dissolve | ナノ
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14 届かない手

談話室を出たフィールは、足早にある場所に向かっていた。場所は無意識に握り締められた羊皮紙が示している。
ドンッと肩をぶつけ、よろける。周りを見る余裕がなく無言でまた歩こうとしたフィールの腕を、誰かが掴んだ。

「僕にぶつかっておきながら無視とは――……貴様か」
「すまない。急いでいる、セブルス・スネイプ」

スネイプの腕を振り解き、フィールはまた前進した。
いつぞやと同じ無礼な態度は許せなかったが、異常者に関わる気はない。スネイプは仕方ないと息を吐いたが、フィールの手にある羊皮紙が妙に引っかかった。

朝、イディオ・アクザフルが揚々とフィールに天罰を下すと宣言していたのだ。
恐らくイディオが絡んでいるに違いない。珍しくどこか焦っているようなフィールに、スネイプは確信した。
いい気味だ。本で殴られた恨みをしっかり覚えていたので、スネイプは内心で嘲笑った。関わりは持ちたくないが、傍で見ている分には一向に構わない。
だが、とスネイプは確認する。

「リリーには関係のないことだろうな?」

フィールの目が僅かに見開かれ、スネイプは察した。

「貴様!」
「すまない」

胸倉を掴まれながら、しかしフィールは今度は振り払わずに詫びた。
言い訳のない言葉に、スネイプは責める気力を削がれた。

「……僕も行く」

返事を聞かずスネイプはフィールの隣に並んだ。何が出来るかは分からないが、リリーを思うといてもたってもいられなかった。フィールは頷きはしなかったが、断りもしなかった。

そうして二人は三階の廊下に着いた。
フィールは終始無言だった。スネイプも無口な方だが、その雰囲気に圧迫されそうだった。
前方から生徒が一人歩いて来た。緑のネクタイをしている。スリザリン生だ。スリザリン生はスネイプに気付くと、ぱあっと顔を明るくした。

「セブルス、君を探していたんだ!」

スネイプはその生徒に見覚えがあった。イディオの取り巻きの一人だ。

「僕は急いでいる」

取り巻きがフィールではなく自分に何の用だと、スネイプは訝った。
話している間にもフィールは先に行ってしまう。

「僕も急いでるんだ。頼むよ。なあ――イディオが君を呼んでいる」

低く、ぼそりと取り巻きが言う。

「面白いものが見たいだろう?」
「僕は……」

見たくない。そう言いたかったが、スネイプは喉元に杖を当てられて押し黙った。
取り巻きの目がギラギラと光っている。そこまで必死だったのか。本来ならこんな奴に遅れを取るなどあり得ないのだが、豹変した取り巻きにスネイプは渋々頷いた。

「こっちだ」

取り巻きは杖を下ろすとスネイプを抜け道へと引っ張った。
スネイプが角を曲がる前に見たフィールは、誰かに――名は分からなかったが、彼もまたイディオの取り巻きだ――話しかけられていた。

「あっごめん!」

取り巻きはフィールにわざとぶつかった。きっかけを作る小芝居だ。
フィールは少しよろけたが、また歩き始めた。ぶつかられたと分かっていたので構う必要はないと思っていた。
取り巻きはひっそりと舌打ちした。

「なあ、君、フィール・カリオウスだろう。ごめんよ、ぶつかってしまって」
「気にしていない」

フィールは先を急いでいる。
取り巻きは驚いた。てっきり「お前は誰だ」と聞かれると思っていたのに。

「なあ、お詫びにお菓子をあげるよ。好きなんだろう?」

腕を掴まれ、フィールは少しだけ視線を動かした。
やったと、取り巻きは引き留めを確信した。ポケットに手を突っ込んで菓子を引っ張り出す。

「ほら!」

菓子を突き出して、取り巻きは確信が妄信だったと知った。しまったと思った時には、フィールはまた歩き出していた。

取り巻きは慌てて百味ビーンズをしまい、ポケットを探った。ない。何も、ない。
フィール・カリオウスは百味ビーンズが嫌いだとイディオから聞いていたのに。
イディオの命を守れずフィールを通してしまったら――イディオの機嫌を損ねたら――どうなるか、考えるのも嫌だった。
取り巻きは杖を抜くと、フィールの前に立ちはだかった。

