dissolve | ナノ
+
07 チョコバーをどうぞ

苛立ってばかりではいられない。
シリウスはフィールを抱えて医務室へ走った。
マダム・ポンフリーは駆け込んで来た三人に注意しようとしたが、シリウスの腕にいるフィールを見てすぐさま処置に移った。

「立ち入り禁止です!」

説明も聞かず状態も教えず、マダム・ポンフリーはぴしゃりと医務室のドアを閉めた。
放り出された三人は、仕方なく寮に戻ることにした。

「……ジェームズ」

医務室を遠くから眺める親友に、シリウスは声をかけた。
ジェームズは杖こそ仕舞いはしたが、未だ動けずに立っている。シリウスは近付くと、ぽんと肩を叩いた。

「フィールは僕らと会った時には傷を負っていた。君が気にすることじゃないんだ。だがもし気になるなら、また明日来よう」

シリウスがそう言うと、ジェームズは力なく頷き、ようやく足を動かした。



その晩、シリウスらはどこからか話を聞きつけたリリーにこっ酷く怒られた。
自分達が傷つけたのではないと分かっていても、罪悪感に苛まれていた彼らは、何よりフィールが心配で仕方がなかったのでリリーの怒号を大人しく聞いていた。

リリーは一頻り怒ると、今度は泣き出した。自分が余計なことを言ったからだと、自分が付いていればと、自分を責めだしたのだ。
シリウスらはリリーを宥め、落ち着かせてやった。事情は聞いたが、リリーに責任はない。血を見せるために手首を切るだなんて、誰が予想できようか。
フィールの行動は理解できなかったが、今はそれも責める気にはならなかった。



長い夜が明けた。

リリーは朝になると同時に、足早に女子寮を出た。
ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーターの四人も早く起きたのか、談話室でリリーを待っていた。もしかすると談話室で一晩過ごしたのかもしれない。
五人は頷くと、声を交わさずに医務室に向かった。早朝の人気のない廊下に、五人分の足音が大きく響いた。

医務室の前には、なんとマクゴナガルがいた。

「分かっています。私がマダムに頼んでおきました。ただし、十分だけですよ。それ以上はミス・カリオウスの体の為、私が許しません」

リリーが口を開く前にマクゴナガルはそう言い、医務室のドアを開けた。

「ありがとうございます……!」

リリーはお辞儀すると、中に入った。シリウス達も続いた。

マダム・ポンフリーが立つ傍のカーテンを開けると、フィールが横になっていた。フィールはぼんやりと天井を眺めていたようだ。手首に包帯が巻かれているだけで、他には何もない。

「フィール……ああ、フィール!」
「こんな朝早くにどうした、リリー・エバンズ」
「どうしたですって……?バカ!あなたが、あなたが……!」

横になったまま、普段と変わらないフィールに、リリーは喜びと悲しみで目を潤ませた。
声にならない声を必死に絞り、リリーはシーツを握り締めた。

「私が……私が気にせず付き添っていれば……追いかけていれば……」

ぼろぼろと涙を零すリリーに、リーマスが宥めようとしたが、シリウスが止めた。
リリーを宥められるのは、フィールだけだと分かっていたのだ。

「泣くな、リリー・エバンス」

リリーの頭を撫で、涙を拭ってやるフィールに、リーマス達が驚いていても、シリウスは驚かなかった。
少しだけ、理解できた。フィール・カリオウスは奇抜で気骨な人間で、時には冷酷かもしれないが……少なくとも、リリー・エバンスには優しさを持っているのだ。友達云々は謎のままだが、見ていれば分かる。リリーはフィールにとって特別な存在なのだ。

「マダム・ポンフリーは今日一日寝ていれば良いと言っていた。早く大広間で食事がしたいものだ」

リリーの頭を撫でながら、フィールがぼやいた。リリーはまだ泣きやまない。

「私のせいよ……私の、私のせいなの!」
「隈が酷いぞ、リリー・エバンズ。そんな時はたっぷり寝るのが一番だ」
「ね、寝るべきなのは、あなたよ!血を、沢山、流したって、聞いたわ」

