書庫 紅白連携(千禍×白煉)


鏡台にもたれかかり、白い美女は物憂げに溜め息をついた。
近頃どうにも気分がすぐれない。
原因は、判っている。
あの女たらしの優男が、毎日のように求愛の文を送り付けてくるからだ。
無論彼女は無視した。
今時人間の間でも流行らぬ恋文を、それもわざわざ己の姿に似せて作った人形に持たせてよこすというその神経が理解できない。
美女の足元には、彼女によって息の根を止められた無数の人形が転がっていた。
どれもみな、あの男の顔をしている。
品良く整った眉、床に広がる艶やかな紫紺の長髪。
いちいち破壊するのにも飽きて、今は放置してあるのだが…。

「智蛇」
配下というよりは、愛玩動物に近い妖鬼の名を呼ぶ。普段ならば「はぁいっ」と明るい声が聞こえてくるのだが、今は気配すらない。彼女は軽く舌打ちした。
「どこで遊び惚けておるのか…」
床に散乱している人形と、破り捨てた恋文の後始末を、それでは誰に頼もうかと考えていると、突如居城を包む結界が大きく震えた。侵入者を感知したのだ。



かつ、かつ、と近付いてくる靴音。
時と場合を全く考えないその突然の来訪に、相手が誰なのかを瞬時に悟った彼女は、さらに不快な顔つきになった。
遠くから微かに、配下の者たちの焦りに満ちた声が聞こえてくる。
「い、いけません…お待ち下さい、柘榴の君っ!」
「ここから先は我が君の個室です!いくら貴方様でも、お通しするわけには…」
「あーうるさい。どいてろお前ら」
ぞんざいな男の声の後に、ぎゃあっ、と立て続けに悲鳴が上がる。
複数の配下が血飛沫を上げ、次々と倒されてゆくさまが脳裏に浮かぶ。

やがて結界を強引に引き裂いて、彼女の見知った深紅の青年が姿を現した…配下の返り血を浴びながらも、実に楽しげだ。
「よお白、遊びに来てやったぞ。元気か?悩みがあったら相談しろよ」
「おぬしがおることが最大の悩みじゃ」
きっぱりと彼女は言い切る。
「よくも妾のかわいい部下を殺めてくれたものじゃの…この返礼は高くつくぞえ?」
睨み付ける彼女に対し、青年は笑った。
「よくも言う。おれがここに来るのが判ってて、あらかじめ気に入らない連中を見張りにつけとくなんざあ、用意周到っつーか腹黒いっつーか」
見透かされた悔しさに、彼女は低く唸った。
「だから、そなたは嫌な男だと言うのじゃ…」
しかし青年は既に別の話題に入っている。
「そういやあ、今倒した連中の中に智蛇はいなかったな。そろそろ飽きて、おれに始末を頼む頃だと思ってたんだが…と」
青年はそこで初めて───この辺りがいかにも傍若無人な彼らしかった───人形の存在に気付いたようだった。
足でそれを踏みつけながら、整った顔を嫌そうにしかめる。
「何だこりゃ。まさかあの変態野郎からか?」
「いかにも…」
彼女はたまらないといったように何度かかぶりを振った。
「送り返せば次は倍以上の文を送り付けてきよる。かと言って文句を言いに赴こうものなら、それこそあやつの思う壺じゃ…何しろ文の内容は、妾の姿を直に見たいというものじゃからの」
憂欝な吐息を洩らす美女を、青年は楽しげに見つめている。他人の不幸と言うものは、彼にとって例外なく愉しいものだ。

「そこまで思われりゃいっそ本望じゃないか、白?あいつはお前のためなら魔力の全てを失ってもいいとかほざいてたぞ?」
「それこそがあやつの言葉の魔力だというのじゃ。妾が決してなびかぬことを知っておるからこそ、そのような戯言を口にする。本気でその覚悟があるのならば、愛なんぞは後回しにし、妖主の座を降りるのが先決じゃろうが」
彼女の憂欝を他人事と割り切っている青年は、肩を揺すって笑う。
「女は形を欲しがるからな。なるほど、そういう考え方もあるか…だがその言い方では、相手の出方次第じゃ受け入れてやってもいい、という意味にも取れるな」
性格の悪い知己の言葉に、彼女は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「おぞましいことを申すでない。あのような男を伴侶にするくらいなら…」
吐き捨てるように彼女は言った。
「おぬしの方がまだましというものじゃ」

