dissolve | ナノ
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22 潜めし牙

リリーとフィール、二人が向かった先はもちろん、図書室ではない。
前を歩くリリーが図書室への道から外れても、フィールは何も言わず続いた。

「ねえ、フィール」

長い廊下を歩き、角まで来たところでリリーが足を止める。
角の向こうからは女生徒の声が数人分聞こえた。声を落として何やら話し合っているようだ。

「ここで待っていてくれないかしら。ここからは一人で行きたいの」

フィールの眉がぴくりと動く。しかしリリーを追い越そうとはしなかった。

「大丈夫、あの子達もバカじゃないもの。下手な真似はしないわ。でもそうね……もし私がピンチになったら、その時は助けてくれるかしら?」
「愚問だな、リリー・エバンズ」
「フフ、心強いわ……ありがとう」

リリーはフィールにぎゅっと抱きついた。
その手は震えていなかったが、どこか頼りなく思えてフィールは自分の手を重ねた。

「恋をすると強くなれるって、あなたに教えてあげるわね!」

にっこり笑って、リリーは角を曲がった。
その先では、レイブンクロー生達が輪になって話していた。あまり機嫌がいいとは言えない表情だ。レイブンクロー生達はリリーに気付くと、お喋りをやめた。
なぜ以前呼ばれた時よりも今日の方が人が多いのだろうと思いながら、リリーは口を開く。

「随分と盛り上がっていたようね」
「あらエバンズ、遅かったわね。人を待たせておいてその態度はどうなのかしら」
「約束の時間までまだ五分以上あるのだけど、ご存知なかった?」

リリーがぴしゃりと言い返すと、突っかかったレイブンクロー生は口を噤んだ。
リーダーと思しき少女が前に出る。余裕たっぷりに、不敵な笑みを浮かべていた。

「それで、何の用かしら?彼と別れる気にでもなった?」
「ジェームズと別れるなんてとんでもないわ」

リリーも強気だ。

「ムシがいいわね。あれだけ邪険にしておきながら、どういう心変わりかしら?」
「あなた達に話す必要はないわね」

少女はむっとしたようだった。
リリーは向かい合う一人ひとりの目を見ながら続ける。

「だってあなた達が求めているのは説明じゃなくて私とジェームズが別れること、それだけだもの。なら何を話したって意味がないじゃない」
「何よそれ、バカにしてるの?」
「お好きに受け取ってちょうだい。私、あなた達に話が通じると思っていないわ」
「そう。バカにしているのね、分かったわ」

少女達は杖こそ抜きはしなかったが、剣呑とした雰囲気を漂わせてリリーを睨んでいた。

「何とでも言って。とにかく……私はジェームズがとても好きよ。彼を思う気持ちは誰にも負けないし、別れたりなんてしないわ!」

リリーは一歩も引かなかった。
強い意志の灯った瞳に、少女達は声を詰まらせた。
これがリリー・エバンズなのか。気が強いだけで大したことはないと思っていたのに。自分達の呼び出しを大人しく聞いていた時と、随分違う。

「言いたかったことはこれだけよ。反論があるならいつでも受け付けるわ。それじゃあ」

きっぱりと言い切ると、リリーは少女達に背を向けた。溜め込んでいたモヤモヤが晴れて、胸がスッとしていた。最初から、こうしていればよかったのだ。

一方フィールは、リリーを待ちながら真剣な面持ちでガムを見つめていた。りんごの果汁がふんだんに練りこまれた美味しいガムだ。
待つ間、することもないのでガムでも噛んでいようと思ったのだが、談話室でクッキーを食べて来たたばかりだ。
お腹がいっぱいというわけではない。シリウスに食べ過ぎはよくないと注意されたのだ。
ガムは噛むものだ。最後には吐き出す。飲み込まなければ、食べたことにはならないのではないか。
シリウスが聞けば間違いなく怒るであろう理屈が、フィールの頭の中でぐるぐると渦巻いていた。
不意に肩に衝撃を受け、ガムが手から転がり落ちる。

「すみません。僕の不注意です」

ぶつかったのは見慣れない男子生徒だった。男子生徒は即座に謝ると、ガムを拾ってフィールに渡した。

「あれ、あなたはもしかして」
「お前は誰だ」
「やっぱり。フィール・カリオウスさんですね」

フィールの反応をさらりと流して男子生徒は笑った。
その笑顔にフィールは既視感を覚えた。初対面なのにそう感じない。どこかで見たことがある気がした。
男子生徒の唇がゆっくりと動く。

「僕の名前は――」
「フィール!お待たせ!」

しかしその口から名前が出るよりも先に、リリーが戻ってきた。フィールの注目はすぐにリリーへと切り替わった。
リリーはとても晴れやかな顔をしていたが、フィールを見ると少し眉を下げた。

「やっぱり一人だと心細かったわ。あなたに来てもらってよかった……ありがとうフィール」

そう言ってリリーはほっと胸を撫で下ろした。

「あら、誰かいたの?」

リリーの言葉にフィールは辺りを見回す。男子生徒は忽然と姿を消していた。

「知らない生徒とぶつかった。問題は起こしていない」
「そう。じゃあ、談話室に戻りましょうか。あ、一応図書室にも行っておいた方がよさそうね」

リリーは上機嫌だった。
ガムの封は切られなかった。フィールはガムをポケットにしまいながら、先程の男子生徒を思い浮かべる。
ネクタイは緑色のスリザリンカラーだった。彼は一体、何者だったのだろう。



