dissolve | ナノ
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03 行方の果ては

頭で念じれば、体が素直に従うとは限らないと、シリウスは実感していた。
フィールの秘密を知った翌日、最早定番となったリリーとジェームズの口論の終わりを、シリウスはリーマスとピーターと共に待っていた。
いつもはフィールかシリウスが止めて(フィールに止める意思があるかはともかく、結果的には止めていた)いるが、今日はどちらもまだ動かなかった。

フィールは毎回口を挟むわけではない。授業が始まる直前に止めに入ったのは数回だけで、授業が始まっても菓子を食べたり、立ったまま教科書を眺めたりと、リリーの後ろでいつまでも自由に振る舞っている。
そうなれば喧嘩の終わりは、毎回教師陣に注意されてからとなる。特にマクゴナガルは厳しく減点もするので、シリウスはチャイムが鳴っても終わらない時は傍観を諦めジェームズを止めるようになっていた。
親友の邪魔をすることはシリウスにとって苦痛だったし、意に反った真面目な行為は気持ち悪くもあったが、それでもシリウスは止めに入っていた。

だが、今日は違った。

フィールを見つめたり――慌てて視線を逸らしたり――を繰り返していたので、チャイムが鳴ったことに気付かなかったのだ。
激しい口論(といっても、怒りをむき出しているのはリリーだけだった。ジェームズはリリーに当たるつもりはない)が続く中、フィールは魔法史の教科書を逆さにして後ろのページから読んでいた。
次の授業は薬草学なのに。文字も逆さに読んでいるのか。シリウスは下らないことを思いながら、じっとフィールを見つめ―――ハッと気が付くと目を逸らした。
強い視線に気付かない筈がないのに、フィールは一度もシリウスを見なかった。フィールの目はじっと教科書の文字を追いかけていた。シリウスが自分の秘密を知っていることも知らずに、じっと。

その場にただ一人だけ、シリウスの変化に気付いた者がいた。フィールはあの通り、リリーとジェームズは夢中で言い合っている。――リーマスだ。
フィールを見ては逸らし、見ては逸らしを繰り返すシリウスに、傍らにいたリーマスはすぐに気が付いた。まさか気があるのかと思ったが、それにしてはどうも様子がおかしい。もう少し窺うべきかと、考え倦ねいていた。
ピーターは相変わらず、どうすればいいのか分からずおろおろしている。

授業中の廊下を通る者はいない。膠着状態が続く中――リリーが事態を変えた。

「――あなたには何を言っても無駄なのね。もういいわ」

すっかり疲れ、呆れ果てた声で、リリーは俯いた。

「エ、エバンズ?」
「フィール、待たせたわね」

ジェームズを無視してリリーはフィールの手を取った。

「もう私、相手にしないわ。分かったの、時間の無駄だって」
「そうか」

フィールは短く返事をした。
呆気に取られたジェームズを無視し、リリーとフィールは教室へと向かっていった。



関係にぴしりと亀裂が入った――見えないそれを、シリウス達は確かに感じていた。

ジェームズはぼーっと立ち尽くしていた。ジェームズは、妬みながら怒られながらも今の状況を楽しんでいたのだ。理由はどうであれ思いを寄せるリリーと向き合い、言葉を交わせていられたから。
それが、終わった。
引き際を見誤ったジェームズは、絶交を言い渡された。薄く脆い関係でも、楽しかった時間は、もうない。

事実、リリーの発言は、その場だけでのものでなかった。
翌日、翌々日と広間で会おうが談話室で会おうが、リリーはジェームズの顔を見ても口を開かなかった。ジェームズが何と言おうが一切反論せず、冷たい目で一瞥するだけだった。

