書庫 時が戻される(闇主×ラス&雛・死にネタ)


※18巻のラスト後
※死にネタにつき閲覧注意





「お前はまだ、悲しんでない」

──かちり。
ぜんまい仕掛けの時計が動き出す。




『お前が、おれを殺すんだな』

いつだったか、闇主がそう言っていたことがあった。
あの時は意味がわからなかったが、今ならはっきりとわかる。
柘榴の妖主の肉体に、その左胸に、深々と突き刺さった紅蓮姫を見れば。

何が起こったのか、ラエスリールにはわからなかった。
五つの闇を従え、空間さえも支配下に置いたはずの自分が何故、誰よりも大切だと自覚した存在に刃を突き立てているのか。

目の前で、深紅の男が笑う。
その唇から伝うのもまた──一筋の深紅。

「あらら……」
寸前のところで命を拾った雛が、その異様な光景に目を瞠る。驚きとも、呆れともつかぬ表情が、その幼い美貌を引き立たせている。
彼の意図に彼女は気付き、ラエスリールは気付かない。その事実に、酷く心がざわつく。
彼の隣に相応しいのは本当に自分なのか?それは絶えず考えていたことだったから。
いや、駄目だ。
今はそんなことを考えている時では……!
一度生じた迷いは彼女の力を削ぐ。この空間はもはや完全に、雛が支配していた。
彼の体に突き刺さった破妖刀を、ラエスリールは必死で抜く、否、抜こうとする。
「消えろ!消えてしまえ!」
使い手として、極めて残酷な言葉を叫びながら。
紅蓮姫を身体の中に収めようとする、が、貪欲な破妖刀は大人しく彼女の体内に消えてはくれなかった。
闇主の残り命数は他の妖主──既に過半数が鬼籍に入っているのだが──よりも圧倒的に少なく、それゆえ彼女は焦るのだ。
心臓一つ。
今の彼に残された命はそれしかない。
すぐにでも紅蓮姫を抜かなければ彼の命は『彼女』に食い尽くされ飛散する──!
「やめろと言っている!お前は今までそうやって、何人の命を屠って来た!」
さすがにその発言は堪えたのか、過去の記憶を思い出したか……嫌な音を立てて、ようやく紅蓮姫が闇主の肉体から引き抜かれる。
体液が飛散し、ラエスリールの頬にかかった。不敵な笑みを崩さぬまま床に膝をつく闇主の姿に、ちりちりと胸が焦げた。
「愛してるよ、ラス」
胸から深紅の体液を流しながら、男は優しく囁く。戦いの邪魔をした挙句に言うことではない。それなのにラエスリールの胸は締め付けられるように痛むのだ。
こんなにも心乱される存在は、初めてだった。
「ああ……そうとも。私は誰よりもお前を……」
この男を愛している。
父よりも、弟よりも──世界中の誰よりも。
「そんなに二の君が憎い?」
何を誤解したのか、少女は思いもよらぬことを告げ、くすくす笑う。
ラエスリールは闇主から勢いよく離れると、雛の君に向き直った。
「悪いが、一刻も早く終わりにしたい」
闇主をこの少女から遠ざけたいのが本心だった。彼から距離を置き、目の前の少女に走り寄る。
光と光がぶつかり合う。間近に見つめあった際、雛の君はにやりと笑った。
「そう言わずに、もう少し私の相手をして下さらない?」
「時間が惜しい!」
この少女を、闇主との障害となるこの少女を。
倒して、そうしたらすぐにでも闇主の元へ。
「もう少し……もう少しなんだ!」

だから邪魔をするな──『闇主』!
私の心を、この想いまでも支配しようとするな!




「そんなんじゃ全く足りない。お前はまだ本当の悲しみを知らない」

──かちり。
非情にも、ぜんまい仕掛けの時計が動き出す。





「時間が惜しい!」
叫び、ラエスリールは少女の身体から離れた。

本当に戦うべき相手、倒すべき相手は他にいる。
柘榴の妖主──彼女を欺き続けてきた元凶、魔性の王を、この手で倒さねば。
光と光がぶつかり合う。間近に見つめあった際、雛の君はにやりと笑った。
「そう言わずに、もう少し私の相手をして下さらない?」
甘えるようなその声に、ラエスリールは静かにかぶりを振った。
「悪いが、一刻も早く終わりにしたい」
それに、この少女はまだ雛だ。妖主に利用されているだけの、無垢な存在だ。
諸悪の根源を倒さない限り、似たような存在はいくらでも生まれるだろう。
「そんなに二の君が憎い?」
くすくす笑う少女から勢いよく離れると、ラエスリールは背後にいる柘榴の妖主に向き直った。
「ああ……そうとも。私は誰よりもお前を……」
この男を憎んでいる。
父よりも、弟よりも──世界中の誰よりも。
深手を負った男は、うずくまったまま動かない。それなのに、不敵な表情を浮かべてラエスリールを見上げてきた。
「愛してるよ、ラス」
全身の血がかっと熱くなった。
ラエスリールは、振り上げた紅蓮姫を勢いよく青年の左胸に突き立てた。
深紅の体液が迸る。頬にかかる液体の、何と汚らわしいことか。
長い間、その言葉で自分を惑わせ、人としての道を踏み誤らせた、男。
許しがたい──この場で始末せねば、これから救おうとしている人々に対して顔向けができない。
「やめろと言っている!お前は今までそうやって、何人の命を屠って来た!」
紅蓮姫を、何度も何度も突き立てる。
被害に遭ったのは自分だけではない。何人の若く美しい娘が、彼の毒牙にかかり悲惨な末路を辿っただろう。また幾つの街が、彼の児戯のために犠牲になったのだろう。
こんなことでは人間に対する償いにすらならないが、それでも。
「消えろ!消えてしまえ!」
破妖刀は、ラエスリールが振り撒く憎悪とともに、柘榴の妖主の心臓に宿る命を啜っていく。
この男を倒したら、次は雛、そして自分だ。
「あらら……」
背後で、少女が目を丸くしているのが分かった。

目の前で、深紅の男が笑う。
その唇から伝うのもまた──一筋の深紅。


そうして現れた時と同じように、その姿は闇に溶けるように消失した。




──おわり──


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