連載 | ナノ

君を手に入れたいと思った日 16




「ふぅ・・・」


コツコツとヒールの音が駅構内に響く。
あぁ、もうそろそろこのパンプスもかかとの修理に出さなきゃな。
少しむくんだ足は痛くて、いっそ裸足で帰れたらいいのに、なんて思う。

残業を終え、自宅最寄駅に着いたのは9時を過ぎた頃だった。
今日も自宅マンションとは反対側の出口を出て、ロータリーを歩く。
こっちから帰るのはかなりの遠回りで、道も暗いから普通なら絶対に通らないんだけど。
この道のりなら青道の前も、あのコンビニも通らなくて済むから。


そう思っていたのに、思い出してしまった掌の感触。
私の中でいつの間にやら彼の存在は、随分大きくなっていたらしい。

あぁ、ほら見て。
倉持くんの幻影まで見えるようになってしまったのね。

数十メートル先に見える倉持くんの姿にごしごしと目を擦ってみる。



あ、れ・・・


ごしごしごし・・・





「名前っ!!」


うそ・・・

何度目を擦ってみても滲まぬその姿は、次第に私の方へと近付いて来る。

目の前の幻影の倉持くんは倉持くんじゃなくて幻影じゃなくてほんとの倉持くんで・・・
そんな事を考えているうちに、私はいつの間にか大きな胸の中にいた。


「ばかやろ、殺す気か・・・」


きつくきつく抱きしめる腕は、痛いほど私の体を締め付けて、
耳元で聞こえる声は痛いほどに弱々しい。

あぁ、もう。
きみには会わないって決めたのに。
どうしてこんなにも、つらそうにしているの?
私のした事は間違いだったのかな。




・・・でもね。
ふと思い出した。
ここがどこであったかを。


「く、倉持くん。離し」
「やだ。離さねぇ」
「でも・・・」


よくよく考えればここは駅前のロータリーなわけで。
そんな所でこんな事をしていれば、行き交う人々の視線を集めていることは間違いなしじゃないか。


「名前が逃げないって言ったら離してやる」


そう言った彼の声は少し掠れていて、抱きしめる腕は更にきつくなり藻掻いてみても解くことはできなそうだ。


「・・・分かった。もう逃げないよ」


ふっと腕が緩み漸く解放されたけど、右手は捕まれたままだということに気が付く。
それは握られていると言うよりは捕獲されている、の方がしっくりくるような。
そのままの格好で近くの小さな公園まで歩くと、ベンチに座るように促される。
捕まれた手は離され、右隣に座る倉持くんはじっと地面に視線を落としたまま口を開いた。


「・・・何で俺のこと避けてたんだよ」
「会わない方がいいのかな、て思って」
「練習試合の時、何かあったのか?」


視線を上げ、私の顔を覗き込むようにして背を丸めた倉持くんの眉間には皺が寄せられていた。
きっと的外れな心配をしているだろう優しい彼に、私は少しだけ口元を緩め小さく首を横に振る。


「あの日の倉持くんは、ほんとにかっこ良かったよ。すごく、かっこ良かったよ」


そう、あの日のきみは眩しいくらいに格好良すぎた。
きみと私との距離を思い知るには十分なほど。
あの日見た子が可愛かったから、その子の方が相応しいんじゃないかとかそんなんじゃなくて。
お互いのステージが違い過ぎたんじゃないかな。
倉持くんが現在進行中のステージを、私はもう数年前にとっくにクリアしてしまったんだ。
そこに私がいるなんて、可笑しなことじゃない。


「倉持くんにはさ、同い年の可愛い女の子の方が似合うよ」
「・・・ざけんな。勝手に決めてんじゃねぇよ」


声こそ静かではあったけど、その声色は明らかに怒りを含んでいて、私を心配して怒ったときとは真逆の怒りに掌が少しだけじわりと汗ばむ。

街灯の灯りだけが頼りの薄暗い視界の中、端から倉持くんの右手が伸びてくるのが見えて、思わずきつく目を閉じた。
けれどその手はぎゅっと私の手を握り、目を開ければ真っすぐにこっちを向く眼差しに捕われる。




「俺が、名前の隣に立ちたいんだよ」








「だからお前は、いつもみたいにあのコンビニでプリンでも買って・・・いつもみたいに笑って俺の相手してくれよ」


握りしめる手とは逆の手で頭をわしゃわしゃとされる。
いつもより力が強いのはやっぱりまだ怒ってるからなのかな、なんて思っていたら、最後にはとてつもなく優しい手つきでゆっくりと髪を撫でられる。
その優しすぎる感触に少しだけ、涙が出た。


「ヒャハっ、何泣いてんだよ」
「ごめ、ん・・・ありがとう」
「もういいって。送るから帰ろうぜ」
「うん・・・」


私の手は倉持くんの大きな手に包まれたまま。
でもそれがなんだかすごく心地良いと感じた。


あぁ、やっぱり。
この手は私をこんなにも安心させてくれるんだ。



この気持ちをみんなは恋とか愛とか呼ぶんだろう。
けれど私には未だ、それを認める勇気が
彼に未だ・・・すべてを打ち明ける勇気が足りない。



自分勝手で我が儘なのは百も承知だ。

だけど今は
もう少し・・・


その勇気を手に入れるその日まであと少し、このままでいさせてほしいと願った。




魔法のてのひら



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