リリーの涙を拭いながら、その目元を見てフィールは言った。リリーはしゃくりながら、フィールを見た。もう涙は止まりかけていた。

「そうだったな。一緒に寝るか、リリー・エバンズ」
「――もう!」

リリーはとうとう吹き出した。くすくすと笑い、落ち着きを取り戻したようだ。
リリーの視線が包帯を巻かれた手首に移る。

「……体は、どうなの?」

シリウスには、それが全身の傷のことも言っているのだと分かった。

「そうだな、チョコレートが食べたい…………明日までの我慢だが」

マダム・ポンフリーが鋭く睨んだので、フィールは一言付け加えた。
リリーが安心したように笑う。いつも冗談か真面目か分からない物言いだが、いつも通りの元気があるのだと分かったからだ。
会話が途切れたところで、シリウスとフィールの目が合った。

「私を運んでくれたと聞いた。礼を言う、シリウス・ブラック」

リリーがシリウスを見た。フルネームで呼ばれる意味を知っているからだ。
リーマス達は気付いていない。
シリウスはリリーを無視して、不満を吐いた。

「何で言わなかった」
「急いでいるとは言ったぞ。だが、話をしていたからな」
「それどころじゃないだろ!」

淡々と答えるフィールに、シリウスは熱くなった。リーマスとピーターが慌てて肩を押さえる。
怒る為に来たのではない、安否を確かめに来たのだが、シリウスはなぜか燃える思いを止められなかった。
マダム・ポンフリーが叱ろうと口を開くのを手で制止し、フィールは言った。

「迷惑をかけたことは済まない、謝ろう。楽しかったのだ」

思いもよらぬ言葉に、面食らう。燃える気持ちが、些か冷めた。

「楽しいだと?」
「ああ。人と話すことは――素晴らしく、楽しい」

そう笑ったフィールは、とても寂しい表情だった。
リリーも初めて見るフィールの笑顔は、今にも泣きそうな顔でもあった。
熱い思いが瞬時に凍り付く。シリウスはただその笑顔を眺めていた。

「もう十分以上経っています。さあ、お話はまた今度ゆっくりするといいでしょう」

マダム・ポンフリーが時計を指し、五人を追い出した。
シリウスは、マダム・ポンフリーが悲痛な顔をしていたのを見逃さなかった。
きっと背中の傷が関係しているに違いない。
寮へ戻りながら考えていると、ジェームズと目が合った。ジェームズはずっと後ろにいて黙っていた。昨日かららしくもなく萎れている。

「悪い、君が話す時間がなかったな」
「いや、いいんだ、シリウス。きっと何も言えなかったさ」

ジェームズは首を振った。

「ただ……もう、カリオウスを目の敵にするのはやめるよ」

今までの行いの反省か、それとも先程の笑顔に何かを思ったのか。
力なく笑うジェームズの肩を、シリウスは優しく叩いた。



皆が去り、医務室は静けさを取り戻した。
マダム・ポンフリーは溜め息を吐き、フィールを見た。フィールの表情にはもう笑みはなく、いつもの無表情になっている。

「校長先生がお見舞いにいらっしゃっています」
「面会は十分だけでは。特別措置ですか」
「まさか。一人十分です」

聞けばリリーとシリウスが抗議したであろう。マダム・ポンフリーはしれっと言うと、執務に戻った。

「フィールはわしと話すのが嫌だったのかな?」

にこにこと笑顔を咲かせながらダンブルドアが姿を見せた。豊かな髭を揺らし、目をキラキラと輝かせている。
手には小さい花束が握られていた。

「今は食べ物は駄目と言われてのう、チョコレートでなくてすまんの」

いたずらっぽく笑うダンブルドア。どうやらどこかで話を聞いていたようだ。
フィールは花瓶に入れられた花を見て、いいえと首を振った。

「明日フライにしていただきます」

花から目を逸らさず言うフィールに、ダンブルドアはやはり笑う。
杖を一振りして椅子を出すと、腰掛けた。

「随分表情が増えたようじゃな。良い顔をするようになった」

しみじみと言うダンブルドアに、フィールは黙った。ダンブルドアは続ける。

「君の変化は、君の財産じゃ。君が変わるごとに、大切なものは増えていく……得たものをぞんざいにしてはいかんよ?無用な心配だといいんじゃがのう……フィール、変化を恐れることはないんじゃ。もう怖いものは何もないんじゃから」