「待てよ!」

フィールが杖を抜こうとすればいつでも止めれるよう集中する。しかしさすがに女子に手をあげるのは嫌だったので、縄で縛るくらいでいいかと考えていた。

「少しだけでいいんだ!ほんの数分――」
「一秒も惜しい」

フィールは頑として頷かなかった。

「杖を抜いたな」
「えっ?」

もしかすると気絶させねばならないかも――なんて考えは、体ごと吹っ飛んだ。壁に叩きつけられて気絶する直前、取り巻きは確かに見た。敵うわけがなかったのだ――フィール・カリオウスは、杖を抜いていなかった。

フィールは取り巻きを一瞥すると、進路へ足を向けた。
かさり。丸まった羊皮紙が取り巻きの傍らに落ちたが、フィールは気付かなかった。



一足早く空き教室に来たスネイプは、イディオの笑顔に迎えられていた。

「セブルス、よく来てくれたね」
「僕にそんな趣味はない」
「そう言うなよ。見ていれば気が――」

変わる、と言いかけたところで空き教室のドアが開けられた。取り巻きにはノックをするよう言ってある。イディオは舌打ちした。あの馬鹿は何をやっているんだ。

フィールは入り口に立ったまま入って来ようとしなかった。イディオを真っ直ぐ見ている。スネイプを見つけても眉一つ動かさなかった。

「やあ、カリオウス。元気そうで何よりだよ」

イディオは嘯いた。

「座りなよ」

パチンと指を弾くと、取り巻きが椅子を用意した。フィールはまだ動かない。

「"今から空き教室で待っています。大切な百合を枯らせたくなければ来て下さい。"……リリー・エバンズはどこにいる、イディオ・アクザフル」

フィールは羊皮紙に書かれていた文字を暗唱した。
スネイプは咄嗟に教室を見回したが、薄暗く机も雑多に並んでいたため、リリーの姿を確認できなかった。

「リ……エバンズをどうした」
「見学していろ、セブルス」

取り巻きがスネイプを下がらせる。用心深いのか邪魔ができないよう杖腕をしっかり掴んでいる。
フィールが一歩進む。取り巻きがドアを閉めた。

「座らないのかい?……残念だ。さあ、今は手荒な真似はしない。杖をよこしたまえ」

イディオは楽しんでいた。もし断ればリリーに危害を加えるとちらつかせる。
しかしフィールは思惑に反しあっさりと杖を投げた。まるで執着がない。慌てて取り巻きが杖を拾う。
イディオはローブから自分の杖を取り出した。油断はならない。杖はなくともフィールには持ち前の素早さがある。

「インカーセラス!」

縄がフィールの体をきつく縛る。フィールはバランスを崩して倒れたが、表情は平静そのものだった。
それがイディオの癪に障った。自分を殴り付けた時と全く同じ顔をしていたからだ。

「インペディメンタ!」

今度は壁に叩きつけられたが、やはりフィールは変わらずイディオを見ている。

「全く、腹立たしいね。まあいい、今からどん底に突き落としてやる」

イディオは一歩フィールに近付いた。

「筋書きはこうだ」

顔には醜い喜びが満ち溢れている。

「いつも独りぼっちの変わり者がいた。変わり者は、変わり者故に誰にも相手にされなかった。だがある日、変わり者はとある女子に好かれた。女子は変わり者にも分け隔てなく接した。変わり者は女子を全く気にかけていなかったが――やがて女子に恋人が出来た。女子は前ほど変わり者に構わなくなった――変わり者は途端に寂しくなり、身勝手にもその女子を襲った。抵抗する女子を殴って無理矢理にだ。変わり者はその後正気に戻り、自分がどんなひどいことをしたか悟ると悔やんで悔やんで――そして自殺した」

一息で言い切ると、イディオはいつかの爽やかな笑顔にぱっと変わった。

「いい話だろう?」

フィールはまだ黙っていたが、イディオは喋り終えて満足したのか、癇癪を起こさなかった。
スネイプは唇を噛んだ。何ということだ、このままではどのみちリリーが傷つけられる。しかし迂闊に動けば、フィールの味方だと思われてしまう。

「まあ、自殺まではいかないよ。いや……自殺ではすませない。僕は死はある種の"逃げ"だと思うんだ。君には苦しんでもらう」

イディオはまた一歩近付いた。フィールとの距離がまた縮まる。

「カリオウス、僕はずっと待っていたんだ」

今度は二歩。

「"ファインダ様"を知っているか?知らないだろうな。なくした物が見つからない時、ファインダ様にお願いすればその物がある場所へ導いてくれる……一年生の間で流行っている物探しの神様さ」

