5
「違う」
消えたはずの何かが、とても尊いものに思えた。だから、また取り戻したいと。柄にもなく何かにこだわる自分に、半ば呆れていた。
「嘘をつくな! 見た生徒がいるんだよ」
だからなに?
「俺の手を煩わせるな!」
ぼんやりと教師を眺めていたから、あ、と思ったときにはもう遅かった。
振り上げられた右手は、迷いなく俺の頭へ。こめかみあたりに中指の関節が食い込み、先生とか小野とか、その他もろもろが一瞬にして吹っ飛んだ。
相手が殴り慣れていないせいだろう。大して痛くはない。
痛くはないが……。
俺の頭に、血を上らせるのには充分だった。
「西織!!」
突如聞こえた先生の声にハッとした。
目の前には、口内が血で真っ赤に染まった担任の顔。
振り上げた右腕は、ひどく情けない顔をした先生に抑えられていた。
「やめろ。西織」
怒鳴られているわけではない。俺の腕力を上回る力で押さえつけられているわけでもない。
しかしその情けない顔と声は、俺にとっては効果てきめんだったようだ。
上った血が一気に下がる。
先生と一緒に立ち上がると、俺たちを半径3m以上離れて凝視する生徒たち。廊下に繋がるドアからは、隣のクラスと思われる生徒たちも覗いていた。
みんな同じような顔をして。
「一度、ここを離れよう」
先生に手を引かれ、歩き出す。
背後でガハガハと咽せる担任。最後の叫びかなんなのか、震える声でこう喚かれた。
「どこで殴り方なんか学ぶんだ、今のガキどもは!」
足を止めて振り返ると、肘と膝で体を起こし、目だけで俺を睨む担任の姿。
その疑問の答えは簡単。
「俺に殴り方を教えたのは、オトナだよ」
俺の手を握る先生の手に、キュッと力がこめられた気がした。
[ 17/26 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]