子供をあやすかのような、優しい声だった。聞いているだけで安らぎと落ち着きをくれるような、不思議な力があった。

「変わる為には歩まねばなるまい。しかしもしその一歩が踏み出せんと言うのなら、老人がちょいとお節介を働いてもいいかのう」

目をとろんとさせながら、フィールは頷いた。
ダンブルドアは満足げに笑うと、椅子からゆっくり立ち上がった。

「その日が来ずに君が変わる日があればよいのう。それまで頑張るんじゃぞ」
「……はい……」

眠そうに、しかしフィールは返事をした。

「おやすみ」

ダンブルドアは椅子を仕舞うと、静かに医務室から出ていった。
医務室のドアが閉まる音を聞く前に、フィールは眠りに落ちた。なんだか良い夢を見れそうな気がしたのだ――



翌日、マダム・ポンフリーの許しを得て、フィールは退院した。
自室に戻ったフィールは、ベッドにこんもり積まれた見舞い品に驚いた。同室の三人曰く、かなりの生徒に渡されたそうだ。

フィールは談話室の隅で一人、包みの一部を開けていた。リリーは安心して気が抜けたのか寮で眠っている。
包みの中身は殆どがチョコレートに関係するものだった。板チョコ、チョコバー、トリュフチョコにチョコムース、フォンダンショコラと盛り沢山だ。しかも殆どが匿名だった。お返しをしないで済むようにとの配慮だろう。
フィールはトリュフチョコを一口食べた。
甘さが口に広がる。もぐもぐ食べながら次々と包みを開けていった。

一枚の板チョコを齧っていると、不意に視線を感じた。
顔を上げると、顔色の悪い少年が少し離れたところからこちらを見ている。

「食べるか、リーマス・ルーピン」

チョコバーを差し出すフィールに、リーマスは困惑した。
菓子を勧められたこともだが、名前だ。自分はフィールに名乗った覚えはない。

「何で知っているんだい?その……僕の名前」
「自己紹介をしたからだ。一年生の時のクリスマス前、甘いものが大好きだと言っていたな、リーマス・ルーピン」

言われてようやく、リーマスは思い出した。
確かに彼女と言う通り、フィールと話をしたことがあったのだ。その時初めて会話をしたので必然的に自己紹介をすることになった。ほんの僅かな時間だったので、フィールの奇抜さも分からず特に印象に残らず、すっかり忘れていた。

「でも……何でそんなこと……」

リーマスが戸惑うのも無理はない。
自分でも忘れていた些細な会話を、フィールがしっかり覚えていたからだ。

「何でと言われても困る。食べないならいい」
「も、もらうよ!」

板チョコと一緒にチョコバーを齧ろうとするフィールの手を、リーマスは慌てて掴んだ。
フィールもだが、リーマスはチョコが気になって見ていたのだ。毎度彼女がお菓子を食べているのを見る度、メーカーはどこか、種類はいくつあるのだとかを、訊ねたく思っていたものだ。

「ありがとう、カリオウス」

リーマスはチョコバーを食べた。自分も知っているメーカーのものだったが、こんなに美味しかったかと内心驚いた。まるで魔法がかかっているみたいだった。

「美味しいよ」
「そうか、製造者も大喜びだろう」
「そうだね……ってああっそんなにこぼして!」

ぼろぼろとチョコパイを食べるフィールにリーマスは苦笑した。
ハンカチで拭いてやりながら、リーマスはどこかで、フィールを可愛いと思い始めていた。



2014.05.26
 

TOP
+
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -