dissolve | ナノ
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16 爪痕

珍しく焦り顔のジェームズが叫ぶ。

「そっちはどうだった!?」

空き教室から出てきたピーターは力なく首を横に振った。

「いなかった。どこに行ったんだろう……」

がむしゃらに教室を見て回ったが、影すら見えない。いつもは迷路のような広さが楽しい学校なのに、今はその広さが憎らしい。

「リリー……」

頭を抱えるジェームズに、ピーターはかける言葉が見つからなかった。
シリウスとリーマスが見つけてくれればいいが――二人は今どこを探しているだろうか。ローブに手を入れたジェームズは、あるものに気付き、そして叫んだ。

「ああ、僕は――僕達はなんて間抜けなんだ!」

焦る余り失念していたそれ、ジェームズが取り出した羊皮紙に、ピーターもあっと声を漏らした。
しかし二人が羊皮紙を使う前に、ダンブルドアがローブを翻しながら二人の前に現れた。
ジェームズとピーターはダンブルドアが突然現れたことよりもその表情に驚いた。ダンブルドアはあまり見せることのない厳しく難しい顔をしていた。

「あとは任せなさい。君達は談話室で待っているように」

呆気に取られる二人をに短く言い残し、ダンブルドアは滑るように廊下を走り去った。



服従の呪文は解けたはずだ。なのに、何かがおかしい。何かが違う。

「おい……?」

シリウスが呼び掛けるが、反応がない。フィールはどこか遠くを見ながらぶつぶつと呟いていた。何と言っているのか声がこもっていてよく聞こえない。
イディオが威勢よく叫ぶ。

「ふん!僕の"服従の呪文"は完璧なんだ!"穢れた血"が泣いたからって、一体何がどうなると――」

バン

しかしすぐに黙らざるを得なかった。イディオの右にいた取り巻きが、吹っ飛ばされていたのだ。
シリウス、リーマス、リリーは杖を奪われている。
フィールもそうだが――シリウスの言葉がもし本当なら、フィールが吹っ飛ばしたということになる。
取り巻きのぐったりとした姿にイディオは恐怖を抱いた。こんなことあるわけがないと必死に言い聞かせるが、それはすぐに証明された。

バン

今度は左の取り巻きが縄でぐるぐる巻きにされて倒れた。恐怖は取り巻き達にも広まった。

バン――バン――バン

全身を切り裂かれたり、電撃を浴びせられたり、足を固められたり、次々と取り巻きは倒れていき、とうとう残るはイディオのみとなった。
イディオは最早勢いを根こそぎ奪われてガクガクと震えていた。汗でべとべとになった手から杖が滑り落ち、教室の隅に転がっていった。
次の瞬間、フィールはイディオの眼前にいた。
バシュッと青い光が飛び、イディオに当たった。

「うわああぁあああああ!」

イディオはのた打ち回った。髪がメラメラと青い炎で燃え上がっていた。

バシュン

続いてイディオは不可視の縄に縛られていた。血が止まりそうなくらい固く縛られた。拘束されたまま壁に叩きつけられる。すぐに気絶せぬよう――楽になれぬよう――手加減されているらしい。

「やめろ――やめろ!」

シリウスが叫ぶ。リリーとリーマスはあまりの変わりように絶句していた。
フィールはシリウスを見ようともしなかった。
このままではイディオはじわじわと嬲り殺される。

ぐるぐると高速で回転させられているイディオに、同情なんて湧きはしない。いいザマだと思った。シリウスがそうしてやりたいくらいだったが――フィールがやっているのだと思うと、心が痛んだ。

「よせ!やりすぎだ!」

シリウスはフィールの肩を乱暴に掴んだ。イディオから遠ざけようとしたのだが、飛んできた机に横から殴られた。衝撃に息が詰まりそうだった。

「シリウス!」

リーマスが叫ぶ。
シリウスは痛む横腹を押さえながら立ち上がろうとした。イディオは逆さ吊りになって振り回されていた。

フィールは変わらず無表情――なだけではなかった。シリウスは唖然とした。フィールの髪先が、じりじりと燻っていたのだ。煤となった髪が散っていく。鳥肌が立ち、目の前の光景を夢だと信じたくなる。理性と本能の両方が危険だと警告している。

