・桜妃の毒牙にかかる九具楽 ・最初だけシリアス 魔性という種族は、元来かなり傲慢な性格をしている。力が強ければ強いほどその兆候が大きく、さらに上級魔性ともなればその独善ぶりは人間の比ではない。 更に厄介なのは、それが単なる自惚れではないということだ。漆黒の髪と瞳は、この世で絶対の力を持つ妖貴の証……根拠に裏付けされた自信を彼らは確実に手にしている。 そしてその魔力を力劣る者にあるいは無力な人間の前で惜し気もなく見せ付けては、逃げ惑う彼らの血を肉を精神をずたずたに引き裂き、その慟哭を心地よく耳にして歓喜に浸る。九具楽も例に漏れず、そんな上級魔性のひとりであった。 閉ざされた自分だけの空間の中で、彼は必死に技を研いていた。闇を凝結させて作った刄を標的に叩きつけた。氷の彫刻が一瞬にして破壊され、白い蒸気を上げて消滅する。九具楽は腕を下ろし、深く息を吐いた。 「まだだ……こんなものでは足りない」 じっと床を見つめる。映っているのは自らの顔。妖貴の中でも群を抜いて美しく、また力に溢れた彼には今、どうしても手に入れたいものがあった。 柘榴の妖主……世界に五人存在するという魔性の王の一人。またの名を千禍。九具楽は彼の信頼が是非とも欲しかった。そのためには今以上の力が必要だった。 傍にいることは許されたものの、あの掴み所のない主人はまだ九具楽を一人前とは認めていないようだった。だからこそ今以上の力が欲しい。だが、そのためにはいったい何が足りぬのか……それさえ判れば。 「うふふ……」 不意に背後から、少女の忍び笑いが聞こえた。九具楽は振り返った。しかしその先には何もない。 「うふふ……くすくす」 今度は別の方向から笑い声が聞こえる。そちらを見てもやはり何もない。 くす、くす、くす。 声はすれど姿は見えず、その事実こそが自らの力の至らなさを証明していることに気付き九具楽は苛立つ。 「誰だ。姿を見せろ」 自分だけのために拵えた空間に土足で踏み入った存在を、許す訳にはいかなかった。九具楽は目を伏せ、相手の気配を探った。 「うふふ……くすくす。お馬鹿さん」 声は唐突に頭上から降ってきた。はっと気付いたときには既に遅く、漆黒の色彩を纏った少女の体が彼めがけて落下してきたところだった。 「うわっ!」 避ける間もなく九具楽は少女の下敷きになり、転倒を余儀なくされる。頭を強かに床に打ち付けた。 柔らかい体が自分の上に覆い被さっている。すぐに体を起こそうとして叶わぬ現実に、九具楽はいぶかしげに視線を動かした。両の手首は少女の手によってきつく捕まれ、床に押しつけられていたのだ。彼の上にまたがったまま、少女はゆっくりと顔を上げた。 「うふふ……はじめまして。驚かせてしまったかしら?」 満面に笑みを浮かべてそう言った少女の瞳は、やはり彼と同じ漆黒で、腰の辺りまである長い髪は、丁寧な螺旋状に巻かれていた。 不快を、九具楽は隠そうともせずに、「私に何の用だ」と言った。 少女は九具楽から片手を離し、可憐な指先でそっと彼の鼻先をつついた。 「つれない人。女嫌いだって噂はどうやら本当のようね」 女が嫌い、ではない。碌な女がいないの間違いである。 「早く私の上からどけ」 刺すような言葉にも少女は怯まない。 「あら、どかせるものなら、やってごらんなさい?」 九具楽の顔は屈辱に染まった。 腹に力を入れるが、上に乗った少女の体はびくともしない。九具楽の中に焦りが生まれた。 何なのだこの少女は?柘榴の妖主の配下たる自分を、こうもあっさりと押さえ付けるとは……! 「お前は一体……」 九具楽は低く呻いた。 もしや、自分はとんでもない勘違いをしていたのではないか?努力や精進などは全くの無意味で、選ばれし者は生まれ落ちたその瞬間に他者を従える権利が約束されており、それ以外の力なき者は所詮、彼らと肩を並べることなど許されないのだろうか? それを考える九具楽の体から力が抜けていく。 「……あら、もう終わり?」 つまらなさそうに呟いて、少女が顔を覗き込んでくる。少なくとも害意はないようだった。 「お前は……」 言い掛けた九具楽の口を、少女の紅い唇が塞いだ。ぺろり……と上唇を舌でなぞると、少女は無反応でいる彼を面白そうに見つめながら言った。 