葉に、佳瑠は目を潤ませた。
「ソルヴァンセス…」
「佳瑠…」
この二人はあてにならないと判断したリーヴシェランは、ザハトに向き直った。
「ねえ、どうしたら彩糸を守れるのかしら。あたしたちに出来ることはないの?」
ザハトはうーんと唸った。
「つうかさー、わざわざ今晩って言ったのが引っかかるんだよなあ。だって父ちゃん、夜になるとネズミになっちまうんだろ?絶対昼間のほうが有利なはずなのに」
「そういえばそうね」
「とりあえず、部屋にネズミ捕りを置いとこう。彩糸のことは、おれとお前と、交代で見張ってりゃ間違いないだろ」
「ええ、そうしましょう」
「ああ、佳瑠…」
「ソルヴァンセス…」
「お前らよそでやれよ!!」



深夜。
こっくりこっくりしていたリーヴシェランは、ザハトに揺り起こされた。
「え、何、もう交代?」
ザハトは唇の前に人差し指をあてた。耳を澄ますと、部屋の隅からかすかな音が聞こえてくる。
ちゅー、ちゅー。
ネズミの鳴き声だ。それも、一体や二体ではない。
「くそ…そういうことか」
ザハトは舌打ちして、リーヴシェランの手をぎゅっと握る。
「おい、何が出てきても驚くなよ」
「え…」

『チューーーーーー!!』

重いはずの本棚が、音を立てて倒れた。その裏からどどっと灰色の砂が大量になだれ落ちてきた。いや、それは良く見れば全て、ネズミだった。
「嘘、でしょ…反則じゃない、これって」
半ば呆然としながら、リーヴシェランは呟いた。
壁にぼこぼこと穴が空き、そこからも灰色の塊が落ちてきた。絨毯にも幾つもの凹凸が生まれ、何かがもぞもぞ動いている。ぼた、ぼた、ぼたっ。天井から次々と、柔らかい石のようなものが落ちてきた。
どう見積もっても100匹は越えている。これだけの数があれば、仕掛けておいたネズミ捕りなど何の役にも立たない。
生臭い匂いが部屋全体に満ちていく。ネズミの大群は、寝室を縦横無尽に駆け回った。
「いやああああああ!!」
生暖かなものが膝の上を通過し、リーヴシェランはたまらず悲鳴を上げた。視界が灰色一色だ。いかなる動物好きでも、この状況には耐えられまい。
「馬鹿、落ち着け!」
怒鳴るザハトの肩の上を、灰色の物体がよじ登っていく。背中を伝い、背後にかくまっているくるみ割り人形を狙っている。
「彩糸っ」
くるみ割り人形は、ぱっちりと目を開けた。
「リーヴィを脅かすものは、わたしが許しません」
「だまれ!」
灰色の群れの中から、一番大きなネズミが飛び出してきて、彩糸に襲い掛かった。
「人形はわたしの命令に従っていればよいのだ。余計な感情など持つ必要はない!」
ネズミの体が、紫紺に光る。くるみ割り人形が、静かに告げた。
「我が君…あなたに与えられた力、いまこそお返しします」


瞬間、虹色の光と紫紺の光が、ほぼ同じくらいの強さでぶつかりあった。
まぶしくて、目を開けていられない。
「ぐわあああ」
光に押され、飲み込まれたネズミのすさまじい絶叫が、その場に響いた。


ふと気づくとネズミの集団は跡形もなく消えており、部屋の中央にぼろぼろの人形が転がっていた。
「彩糸!!」
リーヴシェランは慌てて駆け寄った。
(ありがとう、リーヴィ)
人形は、最後の力を振り絞って微笑む。
(もう、何も心配要りません。あなたを守ることが出来て、良かった……)
闇の色をした瞳が閉じ、そして……かくんと、首が垂れた。

「彩糸?」
リーヴシェランは、かすれた声でつぶやいた。
抱き起こしたが、それはもはやただの人形に過ぎず、手足は千切れ、胴体から白い綿がはみだしていた。
「さい、し…」
リーヴシェランは、人形をがくがくと揺らした。
「どう、して。何か言ってよ」
涙が、瞼を押し開いてこぼれ出した。
「嘘よっ、彩糸、返事をして!」
叩いても、ゆすっても、人形は動かない。
「こんなの、こんなのいやあっ…!!」
泣き叫ぶリーヴシェランを、ザハトはそっと抱きしめてやった。身長差があるため、どちらかといえば、抱きつくのに近かったが。


くるみ割り人形は、主人を守って果てた。
それはとても幸せなことだったのだ。





数日後。
部屋で塞ぎ込んでいるリーヴシェランを、呼ぶ声があった。
「ちょっといいかい?」
「なあに、父さま…」
「人形が壊れてしまっただろう。新しいプレゼントを持ってきたよ」
「いらない」
「そう言わずに。絶対気に入るから」
しぶしぶ居間に下りていった彼女は、そこに待っていた人を見て、目を見開いた。

「マーセルヴィンス、といいます」
髪は虹色ではないけれど、瞳は漆黒ではないけれど。
自分に向けられる笑顔は、全く同じだった。
「彩糸…」
美女は微笑む。
「幼い頃に別れた、君の姉さんだよ。覚えていないだろうけど」
ソルヴァンセスの言葉に、彼女は泣き笑いした。
「ううん…覚えて、いるわ」
「これからは、ずっとわたしたちと一緒に暮らすんだ。不満かな」
「不満なんかないわ!」
リーヴシェランは、思い切り美女に抱きついた。


「ありがとう父さま、最高のプレゼントよ!!」




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