意外なことを言われ、柘榴の妖主は一瞬目を丸くしたが、しばらくして「ああ」と短く受け流す。
この美しい白焔の妖主とは長い付き合いだが、特に女として感じたことはない。彼には翡蝶という妖艶な愛人がいたし、それでなくとも生まれて数千年、女に不自由したことはなかった。しかし、だからこそ彼にとって白楝は、痴情抜きに気安く話が出来る貴重な存在でもある。
時雨のように細く優美な髪の流れ、透ける白い肌と、荒れる気配すらない唇、通った鼻筋。激しい気性に相反するように怜悧なその美貌。
理由もなく見つめている千禍に、何か勘違いしたのか、美女は渋面を作る。
「誤解するでないぞ。あの男もお主も、はた迷惑なことには変わりない。されど人形狂いの変態よりは、生身の女を求める精神の方が理解がきく。あくまで、あの男と比べれば、の話じゃからな」
潔癖な女だ、と千禍は思う。考えてみれば彼女に限って、浮いた噂は聞いたことがない。男嫌い、というわけでもないようだが、他の妖主に比べて男の配下の数が極端に少ないのは事実だ。
そんな彼女にべた惚れの藍絲の顔が思い浮かび、千禍は目を伏せた。

「今の言葉、あいつに聞かせてやりたかったよ。どんな顔しやがるか…」
すると白い美女の表情が明らかに変わった。先程までの不愉快な表情から、雲間に光が差すようなそれへ。
ゆっくりと、人差し指で青年を指し示す。
「それじゃ…」
「あ?」
うるさげに聞き返した青年も、やがて彼女の思考を読み取ったのか、にやりと笑ってそれに応えた。
かれこれ数百年の付き合いをしている者同士ならではの、意志の疎通がそこにあった。
「何か思いついたのか?あいつを撃退する手段を」
千禍は藍絲とは仲が悪い。加えて退屈もしていたので、彼女に協力する理由は十分にあった。
「うむ」
満面に笑みを浮かべて彼女は頷き、それから千禍に耳打ちした。


しばらくして白楝は再び智蛇を呼んだ。
明るい緑色の巻き毛の幼女は、今度はすぐに現れる。いささか慌てた様子だった。
「ごめん我が君!さっき呼んでくれた?あたし知らなかった。悪かった」
言葉遣いが微妙におかしい。加えて、目上に対して敬意を払うということを知らないこの幼女は、初対面で紫紺の妖主を「おじさん」呼ばわりした強者である。現在彼が最も嫌っている人物の一人だ。

「久しぶりだな、智蛇。たまにはおれの城にも顔を出せよ」
つい先程まで始末がどうこうと言っていたその口で、気さくに話し掛けるのは柘榴の妖主だ。
「あ、柘榴の君だ。何してた?あそぼあそぼ」

青年は、抱き上げてもらおうと手を延ばす智蛇の体を足で持ち上げながら言った。
「遊びは後だ。白がお前に用があるってさ」
その傍らで智蛇を見つめるのは白い美女。
傍から見れば微笑ましい親子のようにも思える三人であったが、それぞれの胸の内には己の欲望のみに忠実な本能が納まっている。
「使いを頼まれてくれるかの?」
えもいわれぬ優しい声で、彼女は命じた。
「うんっ」と元気に智蛇は答える。

璃岩城に小さな客人が訪れたのは、それからしばしの後。
遠くの白い美女に思いをはせていた紫紺の妖主は、まさかそれが智蛇だなどとは夢にも思わず、新しい人形づくりに精を出していた。
だがそのうち、背後にふと嫌な気配を感じて振り向くことになる。

