企画・記念 | ナノ

世界の片隅で泳ぐ人魚



日付が変わって少し経った頃、ベッドの枕元に放り投げていた携帯電話が着信を知らせた。
布団に埋もれたバイブレーションの音を耳にして、読んでいた本を伏せると腕を伸ばして携帯を掴む。
ディスプレイに映った名前を確認して迷うことなく通話ボタンを押した。


「もしもし」
『俊平くん?』


耳元に届いた彼女の愛らしい声。
口元が緩んだのも束の間、その声の後ろから聞こえる微かな喧騒に眉を潜めた。
こんな時間に何やってんだこの人は。


「今どこですか?」
『駅。ねぇ、迎えに来て』
「…何時だと思ってんですか?」
『何時だっけ?待ってるから早く来てね』


それだけ言うと切られてしまった電話。
深い溜め息を吐いてから腰を上げ、上着を羽織ると家を出た。
溜め息を吐きながらも駅へ向かう足取りはこんなにも軽いなんて。
こうして名前さんが必要とする時にだけ呼ばれる俺は所謂、都合の良い男。
分かっていても彼女から離れることが出来ない辺り、我ながら馬鹿だなとは思う。


駅に着いて構内を見回すとベンチにちょこんと座る名前さんを見つけた。
終電も無くなった駅に人気は無く、女性が一人で待つには危険すぎる状況だ。
俺が近付いてきたことに気付いた名前さんは顔を上げると笑顔を見せる。


「俊平くん遅いー」


あぁ、やっぱりな。
さっきの電話で薄々気付いてはいたけど。
やっぱり酔っているらしい。
いつもより緩んだ笑顔と眠そうな瞳の名前さんの手が俺の服の裾を掴む。
計算なのか天然なのか、そんな仕草にも心を奪われる。


「ほら、家まで送るから帰りますよ」
「うーん…俊平くん、おんぶして」
「は?」


もう歩けないと駄々をこねる彼女の足元にはヒールの高いパンプス。
それを爪先だけに引っ掛けていた。
確かに今の名前さんをこの靴で歩かせるのは危険だ。

名前さんの家まではこの駅から歩いて10分もかからない。
軽いトレーニングだと思えばいいか。
そう思って、名前さんのバッグを掴むと背中に名前さんを背負った。
その体は驚くほど軽いくせに、背中に感じる柔らかな感触はしっかりとあるんだから驚かされる。


「ねぇ、うち泊まっていきなよ」
「泊まりませんよ」
「暇でしょー?」
「…俺のこと何だと思ってんですか」


色んな意味を込めて言ってみたものの、名前さんはふふ、と笑うだけだった。
酔っ払ってる癖にそういうことを考える頭は働いてるらしい。
名前さんはこういうとき決まってただ微笑むだけだ。
いつも黙りな彼女は狡い。


「俺一応エースなんですけど。明日も練習」
「だって今日は俊平くんに会いたかったの」


今日は、か。
毎日でも会いたいと思うのは俺の方だけで、いつだって俺は名前さんの気まぐれに振り回される。
それでも名前さんに求められればその全てを与えてしまう。
これが惚れた弱味ってやつなんだろうか。


「ありがとー俊平くん…だいす、き…」


うつらうつらし始めた名前さんは言葉途切れにそう言った。
そんな使い古しの"大好き"が聞きたい訳じゃない。


「俺の方がずっと大好きだっての」


背中で寝息を立てる名前さんに吐き捨てるように言った言葉は彼女に届く訳もなく、真夜中の闇に溶けていく。

寝心地が良いのか俺に擦り寄るようにした名前さんの髪が首筋に当たって擽ったい。
それと同時に漂うアルコールの匂いと、普段名前さんからは絶対にしないタバコの臭いが、俺は大嫌いだ。




深みに誘う



title:セツカ様
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