リリーの傍らにいるフィールはいつも通り――黙って気ままにしていたが、ジェームズはそれさえ気にならなかった。リリーの無視は、予想以上にジェームズを苦しめた。

「やあ、エバン……」
「フィール、チョコの欠片がローブに付いているじゃない」

リリーはジェームズを無視し、チョコデニッシュを貪るフィールのローブをはたこうとした。
またこのやり取りか。ジェームズを不憫に思いながらシリウスが見ていると、フィールがリリーの手を止めた。チョコデニッシュを加えたままもぐもぐと口を動かしているので緊張感がないが、どこかいつもと雰囲気が違った。
どこか、冷めていた。

「私を当てつけに使うな、リリー・エバンズ」

その場にいた誰もが、耳を疑った。

フィールはいつもリリーにされるがままで、不平や不満など一切口にしなかったからだ。無関心さやマイペースな性格は広く知れ渡っていたが、フィールが誰かに明確に否定や拒否を含む言葉を口にしたことは、ただの一度もなかった。――肯定的なものもなかったが。

リリーはかっと顔を赤くした。

「ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ――ごめんなさい」

フィールはチョコデニッシュを飲み込むと、リリーの傍らを通り過ぎ、さっさと歩き出した。
リリーの目が潤む。

「フィール!」

悲鳴に似た声も聞かず、フィールは角を曲がって姿を消した。

「……」

凍り付いた空気に、誰一人動けなかった。
リリーだけが、涙を流しながらその場にうずくまっていた。

リリーはフィルチに捕まるまで泣いていた。
フィルチは罰則を出そうとしたが、優等生で知られるリリーの涙に面食らい、なんと注意だけで済ませてしまった。それほどに、リリーは酷くショックを受けていたのだ。

授業に入ったシリウスは、羽根ペンを持て余していた。
どうも気が散ってならない。あいつは一体どういうつもりであんなことを言ったのだろう。仲が良かろうと悪かろうと関係ないのか。それに、どこへ行った?
姿を消したフィールが気になって仕方がない。

いつもなら率先してフィールに食ってかかるであろうジェームズは、リリーを心配そうに見ているだけだった。
リリーは泣いた跡が見えないように、俯きがちに授業を聞いている。

手が滑り、羽根ペンが床に落ちる。シリウスがしゃがむのを遮って、リーマスが羽根ペンを拾った。

「気になるなら探してくればどうだい、シリウス」

リーマスが羽根ペンを差し出しながら言った。

「何のことだ?」
「カリオウスのことだよ。君が見ていたのは知ってるさ。僕しか気付いていないようだけどね」

横目でリリー、ジェームズ、ピーターを見ながら声を潜めて言うリーマスに、シリウスは口を噤んだ。自覚があったからだ。

「……そんなのじゃないんだ」
「分かっているさ。でも気にはなる。そうだろう?」

小さな抵抗は呆気なくねじ伏せられる。シリウスは諦めると、静かに席を外した。

「ムーニー、荷物を頼む」
「ああ。行ってくるといい」

机と生徒の影に隠れて、シリウスはするりと教室を抜け出した。シリウスの姿は生徒からよく見えていたが、いつものことだと誰も咎めなかった。むしろ注意を引くために教師に質問をするなど、協力的だった。

廊下に出たシリウスは、さてどうしたものかと周りに気を払いながら歩いた。
リーマスに押されて出てきたものの、フィールがどこに行ったか分からない。

(……待てよ)

落ち着いてフィールが立ち去った時のことを思い浮かべる。

フィールはある角を曲がっていった。あの角は見覚えがある……そうだ、秘密の抜け道だ。

シリウスは思い出した。恐らく自分達悪戯仕掛人しか知らないであろう抜け道が、あの先にあるのだ。
フィールは知っていたのかもしれない。いや、フィールなら知っている。
根拠のない確信を抱いて、シリウスは抜け道に向かった。

フィルチに見つからないよう慎重に、しかしなるべく早く。
抜け道に出たシリウスは、辺りを見回した。人の気配はない。
いや、まだだ。シリウスは廊下を歩くと、あるランプの下のレンガを押した。不自然にズブブッとレンガが壁に沈むと、その一帯のレンガが扉に変わる。
取っ手を掴むと――シリウスは意を決して扉を開けた。

