20 告白
リリーはシリウスの行動を不器用な告白だと思った。
だからそのおかしくも微笑ましい告白の行方を見守ろうとしたのに――なんと、フィールがまさかの肯定を示したのだ。
リリーに詰め寄られるシリウスの腕の中で、フィールは五枚目のクッキーを食べていた。
「僕からもお願いするよ。どういうことかな、シリウス」
リーマスはなんとか不機嫌を隠そうと眉間を手で抑えていた。
シリウスは困った。当たり前というべきか、誰もフィールには説明を求めない。
今頃になって抜け駆けが後ろめたくなったのもあるが、あの告白とも言えない告白を説明したところで、誰が納得してくれるだろうか。沢山の視線が、刺さる。
「アイスクリームを食べたいが、シリウス・ブラックのせいで――」
「悪い、フィール。この埋め合わせは必ずする」
アイスを取れと言わんばかりのフィールにシリウスは謝ると、首を傾げるフィールを担ぎ上げ、一目散に大広間の入り口に走った。
「シリウス、あなた!」
「逃げる気かい!?」
責めるようなリリーの声と不機嫌を露わにしたリーマスの声が後ろから聞こえてくるが、シリウスは無視した。
「アイスクリームを――」
「たまには僕の頼みも聞いてくれ!」
シリウスは懇願した。
男子寮に行けばリーマスが、女子寮に行けばリリーが、きっと追いかけて来る。
シリウスはフィールを連れて、初めて二人で話をした隠し部屋まで来ていた。
幸いなことに"忍びの地図"は自分が持っているので、バレることはあるまい。
「シリウス・ブラックのせいでアイスクリームが食べれなかった」
「だから悪かったって言ってるだろ!」
恨めしそうに言われ、シリウスは半ばやけになった。
「ハニーレモンでもダブルベリーでも、今度なんでも奢ってやるから今は許してくれ……」
「チョコミント」
「分かったよ!チョコミントもやるから!」
フィールは納得したのか、頷くとスカートのポケットからキャンディを二つ取り出した。
「あ、ありがとうな」
一つ手渡され、戸惑いながらシリウスは受け取る。キャンディを頬張ると、爽やかなオレンジが口の中に広がった。
フィールはキャンディを舐めるのに真剣なのか、いつものことと言えばいいのか、無言だった。
彼女は何味のキャンディなのだろう。シリウスもなんとなく黙った。
「……あのよ」
しかしすぐに沈黙に負けた。
「口裏、合わせてくれないか」
「何のことだ、シリウス・ブラック」
「さっき、僕が言っただろう。みんなの前で……恋人だって」
シリウスはキャンディを舌で転がしながら言った。
「いつ、どうして恋人になったか、誰にも言わないでくれ。リリーにもだ」
リーマスへの後ろめたさだけではない。
まるでつけ込むように恋人になったことが、恥ずかしくなったのだ。
だからと言って別れを切り出したくもなく、悩んでシリウスは切り出したのだが……フィールは一筋縄ではいかない。
「何の問題があるというのだ」
「問題ってほどじゃあないが……相手がいないからとか、"遊び"とか、そういうので付き合ってるって、ほら……変、だろ」
シリウスはうまい言い訳が見つからなかった。
「恋人というのは、恋しく思う相手のことを言うそうだな」
「あ、ああそうだ!だからそもそも、フィールは僕を好きでないし、たまたま僕が思い付いただけで、だから――」
フィールは頷かなかった。
「勘違いしているな、シリウス・ブラック」
「な、何だ?」
「私がシリウス・ブラックを好きではないという点だ」
「な」
シリウスはフィールの一言に固まった。
「以前私に話しかけたのも、リリー・エバンズを思いやってのことだったのだろう。シリウス・ブラックは人の為に怒れる……好意を持つに値する人間だ」
シリウスが固まったのをいいことに、フィールは淡々と続ける。
「恋人というものについての概念自体は以前から知っている。相手を選ぶには気をつけなければいけない。恋しくは思っていなかったが、シリウス・ブラックと恋人になれば毎日が面白くなるかとは思った。何より、シリウス・ブラックは私に付き合いを教えると言った」
「……」
「しかしシリウス・ブラックにとってただの思い付きであるのなら誤魔化そうとするのも無理はない。それならばいっそ――」
「待ってくれ!」
唐突に出た別れの言葉に、シリウスは咄嗟に叫んでいた。
「誰でも良かったんじゃないのか!?」
「なぜそう思う」
「だって――そんな、僕は……僕は……」
シリウスの心は嬉しさで熱くなっていた。しかし、フィールに見つめらている内に冷えていった。自分はどれだけめちゃくちゃで、失礼なことを言っていたのだろう。
フィールのことになると、いつも思っていることと違うことを言ってしまう。すぐに心がかき乱されてしまう。
いつも――そうだ、いつも。いつもと思えるほどに、自分はとっくにフィールに夢中になっていた。
「……最低な男になるところだった。悪い、フィール。撤回する。口裏なんて合わさなくていい」
リリーの言う通りだ。シリウスはずっと気持ちを誤魔化していた。
「ただ……みっともないが言い直させてくれ。あの時の言葉は間違っていた」
シリウスはフィールの肩を掴んだ。
「本当は"遊び"なんて関係ないんだ。力になれるならなりたいけど、何よりも、僕がフィールを好きなんだ。だから、僕の恋人になってほしい」
これで断られてしまっても諦めがつく。そう覚悟したシリウスに、しかしフィールは頷いた。
「よろしく頼む」
