その日は、気まぐれで授業に出ていた。

といっても、自分の教室の教師の話を聞いている訳じゃない。

俺が聞いているのは隣の教室の…先生の声だ。

うちのクラスは国語、隣のクラスは生物。俺の席は教室の一番後ろの席だから、先生の声がかすかに聞こえる。先生が何かを言うと、生徒たちが笑ったりする。それが少し気にくわなかった。

授業も残り僅か…終了10分前ほどになったとき、うちのクラスの教師がいきなり話題を変えた。

「さて、今日の授業はここまでだ。今からこのクラスの担任として話がある。全員教科書をしまえ」

この人、担任だったのか。それは知らなかった。

みんなは怪訝そうにしながらも教科書をしまい始めた。俺は最初から教科書なんぞ出していないので、そのまま隣の教室に耳を傾ける。

「昨日の放課後、小野の財布から5万円が盗まれたらしい」

教師の口から出た「小野」という名前に、ピクリと反応する。反射的に小野の席を見ると、いつにも増して縮こまり、遠慮がちに頭を垂れる背中が見えた。

「俺のクラスに窃盗を犯す者はいないと信じたいが、念のため聞いておく」

教師はわざとらしくゆっくりと、言葉一つ一つを強調しながらしゃべった。犯人はいないと信じると言いながら、はっきりとした確信を持っているような。

「犯人は、名乗り出ろ」

途端に、静まり返る教室。そのおかげで、隣の教室の声が聞こえやすくなった。

ちょうど、先生がまた何か言って、生徒たちを笑わせたらしい。

「西織くんが盗ったの、見ました」

声をあげたのは、小野の隣の席の子犬だった。

瞬間、ざわりと鳴る教室。

小野は、目を見開いてこちらを振り返った。

視線が交わり、色を失ったその目から直接俺に注がれたのは。

かつて俺自身も嫌というほど味わった、「絶望」。

すっ、と、俺の中から何かが消えた。

いつから生まれたのか、どこにあったのかも知らない何かが、今、確かに消え去った。

もう、いいよ。

無意識に、そんな言葉を呟きたくなった。

教卓の前から、教師がゆっくりとこちらに近づいてくる。

教師が通った位置から、生徒たちが目で追いかけるように振り返る。一番後ろの俺の席まで来たので、全員の視線が教師と俺に注がれた。

「おまえか、西織」

それは、聞いていながら「?」のない質問だった。

最初から、答えを確信している質問。

 

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