「フィール!――っぐあ!」

近付こうとしたシリウスに容赦のない電撃が浴びせられる。体が痺れて思うように動かない。意識が遠退きそうだったが、意地でも倒れるまいとシリウスは踏ん張った。

「――もうおよしなさい、フィール」

優しく穏やかな声がした。この学校で過ごしていれば誰もが聞いたことのある声だった。

「君は頑張った。わしは知っておるよ」

その穏やかな声と共に、入り口からと光が届いた。
電撃が止み、シリウスは片膝をついた。

フィールは光る縄に拘束されていた。
イディオは頭から床に落ちて伸びていた。すっかり燃えた髪に、残り火がチリチリと揺らめいていた。

ぐらりと、フィールの体が揺れる。シリウスはガタガタの膝に鞭を打ち、倒れるフィールを抱き止めた。フィールの髪の燻りはおさまっていたが、煤けた毛先が痛ましかった。

「うむ、立派な紳士じゃのう」

ゆっくりとダンブルドアが教室に入ってきた。口調は朗らかだが、その目は厳しい。

「先生!違うんです、フィールは――!」

リリーが叫ぶ。
フィールは悪くない、自分のせいで巻き込まれただけだと言いたかったが――言葉がうまく続かない。全く非がないとも言えなかったのだ。フィールの反撃は惨すぎた。

「分かっておるよ、リリー。分かっておるから落ち着きなさい。君もじゃ、リーマス」

同じく困っていたリーマスをダンブルドアが宥めた。

「まず大事なのは、怪我人の治療じゃ。あの子達も君達も、皆怪我をしておる。話は後からゆっくりしよう」

ダンブルドアは杖を一振りすると、沢山の担架を出した。

「あ――僕は大丈夫です。歩けます」
「私もいいです」

リーマスとリリーが立ちながら言った。
シリウスも続きたかったが、フィールを抱えていて動けなかったし、二人ほど元気がなかった。

「ダンブルドア先生、私達、先に医務室に行っています」
「しっかりした子達がいて嬉しいのう。ふむ、ならば申し訳ないんじゃが、生徒の何人かを一緒に連れていってくれるかな?杖で引くだけじゃ……優秀な君らなら出来るじゃろう」

ダンブルドアが薄く笑み杖を振ると、リリーとリーマス、本来の主人の元に杖がふわりと飛んだ。

「分かりました」

二人は倒れた生徒を担架に乗せると、杖で引いて静かに教室を出ていった。
残ったのは――残った者の中で意識があったのは――ダンブルドアとシリウスだけだった。フィールはシリウスの腕の中で眠っていた。

「マダムが大忙しじゃろう――心配ない、皆気絶しているだけじゃ。君らの方が傷は深い……」

イディオの体が浮き、担架に乗せられる。

「シリウス、君の勇気、見届けさせてもらったよ。さあ、お乗り。手を貸そう……」

シリウスとフィールもそれぞれ担架に乗せられた。残りの生徒も乗せ終えると、ダンブルドアが静かに言った。

「話は……談話室で待つジェームズとピーターも交えた方が良かろう。ただし怪我が治ってからじゃ。ゆっくり休むんじゃ。そう、ゆっくり……」

穏やかな声に、シリウスは意識を手放していった。



深く心地よい眠り――を、頬をぷにぷにと触られる感触にシリウスは覚まされた。
シリウスはベッドに寝かされていた。真っ白なシーツと独特の匂い。医務室だ。
頬を触っていたのはジェームズだった。悪戯っぽい笑みを浮かべてシリウスの顔をのぞき込んでいる。

「やあ。体調はどうだい、相棒」
「どうもこうも…… ――!あいつは!あいつはどうなったんだ!?」

釣られていつものように答えたシリウスだが、眠る前の事態を思い出し勢いよく起き上がった。

「落ち着くんだ、シリウス。怪我に響く。君がこうなると分かってダンブルドアは僕達を寄越したんだ」
「フィールなら無事だよ。皆無事。怪我もすぐに治るって。シリウスも一日休めばいいってマダムが言ってたよ」

ジェームズの後ろからピーターがひょっこり顔を出した。

「何があったかはリリーとリーマスから全部聞いたよ。二人は一番怪我が軽かったから…………」

ジェームズが口を噤んだ。リリーが襲われた責任を誰よりも感じていたのだ。

「……今は朝の八時だ。夕方六時、ダンブルドアが話をするって言っていた。説明も。ダンブルドアはフィールが変わった理由も何もかも知っているみたいだ」

腕時計を見ながらジェームズは言った。

「じゃあ僕達は行くよ――ああ、そうだ。フィールなら隣にいるから、静かに近付けばマダムにバレないよ」
「なっ何の話だ?」

シリウスの表情を読んだジェームズがひっそりと言った。
とぼけたかったが焦りがどもりとなって出てしまい、シリウスはしまったと内心で舌打ちした。
その様子にピーターまでもがにやりと笑った。

「諦めずに立ち向かった勇敢なナイト様の話を聞かないわけがないだろう?君もリーマスも物好きだとは思うけど、僕達はどっちも応援してるから」
「違――」
「それじゃ。六時にまた来るよ」

二人はさっさと医務室を出ていった。

シリウスは頬が熱くなるのを感じた。違うと言いかけたが、何も違わない。形はどうであれフィールと自分は付き合っている。頑張ったのだって――けれど、もしジェームズ達が知られたら……からかわれる様子を安易に想像できた。

夕方までずいぶんと時間がある。シリウスは眠りたかったが、目が冴えきっていた。
医務室には他にも生徒がいるのだろう、寝息やいびきが聞こえてきた。時折ぱたぱたとマダム・ポンフリーが歩き回る音がした。話したくなかったのでマダムが様子を見に来た時は狸寝入りをした。

シリウスはジェームズの言葉を思い出した。近くにフィールがいる。起きているのだろうか、それとも眠っているのだろうか。昨日はまともに会話も出来ず散々な目に遭ったが、責める気はなかった。ただ心配だった。
ジェームズの言った通りこっそり近付こうかとも思ったが、やめた。何と声をかければいいのか分からなかった。

結局時間まで、シリウスは悶々としていた。マダムのおかげで体はすっかりよくなっていた。
気だるげにベッドに寝ていると、カーテンが開いた。リリー、ジェームズ、リーマス、ピーターがいた。

「抜け出すかと思ったのに、君がじっとしてるなんて驚きだよ」

ジェームズがにやりと笑った。

「わしとしてはその方が嬉しいんじゃがのう」

敷居となっていた布がふわりと端に寄せられた。ダンブルドアと、ベッドで上半身だけを起こしたフィールがいた。
フィールの瞳には影もおかしさもない。今度こそ、いつも通りだった。

「他の生徒は完治したしもう寮に戻っておる……マダムにも許可を貰った……さあ、お話をしようかの」

ダンブルドアが杖を振ると、椅子が五脚現れた。
ダンブルドアはその内の一つに腰掛け、ジェームズ達に目で促した。ジェームズ達は慌てて椅子に座った。ピーターが派手な音を立てた。

「ふむ、とはいえ、一斉にお喋りはできぬ。なのでまずはこちらから話させてほしいんじゃがいいかね?君達の質問や話には後で答えれるだけ答えよう」

たっぷりある髭を撫でながら言ったダンブルドアに、皆頷いた。ダンブルドアはにっこり笑った。

「ではまず……フィールのことについてじゃ。わしとフィールで一番に話すべきだと決めた――フィール」

ダンブルドアの合図に頷き、フィールはシャツのボタンに手をかけた。
ぎくりとしたジェームズ、リーマス、ピーターを置いて、リリーとシリウスは察した。
一同に背を向け、フィールがシャツを脱ぐ。
知らなかった三人が、知っていた二人も、息を呑む。
フィールのやけに痩せた背には、無数の傷跡が、切り傷、擦り傷、火傷、痣が、人が付けられる限りのあらゆる傷が、刻まれていた。

「爪痕じゃ」

ダンブルドアが悲しげに言った。

「君達もおかしいと思ったのじゃろう。フィールは落ち着きすぎている。心がないのではないかと言うくらいにのう。しかしフィールは答えたね、心はあると」

フィールはシャツを着直していた。

「それは正解であり間違いじゃった。なぜなら……フィールには心はあるが、そこから生まれる"感情"が殆どないからじゃ。それはなぜか?そして、この背にある、そしてフィールの中にある爪痕が、昨日のフィールの説明となることの理由、そこからじゃ。そこから話せばならん……」

ダンブルドアの言葉を裏付けるように、フィールはぼんやりと空を眺めていた。



2014.08.27
 

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