書庫 花屋の女(闇主×ラス、オリキャラ、鬱ネタ)


※外伝の花屋の青年が出ます
※鬱、死人あり注意
※赤男さんが残酷




何と綺麗な娘さんだろう。
こんなに美しい人は見たことがない。
天使──いや女神のようだ。
「何か……?」
黒髪の女性の、色違いの瞳がこちらを見つめる。
青年は顔を真っ赤にした。
彼の働く花屋には多くの女性客が訪れる。ゆえに女性相手の接客にも慣れたものだったが、この美しさの前には言葉も出ない。
ああ、けれど。
どこか懐かしい、記憶にある容貌だ。
以前会ったことがあるのだろうか──あるいは、前世で?



「花をくれないか」
現れた客の姿に、女性は挨拶も忘れて立ち竦んだ。
こんなに美しい青年は見たことがなかった。黒髪、青い瞳──象牙の肌には傷一つなく。
店内を見回し、一輪の向日葵を手に取る。
「これがいいな。うん、これでいい」
形のいい唇からこぼれ出す言葉は魔法のようで。
ただいまお包みします……と呟く己の言葉が、酷く醜いもののように感じられた。
彼女には夫と、先日この身体に宿った小さな命があるのだ。
なのにこの麗しい来客の姿から、目が離せなくなった。銀貨を渡す際に手と手が触れ合っただけで、娘時代のように心臓が高鳴った。
想いを悟られたとは思わないが、青年は微笑みかけ、冷たい指先を握ってきた。
「苦労してる手だな」
「あ、ありがとうございました……」
それは、果たしてどちらに対する感謝の言葉だったのか。
花を買ってくれたことか。冴えない女に微笑みかけ、労りの言葉をかけてくれたことか。
紙に包んだ向日葵を持ち帰る青年の後ろ姿に、女性はぼんやりと見惚れていた。
やはりあれほど美しい男性には、予め決まった恋人がいるのだ。向日葵──『あなただけを見つめる』という意味合いを持つ花を、恥ずかしげもなく贈るような、彼に相応しい美しい女性が。
ふと、自分の荒れた手を見つめる。
水仕事と花の棘で傷ついたそれは、彼女にとっては苦労の歴史であり、勲章のようなものだ。
が、客にとってはそうではあるまい。あの青年の手は痛くなかっただろうか……さぞかし不快だったことだろう。
年甲斐もなくときめいたことに反省しつつ、彼女は腰を叩いて作業を再開することにした。夫は市場へ買い出しに出かけている。身重とは言え、彼とこの子を支えていくためには働かねばならない。
箒を手に取った時、ふと、入口近くに小さな花が落ちているのを見つけた。
茎から落ちてしまったのだろうか。最近視力の落ちてきた彼女は、眉を潜めながら近づき、よく見ればそれが花ではなく赤い果実だと気付く。
「柘榴……?」
明らかに季節外れであるから、そうとわからなかったのも無理はない。
そっと手に取ると果実は瑞々しく熟し、この暑いのにまるで腐っている様子もなかった。
あの客の忘れ物だろうか。それとも意図的に置いて行った……?
そこまで考えて彼女は顔を赤くした。馬鹿なことを。あの美しい青年が自分に何の意図があるというのか。
馬鹿らしい──そう思いつつも、彼女は柘榴を大切に仕舞いこんだ。
それから青年は、毎週のように彼女の店を訪れた。
旅をしているのだと彼は言ったが、過疎化が進むこのような辺境の村に、観光する所などないように思われる。
彼女がそう言うと、青年は意味ありげに笑った。
「だから、いいんだ。何もない、目立たない村だから選んだ」
選んだ……?
引っかかる言葉だったが、それ以上の追及は出来なかった。青年にはどこか人を寄せ付けない雰囲気があった。
彼が二回目に店を訪れた時、彼女はもちろん柘榴のことを話したが、彼は「あれはあんたにやったんだ」と微笑むだけで、その意図を告げることはしなかったのだ。
気味が悪い、と通常の人間なら考えるだろう。見知らぬ男から理由もなく物を押し付けられたからと言って、ときめく理由など何もない。
だからこの時点で、彼女は心を奪われていたのだ。青年の怪しい美しさに。
「い……いかがですか、当店のお花は。いつも御贔屓にしてくださっているのですから、お気に召して頂けたのだと思っておりますが」
鼓動を悟られまいと、女性は努めて明るい声を出す。
「本当に、お客様の恋人が羨ましいですわ。うちの主人なんてもう、贈り物どころか、私の誕生日すら忘れている始末で……」
くくっ、と青年は笑い出した。
「恋人じゃない。──餓鬼さ。まだ産まれてもいない餓鬼」
「えっ、あっ……?お子さんがいらっしゃるのですか?」
ほっとしたような、少しがっかりしたような気持ちで彼女は尋ねる。父親と呼ぶには青年には家庭の匂いが薄く思えるが、その発言で、先程までにはなかった親近感が湧いたのは事実だ。
「では、産まれてくるお子さんのために向日葵を……?」
安産や子供の健康を願って、家の中に花を飾る風習はある。自分の夫はしてくれなかったが、それは彼が冷たいからではなく、職業柄だ。もともと花で溢れ返っている部屋に花を飾っても、却って有難味が薄い。
「まあな」
青年は、いつものように向日葵を抱え、女性に背を向けた。
「おれの子じゃないけどな」
「え……?」
女性は、知ることはなかった。
彼の買っていった向日葵が全て、彼の『研究』のために使われていたことを。
──そして、地図から消えてもすぐに忘れ去られるであろう小さな村の存在に、彼が以前から目をつけていたことも、知ることはなかった。



