書庫 千紫万紅(千禍&藍絲)


闇に佇む、一人の男がいる。
整いすぎたその容貌は、しかし不思議に冷たい印象は与えない。深紅の瞳は若い魅力に溢れ、全身で力を誇示している。
破壊した街を見下ろして満足げに微笑むその表情には、まだ少年じみた稚気を漂わせていた。

「何してる、早く来いよ、藍絲!」
興奮の冷めきらぬ顔で、青年は遥か後方を振り返る。そこにはやはり、目が覚めるほど美しい青年がいた。
目の前の男とは対照的に、その紫紺の長髪には一糸の乱れもなく、落ち着いている。
「判った。判ったから少し休ませろ…千禍」
深紅の男は鼻の頭にやや皺を寄せる。
「なんだ消耗したのか?だらしのない。遊びはこれからだろうが、よっ!」
人の力の及ばぬ上空から、彼は続け様に光球を放った。遥か下方から爆音が響いてくる。魔性の気紛れによる災厄。
破壊が混乱を呼び、怯え逃げ惑う人間達。そのさまを眺めて、男は高らかに笑い声を上げた。
「こりゃいい。新しい技を試すのにもってこいだな、この街は」
そう言うと、男…千禍は懐から酒瓶を取り出した。
背後で呆れたように彼を見つめている藍絲に、杯を差し出す。
「どうだ、お前も一杯。今夜の記念に」
杯を受け取りながら、藍絲は首を傾げる。
「何の?」
かかか、と千禍は笑った。
「初めておれの誘いに乗った記念だ。お前は出無精だからな。おれがこうやってあちこち引っ張り回しでもしない限り、下手すりゃ一生あの城に引きこもってるんじゃないかって、他の連中が噂してたぞ」
「…言いたい輩には言わせておけばいい」
物憂げに呟いた藍絲に、千禍は軽く舌打ちした。
「どうも辛気臭いな。ほら、取り敢えず一杯いっとけ」
「しかし…」
「遠慮するな。うまいんだ、これが」
とくとく、と杯に酒が注がれる。
月光を反射して仄かに光っているその表面に、彼は渋々口をつけた。
「なあ、千禍…」
何故か言いにくそうに切り出した藍絲の声に、彼は片眉を上げる。
「あ?」
「お前は最近、あの方と親しくしているようじゃないか」
千禍は少し考えた後、「ああ」と頷いた。
「白のやつのことか?以前闘り合ったら引き分けでさ、それから気が合っちまってな。あいつがどうかしたか」
「いや…」
藍絲は口籠もる。その顔を暫く見つめていた千禍はやがて、うっすらと微笑んだ。
「何だおまえ、あいつに気があるのか?だったら協力してやってもいいぞ」
藍絲は慌てて手を振る。
「やめろ!お前が絡んでくるといつもろくな結果にならないんだ」
「随分な言い草だな。これでも一応お前を…」
言い掛けた千禍はふと、藍絲の目が自分を見ていないことに気付く。彼は杯を口元に当てたまま、食い入るように下界を見つめていた。
その視線の先を追っていくと、千禍が放った炎によって家を失い、途方に暮れている少女の姿が目に映る。
白い腕は火傷の為かわずかに爛れていたが、命に関わるような重傷は負っていなかった。
千禍が目を見開いたのは、その少女の美しさ故ではない。いや、勿論それもあっただろう。実際に少女は、人には稀に見る美貌であった。
だが彼が驚いたのは顔の造作ではなく、その肢体、動き、仕種までもが…。

