dissolve | ナノ
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06 鮮血と共に

少年が杖を掴み、フィールへと向ける――前に、フィールは素早く立ち上がり、少年の顔に本を叩きつけた。

「――っぐう!?」

衝撃に少年が尻餅をつく。ぽろりと杖が落ちた。
杖を拾うと、フィールは思いっきり投げた。綺麗な曲線を描き、杖は遠くの芝生に転がった。

「正当防衛なら罰則はないだろう」

遠くの杖を眺めて言うフィールに、少年の表情が険しくなる。

「無礼極まる……この……"穢れた血"め!」

吐いた言葉がでたらめだと、少年は分かっていた。
いくら有名であろうが美人であろうが、フィールにマグルの血が流れていたら、マグル嫌いのイディオ・アクザフルが近付くわけがない。
それでも言い放った理由は、単純にして明快、頭に血が上ったからだ。

己のことはどうでもいいのか、フィールは眉一つ動かさなかった。
もっとも、何かする前に彼女が現れたのもある。

「セブルス!あなた、私の友達になんてこと言うの!」

リリーが怒りながら二人に近付いてきたのだ。付箋を貼った教科書を持っていることから、フリットウィックへの質問は終わったのだろう。
リリーの登場に、杖との距離を確かめていた少年の動きがぴたりと止まった。

「知り合いか、リリー・エバンズ」
「ええ、幼なじみよ。――セブルス、二度とそんな言葉使わないで!もしまた使ってみなさい、いくらあなたでも絶対に許さないわ!」

セブルスと呼ばれた少年はリリーに弱いのか、肩を揺らすと俯いた。

「……分かった。済まない、リリー」

渋々さを全く隠さず謝るセブルスに、リリーは容赦しない。

「謝るのは私にではなくフィールによ」

ぴしゃりと言われ、セブルスは言葉を詰まらせた。沈黙する姿からは、リリーに言われてもなお謝るのが相当嫌なのだと窺える。

「よく分からないが」

怒りと重さに満ちた空間に、フィールが割り込む。

「私の血が穢れてなければ良いのだろう」

意味が分からずにセブルスが顔をあげると、どこから出したのかフィールが右手にナイフを持っていた。刃先が光を受けてキラリと輝いている。
まさか、と思った束の間、フィールはなんの躊躇もなくナイフで手首を切った。
セブルスが息を呑む。リリーは驚きのあまり悲鳴も出せなかった。
切り口からは血が流れ出し、足下にぽたぽたと染みを作っている。

「どうだ、サラサラだろう。マグルの病院で二重丸をもらい、サンプルに少しくれと言われた血だ。綺麗だぞ」

痛みなど感じていないかのように淡々と言い、フィールはセブルスの眼前に手首を差し出す。

「あなた――なんて――ことを――!」

我に返ったリリーが叫ぶ。

「早く止めなきゃ!」
「穢れていない証拠を見せているんだ。止めるな、リリー・エバンズ」

リリーを手で制し、フィールはセブルスを見つめる。

「どうだ。私の血は穢れているか」

真っ直ぐな瞳に気圧され、セブルスはふるふると首を横に振った。
嫌味ではない。はったりでもない。本当に証明するためだけに、フィールは手首を切ったのだ。尋常ではない――セブルスは不本意とはいえ自ら関わったことを後悔した。
セブルスを圧倒しているなど知らぬ様子で、フィールは答えに満足したのか手を引いた。

「私の名はフィール・カリオウス。お前は誰だ」

それより大事なこと、と言わんばかりに話を戻したフィールに、セブルスは戸惑う。
なぜ名前に拘る必要があるのだ。それに、リリーが呼んでいるのを聞いた筈だ。形式に拘る人間なのか?

「名前を知らないと、会話が面倒になる」

セブルスの表情から胸中を悟ったのか、フィールが付け足す。
考えてみれば、フィールは必ずフルネームで人を呼ぶ。そのためか、と納得はしたが、だからと言って簡単に名乗る気にもなれない。
無言でいること数秒――セブルスには数時間にも感じられた。セブルスは根負けすると、重い口を開いた。

「……セブルス・スネイプ」
「リリー・エバンズが時折話すスリザリンの友人とは、セブルス・スネイプだったのか」

なるほど、と手を打つフィールに、セブルスは少し機嫌を良くした。リリーが自分のことを思い、話題に出していた……それだけで喜びが溢れてくるのだ。

「噂でも多々聞いたことがある。闇の魔術に詳しいそうだな――  」

淡々と続いていたフィールの言葉が、途切れる。
不意にフィールの体がよろめいたのだ。フィールは、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。
フィールがあんまりにも変わらず話すので忘れていたが、血は未だ止まらずに流れている。足下の染みは大きくなっていた。

「早く医務室に行かなきゃ!あなた真っ青よ!」
「そのようだな。ではまたな、リリー・エバンズ、セブルス・スネイプ」

流石に危ないと判断したのか、フィールは鞄を片手に医務室へ向かおうとした。

「私も一緒に――!」
「友人同士は仲良く語らうものだ。セブルス・スネイプといればいい、リリー・エバンズ」

続こうとするリリーに、フィールは言った。遠回りな拒否にリリーはショックを受けた。二週間眠っていた不安が、目覚める。
フィールが立ち去った後、内心大喜びのスネイプの隣で、リリーは言葉の意味を考えた。