周りは一面の向日葵畑──。
異常に気がつき、咄嗟に腹部を庇ったのは、母親としての本能だった。
庇ったはずの手は、子を孕んで丸く膨らんでいたはずの腹は、そこにはなかった。
代わりに、細長い茎と葉が。垂らすたびにぐらりと重い頭部があった。
(あ……私……?)
いない、あの子がどこにもない。どうして?子供を喪った悲しみは、重く垂れてくる頭のせいで何も考えられなくなる。
ここがいつもの、自分の店ではないのは確かだ。どこを見回しても向日葵しかない。
他の花はどこへ?働き者の夫は?今まで腹に在ったはずのあの子は……?
「安心しろ、おれだって鬼じゃない」
聞き覚えのある声が耳を打った。
目の前に、深紅の髪と瞳を持つ青年がいた。
誰だろう。誰かに似ているが、人の姿でない。美しいが、言葉に反してその表情は冷酷で、鬼そのものとしか思えなかった。
「産まれてない奴は殺さない……」
囁くような声とともに、周囲の向日葵がそよそよと風にそよぐ。女性はそのまま、再び深い眠りへと落ちて行った。

何年ぶりかの目覚めは、彼女たちの命の終わりを意味していた。
人間であった頃の意識がまだ残っていたのは、彼女にとっては不幸であった。例えば隣で同じように頭を垂れている向日葵が、本当は夫であったとしても、それを確かめるどころか、会話をすることすら叶わないのだ。
一面の向日葵畑。それは全て生きながら葬られた村人たちの姿だった。状況に応じて増やされ減らされ、無意味に弄ばれてきた命が、ようやく終焉を迎えようとしている。
女性は、茎を持ち上げて重い頭を揺らし、目の前の光景を見た。
二人の男女がいた。女性の嘆きも知らずに、目の前で寄り添い、睦みあっていた。
片方は赤、片方は黒──黄色の空間の中で異彩を放つ二人の男女は美しい。少なくとも見た目だけは、自分たちよりも遥かに美しい。
「好きだと言ってなかったか?」
優しく囁く青年に抱かれているのは、黒髪の美女だった。
涙を流してはいるが、自分たちのために泣いているのでは決してないと、一目見ただけでわかった。
この向日葵はどうしたのか、どこから現れたのか、何故こんなことをするのか──そんな疑問をかけらでも抱いていたら、この光景の異様さに気付くはずだった。
「やはり、おれとの相性は最悪らしいな」
なのに、美女は瞼に口づけられながら、うっとりと目を細めている。
───あの女が、彼の言っていた『餓鬼』の成長した姿なのか……。
女性は驚き悲しみ、そして涙を流せぬ身体で慟哭した。自分たちは、彼らの愛の肥やしにされたのだ。
花でありながら、肥やし。ただ踏みにじられ萎れるだけ……。
女性は茎を伸ばし葉を伸ばし、恨みを込めて二人に触れようとする。緑の茎は、彼らの発する妖気に見る見る力を失い、土色に変わる。
しゅうしゅうと蒸気を上げながら、向日葵が萎れていく。彼らに反抗する力も、彼らに何かを訴えかける力も、無力な人間には許されなかった。
声を限りに叫んでも声にはならず、助けてくれる者もここにはいない。あの黒髪の女には確かに魔性を葬る力を感じるのに、それを用いてこの青年を倒してくれる気配はない。
騙されているのか──かつての自分と同じように。
私のせいだ、と女性は思う。
あの青年の美貌に誑かされなければ──あの柘榴を捨ててしまっていれば。
悔いても遅い。既に時は進み、村人と大切な家族は二度と戻らない。産まれるはずだった我が子の命も、恐らく既にこの世にはない。
女性が最後に見たものは、歪んだ恋に酔う、二人の男女の後ろ姿だった。



街で件の美女の姿を見かけ、青年はこの偶然を神に感謝した。
あの人だ。
胸をときめかせ、女性に向かって走り出す。
一目惚れして数日、今日こそ想いを告げるのだ。しかし、女性まであと数十歩といったところで、青年の足は不意に止まった。
女性の隣に、黒髪の男がいるのに気付いたからだ。
一瞬で、彼の失恋は決定的なものとなった。男はどこか人間離れした雰囲気を身に纏い、また彼など足元にも及ばないほどの美形だった。
男の視線が、花屋の青年とかち合う。そして、まるで彼を以前から見知っているかのように、不敵に笑った。
──約束は守ったぞ。
男の唇の動きなど、彼に把握できるはずもない。
だが、その瞳に揺らめく残酷な光を見た瞬間、青年は、何故かその場から動けなくなってしまった。
恐ろしかった。会いたくないものに出会ってしまった、と感じた。
二人の恋人の姿が、雑踏にまぎれて見えなくなっても、身体の震えが、いつまで経っても止まらなかった。



──おわり──

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