「似ているな…」
思わず、彼は感嘆の息を洩らしていた。
色素こそ違うが、顔の造作といい、体の線といい、どこか毅然とした物腰といい。
「白のやつに見せたかったな。ぶったまげるぞあいつ。よもや自分に瓜二つの人間が存在するなんてな」
そう、白い、白い炎の化身に、少女は酷似していた。
藍絲はゆっくりと眉をしかめると、炎の燃え盛る街へと下降し始めた。
「あ、おい!」
千禍は呼び止めたが、無駄だった。彼は既に街へ降り立っていた。
紅蓮の業火は消える気配などまるで無い。逃げ惑う人々とは逆の方向に歩きながら、藍絲は目的とする少女に近付く。
長い髪の美しい少女は何をするでもなく、焼け落ちた門の前にへたりこんでいた。
無理もない。魔性の気紛れによって、彼女は一度に全てのものを失ってしまったのだ。家も、土地も、両親も。
そのうちに近付いてくる藍絲に気付いたのか、少女が顔を上げた。
やはり、似ていた。白と黒、という色の違いはあるが、真っすぐで艶やかな髪質は共通している。
紅を刷いたような紅い唇、体に付いた煤を落とせば、おそらくは目に眩しいほどの白磁の肌。あの輝かしい白の君が年頃の少女の姿を取れば、きっとこの娘そのものになる。
藍絲はまばたきもせず少女の全身を眺めていた。炎の中、身を焦がす事もなく悠然とたたずむ青年を見上げて、少女はわずかに唇を動かす。
「あなた、誰…」
声まで同じだというのに、告げる内容は別人のもの。
当然といえば当然…かの女性は藍絲にとって唯一のかけがえのない存在。類似する魂の持ち主など存在してはならないはずなのだ…ましてや下賤な人間風情が、かの人と似通った容貌を持ち合わせているなど。
それは分不相応にして許しがたい罪。
苛立ちのままに、藍絲は少女の喉元に手を掛けた。
「っ!」
少女は目を大きく見開いたが、何故か抵抗はしなかった。細い首を締め上げられる痛みにも、悲鳴ひとつ上げない。代わりに漏れたのは呟きにも似た一言だった。
「良かった…」
藍絲の手がわずかに緩む。少女の言葉を聞くために。
「良かった…やっと、死ねる…」
かの女性と酷似した声で、随分と投げ遣りなことを口にするものだ…彼はふと、少女に関心を抱いた。
そっと手の力を抜くと、力を失った少女の体が前のめりに倒れこむ。
「その小娘をどうする気だ?」
呆れを孕んだ声に振り返ると、深紅の男が立っていた。
藍絲はそれには答えず、黒髪の少女の体を丁寧に抱え上げる。
「おい、どこへ行く」
千禍の問いに彼は背中で答えた。
「これ以上おまえの火遊びには付き合えん。帰る」
言い置いて、藍絲は少女を連れてその場から姿を消した。焼け爛れた街並みに、紫紺の風が静かに吹き抜けていった。
後に残された柘榴の妖主は、しかめ面で呟く。
「あいつ、まさか…」


「う…ん」
目覚めた少女に、藍絲は穏やかに声を掛けた。
「気が付いたか」
女性であれば誰もが魅了されてやまないであろう、低く落ち着いた美声。
少女は自分の置かれている状況がすぐには掴めないらしく、ぼんやりと辺りを見回していた。
「ここはどこ?」
「わたしの城だ。そしてお前は今日からわたしのものだ。娘、名は何という?」
正気に返った少女は、目の前の青年の美貌に圧倒されながら、おずおずと答えた。
「…リロ」
藍絲は鷹揚に頷き、少女の髪を撫でた。魔性の青年の優雅な身のこなしに、少女は警戒心を失ったようだった。
「では、リロ。お前は何故死を選ぼうとした?」
その言葉にリロは僅かに息を飲んだが、やがて小声で何かを呟く。
囁きは藍絲の耳に間違いなく届いた。
彼は、不安げなリロに優しく微笑み掛ける。
「心配しなくていい。お前の体はわたしが永遠に美しくとどめておいてやろう…そう、永遠にな」
その瞬間、リロは囚われた。




「はあ?」
次元の狭間…虚空城。
その主人である深紅の青年は思わず間の抜けた声を上げた。
「あいつが人間の小娘に入れ込んでるだって?おい、それは確かなんだろうな」
藍絲の元に向かわせた斥侯の報告によると、かの青年は拾った少女に不老の術をかけ、片時も傍から放さないのだという。
その少女というのが、先日彼が連れ去った例の娘だということは千禍にも察しがついていた。
確かにあの少女は、藍絲が思いを寄せる白き炎の化身と酷似した造作の持ち主…彼の気に入るのも判らないでもないが。
「見てくれだけで白に惚れたってわけでもあるまいに… 一体何を考えてやがるんだか…」
美しい人間の娘をさらっては、自分好みの人形に仕立て上げるのは、あの青年の得意技だ。しかし今回ばかりは事情が違う。彼は完全にあの少女の面影に想い人を重ねて見ているのだ。
それはこれまでの彼からは考えられないことであったから、千禍は妙な胸騒ぎを覚えた。