「あたしは桜妃。翡翠の君に仕える者」 九具楽の目は少女を見ずに、どこまでも続いている漆黒の天井を眺めていた。手を延ばしても決して届かない、果てしない闇の彼方を。 「そうか……お前が『夢喰いの桜妃』か。人の夢を蝕み、その慟哭を糧とするらしいな」 「そうよ。そしてこんな風に、素敵な夢を見せることも出来る」 桜妃はくすくす笑いながら九具楽に今一度口付けた。九具楽はもはや無抵抗だった。何もかもどうでも良かった。ここまで圧倒的な力の差を見せ付けられては抗いようもない。 「……どうしたのよ。暴れてくれなければ面白くないわ」 「君は……」 と九具楽は言った。完全に負けたと思った瞬間、彼はこの少女に敬意を払うことに決めた。力ある者に魅かれるのは魔性としてごく自然な感情の働きであった。例え相手が年端もいかぬ少女の姿をしていたとしても。 「君はどこでこのような荒技を身につけた?」 誉め言葉と受け取ったのだろう、桜妃は淡く微笑んだ。 「ありがとう。……でも、まだ完璧ではないわ」 九具楽の胸に何かが引っ掛かった。完璧ではない、だと?これほどの力がありながら……? 「あなたも力が欲しいのでしょう、九具楽?ならばあたしはそれを手伝ってあげられるわ」 桜妃はその時だけは真剣な眼差しで告げた。 「何……?」 聞き捨てならないことを聞いたと思った。九具楽の聴覚が鋭敏に働く。 「二人でいれば、互いの力を何倍にも増幅させることが出来る。あたしの仲間内ではそれを『共鳴』というの」 桜妃は早口で喋った。体重を更に彼に預けてくるその所作は、先へと続く話の伏線であった。 「あたしもまだ完璧ではない。我が君のために今以上の力が欲しい。あなたと同じね……九具楽」 ああ、そうか。足りないものとはこれだったのかと彼は思った。主人とは違う、自分に最も近しい存在。潜在している力を、最大限まで引き出すことが出来る相手。 「ずっと探していたわ……。あなたのような男を。あたしと力を重ねましょう。お互い更なる力を得るために……我が君にいっそう愛されるために」 九具楽は目を伏せた。期待以上の迷いが確かに、ある。 「私に、可能だろうか……?」 「もちろん」 桜妃が頷く。 「あなたなら、できるわ。じゃあ早速……」 桜妃の白い手が動き、九具楽のたくましい胸を撫で擦った。 「なっ……何をする!」 思わず身を引く九具楽に、彼女は満面の笑みでにじり寄った。 「あら、どうしたの?力を重ねたいのではなかったの」 言いながら彼の衣服を肩から脱がしていく。九具楽は青くなった。 「か、重ねるのは力だけではないのか!何故脱がす必要があるっ!」 「うふ、大丈夫よ。あたしも脱ぐから」 桜妃は舌を出して片目を瞑った。可愛らしい仕草だが、九具楽の背筋には寒気が走った。逃げようとするが手首はしっかりと押さえ付けられている。 「さあ、『共鳴』を始めるわよ。体から力を抜いて……大丈夫、あたしに任せていればいいから……」 桜妃の顔が近付いてくる。 「や……やめろ!待ってくれ!私はまだ……!!」 ※ 数十年振りに虚空城を訪れた千禍は、見違えるように自信に溢れた顔をしている配下の青年を見て、軽い驚きを覚えていた。 「お前……何かあったのか?しばらく見ないうちに、随分ふてぶてしい面構えになりやがったな」 眉を潜めて問い掛ける主人の前で、九具楽は額に手を当てて「ふっ」と笑った。 「何という光栄……あなたがわたしのことを気に掛けて下さるとは」 心なしか自分に酔ったような口調である。目は遠くの方を見つめていた。 「……悪いもんでも食ったのか?」 珍しく心配してやったのに、九具楽はふるふると首を横に振った。 「いいえ、私は真実の愛に目覚めたのです。人を愛するということは素晴らしい行為ですね、千禍」 「………」 大きくなったのは態度だけではなかった。実際、九具楽の魔力は短期間ですさまじいほど成長していた。程なくして千禍は、彼を自分の右腕として認めるようになる。 だがその影に桜妃という妖貴の力添えがあったことを、もちろん千禍は知らない……。 ──おわり── これはひどい 戻る [*前] | [次#] ページ: TOPへ |