そして、一歩。

「勿論そんなものはいない。だが、それを知っているのはここにいる僕達だけだ」

距離はなくなった。

「もうすぐファインダ様に導かれた一年生がここに来る。そして目撃するんだ……君が"穢れた血"を襲っているところを」

フィールを見下ろし、イディオは笑いながら杖を突きつけた。

「不幸な一年生は傷つけられる……変わり者はその後自殺を図り自分を滅茶苦茶に傷つけるが死ねなかった。変わり者は口が利けなくなったが罪は明白だった。何せ証人がいたからね」

イディオが杖を振り翳した。

「だが、その前に制裁だ」

バンッ
壁に叩きつけられ、倒れた拍子にフィールは見た。机に隠れていて分からなかったが、教室の隅にリリーがいた。気絶しているようだ。
もぞもぞといもむしのように身をくねらせてそちらに行こうとしたが、イディオが許す筈もない。
フィールはまた壁に叩きつけられた。たらり。頭が切れて、血が一筋流れた。

「気付いたか。だが行っても無駄だ。杖は奪ってある」

杖なんて関係なかった。フィールまた吹き飛ばされた。視界が揺れる。

「無駄だと言っている」

フィールは諦めなかった。リリーの傍に行きたかった。

「起きろ」

乱暴に声を投げる。リリーは身じろぎ一つしない。

「馬鹿か、起こしたところで何になる。本当に枯らせたいのか?」
「たっぷり寝ただろう、リリー・エバンズ」
「僕を無視するな!」

一際強くフィールは吹っ飛ばされた。今度は壁にではなく、机の山に突っ込んだ。ガラガラと派手な音がした。

大きな音にリリーはゆっくりと意識を戻した。何も見えない。縄で縛られているのか体も動かないし、口に何か詰められていて声も出ない。
リリーは自分の身に何があったのか思い出した。女子トイレを出た後に誰かに襲われたのだ。背後からの一瞬の出来事だった。
ここはどこだろう。誰かが喋っている。目を覚ましたことを悟られないよう、リリーは耳を澄ました。

「安心しろ。"穢れた血"は程々に傷つける。お前に比べてだがな」

イディオの声だ。

「夕食の時間だ、リリー・エバン――」
「シレンシオ!黙れ!」

リリーはもう一つの声にショックを受けた。すぐに消えたが――話を聞く限り黙らせられた――独特の口調は間違いない。フィールだ。フィールがこちらに向かって喋っていた。リリーは目隠しを疎ましく思った。現状を目で確かめたい。

「勝手なことを――するなと――言っている!」

イディオは次々に杖から光線を飛ばした。光線はフィールに当たり、ローブや肌を切り裂いた。拘束していた縄も切れたが、イディオは再び縄縛りを使わなかった。必要がないと知っていたからだ。軽やかに殴りかかるなんてもう出来まい。

「後にするつもりだったがまあいい――おい」

フィールは自由になった手でリリーの元へ這っていた。
惨いと、スネイプでさえ思った。イディオはまた呪文を唱えた。フィールの体が跳ねる。だがまだ、進み続ける……。

リリーはようやく状況を把握した。自分を餌にイディオがフィールを呼び出した。リリーは不謹慎にも喜んだ。フィールが来てくれるなんて――そしてすぐに戒めた。
まだずるずるとこちらに近付く音が聞こえる。フィールが来ようとしている――そしてイディオが――リリーは叫びたかった。来ないでほしい。自分のためにフィールが傷つくなんて耐えられなかった。悔しくてやり切れない。

フィールは自分の行動が理解できなかった。体が痛いと、休ませてほしいと訴えている。このまま動けば攻撃され続ける、けれど、リリーの元へ少しでも近付きたかった。

バチン

何かが弾けるような音がしたが、フィールの体に衝撃はなく、かわりに舌が滑らかに動くようになった。

「――――……ぁ……あ」
「術が解けた!?」

イディオは驚愕した。自分は並の魔法使いではないとの自負があったからだ。
イディオが圧倒されている間にも、フィールは這いずり続けた。意識が朦朧としている。術を解くのが遅すぎた。

「リ、リー……エバ……ズ」

なぜか、ホグズミードでのリーマスの言葉が頭に響いていた。

―君にとって、エバンズは特別なんだ―
―君とエバンズは友達ってことさ―

あの時も、今も、意味を理解出来てはいない。

「とも……」

ただ、今なら、リリーと友かと聞かれたら頷けるだろうと、フィールは思った。

「とも、だ……ち」

リリーへと伸ばされた手は落ち、フィールは床に突っ伏した。



2014.08.03
 

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