▼ 君を手に入れたいと思った日 17 休日の夕方、取り込んだ洗濯物を畳んでいるとテーブルの上に置いていた携帯が震え、ガタガタと音を立てた。 ディスプレイを確認するとそれは倉持くんからのもので、躊躇いもなく通話ボタンを押す。 「もしもし」 『あ、名前?俺』 「練習終わったの?」 『おぉ、いま終わって着替えたとこ!』 電話の向こうで聞こえる声は朝から夕方まで一日練習した人の声とは思えないほど元気で、相変わらずすごいスタミナだな、と思う。 『・・・なぁ、今日会いてぇんだけど』 「え・・・」 耳元で聞こえた声に、どきりと胸が跳ねた。 『どうせ暇だろ?』 「ど、どうせとは失礼な!私だって忙しい時は忙しいんだからっ」 『今日は暇だろ』 「う・・・まぁ、たまたまね、たまたま!」 『ヒャハハ!じゃあ決まりな。待ってっから。じゃあな』 「え、ちょっ・・・」 自分の用件だけ伝えた電話はさっさと切られ、耳元からは通話終了を知らせる電子音が響いていた。 行くなんて一言も言ってないんだから。 なんてのは細やかな抵抗で、体は自然と身支度を始めている。 最近、どうも直球すぎて困る。 あの日から倉持くんは、今みたいに会いたいとかいう言葉をストレートに伝えてくるようになった。 それが嫌だとかじゃなくて。 そうじゃなくて・・・ びっくりするから止めてほしい。 言われる度に激しい動悸に見舞われて体に悪い。 ハンガーラックから白いシフォンチュニックを取り外し、袖を通す。 部屋着のズボンを脱いで、デニムのショートパンツに履き替えたところで思い出す。 そういえばショートパンツは駄目だ、とか言ってたっけ。 「・・・・・・」 最近暑いし、いっか。 誰も見てない、見てない。 洗面所の鏡で髪を整え、携帯電話をポケットに納めるとローヒールのサンダルで部屋を出た。 大分陽が伸びたなぁ。 まだ少し明るい空を眺めながら歩いていると、数十メートル先のコンビニの前に倉持くんがいるのを確認する。 ん・・・? よく見ると倉持くんの隣にもう一人。 あの黒縁眼鏡は・・・もしかしてあの時の御幸くん? 帽子がないから雰囲気が違うけど、あの眼鏡は多分そうだ。 隣の倉持くんはと言えば、なんだか不満そうな顔をしている。 「お待たせ」 「おぅ」 「今日は御幸くんも一緒なんだ?」 「こいつが勝手に・・・」 「俺の事覚えてくれてたんですか?」 「うん。あの時はどうも」 嬉しいなぁ、と笑う御幸を追いやるようにして間に入ってくる倉持くん。 「てめぇもういいだろ!帰れ」 御幸くんを睨むようにしてそう言うけど、当の御幸くんはなんてことない顔して飄々とした笑顔を浮かべている。 「話してみたかったんですよね。倉持が夢中になる人がどんな人か」 そう言った御幸くんは私を上から下まで見るような仕草を見せ、にこりと笑った。 「じろじろ見んな!エロ眼鏡!名前、俺がいない時にこいつに会ったら絶対に会話すんなよ?」 「はっはっは、信用ねぇな!名前さん・・・」 ぐいっと腕を捕まれ倉持くんの後ろに隠された私は、御幸くんからの呼び掛けに肩口から顔を出す。 「これ以上いると倉持に殺されそうなんで今日は帰ります」 「あ、うん。あんまり話できなくてごめんね」 「いえ、また今度、ゆっくりお願いします」 そう言って細められた目と笑顔に、少しだけぞくりとした。 今だけじゃない。さっきだってそうだ。 彼が私の事を測るように見たとき。 今と同じ感覚が走った。 悪い子ではないと思う。 でも、ああいう瞳は苦手だ。 じゃあ、と言葉を残して歩き出した御幸くんの背中を見送りながら、そう思った。 でもそれは御幸くんのせいではなくて、私自身の問題だ。 私の心の中まですべてを見透かしてしまいそうなあの瞳が怖いんだ。 思わず下唇を噛む力が強くなる。 「あいつ、さ・・・飄々としてっけど結構良いやつなんだ」 隣から聞こえた声にはっとして顔を横に向けると、倉持くんは頭の後ろを掻きながら視線を横にずらして、いつもの場所に腰掛けた。 つられて私もその隣に腰掛ける。 「野球馬鹿だし、周りのことすげぇよく見てくれてる」 「倉持くんより?」 「・・かもな。だから・・まぁ嫌わないでやってくれな」 その言葉に数回、瞬きをした。 ・・・やっぱり倉持くんてすごい。 たったさっきの出来事だけで、私が御幸くんに対して抱いた苦手意識を見抜いてたんだ。 ほんと、きみには敵いませんな。 「御幸くんは倉持くんの友達だから、悪い人じゃないって分かってるよ。少し苦手意識はあるけど・・・大丈夫」 私の言葉に嬉しそうに笑ったと思えば今度は少しだけ口を尖らせ、不満そうな表情を浮かべた。 「つーか、倉持くんって止めねぇ?」 「なんで?」 「御幸くんと同列みたいで嫌だ」 「じゃあ、倉持?」 「なんで呼び捨てなんだよ」 「んー・・・じゃあ、もっち?」 「・・・ふざけんな。洋一って呼べよ」 「よう、いち・・・?」 ただ復唱してみただけなのに。 その名前を口にした瞬間、ぼっと顔が熱くなるのを感じた。 「お、赤くなった。もっかい呼べよ」 「や、やだしっ」 「駄目。禁止っつったのにショートパンツ履いて来た罰だ」 げ。 やっぱり突っ込まれたか。 こんなことになるならショートパンツなんて履いてくるんじゃなかった。 「なぁ、呼べよ」 「っ・・・!」 小さく聞こえた彼の声はなんだか熱っぽくて、こっちを見るその視線に堪えられなくなった私は、真っ赤になった顔を両手で隠して口元だけを僅かに動かした。 「洋一・・・」 あ、れ・・・ 倉持くんの反応が無い。 不思議に思い、恐る恐る指の隙間からこっそり様子を覗いてみれば、倉持くんは私と同じくらい・・・いや、それ以上に顔を赤くして口元を手で覆っていた。 そんな反応、ずるい。 余計に意識してしまう。 異性を名前で呼ぶことくらいどうってことなかったはずなのに。 今までだって他の名前を呼んだ事だってあるはずなのに。 よういち この四文字はすごく特別で。 この名前を呼んでみれば嫌なことだってなんだって、すべてを消し去ってくれる。 そんな気がした。 4文字の破壊力 [back] |TOP| |