やはり、シリウスの考えは間違っていなかった。

扉の向こう――生徒の部屋と同じくらいに広がる部屋に、フィールはいた。三角座りになって教科書を読んでいる。

この部屋は、隠し部屋だった。"必要の部屋"とは違う、ただ部屋としてそこにある、けれど知られていない、部屋。
シリウスは主にジェームズ達と悪戯を考えたり、フィルチをやり過ごす為にこの部屋を使っていた。その残骸として悪戯をした時に捨てたごみが散らかっている。

フィールはシリウスが来ても顔を上げず、ごみの中で黙々と教科書を読んでいた。
シリウスはまごつく。無関心にも程がある。

「なあ」

シリウスが呼び掛けて初めて、フィールは教科書から目を離した。

(こいつがサボり魔でも成績が良い理由が分かった気がする)

シリウスは呼び掛けたはいいが続ける言葉を考えていなかった。あーだのうーだの、続きに詰まっていると、フィールが口を開いた。

「お前は誰だ」

シリウスは驚いた。自分とフィールは何度も会っている。確かに会話をした時はないが、それでも自分が有名だという自覚はあったし、フィールも知っていると、少なくともリリーから名前くらいは聞いているだろうと思って――驕っていた。
黙り込むシリウスに、フィールはあ、と呟いた。

「すまないが、私は私に名前を教えた奴のことしか覚えられないんだ」

紙面や書籍ではまた違うがな。教科書を鞄に仕舞うフィールに、シリウスはようやく口を動かせた。

「……何だよそれ」

……出てきたのは粗末な言葉だったが。

「何と言われても困る。そういうものなのだ。私はフィール・カリオウス。お前は誰だ」

再度繰り返すフィールに、シリウスはまた傷ついた。

「シリウス・ブラック。同じグリフィンドール生だ」

何とか名を告げ、奇妙な自己紹介は終わる。
丁寧と言えば丁寧であるし、滑稽と言えば滑稽だ。シリウスは後者だと感じていた。
フィールはもごもごとシリウスの名を呟き反芻すると、ぽんと手を叩いた。

「グリフィンドール生と言うのは知っている」
「あ……?」
「ネクタイが私と同じだ」

一抹の期待は呆気なく萎んだ。
シリウスががっかりして肩を落とすと、フィールが鞄を持って立ち上がった。

「それで、私に何か用があるのか、シリウス・ブラック?」

あまり話を聞こうという態度ではない。フィールは今にも部屋を出そうだった。

「あ、ああ。ある」
「長いのか?」
「いや、まあ……少し……」

頷くシリウスにフィールは更に問う。間髪入れない物言いに戸惑いつつ、シリウスが情けなく曖昧に言うと、フィールはすたすたと出口に向かった。

「少しか。なら教室に向かいながら話そう」
「待ってくれ!長い!ここで話そう!」

教室に向かいながらなんて、もし誰かに見られた場合にシリウスの立場が危うくなる。
ジェームズと(正確には"が"だ)敵対し、孤立していると言ってもいいフィールと、シリウスが二人で――そう、二人でいるところを見られなんてしたら、どんな誤解をされるか。説明のしようもない。しかもシリウスから話しかけたのだ。フィールが口裏を合わせてくれるかも分からない。

「そうか」

焦るシリウスとは裏腹に、フィールはあっさり頷いた。
フィールはシリウスへ数歩近寄ると、手を一瞥してから――ごそごそと杖を取り出し、さっと振るった。
瞬く間に散らかったごみが消え、代わりに一人掛け用のソファが二つ、向かい合って現れた。間にはミニテーブルがあり、ティーセットと山盛りのお菓子が置かれている。
フィールはソファに座ると、呆気にとられているシリウスに座るよう促した。

「長い話ならこれくらいは必要だろう。さあ座るんだ、シリウス・ブラック」

早速チョコバーを齧り始めたフィールに、シリウスは幸先不安だと胸中でぼやいた。



2014.05.19
 

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