17 抜け落ちたもの
カリオウス家は歴史もそこそこの純血一族だった。
混血やマグル生まれの魔法使いに拘ることはなく、家系が純血であり続けたのは結婚相手が偶然純血であったという程度のものだった。
一族はホグワーツに入学し、どの寮に入ろうとも数々の功績を挙げていった。ハッフルパフに入寮したバイター・カリオウスもそうだった。
バイターはハッフルパフに入り、授業で知り合ったレイブンクロー生のリグレ・ラフと恋に落ちた。
二人は卒業後間もなく結婚し、一流の闇払いとして活動していた。
ある日、二人の間に一人の女の子が生まれた。
リグレは育児の為に主婦になった。二人には闇を滅ぼすことよりも一人娘が可愛かった。
関係者は有力な闇祓いの離脱を惜しんだが、咎めはしなかった。誰だって子供は可愛いものだ。
バイターは妻と娘のために命懸けで戦った。闇祓いと闇の魔法使いの戦いは各地であった。
――とある日の午後、それは起きた。
主が留守のカリオウス家に、闇の魔法使い達が押し寄せたのだ。妻と娘を人質に取ろうと企てたに違いなかった。
リグレは娘を守る為に応戦した。主婦となり戦いから遠退いていたとは言え、腕利きの闇祓いだった経験を活かし、果敢に戦った。
一家の非常事態にバイターはすぐさま我が家に向かった。
しかし手遅れだった。リグレは生きてはいたが、錯乱の呪文を幾つも浴びせられ我を失っていた。
リグレは駆け付けたバイターに杖を向けた。嘲笑う闇の魔法使い達の声を聞きながら、バイターは愛する妻の手によって命を落とした。
クローゼットに隠れていた娘はその光景の一部始終を見ていた。母が訳の分からぬまま、涙を流していたところも。
闇祓い達がカリオウス家に到着した時には全て終わっていた。
カリオウス家に意識のあった者は二人。闇の魔法使いは泡を吹いて倒れ、バイターは事切れ、リグレが泣きじゃくる娘を叩いていた。傍らにはリグレの杖が真っ二つになって落ちていた。
闇祓い達はリグレの状態をすぐさま見抜いた。聖マンゴに連れていくべきだ。しかしリグレを捕らえようとする闇祓いの手を、娘が掴んだ。
「ママは悪くないの、私が杖を折っちゃったから、ママは悪くない、怒ってもしょうがないの、だから連れていかないで、お願い!」
鼻血を垂らしながら懇願する娘に、闇祓い達は連れていくことをやめた。やめざるを得なかった。何らかの魔法を使おうとするとたちまち杖がピョンピョンと暴れ跳ね、闇祓いの一人はなぜか泡を吹いて倒れてしまった。
闇の魔法使いと同じ症状に、闇祓い達は母親と娘を見た。狂った人間にこのような魔法は使えない。となると、娘の仕業ということになる。ショックで制御が無茶苦茶になってしまったのだ。
闇祓い達は諦め、闇の魔法使い達を捕まえバイターの遺体を回収するとカリオウス家を後にした。
心配がなかったわけではない。狂ってしまった母親と、魔法は使えるがまだ幼い五歳の娘。二人にして何も起きない筈がなかったが、闇祓い達はそれからカリオウス家に近付けなくなった。家を探そうにも、場所が分からなくなってしまったのだ。
母と二人になった娘は、毎日何もしようとしない母を懸命に世話した。両親が共働きだった時にたっぷり稼いでいたので財産の心配はなかった。
娘は料理、掃除、洗濯、何でもやった。狂った母は気まぐれにそれを受け取った。
母が気まぐれでなく起こすのは娘への暴力だけだった。
「杖、私の、折った、お前、折った、杖、杖、杖つエ」
ありとあらゆる方法で母は娘を傷つけた。
娘はいつも丸くなってそれを背中で受けた。辛くて悲しくて痛くてしょうがなかったが、娘は誰にも助けを求めなかった。母は自分を庇って狂い、父を殺してしまったのだ。娘は唇を噛んで堪えた。いつの日か母はきっと元に戻ると、幼い娘はそう信じていた。
母への愛の為だけに日々を過ごしていた。父を殺した時の母の涙だけが、真実だった。
ある日、母は死んだ。
母はいつも通り一頻り娘を痛めつけた後、「疲れたわね」とぽつりと言った。
その懐かしい響きに娘は母が元に戻ったのかと喜んだが、違った。
母は台所に行くと包丁を取り出し、無言で喉を貫き、逝った。あっと言う間だった。止める暇などなかった。
母は血飛沫を撒き散らして血の海に倒れると、ぴくりとも動かなくなった。
娘は叫んだ。割れんばかりの悲鳴だった。
そしてそのショックは、今までカリオウス家にかかっていた全ての魔法を解いた。
捜索を諦めていなかった闇祓い達はすぐにそれを感知しカリオウス家に向かった。
家は酷い有様で、血の海に倒れる―― 一時は名を馳せた闇祓いである――母の死体と、それを眺める娘が座り込んでいた。
恐れていたことがとうとう起きてしまったのだ。闇祓い達はすぐに娘を保護すると、哀れな女をひっそりと弔った。
保護された娘は、唯一の身寄りである母方の祖父母の元で暮らし始めた。
娘は人形のように口を閉ざしてしまっていた。それは、娘が七歳の頃であった。
ダンブルドアは一端言葉を切り、杖を振ってテーブルを出した。そこには七人分の紅茶と茶請けがあった。
「飲むと良い……疲れたじゃろう。あまり明るい話ではないからのう……」
シリウスは愕然としていた。その話も、その娘がフィールだなんてことも、信じたくなかった。
フィールは早速クッキーを頬張っていた。
「しかしのう……それでもその子にはまだ感情があったのじゃ」
紅茶を一口飲んでから、ダンブルドアは続けた。
娘は祖父母からそれぞれ相反する態度を示された。
祖父は厳しく、母と変わらぬくらいに孫に当たった。娘の死に孫には責任がないと頭の片隅では分かっていても、孫が家を隠匿しなければ助かっていたのかもしれない、そう思うとやりきれず、当たり散らした。
祖母は対照的にとても優しく、孫を優しく大切に扱った。時に祖父から守り、癒し、手を尽くした。
甲斐あってか孫は少しずつ祖母と打ち解けていった。孫は祖母を慕うようになっていった。
ある日、祖母は死んだ。
正確には、死んだも同然の状態になった。
二人が仲良くなることに腹を立てた祖父が強力な魔法で虐げようとし――殺すつもりだったとしか思えなかった――守ろうとした祖母がそれを食らったのだ。祖母は命を取り留めたが、目を覚まさなかった。聖マンゴに入院したが、元の生活に戻れる見込みは全くなかった。
大きなショックに孫は我を失った。人が変わったようにぶつぶつと呟きながら祖父に魔法をかけまくった。祖父はどれだけ苦しもうとも止めを刺されず、じわじわと痛めつけられた。
闇祓いが駆けつけたが、手を出そうとすれば祖父と同じ目にあった。
以前よりも魔力が増し、制御の効かない凄まじい魔法は術者の身まで滅ぼさんとしていた。
どうにも手がつけられない状態にとある魔法使いが呼ばれた。そしてその魔法使いの手により、なんとか事態は沈静化された。
祖父は重傷だったが、間もなく完治した。
孫は無傷だったが今度こそ感情を失ってしまっていた。
二人で生活することは到底不可能と言え、孫は幼い身だったがカリオウス家に戻り一人で暮らし始めた。辛い思い出のある家だったが問題はなかった。悲しみも喜びも、分からなくなっていたのだから。
とある魔法使い、ダンブルドアは息を吐いた。
「その後フィールはホグワーツに入学した……わしが勧めた。ここでの生活で大切なものを取り戻し、また感情豊かな子になってほしかったのじゃ。そして……ついにフィールは大切なものを手に入れた」
ぽりぽりとフィールはクッキーを食べ続けていた。
「君らじゃよ。リリー、フィールはとりわけ君を好いている。この子は不器用じゃが……この子なりに君を大切にしているのじゃよ」
リリーがぽっと頬を染めた。
「まだ無自覚なことが多い……フィールは相手を思いやることが出来ないせいでよく人と対立する……」
ジェームズは気まずそうに目を逸らした。シリウスも居心地が悪かった。
「責めておるのではない。わしは対立からどちらにも学ぶことはあると思っておるからのう。しかし、昨日のようなことになるとは思わなかった。わしの不手際じゃ。――フィールは大切なものが傷つくことを最も恐れる。その時にどうなるかは、昨日君らが見たままじゃ。ただ傷つけた相手に復讐する……悲しい存在になってしまう」
ダンブルドアの視線がフィールに向けられる。フィールはまだクッキーを食べていた。
シリウスにはそれが何かを誤魔化している姿に見えた。
「フィールの話は以上じゃ。次に昨日のこと、これからのことを離そう――これ、いい加減に食べるのをやめなさい。いつもそうやって食べては吐いているのをわしは知っておるのじゃぞ。リリーと仲良くなってからも隠れて続けていたじゃろう――体に無理がかかる、やめなさい」
リリーは困惑した。フィールは不服そうだったが、ようやく手を止めた。
道理であんなに痩せているのかとシリウスは納得した。ガリガリで肉のない背中が、あまりにも悲しく思えた。
「イディオ・アクザフルは明日付けで退学となる。人に"許されざる呪文"を使ったのじゃからのう、悲しいがやむを得ない……アズカバン行きにならなかったのがせめてもの救いじゃろう。何、彼も報いは受けた。更正することを祈ろう」
フィールは今度はお茶を飲んでいた。砂糖をたっぷりと入れて。
「フィールの処罰――いかなる事情があろうと、フィールもまた多くの生徒を傷つけたのは事実じゃ。罰を受けねばならぬ」
「そんな!」
リリーが叫ぶ。
しかしダンブルドアは――なんと、にっこりした。
「しかしのう……フィールは"服従の呪文"をかけられていた。イディオの杖からも証拠は出ておるし、イディオや他の生徒達を攻撃した時に魔法が解けていたという証拠はない。僅かながら、イディオの呪文が不完全で暴走した可能性もある。よって罰は軽減され、そうじゃのう……レポートを羊皮紙五巻きでどうかの?それ以上はわしが持てんのじゃ」
リリーはぱあっと表情を明るくした。
フィールはポットが空にならないのを知っているのでまだお茶をがぶがぶ飲んでいた。
「これ」
ダンブルドアがフィールの頭を杖でぺしりと叩いた。
まるで、本当の祖父と孫のようだった。
2014.09.18
← →
△
TOP