そこに立っていたのは緑の髪と瞳を持つ、
なかなかに可愛らしい幼女だった…無論、口さえ開かなければ、の話だが。
藍絲は不快を露骨に滲ませた表情で告げた。
「…何の用だ」
基本的に、彼は女性に甘い。例え内心はどう思っていようが、相手を謀るためならば多少の苛立ちは抑え、常に甘い微笑と柔らかい物腰を崩さない自信はあった。
だがこの幼女の場合に限りそれは当てはまらない。どうしても合わない相手というのは、確かに存在するのだ。
「んっとね、これ我が君から。あんたにあげるって。はい」
そう言って智蛇が手渡したのは、彼が待ち焦がれた恋文の返事だった。
目にした瞬間それまでの嫌な気分が嘘のように晴れ、思わず智蛇の手から『それ』を引ったくる。
「じゃあ渡したからね。さよなら」
智蛇は好みでない人物にはとことん愛想がない。用件だけ伝えるとさっさと姿を消してしまう。


その時点で彼は疑問に思うべきだった。
一介の妖鬼に過ぎぬ彼女がなぜ、彼の配下の者たちの監視の目をくぐってここへ辿りつけたのかを。
しかし、愛しい人からの初めての返信に舞い上がっている藍絲には、智蛇が柘榴の妖主と顔見知りである事実など推測できるはずもなかった。はやる胸を抑え、彼は封を切る。
ああ、どれだけこの瞬間を待ちわびたことか…。
だが次の刹那、その瞳は驚きに凍りついた。
封を切った途端、信じられない言葉が彼の耳に飛び込んできたのだ。
『あんな男を伴侶とするくらいなら、おぬしの方がまだましというものじゃ』
紛れもない、あの女性の声。それに男の声が答える。
『ああ』
会話はそこで終わっていたが、相手の男が誰なのかはすぐに解った。ぐしゃり、と恋文を握りつぶし、彼は怒りと屈辱に激しく震えた。
「おのれ赤めが!私が少し目を離した隙に、あの方に取り入るとは…!」
怒りのままに声の手紙を破り捨て、そして気付く。
先程これを運んで来た、智蛇の姿を取った魔性こそが、柘榴の妖主であったのだと。
よく考えれば妖鬼ふぜいがこの結界の内部まで侵入できるはずがないのだ。
「おのれ…!」
件の男の悪戯の前にはいつも苦い思いを味わってきた藍絲だったが、今度ばかりは許すわけにはいかなかった。
彼の残した気配を辿り、すぐさま後を追い掛ける。
そうして璃岩城はしばしの間、主が不在となった。

「うまくいったようだな」
美女の用意してくれた陽炎の椅子に優雅に腰掛けながら、柘榴の妖主はしたたかに微笑んだ。
無論、追い掛けっこはまだ終わっていない。
だが現在藍絲が必死で行方を追っているのは、ここにいる青年ではなく、妖鬼の智蛇だ。
「うむ。じゃが、いつまでもつかの…」
白い美女は、やはり優雅な手つきで紅茶をいれる。
青年は椅子の上であぐらをかく、という器用な真似をして見せながら言った。
「心配ないさ。確かに璃岩城に入っても怪しまれんよう、おれの気配はたっぷりと残しといてやったが、時間が経てば術の効果は消える。それまであいつには、せいぜいがんばって逃げてもらおう」
「そうじゃな…」
「何にせよ、これに懲りて当分は妙なものは送っちゃこないだろうよ。おかげでおれはすっかり恋敵と思われちまったようだが。ちったあ感謝してもらいたいもんだな」
ずずず、と紅茶を一気飲みする。果たして味が分かっているのかどうか、疑問が残る飲みっぷりだ。
「感謝ならしておるよ。あとは智蛇が無事戻ってきてくれることを祈るばかりじゃな」
美女の言葉に青年は「ん?」と片眉を上げる。
「何だ、おれはてっきり、あいつの元気な声が聞けるのは今回が最後だと思ってたんだが?」
「ほほほ。勿論妾とて辛い別れであったわ。じゃが、あの男を遠ざけるためには…」
美女は紅茶を一口すすり、艶やかに微笑んだ。
「多少の犠牲は、やむをえないじゃろう?」

甘い紅茶の香りが辺り一面に漂う。
見つめあい、美男と美女は同時に吹き出す。
「くっくくく…あっはははは」
「おほほ…おーっほほほ」

二人の妖主の満足げな笑い声が、しばらくの間虚空に響き渡っていた…。



──おわり──


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