書庫 黄金柘榴(千禍&輝王)


「夢でも良いから、今一度会いたいものだ」
遠い目をして呟く金色の美丈夫を見た時、こいつはもう駄目だなと千禍は思った。

「人間の女に惚れたって噂は、本当だったようだな。悪いがおれは噂の真偽を確かめに来たんであって、決して腑抜けたお前を見に来たわけじゃないんだ」
あからさまな侮蔑の言葉にも、金色の青年は眉一つ動かさない。だからこそ苛立ちは募るのだ…やはり、こいつも駄目だったのか。千禍はきりりと歯軋りする。
「邪魔したな。もう来ないから安心しろ」
言い捨てて、千禍はさっさとその場を立ち去ろうとした。しかし思わぬ声が彼を呼び止める。
「愚かなのはおまえの方だな…千禍」
「何だと?」
深紅の瞳に映るのは、敵対する魔性の王の姿だった。妖主の中でも一、二を争う美貌と実力の主は、常と変わらぬ穏やかな表情で千禍を見つめている。
「周囲が何を言おうが、あれと出会ってわたしは幸せなのだ。幾度拒まれようと、この気持ちは決して変わることはない」
全てを達観したかのような台詞に、虫酸が走った。腐っている。彼は腐り切っているのだ…明らかに。
「あいつと同じ事を言いやがる」
喉の奥で彼は低く笑った。実に嘆かわしい事態だ。
魔性の王たる者が二人揃って、女の尻を追い掛けるだけの腑抜けに成り下がるとは…呆れて物も言えない。
「これで、妖主の中で正気を保っているのは、おれと白だけになっちまったわけだ」
もう一人の女は彼の情人であったが、重度の二重人格症に悩まされており、その対策として拵えた自分の分身を姉と慕っている変わり者ときた。
自分以外の者を自分よりも大切だと言い切るその感情が、千禍には全く理解出来なかった。
「何とでも言うがいい。ただ、あれには手を出すな」
あれ、と言うのが誰のことを指すのか、彼にはよく判っていた。
「言われなくても、誰が出すかよ」
金の妖主の心を奪った女性に興味を抱く輩は多かったのだろうが、その時の彼には全く関心が湧かなかった。面食いなこの男の事、まあそれなりの美女なのだろうと踏んではいたが。


「どいつもこいつも、話にならん。腐り切ってやがる」
金の妖主の城を眼下に、千禍はそう吐き捨てた。
むしゃくしゃする。白の所にでも行くか、とも思ったが、只今絶縁中である紫紺の妖主の逆鱗に触れることを思い、やめておいた。
「あれも以前はあんな奴じゃなかったんだが…恋の力とやらはそいつの性格さえも変えちまうのか?」
「千禍」
低く、魅惑的な…声。振り返った千禍はそこに配下の青年の姿を認める。長い漆黒の髪、しなやかにして逞しい肢体を包むゆったりとした黒衣。
「九具楽か。どうした」
千禍の側近の一人『悟りの九具楽』は傲慢に見下ろしてくる主人に対し、静かに頭を垂れた。
「は…それが」
次いで青年が告げた言葉に、千禍は軽く目を瞠った。
「ほう?」
品のよい口元が皮肉げに歪められる。
「どうされます」と聞いてくる九具楽に、千禍は肩を揺すって笑った。
「決まってる。こんな面白い事を放っておく手があるか」


金色の男は億劫そうに髪を掻き上げながら彼を迎えた。
「またお前か…今度は何用だ?」
「そう、うるさがるな。いい情報を持ってきてやったんだ…チェリク、とか言ったか?あの女」
ぴく、と金色の眉が震える。それを見て千禍は極悪な笑みを浮かべながら彼の肩を叩く。
「何でも流行病で伏せっているそうだ。お前はあの女に嫌われているらしいが、花でも持って見舞いにいけば、点数稼ぎにはなるんじゃないか?」
その手を勢い良く振り払うと、金色の男はまさに光の速さで居城を飛び出して行った。配下の者たちの慌てふためく声など全く耳に入っていないようだった。
額に手をかざして男の消え去った方角を見やり、ぴゅう、と千禍が口笛を吹く。
「お上品なあの男が、あんなに取り乱すとはな…ま、数千年も生きてりゃそんなこともあるか」
呟く千禍の足元から、悔しげな声がした。そちらを見ると、金の妖主の側近である虹芽という青年が、床に拳を打ち付けていた。
肩まで伸びた漆黒の髪とこの世の深い淵を思わせる瞳。その端正な横顔は悲痛な色に染まっている。
「我が君はご乱心あそばされた…」
悲しみを怒りに還元する気力もない様子の青年に、「らしいな」と千禍は肩を竦める。
「柘榴の君」
虹芽の目が縋るように見上げてくる。
「何だ?」
何を期待されているのか判っていながら、彼は敢えてそう返した。
「あなた様とて、我が君のあのようなお姿を目にする事は本意ではないはず…」
「まあな」
ならば、と青年は頭を垂れた。
「無礼を承知でお願い致します。どうか我が君のお目を覚まさせて下さいませ…我らの声は届かぬのです。何卒お願い致します!」
頭を床に押しつけんばかりのその必死の様子がおかしく、千禍はくつくつと笑った。
「ああ、任せておけ。あいつは一時の熱に浮かされているだけだ。必ず正気に戻してやるさ」
もっとも、その後でお前らに返してやる気もないがな…とは心の中でのみ呟く。
虹芽の顔が歓喜に彩られるのを確認し、彼はその場を去った。