「じゃあ私とあなたは何なの……?友達じゃないの……?」

追いかけて問い詰めれば、フィールは答えるだろうか。リリーには、試す勇気がなかった。



フィールはいつもと変わらないペースで医務室へと向かっていた。血はまだ止まらない。当然だ、よく血が出るように切ったのだから。ドクドクと体中に鼓動が鳴り響いているようで、不思議な感覚だった。
医務室は角を曲がった先だ。マダム・ポンフリーがどんな表情をするか想像しているフィールの前に、四つの影が現れた。
最早お馴染みとなっている、ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーターだ。
ジェームズはフィールの姿を見て反射的に立ちはだかったものの、何も言えずにいた。二週間ずっとフィールのことを考えていたが、結局何も分からずじまいだったのだ。フィールが人気者になって手を出しにくくなったのもあり、分かるまでは接触を避けるつもりだったが、周りに誰もおらず、リリーもいない好機に、ジェームズは動いてしまった。
それはシリウスも同じで、不安と疑念が入り混じった視線でフィールを見ていた。

リーマスとピーターはそんな二人にやむなく付き合っていた。正直なところ、二人にはフィールを恨む理由がない。傍らで成り行きを見守り、大事になりそうなら止める。どちらを、とは言えないが、それが友人二人の優しさだった。
誰一人、フィールの歩いてきた道に続く血痕に気付かなかった。
フィールは四人の姿を確認するが、話がないようなので通り過ぎようとした。

「待て!」

ジェームズは悲しいことにこれまた反射的に、フィールの肩を掴んだ。

「なんだ」

フィールは止まると、ジェームズへ向き直った。

ジェームズは初めてフィールをしっかりと見た。
さらさらの茶色の長い髪に、宝石のような澄んだ青い目。自分が想う少女とはまた違った美しさを彼女は持っている。
なぜ憎く思うのだろうか。全ては想う彼女に近しいというだけの妬みだと分かっていたが、自覚したところで心は納得しない。
今もどこかで雑言を浴びせたい自分がいるが、ジェームズは今だからこそ耐えるべきかとも思った。

「リリー・エバンズなら外だぞ、えー……お前は誰だ。それと、私は急いでいる」

フィールはいつものように言った。自己紹介をしていない相手へのお決まりの一言も忘れずに。
それが引き金となった。

「お前は誰だだって?頭がイカレたのか?」

ジェームズは忍耐を放り捨て、敵意を剥き出しにした。
せっかく耐えようと、理解しようとしていたのに、この女は――フィールの一言は噂で知っていたが、この場で言うのはとても無神経だとジェームズには思えたのだ。

「イカレているんだろうな、何をしても、エバンズを傷つけても後ろめたさのカケラも感じない奴だからな!」
「私は私に名前を教えた奴のことしか覚えられないんだ」

紙面や書籍ではまた違うが――ジェームズを無視してフィールが言った言葉は、いつかシリウスも言われた言葉だ。
ただし今は、それは説明ではなく火に油を注ぐ行為でしかない。

「ならお前の顔に書いてじっくり読めるようにしてやるさ」
「顔に書いたら読めないだろう。私は手鏡なんて持っていないし、仮に鏡で見ても逆さまになるだろう」

頬を引き攣らせ、今にも杖を取り出さんとするジェームズに、フィールはまたとぷとぷと油を注ぐ。
シリウスが内心でやめろ、と念じるが、声でないそれは届かない。

「いや、逆さまに書けば鏡で見れるのか。どうだろうか、えー……誰だ」
「なら全身に刻み込めば、鏡なんていらなくなるだろう」

無自覚に、加えて本人は真面目に言っているのだから質が悪い。
ジェームズはとうとうローブに手を突っ込んだ。
フィールの素早さはイディオを殴る姿を見てしっかり知っていたので、二の舞にならないよう一歩飛び退き距離を取る。
シリウスははっとした。フィールの足下に、小さな赤い池が出来ている。来た道を目で辿ると、点々とそれは続いていた。
まさか――池の正体に気付き、シリウスは絶句した。距離からしても、池の大きさからしても、相当な量である。フィールの顔をよく見れば、血の気を失い真っ青を通り越して真っ白だった。

「深く記してやる――お前の血で――!」
「やめろジェームズ!」

取り出した杖をフィールに向けるジェームズを、ようやく絞り出した声で止める。

「シリウス!?」

思っても見なかったシリウスの制止に、ジェームズが驚き身を強張らせた、まさにその瞬間。

「ああ、血ならここにある ぞ  ? ―― 」

ぷつりと糸が切れたように、電池が切れたように。
フィールは倒れた。
ぱしゃ、と血溜まりが波打った。
廊下は水を打ったように静まった。

ジェームズは杖を持ったまま、シリウスは頭を抱え、リーマスは目を見開き、ピーターは手で口を押さえて固まっている。
フィールはぴくりとも動かなかった。倒れたまま、不格好な姿で瞳を閉じている。

逸早く我に返ったシリウスが、フィールに駆け寄る。後にリーマスが続いた。ピーターは血に怯えているのか、震えてその場に留まった。
ジェームズは呆然としたまま、突っ立っていた。

シリウスが起こしても、フィールはやはり動かなかった。すっかり気を失ったようで、瞳は閉じられたままだ。
だらりと垂れた左手首から、今も絶え間なく血が流れている。
ピーターも意を決したのか駆け寄ると、フィールの顔をのぞき込んだ。

「急いでるって……医務室に行きたかったんだ……!」

震える声で言うピーターに、シリウスが舌打ちする。

「何で――何で言わなかったんだ!」

ドン、と廊下を強く叩く。
自分がもっと早く気付いていれば、フィールが言ってさえいれば。別の苛立ちが生まれたが、それをぶつけたくともフィールには聞こえない。

「とにかく急ごう。このままじゃ危険だ」

リーマスが冷静に言い、ハンカチで止血する。
シリウスは頷き、フィールを抱き上げた。

シリウスはまた苛立った。血を流し過ぎたからだろうか、その体がやけに軽かったからだ。
フィールはまるで、何も入っていないような――そこにいないような――恐ろしい軽さだった。



2014.05.21
 

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