静まり返った璃岩城を訪ねると、特殊な結界が千禍の行く手を阻んだ。まるで彼の訪問を先読みしていたかのように、彼が比較的苦手とする複雑な織りで入り口がぴったりと閉ざされている。
短気な彼は、侵入した証拠が残ってしまうのにも構わずに、無理矢理その結び目を引き裂いた。
「藍絲!」
思い切り、叫ぶ。
「出てこい!いるんだろうがっ!」
入り口から長く続いている回廊の向こう側に呼び掛けるが、返事はなかった。
千禍は舌打ちしつつも城の内部に足を踏み入れた。配下の者も、下がらせているのか全く姿が見当たらない。
広い、広い城。天井の光を反射して輝いている飴色の床は、持ち主の神経質な性格を反映してか、埃ひとつなく完璧に磨き上げられ、足で傷つけてもすぐに修復される。
歩き続けていくと、瑠璃の結晶で出来た巨大な椅子の上に、問題の少女が座っているのが見えた。
少女はやや怯えたような目で千禍を見た。彼がすさまじく不機嫌な表情をしていたからだろう。
だが彼は、指を伸ばして少女の髪に優しく触れた。
当然のことながら、少女は困惑した表情を浮かべるだけだ。千禍は少女の頭に手を置いたまま、静かに問い掛ける。
「お前…その髪はどうした?」
以前は黒かったはずの少女の髪は、今は目も覚めるような純白に変わっていた。瞳の色は以前のままであったから、余計にそれが目立つ。
少女は唇を噛みながら、「あの方が…」と押し殺した声で言った。
声に宿る悲痛な響きに、無論気付かぬ千禍ではない。
「…あいつの仕業なんだな?」
それだけ聞けば充分だった。頷きながら、少女ははらはらと涙を零した。
「あの方は…あたしを愛していると言ったのに…」
少女にはもう判っているのだろう。藍絲が自分を通して、別の女性を見ていることを…。
「それで、お前はどうしたい?」
生きながら白い美女の模造品にされようとしている少女は、泣き腫らした目で答えた。
「あたしを殺して下さい。あたしはリロ。×××××なんて知らない…!」


叫んだ瞬間、少女…リロの体は四散した。
灼熱の…業火としか呼べぬ白い炎が、リロの体を瞬時に焼き尽くしたのだ。
悲鳴を上げる暇もなく、おそらく痛みも熱さも、彼女は感じなかっただろう。
それほどの一瞬────それほどの、刹那。
哀れな少女の存在は、魂すらも残さずに消滅した。
炎が消えた後、リロの腰掛けていた椅子は、座席の部分が熱で溶け気泡が滲んでいた。
それを何の感慨もなく見やりながら、千禍は指で軽く額を掻いた。
そのまま、力の飛んできた方向に目を向ける。彼のよく知る女性の姿がそこにあった。

「自分と同じ顔をしたやつを消すってのはどんな気分だ?」
「うるさいわっ!」
美貌の女は憤怒を顕にした表情で、炎を繰り出した指先を衣裳の裾でしきりに擦る。あんなモノを自らの手で葬ったことが汚らわしい、とでも言うように。
「どういうことじゃ、柘榴のっ!何故こやつが妾の真名を知っておるのじゃ…不愉快極まりないわ!」
そう、力なき者に名を呼ばれるのは、魔性にとっては不快でしかない行為。その報いを受け、リロという少女は消滅した。
彼女が望んでいた通りに。
「多分、この娘の外見をお前により近づけるために、藍絲のやつが教えたんだろうよ。『命が惜しくば決して呼ぶな』との条件つきでな。馬鹿な奴だ、返して言えば『死にたければ呼んでもいい』ってことじゃねえか。なあ?」
「知らぬ!」
美貌の女は忌ま忌ましげに叫んだ。
「本来ならば、あの若造を締め上げて仕置きせねばならぬ所じゃが…もはや顔を見るのも厭わしい。癪に触るが、妾はこれで立ち去るとしよう」
「なんだ、帰っちまうのか?あいつは会いたがってると思うが」
千禍のからかいを見事に無視し、白い美女は早急に姿を消した。


異変に気付いた藍絲が城に戻って来たのは、それからしばらく経ってからのことだ。
「千禍!」
留守の間に城内に侵入した青年を発見し、つかつかと歩み寄ってくる。
「何故、おまえがここにいる…あれはどうした?」
相手の怒りを承知の上で、青年は肩を竦めて見せた。
「見ての通りだ。目障りだったんで消した」
手を下したのはあの女性だったが、そんなことをわざわざ教えてやる必要はない。
あの時、名前を呼ばれ激怒した彼女が飛んで来なければ、自分が殺すつもりだったのだから。
「何故殺した?」
静かな怒りを内側に溜め込むように、藍絲は告げた。彼を包む空気が肌を刺すようなそれに変化し、殺気となって叩きつけられる。
「目を覚ませ、馬鹿ったれ。あいつは白じゃない…顔が同じなだけの、ただの人間の娘だったんだぞ」
「だから何だと言うのだ!」
紫紺の妖主の怒りは力となって千禍の頬を傷つける。開いた傷口から血が滴り落ちる…手の甲でそれを拭い、彼は皮肉な笑みを浮かべた。
「判らないのか?あの娘は死にたがっていたんだ…だから引導を渡してやったまでさ。化け物じみた美貌のために人間の間では迫害され続け、おれが街を燃やしたおかげでやっと死ねるはずだったのが、お前に目を付けられて一命を取り留めちまった。大事にされて幸せな気分に浸ったのも束の間、お前には他に想う女がいて、自分はその身代わりに過ぎないことを知った…ご丁寧に、髪の色まで変えられてな。そりゃ、殺してくれと叫びたくもなるだろうよ」
「…何が言いたい?」
藍絲の声は震えていた。それに対し、千禍は心底馬鹿にしきった口調と態度で答える。
「はっきり言ってやろうか?本物に相手にされないから代用品で満足しようっていう、その考えが気に入らないってんだよ。欲しいものは自ら奪うもんだ。それだけの力がありながら、わざわざこんなみみっちいやり方しか出来ないお前の精神構造に、おれは心から同情するね」
あのまま少女を生かし続けていたら、傷つくのは藍絲だ。それが判るからこそ、千禍は残酷な言葉を紡ぐ。
「やかましい!貴様に何が判る…本気で女を愛したことのない貴様にっ!」
襲い来る力をかわし、千禍は反撃に転じた。
「愛だって?はっ、下らない。そんなもの…判るわけがないだろうがっ!」
光の刄を、藍絲に叩きつける。かわしきれぬ刄が彼の腕を切り刻む。火花が散り、空間が振動した。

いつしか集った配下の者たちが、二人の妖主の闘いを止めようと必死に割って入る。
「我が君、おやめ下さい!この城ごと破壊するおつもりですか!」
「柘榴の君も、ここはわたくしどもに免じてどうか…怒りをお鎮め下さいませっ!」
紫紺の妖主はともかく、深紅の青年の方は本気で相手を倒そうなどとは考えていない。
配下に縋りつかれ、やれやれと言ったように肩を落とす。
「判ったよ、おれだってこんなつまらんことで体力を消耗する気はない。帰りゃあいいんだろ。邪魔したな」
背中を向ける彼に、藍絲の冷ややかな声が突き刺さる。
「その前に…わたしに何か言うことはないか、千禍?」
振り返った千禍は、わざとらしく首を傾げる。
「さて…言いたいことはさっき全部ぶちまけたはずだがな。まだ足りないのなら話は別だが」
「ほざけ」
彼は拳を震わせる。
「わたしの大切な玩具を破壊したことに対する謝罪だっ!」
再び戦闘に突入しかねない雰囲気に、彼の配下の者たちは一斉に青ざめた。
だが、千禍は動じない。
「まだ言ってんのか。あんな紛い物よりも、『本物』の方がよっぽど抱き心地がいいぞ?」
軽い口調で告げた瞬間、相手の顔色が変わった。それを見越した上で、千禍は意地悪く言葉を重ねる。
「翡蝶の情熱もいいが、ああいう冷めた女ってのもたまには悪くないな。お前には悪いと思ったが、先に味わわせてもらったぞ」
藍絲はもはや、美形の面影を残さないほどに顔色を失っていた。震える拳が、彼の怒りの全てを物語っている。
「…貴様…っ!」
何故こんな嘘をついてしまったのか、千禍は自分でも判らなかった。
ただ、彼を怒らせてみたかっただけなのかも知れない。
彼が憎悪に満ちた瞳で自分を見つめる度に、胸の奥から例え難い恍惚感が湧き上がってくることに、千禍はいつしか気付いていた。

「失せろ」
低く、藍絲は告げた。
「貴様をもはや友とは呼ばぬ…二度と我が城に足を踏み入れるな!」



それが、『友』としての藍絲の最後の一声であった。
築かれつつあった彼らの友情は、この時を境に破綻を迎えた。
己の殻に閉じ籠もるようになった藍絲は、果たせぬ欲望の数々を人形制作という形で昇華させていく。
そして千禍が再び璃岩城を訪れるのは…皮肉にも、彼が初めて本気で愛した女性・ラエスリールを伴っての事であった…。



──おわり──


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