書庫 蚕の街・前編(ラキス×紅蓮姫)


・王道なのに扱いが小さいラキス×紅蓮姫
・浮城を目指す道中でのお話です
・敵はオリキャラ



ヒューリヒは織物が盛んな街である。
もともと美術品に関心の強かった先々代の王が、世界各国から優秀な職人を集めて機を織らせたのが始まりで、今でも宮殿近くには数多くの織り師が住んでいる。
街道沿いに並んだ露店には行き交う人々の目を引く美しい柄の布地や糸が飾られており、訪れた観光客の目を楽しませていた。

喧騒の中、布に包まれた一振りの刀を大切に抱えて歩く少年がいる。
名を、ラキスという。
人の良さそうな顔立ちをしているという以外は、とりたてて特徴のない普通の少年だ。
旅の装束に身を包み、背中を丸めて歩くその後ろ姿は妙に物悲しい。
露店に並んだ品々を横目で眺めながら、彼は大きく息をつく。
「どうしようか、紅蓮姫」
刀に向かって囁いた。
すると『彼女』は明確な意思を彼の脳裏に響かせる。
───ごめんなさい。私にはあなたの空腹を満たしてあげる事は出来ないの。
「そうだね」
ラキスは苦笑する。
彼の恋人は魔性の命を糧とする破妖刀だ。
空腹のあまり餓死することはないし、夜露を凌げる場所を探して右往左往する必要もない。
けれど彼は生身の人間だ。
財布を盗まれてしまっては、明日の食べ物どころか今晩の寝床にも困るか弱い人間の身だ。
父を失い、ラキスに残されたのはこの意思を持つ刀『紅蓮姫』だけ。
目指す浮城までの道程はまだ長いというのに、早くも前途は多難である。
予定ではこの街で食料やら地図やらを仕入れて、宿屋でゆっくり休息を取るはずだった。
俯く彼の身を案じてか、紅蓮姫は悲しげな波動を伝えてくる。
───いざとなったら、私を売って旅費にすればいいわ。
「何を言うんだ」
ラキスは声を荒らげた。穏やかな彼にしては珍しいことだ。
───けれどラキス。私を持ち歩くのは重いでしょう。
「女の子一人の体重なんて苦にならないさ」
冗談めかした口調で言うと、布の中の紅蓮姫がわずかに震えた。これはもしかして、笑っているのだろうか。
───ラキスったら。
「一緒に浮城に行こうって約束しただろう。二度とそんな馬鹿な事は言わないで欲しい。君を失ったら僕はこれからの長い人生、どうやって生きていけばいい?」
───ごめんなさい。
「謝るのは僕の方だ。君に頼り過ぎていたね。本当は僕が君を安心させてあげるべきなのに」
紅蓮姫は自身の存在に引け目を感じている。
鍛冶屋を営んでいたラキスの父、シリイが命を賭して生み出した存在が、彼女だからだ。
その罪悪感からか、義務感からか判らないが、彼女はこんな、何の取り柄もないラキスを好きだと言ってくれる。その気持ちが嬉しかった。
だからこそ、強くあらねばならない。彼女のために…そして自分のためにも。

広場の方から悲鳴が聞こえてきたのは、その時だった。
どよめきとともに人垣が崩れる。行き交う人々が奇声を上げて、一斉に同じ方向へ走り始めた。
「魔性だ!」
誰かが叫んだ。
人の波に揉まれたラキスは慌てて紅蓮姫を胸に抱えこみ、その振動に耐えた。波が途切れるのを待って、彼は逃げ惑う人々とは逆の方向に走り出した。
親切な男性が、擦れ違いざまに足を止め、腕を引いてくれた。
「何をしているんだ坊や、早く逃げろ!」
ラキスはその腕を放して言った。
「大丈夫です。安全な所に避難して下さい」

風が、生臭い血の匂いを運んでくる。
大通りに面した噴水の前でラキスは足を止めた。
若い女性を嬲っている小鬼たちの姿が見えた。
一体は女性の体を押さえ付け、もう一体は足に爪を立てて逃れられぬようにし、残る一体が衣服を引き裂き、もはや悲鳴を上げる事も出来ない女性の反応を楽しんでいた。
母も、あんな風にして殺されたのだろうか。
それを思うと、胸の奥から静かな怒りが湧き上がってくる。
しゅるり…と紅蓮姫に掛けていた布を取り払い、その柄に手を掛けた時、柔和な少年の面影はもはや、そこにはなかった。
ラキスの存在に気付いた小鬼の一体と、目が合った。
濁った色をしたその瞳に驚愕が浮かぶ。彼の手に握られた破妖刀を認めたのだ。
その時にはもう、ラキスは走りだしていた。深紅の刀身が陽光を反射して鮮やかに輝く。
───食事の時間だよ。
女性を放り出して逃げようとする小鬼に踊りかかりながら、低くラキスは呟いた。
───そうね。存分に頂くわ。
朱金の瞳の少女が、うっとりと目を細めて輝くさまが見える。
恋人の狂喜に身を任せ、彼は剣を振るった。

そして数十分後、広場には小鬼たちの死体が転がっていた。
肩で息をしながら、ラキスが紅蓮姫を鞘に納めるのと同時に魔性のモノの屍は砂塵と化した。
───味はいまいちね。
呑気な感想を洩らす少女の面影が目に浮かび、ラキスは溜め息をつく。