変わらぬ返事に、シリウスは踊り出したくなった。もう聞き返そうとはしなかった。
好きだと言った。フィールは頷いた。それが全てだ。
「フィール……恋人はいろんなことをする」
シリウスは囁くように言うと、フィールを抱き締めた。
「こうやって……抱きしめたりも、するんだ」
今はまだ恋しく思われていなくても、いずれそう思わせて見せる。
溢れる感情を抑えきれない、ぎこちない抱擁だった。
「そうだな――あたたかいな、シリウス・ブラック」
フィールは抱きしめ返しこそはしなかったが、拒まずじっとしていた。
フィールと別れ、男子寮に戻ったシリウスを待っていたのはリーマスだった。リーマスはドアの前で腕を組んでいて、やっと来たかとばかりに大袈裟に息を吐いて見せた。
「思ったより早かったね」
リーマスは冷静だった。
「前から何か知っているようだったし君がフィールを好きなのは分かっていたけど、まさかもう恋人になっているとは思わなかったよ」
シリウスも落ち着いていた。
「ああ。僕はフィールが好きだ」
はっきり言ったシリウスに、リーマスは意外だと目を見開いた。てっきりまた誤魔化されると思っていたのに――そうさせないために待っていたのに。
「そうかい……じゃあ僕も言おう。僕もフィールが好きだ。幸せになってほしいと思う」
リーマスは組んでいた腕を解いた。
「いい時間だ。そろそろベッドに入った方がいい」
「……いいのか?」
「本当は責めてやろうと思っていたんだよ。けれど、君が素直に認めたから何も言えなくなった……それに今はまだ失恋のショックがあるんだ。落ち着いて休みたいのさ」
口ぶりは軽かったが、冗談で言っているわけではなかった。
ホグズミードに行き、談話室で話し、リーマスはフィールに惹かれていった。自分が抱えているものをフィールなら簡単に受け止めてくれるような気がしたし、それがなくとも彼女の過去を聞いた時、力になりたいと、守ってやりたいと思った。フィールのことならリリーの次に理解しているという自信も、少なからずあった。
「ごめんだなんて言わないでくれよ。どうしてそうなれたかは分からないけど、フィールだって馬鹿じゃない。君に思うところがあるんだろう。彼女が決めたことなら文句はない――無理やり恋人になったわけじゃないだろう?」
「まさか!」
「なら気にすることはないさ、シリウス。フィールのことはあれど、僕達は友達だ。僕は君への感謝を忘れたことはない」
しかしリーマスはシリウスに対抗しようとは思わなかった。シリウスが認めたこともそうだが、何よりも――豹変したフィールを全力で止めようとしたシリウスに、敵う気がしなかったのだ。
「ただ……これからはあまり隙を見せないでほしい。付け入ってしまうかもしれないからね」
シリウスの肩をトンと軽く小突き、リーマスは部屋へと入っていった。
「……分かってる」
シリウスも少し遅れて、リーマスに続いた。
翌朝、フィールは談話室の椅子に腰掛け、マシュマロを口に詰め込んで参考書を眺めていた。大広間に行くために、リリー達を待っていたのだ。
フィールはマシュマロを飲み込むと、参考書を閉じた。
「何をしている、リリー・エバンズ」
談話室にやって来たリリーが、フィールに話しかけるでもなくぼうっと立っていた。
「あ……おはようフィール。なんでもないわ」
リリーは目を細め、柔らかく笑って見せた。
フィールがのっそりと立ち上がる間に、がやがやと騒ぎながらジェームズ達が男子寮からやって来た。
ジェームズはリリーを見つけるなり目を輝かせ、この上なく幸せそうな笑みを浮かべる。
「ああ、愛しのリリー!今日も君は美しい!」
「おはようジェームズ。夢で会った以来ね」
仲良く手を取り合う二人に、後ろからやって来たシリウスはまた今日も始まったかと呆れている。
「……よう」
昨晩の抱擁の照れが残っているのか、やけにくぐもった声が出た。しかししっかり聞こえていたのか、フィールはシリウスに小さく頷いた。
何か、変だ。
シリウスは直感した。朝の挨拶もそこそこにみんなで大広間に向かう中、フィールは片手に参考書を、もう片手にマシュマロの袋を持っている。マシュマロはまだかなりの量が残っていた。いつもなら朝食の前に、ぺろりと平らげてしまうのに。
「フィール、今日は何を食べるの?」
ピーターの質問に、フィールは決めていないと首を横に降るだけだった。
いつもなら具体的なメニューを言うのに、いよいよおかしい。シリウスはフィールを呼び止めると、ジェームズ達に先に行くよう伝えた。楽しみにしている朝食を先延ばしにされたのに、フィールは文句ひとつ言わなかった。
まさかまた知らぬうちに酷いことを言ってしまったのだろうか。考えてもシリウスには心当たりがない。
廊下に二人。大広間から聞こえてくる人の声がやけに遠く感じる。
「どうした?何かあったのか?」
フィールの視線は大広間へと向けられていた。
先に行ったリリーの背中を、追っていた。
「リリー・エバンズが何か隠している……何か」
ことリリーに関しては卓越した洞察力を見せるフィールだ。
今も人混みに紛れてほとんど見えない後ろ姿から、何かを推し量ろうとしているのかもしれない。
けれどそれ以前に、シリウスにはフィールが隠しごとをされて落ち込んでいるように思えた。
2014.12.06
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