▼ 君の耳に届くだろうか 「倉持ってさ、一年のとき彼女いたよね?」 「いたよ」 「いつ別れたの?」 「…去年の秋くらい」 ナイターのついた夜のグラウンド。 ストレッチをする俺の隣に座り込んだマネージャーが、唐突に俺の過去をほじくり返し始めた。 「なんで別れちゃったの?」 「言ったら絶対ネタにするから教えねぇ」 「そんなことしないよ」 ほんとかよ、という顔で名前を見る。 いつも御幸とつるんでいる姿を見る限り信用はできない…が、少しだけ眉を下げた名前のその顔はどこか悲しそうに見えた。 そうか、そういうことか。 大方、部員の誰かに俺の話を聞いたんだろう。 同情心で首を突っ込まれるのは好きじゃないが、名前がそんな軽い気持ちで聞いたのではないことくらい分かっているから。 一つ溜め息を吐いてから答えてやった。 「…振られたんだよ。他に好きなやつができたって」 そう、振られたんだ。 初めての厳しい夏を乗り越えたその秋に、電話で告げられた。 洋一は私なんかいなくても大丈夫だよ。 あの時電話越しに聞いた彼女の声。 違う、違うんだ 違うのに 「東京に行った俺より近くに居てくれる奴を選んだわけだ。ま、普通そうなるわな」 「そうかな…」 「そうだろ。俺は強いから一人でも大丈夫だ、って言われた」 「私だったら…嘆いてる間に自分から会いに行く」 「だってさ、そんなに強くなんかないよ、倉持は」 名前のその言葉に目を見開いた。 彼女と別れてから約一年。 今となっては笑い話にさえ出来ると思っていた。 だけどそれは、あのとき確かに抉られた傷を見ない振りして隠していただけなんだと気付かされた。 その証拠に、たった今温かなものがじんわりと染み込んだのは、確かにまだ存在していたその傷痕。 あの頃、いつだってあいつに会いたくて、いつだって寂しさを感じていた。 だけどそれを口にすることが出来なかった俺は、ただ彼女の言い分を聞くことしか出来ずにいた。 「会えなくてつらいのは倉持だって一緒だったよね」 あのとき言いたかった言葉、あのとき欲しかった言葉。 名前はその両方を俺にくれて、俺の心を満たしてくれる。 そうだ。 あいつと別れてから今までの一年間、いつも俺の近くにいてくれたのは名前だった。 それは決して友情の枠を越えた想いではないのだろうけれど、それでも俺には十分だった。 「私は倉持のそばにいるよ。ずっと一緒にいる!」 そう言って頼もしい笑顔で笑った名前に思わず吹き出してしまう。 「お前それ、どういう意味で言ってんの?」 「え?」 「ヒャハ!なんでもねー」 やっぱりな。 きょとん、としている顔を見る限り、こいつの言葉の意味は多分まだ親友止まり。 「ねぇ、倉持は今でも寂しい?」 「今は…名前がいてくれりゃそれだけでいい。そしたら寂しくねぇよ」 しゃがみ込んで俺の顔を覗く名前に少し意味を含んで伝えてみたけれど、これくらいじゃ名前には伝わらないだろうか。 ナイターの明かりに照らされた名前の顔は照れ臭そうに笑っている。 「名前、さんきゅ」 名前の柔らかい髪をくしゃりとしてやると、今度は嬉しそうに笑った。 その笑顔を見て心に誓ったんだ。 今度こそ自分の思いをすべて伝えよう。 後悔してしまわぬように。 そしてずっと名前の傍にいよう。 名前の喜びも悲しみも、そのすべてを取り零さぬように。 掬えるかぎりをこの手に [back] |