次の瞬間、彼の耳に盛大な拍手が聞こえてきた。
ふと見回せば、いつの間にか周囲に人だかりが出来ていた。
集まった人々が、小鬼をあっさりと葬ったラキスに驚嘆の眼差しを向けている。
「ど…どうも」
彼は赤くなって頭を掻いた。人に注目されるのは苦手だ。
すぐにその場を辞そうとした彼の背中に、しわがれた老人の声がかけられた。
「あなた様は、破妖剣士さまですかな?」
振り返ったラキスは、そこに杖をついた老爺の姿を確認し、返答に困る。
破妖刀を持っているのだから、一応は破妖剣士ということになるのだろうが、彼はまだ浮城に籍を置いているわけではない。
おまけに剣の扱いに関しては殆ど素人である。
これまで旅先で魔性に遭遇しても無事生き抜いてこられたのは、ひとえに紅蓮姫の食欲のおかげなのだ。
けれど間近に歩み寄って見上げてくる老人の目は期待に輝いており、否とは言えない雰囲気があった。
「ええと…まあ、そんなものです」
流されるままに頷くと、おおっとどよめきが起こった。
まずかったかな、と思う間もなく、老人は皺だらけの手でラキスのそれを握ってきた。
「何と幸運なことじゃ。こんな所で浮城のお方に会えるとは…」
そう言うと、両の目から涙を流し始める。
「儂はこの街の長老でウシャルと申します。どうかお願いでございます。この街に巣くう魔性を退治してくださいませ」

ヒューリヒには、蚕を飼っている農家が数多く存在する。繭は生糸を生成する上で貴重な材料となるため、養蚕は大切な街の産業の一つだった。
しかし近頃その蚕の数が激減している。
病原体が原因ならば、蚕の死体が残るはず。
それが無いということは、何者かが夜のうちに家屋に忍び込み、盗んでいったとしか考えられなかった。
あちこちの農家で頻繁に同じような被害が起こっているので、長老は各家庭に一人、見張りをつける事にした。
そして或る晩、見張りの者は見てしまった。
壁を擦り抜けて音もなく家屋に侵入し、蚕を口一杯に含んで消えていった妖鬼の姿を。
「奴は蚕を喰う魔性らしいのです。勇気ある者が斬り掛かったが、無残にも…。奴に通常の武器は効果はない。破妖剣士さまのお力に縋るしか」
「待って下さい」
ラキスは慌てて言った。
「僕は旅の途中なんです。少し用があってその」
「判っております。一度城長を通さなければ、依頼は受けられないのでしたな」
長老は一人で納得している。
「ですが、本人の身に危険が降りかかった場合、つまり正当防衛という形であれば、城長さまも文句は言わないはず。我々はこの件に関しては、まだどの国にも報告は致しておりません。要はあなた様さえ口をつぐんで頂ければ良いのです。もちろん報酬は十分な額をお支払い致しますゆえ」
勝手な言い分だった。
だが報酬という言葉を聞いた時、ラキスの心はぐらりと揺れた。
この街に入る前に、彼はなけなしの路銀が入った財布を盗まれてしまい、現在は一文無しに近い。
森の恵みが受けられる季節ならば野宿にも耐えられようが、悪いことに今は真冬である。森に入っても食べるものが無ければ凍え死んでしまう。
しかし正規の破妖剣士でないラキスが、独断で依頼を受けていいものだろうか。
噂とはどこからでも漏れるものだ。万一この事が浮城に伝われば、最悪の場合入城を拒否される事にもなりかねない。
せっかく、紅蓮姫と二人で生きていけそうな場所を見付けたのに。出来れば厄介な事態は避けたい。
けれど旅費が必要な事は確かで。
思い詰めた表情で見つめてくる人々を前にして、ラキスは迷った。
迷った末、言った。
「少し考えさせてくれませんか。2人で相談しますから」
紅蓮姫を抱え直すと、彼は素早くその場を離れる。
広場に集った街の人々は、怪訝そうに顔を見合わせて呟いた。
「…2人?」

狭い路地の裏まで来て、ラキスは再び紅蓮姫を鞘から抜いた。
小鬼の体液を吸って、より深紅の色を増したかのように見えるその刀身に話しかける。
「どうしようか、紅蓮姫」
先程と同じ台詞を、繰り返す。
腰に差したままでも会話は出来るけれど、彼女と向き合っている方が好きなのだ。
深紅の破妖刀は、穏やかな声を送り込んでくる。
───あなたに任せるわ。私はあなたのものなのだから。
「僕も君に任せるよ。僕は君のものなんだからね」
───あなたに任せるわ。
「僕も君に任せる」
傍から聞いていると砂を吐きそうな会話だが、本人たちは至って真剣である。
「基本的に断る理由はないんだけどさ。ただ、街の人を騙しているようで後ろめたくて」
───ラキスは真面目なのね。それとも恐いの?
「君の力を疑っているわけじゃないよ。でも相手の力量もまだ判らないし、危険といえば危険だね」
───私が守るわ。
幾度と無く繰り返されてきた囁きに、彼はどう答えていいのか判らない。
───きっと、守りきるわ。
夢でしか会えぬ朱金の乙女は、いつもラキスに優しい。
例えその優しさが、同情に因るものだったとしても………。






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