書庫 弓を持つ者(セスラン→サティン、架因)


・修行時代。セスラン→サティンの圧倒的片思い
・架因とセスランが仲悪い設定(捏造)です
・前半サティン視点、後半セスラン視点
・治療と称したキス有(口にはしません)


大丈夫そうな方はどうぞ↓





「行っけえええっ!」
高い少女の声がその場を支配した。
激しい躍動に砂色の髪が舞う。若くしなやかな肢体は妖鬼の攻撃を全く寄せ付けず、放たれた矢の先端は標的の眉間を確実に貫いた。
ぎぃぃ、と奇声を上げて妖鬼は倒れる。人より遥かに背の高い魔性の頭部を狙うため高い跳躍を余儀なくされていたサティンは、手応えありと思った瞬間、空中でバランスを崩した。
「きゃ……」
半端な態勢で落下し始める彼女の視界に、大地が迫る。しかし、予想していた衝撃はなかった。目に見えぬ力に包まれたサティンは無難に足から着地し、ほっと息をついた。
「ありがと、架因」
自分の体を支えてくれた護り手に感謝の言葉を述べる。
「どういたしまして」
柔らかそうな青い髪を揺らした少女姿の妖鬼はいたずらっぽく答えた。
サティンは倒れた相手の眉間から矢尻を引き抜く。滴り落ちる体液とともに、矢の先端が顕になる。妖鬼の命はここに封じられたのだ。矢尻を回収したサティンは首に下げた袋の中にそれを入れた。
「お仕事、完了っと。それにしても……」
浮城を出てからずっと行動を共にしている捕縛師の姿が見当たらず、サティンは声を潜めた。
「……あの人、どこに行ったの?」

ぱち、ぱち、ぱち。この場にあまりにもそぐわない、能天気な拍手の音が聞こえてきたのはその時だった。
「いやあ、お見事ですねえサティン。初仕事の時、小鬼一体倒すのにも手間取っていたのが嘘のようですよ」
「セスラン様……」
がくりと肩を落としたのは、決して肉体的疲労が原因ではない。判っているのかいないのか、目の前のブロンズの髪の青年はにこにこ笑顔を崩そうとしない。
「お誉めにあずかり光栄です。さっきからずっとそこにいてくださったんですねえ、気付きませんでした」
嫌味のつもりでそう言ったのだが、生憎とこの相手には通じなかった。それどころか、ますますこちらが脱力するような言葉を投げ掛けてくる。
「いえいえ、実際素晴らしい戦いぶりでしたよ。ああそれと、さま、は結構です。わたしとあなたでは、さほど歳も離れていませんしねえ」
嘘をつけ、嘘を……そう心の中で呟きながらも、言い返せぬ己の立場が口惜しい。既に数件の依頼をこなしているとはいえ、サティンはまだまだ新米の域を出ない。だから、大きく深呼吸をする……浮城を出てからというもの、溜まりに溜まっていた不満を、目の前の青年にぶつけるために。
「それじゃあ、セスラン。ひとつ伺ってもよろしいかしら?」
「はいはい、どうぞ」
すう……と息を吸い込む。
「何でいつも一人で勝手にどっか行っちゃうんですかっ!?」
うら若き乙女の怒鳴り声が、人気のない森林に響き渡る。
そう、サティンは怒っていた。新人の自分を置き去りにして勝手な行動ばかり取る、この先輩捕縛師に対して。
「サティン……あのですね」
青年が何か言い掛けるが、構わずサティンは続けた。
「そりゃあ、あなたほどにもなれば、たかが新米捕縛師なんかのために貴重な時間を割くのは惜しいのかも知れませんけど、でも後輩の指導だって仕事のうちでしょう?幾らわたしが欝陶しいからといって任務の途中で勝手に姿をくらますなんて、余りにも無責任かつ大人げないじゃありませんかっ!」
資格を取って間もない捕縛師が、いきなり単独の仕事を任されることはまずない。大抵は二人か三人で組になって……もしくはベテランの捕縛師の指導を受けながら徐々に実戦での呼吸を覚えていく、というのが通例である。
だがこのブロンズの髪の青年は、いつも一通りのことを教えるだけで、後はサティンが危険な目に遭っても手も足も口も出さない。今回とて、全てが片付いた後でいけしゃあしゃあと姿を現して『見事です』とは……サティンでなくとも怒鳴りつけたくなるのは当然だろう。
睨み続けるサティンに対して、青年はやや困ったように首を傾げた。
「いえ……わたしはあなたが嫌いなわけでも、欝陶しいと思っているわけでもありませんよ。本来ならば、可愛い後輩のためを思うからこそつれなくしているのだと言いたいところですが……生憎、そういうわけでもないんです」
じゃあ一体どうして、と呟き掛けたサティンは、ふと背中に温もりを感じた。護り手の架因が、いつの間にか彼女の背後に隠れていたのだ。
「架因、どうしたの?」
風もないのに、かすかに揺れている青い髪。震えているのだと気付くのに少々時間がかかった。
「架因……?」
魔性に涙などあろうはずもないのに、その青い瞳はわずかに潤んでいるような気がした。袖口をぎゅっと掴んでくるその行動からして、彼女の怯えの原因がサティンではないことは確かだ。
とすると……。
サティンは目の前の青年に視線を移し、それから改めて架因を見た。
───まさかこの子、セスランに怯えてるの?