いよいよクィディッチの試合は来週へと迫っていた。
試合前日は翌日に備えて軽い練習しかしないので、本腰を入れての練習は今日で最後になる。

「あの様子だと、無事に解決したみたいだな」

観客席で練習を眺めながら、シリウスはフィールにぼそりと耳打ちした。
リリーは客席の一番前でジェームズを見ていた。邪魔にならないよう声をかけるのは控えていたが、ジェームズが時折投げるウィンクには手を振って応えていた。
フィールが頷く。シリウスはほっとした。無用な心配だったようだ。
リリーは幸せそうだし、フィールも落ち着いていつものようにお菓子を食べている。
突然、フィールがチョコバーを食べる手を止めた。

「な、なんだよ?」

青く澄んだ瞳にじっと見つめられ、シリウスは思わず頬を染めた。

「特に意味はない」
「そうか……?」

フィールはシリウスから視線を外すと、またチョコバーを食べ始めた。何かを思い出しそうな気がしたが、何も浮かばなかった。
シリウスは不思議だった。フィールが意味のないことをするとは思えなかった。
二人の視線が再び交わる。

「食べるか、シリウス・ブラック」

フィールが新しいチョコバーを取り出して言った。
また無理やり詰め込まれてはたまらないとシリウスは後ずさる。

「いい!それより口の周りを何とかしろ!」

フィールの口の周りはチョコバーの欠片だらけだった。
特に気にした風でもなかったが、フィールはポケットからハンカチを引っ張りだすとのそのそと拭いた。そして拭き終えると、シリウスが食べなかったチョコバーを食べ始めた。

「そんなに美味しいのか?」

シリウスが尋ねると、フィールはこくりと頷いた。
そう言えばフィールはよくこのチョコバーを食べている。この前のクッキーは味わう余裕がなかったが――シリウスは考え直した。

「……やっぱり、もらう」
「そうか」

どこからともなくフィールがまた新たなチョコバーを取り出す。
手際のよさに驚きつつ、シリウスはチョコバーを受け取――らなかった。フィールが首を傾げる。

「どうした、シリウス・ブラック」
「丸々一本はいらない。だから――こっちをもらう」

そう言って、シリウスはフィールの食べかけのチョコバーを一口齧った。チョコレートの香りと甘みが口の中に広がる。軽い歯応えが心地よく確かに美味しかったが、フィールのように沢山食べたいとは思わなかった。

「まあ、悪くはないな……なんだよ?」
「これと言った意味はない」

じっと見つめてくるフィールに、シリウスはまたかと思いつつもそれ以上は聞かなかった。
チョコバーを齧った体勢のまま、シリウスもフィールを見つめる。息がかかる距離にも関わらず、フィールは平然としていた。シリウスは恥ずかしくなってきた。

「君達、仲が良いのは結構なんだけど少しはジェームズを応援しようとは思わないのかい?」

リーマスに呆れたように言われ、シリウスは慌ててフィールから離れた。

「応援って言ったって、試合は来週だろ」

シリウスはバツ悪く答えた。確かに熱心な練習をしているが、練習は練習だ。
試合本番となればもちろん応援する。なんたって親友が出るのだ。垂れ幕だってもう用意してある。

「えっ、フィール、君ってクィディッチのルール知らないの?」
「興味を持って見ようとしたのは今年が初めてだからな。スニッチを捕まえれば終わりというのは知っている」

フィールはマイペースにピーターと話していた。
ピーターはフィールがルールを知らないと聞くと、非常に驚いた。

「スニッチはそれで合ってるよ。そのスニッチを捕まえる役目をシーカーって言うんだ。あの赤いボールがクアッフルって言って、チェイサーがゴールに入れたら点が入るんだ。ジェームズはチェイサーの中でもすごい選手でね。なんたっていつも物凄い点を入れちゃうから、相手のチームはスニッチを捕まえても逆転できなくなって、結果的にスニッチを捕まえられなくなるんだ」

フィールが知らないことを知っているのが嬉しいのか、ピーターは得意になってクィディッチの説明を始めた。
説明を聞きながらフィールはポケットを探っていた。チョコバーはあと二本ある。しかしシリウスを見て、探す手を止めた。

「ボールはもう一つあるんだ。ブラッジャーって言って――うわぁ!?」

ピーターが言いかけたちょうどその時、黒い鉄製のボールが客席めがけて飛んできた。ビーターにがむしゃらに打たれたそれは、客席の少し手前でくっと留まるとまたピッチへと飛んでいった。

「ああびっくりした……今のがブラッジャーだよ。近くにいる選手を落とそうとしてくるんだ。チームメイトをブラッジャーから守る選手をビーターって言うんだよ……ああ、怖かった……」

ピーターは胸を抑えてビクビクしていた。
空には夕闇が迫り始めていた。練習の終わりは近い。

見学する生徒がまばらになってきた頃だった。
薄暗い空にボールが浮いていた。黒いボール――先程ピーターが説明したブラッジャーだ。
ピッチを飛び回っていたブラッジャーがぴたりと動きを止めたのをフィールは見た。
沈む夕陽の明かりを受け、赤黒く輝きながら、ブラッジャーがまた飛んだ。
客席へ。
真っ直ぐ、真っ直ぐ、リリーの元へ。



2015.01.11
 

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