01 心、誰も知らず
シリウスは、大広間でいつものようにジェームズをはじめ、リーマス、ピーター、他グリフィンドール生らと騒ぎながら朝食をとっていた。
悪戯を練ったり、笑い話を広げたり、飽くこともなくお喋りを続ける。
自分達より面白いものはないという勘違いも含みながら、朝食の時は過ぎていく。
そんな中、シリウスの耳にどよめき声が届いた。
大きなそれは、ジェームズ達にもしっかり聞こえていた。
どよめきは、グリフィンドール生のテーブルの隅を中心に広がっていた。
我らが悪戯仕掛人、好奇心の塊である彼らがそれを見過ごすわけもなく。
「行くかい」
「ああ」
シリウスとジェームズはニヤリと笑うと、騒ぎの中心へと小走りに近付いていった。
何があったのかは、すぐに分かった。
ただし、なぜそうなったのかは、分からなかった。
少女が一人、座っていた。目の前に、大量のトーストやベーコンエッグを盛って。
食事の邪魔とばかりに、一つに括った艶のある髪を後ろに垂らして、手は止まることなく朝食を口に運んでおり、薄い茶髪が合わせて揺れる。
好奇の目には気もくれず、少女はベーコンエッグを咀嚼。飲み込むと今度はすぐにオートミールをかき込み始めた。
その食べっぷりときたら、お見事!としか、言いようがなく、華奢な体のどこに入るのか、その内ホグワーツの数ある不思議に仲間入りするかもしれないほどだ。
周囲の生徒は勿論、シリウスとジェームズでさえ唖然とする光景だった。
突っ立ったままの二人に疑問を抱いたリーマスが、ピーターと共に席を離れ二人のもとへと歩く。
――と、暴食中の少女に一人の少女が口を開いた。
「随分とお腹が空いているのね、フィール」
リリー・エバンズだった。
寄りがたい雰囲気の中におずおずと、失礼の無いように、進み出たのだ。
フィールは食事の手を止め、リリーの方へと振り向いた。
ひっ、と周囲が息をのむ。恐ろしいくらい――フィールは口の周りを汚していた。しかしそんな姿さえ異様な雰囲気があり、誰もつっこめずにいた。
「特にこれといってお腹は空いていない、リリー・エバンズ」
フィールの声は、ぼんやりとして気の抜けた平淡な、それでいて芯の通ったような不思議な響きがあった。
「じゃああなたはどうしてこんなに……」
「無茶苦茶な食事をしているのか?お答えしよう」
食い下がるリリーに、フィールはおほんと咳払いをした。まるで選挙の演説のような真面目さを漂わせている。一体どのような理由で?リリーや周囲の生徒、シリウスも答えを待った。
「気分だ」
フィールを除くその場にいた全員の力がへにゃりと抜けた。
一拍の後、なんだったんだと席に戻る者もいれば、食事の風景に魅入ったのか続きを待つ者もいる。
人がまばらになった頃、シリウスの肩をジェームズが叩いた。
「ありゃフィール・カリオウスだ。変わり者とは聞いてたけど確かに変だねぇ」
ジェームズはあまり興味がないようだった。彼の視線は、フィールよりもその隣にいるリリーに熱く注がれている。
「戻るかい?」
「……そうだな」
未だ理解が追いつかないフィールから目線を外し、リーマス達と席に戻ろうとシリウスがその場から去ろうとした時、事は起こった。
「もう何人分も食べているじゃない。ねえ、あまり食べ過ぎるのは体に良くないわ」
「そのようだ、リリー・エバンズ。実はさっきから胃が気持ち悪くて仕方がない。吐きそうだ。いや、吐く」
ドンッと、フィールがリリーを突き飛ばした。瞬間、フィールは俯いて――吐いた。
周囲から今度は悲鳴が上がる。
早々に走り去る生徒。中にはややもらいかけている者、すでにもらってしまった者もいた。
フィールといえば――まだ吐いていた。彼女の体のどこに入るのかと思われた朝食は、彼女の体のどこから出てきたのか分からない吐瀉物に変わっていた。
突き飛ばされたリリーは、光景に後ずさりし、苦い表情を浮かべながらも吐き続ける彼女を心配そうに見ていた。
程なくして、嘔吐はようやく止まった。
フィールは汚れた口元をなんの躊躇もなくローブの裾で拭いた。これにはピーターでさえ引いていた。
腕を組み、目の前の吐瀉物を眺めているフィール。
……と、カツコツと固い靴音を響かせながら、マクゴナガルがやって来た。
「ミス・カリオウス!」
惨状を見て、悲鳴のようにフィールの名を呼ぶマクゴナガル。杖を一振りして吐瀉物を片付けると、フィールの方へ向き直った。
「騒ぎを聞いて来てみれば――今度は一体何をしたのです!」
「何って、今は朝食の時間ですよ。食事をしていました。今のは……そう、ちょっとこぼしてしまっただけです」
あくまでも真面目に言うフィールに、ジェームズ、シリウス、リーマスやピーターにリリーまで、笑ってしまった。
マクゴナガルは、鋭い視線で笑いを止めさせた。
「節度と限度を知りなさい。あなたのおかげで何人もの生徒が嘔吐し、廊下が光っていましたよ」