「きゃああああああっ!」

その時、人の立ち入らぬはずの林の奥から、甲高い女性の悲鳴が聞こえてきた。
「何っ?まだ魔性がいたの!?」
驚くサティンを尻目に、いち早く動いたのはセスランだった。
「あなたはここにいなさい!」
告げるや否や、唖然とするサティンを残し、凄まじい速さで去っていく。自分というオマケがついてくるこの仕事に、彼はあまり乗り気ではないのだ……当初からそう思い込んでいたサティンは、故に彼の行動が全く理解できず、ともかくその場で待機する他はなかった。

「ごめん……サティン、あたしのせいなの」
青年が去って二人きりになった途端、架因が震える声で告げた。
「……どういう事?」
「あの人はサティンの事を避けてたんじゃないの。あたしの傍に近寄らないようにしてくれてたの……」
サティンは架因の言葉の意味が判らなかった。
「ちょっと待って……それって、あなたがセスランを恐がってることと、何か関係があるわけ?」
架因は辛そうに目を伏せた。
「気付いてたの……」
「ええ、たった今気が付いたわ。考えてみればセスランが姿を消すのって、あなたがわたしの傍にいる時に限ってだものね。でも、それじゃあセスランは、あなたに気を遣って……?」
「ごめんなさい。サティンの先輩なんだから仲良くしなきゃいけないのは判ってるの。でも、あたしどうしてもあの人が恐いの……だから」
実際、架因は気の毒なくらいに怯えていた。主人に叱られることも含めてだ。何故今まで気付いてやれなかったのか……架因の頭を、落ち着かせるようにサティンは撫でてやる。「気にしなくていいのよ。好き嫌いだけはどうしようもないしね……それより、あの人の何がそんなに恐いの?」
架因はサティンの胸に顔を埋めながら、幾度と無く首を横に振った。
「あの眼が……」
「眼?優しそうな感じだけど……」
「判らない。でもあの眼を見ていると吸いこまれてしまいそうで……恐いの。あの人には護り手もいないし、封魔具だって今まで見たこともない……だからそのことと、何か関係があるのかも知れないけど……」
サティンは軽く護り手の背中を叩いた。
「ありがと、もういいわ。心配しなくても叱ったりしないわよ」
では、セスランは自分を疎んじていたわけではないのだ──そのことが不思議なほどにサティンの心を軽くした。
笑顔で架因を安心させた後、彼女は額に手をかざして林の奥を見やる。
「それにしてもセスラン、遅いわね。やっぱり心配だわ……架因、あなたはどうする?ここにいる?」
愛らしい護り手は一瞬躊躇う様子を見せたが、やがてその青い双眸に意志の力を宿して「行くわ」と告げた。
「よし……じゃあ、行きましょうか」
二人は軽く微笑みを交わすと、森の更に奥深くへと歩みを進める。




