「違う」

消えたはずの何かが、とても尊いものに思えた。だから、また取り戻したいと。柄にもなく何かにこだわる自分に、半ば呆れていた。

「嘘をつくな! 見た生徒がいるんだよ」

だからなに?

「俺の手を煩わせるな!」

ぼんやりと教師を眺めていたから、あ、と思ったときにはもう遅かった。

振り上げられた右手は、迷いなく俺の頭へ。こめかみあたりに中指の関節が食い込み、先生とか小野とか、その他もろもろが一瞬にして吹っ飛んだ。

相手が殴り慣れていないせいだろう。大して痛くはない。

痛くはないが……。

俺の頭に、血を上らせるのには充分だった。





「西織!!」

突如聞こえた先生の声にハッとした。

目の前には、口内が血で真っ赤に染まった担任の顔。

振り上げた右腕は、ひどく情けない顔をした先生に抑えられていた。

「やめろ。西織」

怒鳴られているわけではない。俺の腕力を上回る力で押さえつけられているわけでもない。

しかしその情けない顔と声は、俺にとっては効果てきめんだったようだ。

上った血が一気に下がる。

先生と一緒に立ち上がると、俺たちを半径3m以上離れて凝視する生徒たち。廊下に繋がるドアからは、隣のクラスと思われる生徒たちも覗いていた。

みんな同じような顔をして。

「一度、ここを離れよう」

先生に手を引かれ、歩き出す。

背後でガハガハと咽せる担任。最後の叫びかなんなのか、震える声でこう喚かれた。

「どこで殴り方なんか学ぶんだ、今のガキどもは!」

足を止めて振り返ると、肘と膝で体を起こし、目だけで俺を睨む担任の姿。

その疑問の答えは簡単。

「俺に殴り方を教えたのは、オトナだよ」

俺の手を握る先生の手に、キュッと力がこめられた気がした。


 

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