「ワックスいらずですね。酸っぱい臭いで気付けもいらず、マダム・ポンフリーも大喜びでしょう」
今度こそ全員吹き出した。
マクゴナガルは溜め息を吐くと、諦めたように眉間の皺を緩めた。
「もう具合はよろしいのですか?」
「あまりよろしくない気がするので、医務室に行っても良いですか。その前にローブが汚れたので着替えたいのですが、よろしいでしょうか」
「分かりました、許可しましょう。ミス・エバンズ、付き添ってあげなさい」
「は、はい!」
まさか自分が呼ばれると思っていなかったリリーは、笑いを引っ込めて背筋を正した。
来た時と同じく、カツコツと靴音を響かせながら、マクゴナガルは立ち去った。
「大丈夫?フィール」
「心配には及ばない。臭いが移る可能性がある、少し離れていた方がいい」
「バカね、気にしないわ。移ったら私も着替えるから良いのよ」
そう言うと、リリーはフィールの手をとり――流石に口を拭った方は無理だったが――グリフィンドール塔へと向かった。
どうやら吐く直前に突き飛ばしたのが好意的に思われたらしい。
羨ましさを隠しきれないジェームズに、シリウスがどうしたものかと考えていれば、リーマスが二人の肩を叩いた。
「もうすぐ授業だけど、どうやら教科書を部屋に忘れてきたみたいだ」
ピーター以外が、ニヤリと笑った。
「大切な教科書を忘れるなんてとんでもないな、ムーニー」
ジェームズは嬉しそうに、
「ああ、全く珍しいことだな」
シリウスは悪戯っぽく、
「え?え?」
ピーターは戸惑っていた。
かくして、四人はグリフィンドール塔に向かったのだった。
談話室へと入った四人は、耳をそばだてるまでもなく女子二人の会話を聞くことが出来た。
ドアを開け放しているのか、部屋からの声は筒抜けだったのだ。
リリーの叫びに似た声と、フィールのいつもと変わらぬ声がよく聞こえる。
「信じられない……!どうしたの、この部屋!?」
「遊んでいたら爆発した」
「どう遊んだら爆発するのよ!ああもうこんなに散らかして!いい?授業が終わったら片付けるのよ、私も手伝うから」
何を見たのか、ショックを受けたリリーがフィールを叱っているようだった。時折聞こえる衣擦れはフィールが着替えている音だろう。ピーターが何を想像したのか頬を赤らめ、ジェームズにからかわれていた。
「それは余計なお世話というものだ、リリー・エバンズ」
「いいから早く着替えてしまいなさい!」
フィールはぶつぶつ言っていたが、リリーが静かになったことから大人しく着替えを続けているのだろう。
しかし、授業前で人がいないとは言え、ドアを開け放したまま着替えるのはいかがなものだろうか。閉められれば会話が聞こえなくなるので困るのだが、シリウスは密かにフィールの適当さに呆れた。
「リリーに余計なお世話だって?女子じゃなかったら、今頃フィールは素っ裸で池の前に宙吊りだ」
「落ち着けよ。しかし、何も話さなくなったな……ん?」
気が付いたのは、シリウスだけではなかった。しん、と静かになった女子寮の静けさがいやに、おかしい。
何があったのかと確認に行きたいところだが、生憎女子寮に男子は一歩も入れない。
耳をすましていると、リリーの震えた声が聞こえた。
「あ、あなた……それ……」
「それ?一体どれだ?これか?」
リリーに反して、フィールの声はやはり変わりない。
「これも遊んでいたらなっていた」
「そう……本当にそうなのね?」
一体何のことを言っているのか、会話だけでは見当が付かなかった。
「リリー・エバンズは心配性だな。お母さんと呼んでいいか」
「もうっふざけないで!本当に気分悪いの?」
「少々」
リリーの声が、笑い声へと変わった。いつもふざけたように真面目なフィールには、どこか人を笑わす力があるらしい。
すると、着替えが済んだのかドアの閉まる音がし、二人の足音が近付いてきた。
まずい、と四人はとっさに男子寮の入り口の影に隠れた。
談話室に現れたフィールとリリーは、四人に気付かずにそのまま出て行った――が、シリウスはその時、フィールがこちらを見た気がしてならなかった。
靴音が去り、四人は影から姿を現した。
「透明マントをすっかり忘れていたよ。しかし、リリーは何を見たんだろうな?」
「さあな、部屋にドラゴンでも飼っているんじゃないか?」
ジェームズにシリウスが答え、二人はいつものように笑おうとした。が、
「彼女ならありえるね」
どこか冷ややかに言ったリーマスに、笑顔は固まった。
医務室に来たフィールは、リリーを見送った後、ベッドに寝そべっていた。
マダム・ポンフリーがマクゴナガルから話を聞いていたのか、すんなりと通してくれたのだ。
解いた髪がくすぐったい。フィールは目を閉じると、そのまま眠りについた。
2014.05.19
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