「サティン、来てはいけませんっ!」
叫んだ時には遅かった。
既に息絶えた女性の内臓を貪り食っていた人型の妖鬼は、丸い目玉を大きく動かして新たな獲物の姿を視界に納める。その先にあるのは、呆然と立ち尽くしている砂色の髪の美少女と、その護り手の姿だった。
「ほお……こりゃまた極上の人間だな。今日はついてる。こう何度もご馳走にありつけるとは」
長い体毛に覆われた手の甲で、じゅる、と涎を啜る。直立して歩行は出来ないらしく、片方の拳は地面に着けたままだった。
「お待ちなさい。あなたの相手はわたしです」
セスランは何とかこの二人から注意をそらそうとした。だが妖鬼は封魔具を持たぬセスランをただの人間と思い込んでいるらしく、まるで相手にしない。
「そう焦るな……貴様を喰うのは後回しにしてやる。まずはあの女からだ」
その言葉にセスランが形のいい眉を潜めた刹那、妖鬼が不意をついて彼の脇をすり抜けた。
「いけない、避けるんです!」
振り返った先には後輩の少女がいる。護り手の張ろうとした結界は間に合わず、四つ足の妖鬼はサティン目がけて襲いかかった。
「きゃあっ!」
弓を構える暇もなかった。体当たりをくらったサティンは傍にあった木の幹に激しく体を打ちつけ倒れた。
「サティンっ!」
珍しいほど焦りを帯びた自分の声を、まるで人事のようにセスランは聞いていた。すぐさま駆け寄ろうとするその足がぴたりと止まる。
「動くなよ兄ちゃん……この娘の喉笛をかっ斬るぞ」
妖鬼はサティンの喉元に尖った爪の先端を当てて低く笑った。
「悪戯も度が過ぎると感心できませんね……」
静かな怒りが満ちてくるのを感じながら、セスランは言った。
「何……?」
優男の醸し出す異様な迫力に妖鬼がたじろいだ刹那、サティンの蹴りが妖鬼の腹部に命中した。
「ええい、離れなさいなっ!びっくりするじゃないのっ!」
妖鬼が転倒した隙に素早く弓を構え、砂色の髪の少女は彼に向き直る。
「セスランっ!」
前に進むことしか知らない、真っすぐな眼差し……若干幼さを残しているものの、美しいことには変わりはない。苦笑しながらセスランは答えた。
「はい、なんでしょう?」
「わたしはまだ新米ですけど、あなたと同じ捕縛師として!弓を持つ者として、今ここであなたのお力になります!よろしいですねっ!?」
「はいはい。よろしいですよ」
にっこりと微笑みながらセスランは告げる。
サティンによって転倒させられていた妖鬼は憤怒に顔を真っ赤に染めて起き上がった。しかし、その時既に矢の先端は妖鬼の左肩を……即ち、心臓の位置を狙っていたのだ。
「この、小娘があああああっ!!」
怒り心頭に達した相手が再びサティンに飛び掛かるのと、彼女の放った矢がその肩口を寸分の狂いもなく射ぬくのとは、ほぼ同時だった。
「な……」
刺さった部位から命が吸い込まれていくさまに呆然としながら、妖鬼の体は徐々に砂と化していく……。やがて肉体は風化し、ことり、と最後に矢の先端だけが残った。