傍らにはいつの間にか九具楽の姿がある。
「よろしかったのですか」と問う彼に千禍は答える。
「おれが手を出すまでもないさ。今のあの女の姿を見れば、あいつも考えを改める。嫌というほど、思い知らせてやるよ…あの馬鹿が熱心に語る無償の愛とやらが、所詮は下らない自己満足に過ぎないってことをな。九具楽、お前も来い」
「はっ」
二人が向かった先は人間界の、それも浮城と呼ばれる特殊な磁場に包まれた場所であった。
魔性の干渉を受けぬ強固な防壁も、妖主の力の前には何の効力も発揮しない。千禍は怯える護り手たちの反応を楽しみながら、城長の部屋へ向かった。
寝台に一人の女が横たわって居た。高熱のためか、苦しげなうめき声をあげている。その顔も、病状も、あらかじめ確認済みだった。
千禍はゆっくりと女に歩み寄った。九具楽がその後に続く。手を延ばす。
その時。
「チェリクに触らないで!」
輝く髪を持つ女性が、女の体内から飛び出してきた。
千禍は特に驚かない。調べはついている…チェリクの護り手の、旺李だ。
「あ、あなた方は」
圧倒的美貌を持つ二人の青年を前に、旺李は立ちすくんだ。千禍は妙に優しい声で言った。
「お前らに危害を加える気はない。どいてろ」
しかし旺李は主人への想いが強いのか、一歩も引かない。
「いいえどきません!」
千禍は薄く笑う。
「健気な女は好きだぞ」
魅惑的な声と言葉に、状況も忘れて旺李は硬直する。次の瞬間、千禍は片足を上げて彼女を蹴り飛ばした。魔力は用いず、わざわざ脚を使って蹴り倒したのだ。
あっさりと旺李は昏倒する。
「…危害は加えないのではなかったのですか?」
背後から九具楽が呆れた声をかける。千禍は腰に手を当て、「健気な女は好きだが、身のほど知らずな女は嫌いなんだ」と呟く。

その時空間が捻れて、絶世の美貌を持つ男がまた一人姿を現した。
黄金の豊かな長髪、彫りの深い顔立ち。引き締まった体を緩い白衣に包み、静かに床に脚を着ける。
「柘榴の。チェリクに何をした?」
床に転がっている旺李には目もくれず、第一声がこれだ。
千禍はほとほと呆れた。
「まだ何もしちゃいないさ。にしても遅かったな。ああ、花を持って来たのか」
金の男の手には一輪の向日葵があった。おそらくチェリクの好きな花なのだろう。花を見て喜ぶのは魔性も人も同じ。ただ、花のほうが魔性を好いているか否かは疑問だが。
金色の男は、目の前の青年の事は取り敢えず後回しにすると決めたらしい。女の枕元に跪くと、心配そうにその顔を覗きこんだ。
気配を感じてか、女の瞼が動く。
「う…」
目が覚めたか、と千禍は思った。
さあ金の野郎よ、その女の顔を良く見るがいい。そうして自らの過ちを恥じるがいいさ。
おれはここでそれを嘲笑ってやる──存分に、な。
「だ…れ」
チェリクは枕元の男へ顔を向けた。
金の男は絶句する。
チェリクの美しい顔には…いや、顔だけでなく首筋から胸に掛けてびっしりと、赤い疱瘡が浮き出ていたのだから!
「あ…」
魔王の姿を目にして、チェリクの唇から悲鳴が漏れた。庇うようにその顔を両手で覆い、布団の中に潜りこんでしまう。
「見ないで!」
女の声は震えていた。
「何故なの…私を笑いに来たの?私は人間よ。病気もするし年も取るわ。あなたたちのように永遠に美しさを保つことなど出来はしないのよ。判ったら出ていって…私を好きだなどと汚らわしいことは、二度と口にしないで!」
女は更に深く潜ってしまう。
金色の男は茫然と立ち尽くしていた。千禍は苦笑しながら声を掛ける。
「これで判っただろう。人間の女の美しさなんざ皮一枚、存外に脆いものだ。判ったらさっさと配下の連中に正気の顔を見せて…」
しかし彼はすいと指を延ばし、チェリクが被っている布団をはぎ取った。
「見ないでと言ったでしょう!」
女の叫びを無視し、両手でそっとその頬を挟む。
「苦しいか…?」
チェリクの瞳が驚きに見開かれた。それは千禍も同じだった。両手を愛しげに女の頬に這わせると、彼は強くチェリクを抱き締めた。
「すまない。わたしにはお前の苦しみが分からぬ。だが、体が治るまで傍にいよう。願わくばその後もずっと…」
何とも言えない不快感が千禍の胸中を満たした。
チェリクは泣きながら男の背中を叩いて逃れようとしていた。
「離しなさい、私は浮城の長!どんな甘言を吐こうとも、魔性などに誑かされはしないわ。離しなさい…離し…」
女の声は、途中から段々弱くなっていく。それを見届けて千禍はその場を立ち去った。九具楽が慌てて追い掛けてくる。
「どうされました、千禍?あのお方の目を覚まさせるのではなかったのですか」
苦々しい表情のまま千禍は何度も首を横に振った。
「無駄だ。あいつの顔を見たか?」
「は…」
「幸せそうにしやがって…あれはもう手遅れだ」
「千禍」
「何故だ?おれには判らん。金の野郎の乱心も、藍絲の白へ向ける執着ぶりも。それとも異常なのはおれの方か?」
九具楽は答えない…否、答えられない。ただ黙って主人の背中を見つめている。




彼が『恋』を知るのは、まだ先の話だ。



──おわり──


戻る

- 23 -


[*前] | [次#]
ページ:




TOPへ