「いっちょあがり」
屈んでそれを拾おうとしたサティンは唐突に目眩を感じ、そのまま前のめりに倒れかかった。
「サティン!」
近くにいた架因よりも、支えたのはセスランの方が早かった。
「すみ……ませ……」
切れ切れに答えるサティンの喉は、青く腫れ上がっていた。妖鬼の爪によってできた傷のせいだとすぐに判った。腕の中に少女を抱きながら、セスランはすぐに彼女の護り手に声を掛ける。
「架因、解毒の治療はできますか?」
青い髪と瞳の少女はセスランと目を合わさず、小さな声で「いいえ」と答えた。人一倍気配に敏感なこの護り手に、嫌われていることは判ってはいたが、架因とて主人の危機に私情を交えるほど愚かではあるまい。
セスランは深く追求せず「そうですか」と呟く。架因には恐らく判っているのだろう。 セスランが封魔具を持たない理由も……護り手のいない理由も。
「サティンはあたしが人里まで連れていきます。早く医者に診せないと……」
架因はあくまでもセスランと目を合わせようとしない。
「間に合いませんよ」
意地悪をするつもりはなかった。ただ苦しげなサティンをこのまま人の手に委ねることは出来なかった。
「サティンは私が治癒します。あなたは先に戻って依頼人にこのことを報告して下さい」
案の定、彼女は心底嫌な顔をして見せた。セスランは軽く溜め息をつく。
「わたしが信用できませんか……」
架因の瞳は、セスランの腕の中にいる主のみをとらえていた。
「そういうわけでは、ないのですけど……」
彼の言を否定する形をとりながら、その瞳は全く別のことを語っている。
「……まあ、いいでしょう。不安ならそこで見ているといいですよ。子供には少々刺激が強すぎるかも知れませんが」
言い切ると同時に、セスランの体を包む『気』が変化した。
「君の力を借りますよ……」
セスランは目の前の架因にではなく、自分の内側にいる『モノ』の一人にそう呼び掛けた。彼の内部にはこれまでに封じた数多くの魔性が眠っている。そのうちの特に治癒能力に秀でた者を選び出す。
……これだ。セスランの瞳が力を帯びる。内側に閉じこめた魔性が怯え、ざわつく。
「わたしの命ずるままに、この少女の体から毒を抜きなさい……いいですね」
今や全身に魔性の気配を纏ったセスランは静かにそう呟くと、気を失っているサティンの喉元に、そっと唇を押し当てた。

架因が顔を強ばらせるのが判ったが、構いはしなかった。解毒の力を、その傷口から注ぎ込む。通常の魔性ならば治癒は手をかざすだけで行えるが、半人に過ぎぬセスランにはこれが最良の方法であった。
『口』は最も多くの命が出入りする場所。患部に直接触れればその効果は絶大であった。
「ん……っ」
サティンがわずかに身じろぎした。唇を浮かすと既に傷は塞がっている。架因はそれを待っていたかのように、セスランを突き飛ばした。
「サティン、しっかりして!」
僅かに目を開けたサティンは、そこに護り手の姿を認めて安心したのか、再び瞼を閉じてしまう。
「大丈夫……眠っただけですよ」
架因は、きっとセスランを睨みつけた。その目に先程のような怯えは微塵も感じられない。
「あなた……あなたは何なのっ!?」
「何、とおっしゃられても……浮城の捕縛師ですけどねえ」
「うそっ!そんなに魔性の気配をぷんぷんさせた人間なんて聞いたこともないわ!あなたは一体……」
セスランは淡い笑みを口元に浮かべる。
「上に報告しますか?……もっとも、サティン含め一部の方々はもうご存じですがね……わたしが、体内に魔性を飼っていることは」
架因の表情が凍りついた。ぎゅっ、と主人の体を庇うように抱き締めるその仕草が愛らしい。
「事情は、聞きません。あたしはただサティンが大切なだけ……あなたは、サティンにとって害にしかならないわ。お願いだからもうサティンには近付かないで下さい」
言い置いて、架因はサティンをその場から連れ去った。一陣の風が林の中を吹き抜け、セスランの衣服の裾をはためかせていった。

「近付かないで、ときましたか……」
疎んじられることには慣れている。人間同士ですら、完全には判りあえぬもの。この身に流れる魔性の血を嘆くのではなく、とことん利用してやろうと決めたのは己の意志。例えそれが人を遠ざける結果になったとしても……今まで自分はそうやって生きてきた。

『なんで勝手にどっか行っちゃうんですかっ!』

弓を持つ乙女の怒声が甦り、セスランはひとり苦笑した。
「いや……他の人はさておき、あなたに嫌われるのは少々辛いですからねえ……」
その呟きは風にかき消され、誰の耳にも決して届くことはなかった。



──おわり──


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