13 少女の弱点
シリウスとフィールが付き合い始めてから三日が経ったが、誰もそれを知ることはなかった。シリウスには照れて口にできなかったし、フィールは言い回るタイプではない。雰囲気が何か変わったわけでもないので、当然の結果とも言えた。
秋が深まり、ハロウィンが近付いていた。
今年はどんなパーティーが待っているんだろうと生徒達の思いが巡る中、フィールは相も変わらない。チーズケーキを食べながら談話室で教科書を読んでいた。肩肘をついていかにもつまらなさそうだ。
「フィール、宿題はやったの?」
レポートを仕上げながらリリーが言った。ジェームズと結ばれてからはべったりではなくなったが、リリーとフィールはよく一緒にいる。だが、部屋が違うのでフィールの宿題までは把握していなかった。
「全て終わらせた」
「えっ、どうして!?いつの間に!?」
ピーターが激しく反応した。フィールはいつも菓子を食べてまったりしているので無理もなかった。ピーターはフィールが宿題をしている姿を見たことがないのだ。
「昨夜、部屋でだ、ピーター・ペティグリュー」
フィールの答えにピーターは項垂れた。次元が違う。殆どが同じ宿題なのに、ピーターはまだ半分も進んでいなかった。
「手伝ってやるから早くしろ」
宿題を終えたばかりのシリウスが言った。
ちらちらと手伝って欲しげにフィールを見ていたピーターに、そうはさせるかと動いたのだ。
ピーターは宿題さえ終わればいいので大喜びだった。
シリウスはリリーが目を細めて静かに笑っているのを無視した。結果的にリリーが望んだ通りにはなったが、教える気にはなれなかった。
口にしようとすれば身体が震えて熱くなるのとは別に、シリウスはしばらく言わないでおこうと思った。
「一昨日の夜は図書室にある変身術の本をずっと読んでいたんだろ?それで授業中に寝てマクゴナガルに怒られるって、君は賢いのか馬鹿なのか」
ジェームズが軽口を叩いた。ジェームズもまたさっさと宿題を終えていたので暇をしていたようだ。
「でもなんでまた変身術なんかを?」
「"動物もどき"について調べていたんだ、ジェームズ・ポッター」
フィールの答えに、ジェームズはドキリとした。シリウス、リーマス、ピーターも同じだったようで、目を見開いている。四人はある共通の秘密を持っているのだ。
「あなた、"動物もどき"になりたいの?すごく大変って聞くけどフィールなら大丈夫かもね。ねえ、ジェームズ」
「えっ!?ああ――そうだね。なれる、かも……」
リリーに話を振られ、ジェームズは曖昧に返事をした。リリーは秘密を知らない。彼女には言ってしまいたかったが、これは四人だけの秘密だ。ジェームズは口を噤んだ。
「なるなら犬がいい」
フィールの一言に飛び上がりそうになり、シリウスはジェームズに肘で脇腹を小突かれた。
「もしくは兎だな。人間に飽きたらペットとしてどこかで飼われるか」
気怠げな口振りだが目はしっかり開いていた。本気だ。
「もう、馬鹿なこと言わないでよ」
「馬か鹿でもいいな」
今度はジェームズがシリウスに小突かれていた。
「もう!」
リリーは頬を膨らませて、仕上げたレポートをまとめると荒っぽく羽根ペンを片付けた。ジェームズが慌ててリリーを宥める。
「フィール、あまり寝てないだろう?隈ができているよ」
リーマスがフィールの顔を覗いて言った。
「三日徹夜しただけだ」
なんでもないと語るフィールの目の下には、しっかりと隈があった。深く暗い隈のせいでせっかくの容姿が台無しだ。ぺらり。フィールはマイペースに教科書のページを一枚めくった。
「三日も!?なんでまた――」
リーマスは続けられなかった。三日前と言えばあの実験――いや、"遊び"があった日だ。
あの日、自分達はフィールの秘密を知った。
リリーもジェームズもシリウスもリーマスもピーターも、フィールが話したことを気に病んでいるのかと心配になった。
とりわけシリウスは狼狽えていた。三日前は秘密を知った日でもあり、付き合いが始まった日でもある。何か関係しているのかと気が気でなかった。
「マダム・ポンフリーの推薦であの薬を販売することになった。手続きのついでに他の薬の案も練っていたらつい徹夜をしてしまった」
ぺらり。またページをめくってフィールが言った。
なかなかのビックリニュースだったが、心配していたものとは違ったのでリリー達はほっと息を吐いた。
「もう済んだのよね?あまり無理をしてはいけないわよ。マダムもフィールに無理させたいわけじゃないんだから、ちゃんと休まなきゃ」
リリーが言った。
フィールはしばらく教科書から目を離して空を見つめていたが、やがてパタンと教科書を閉じた。
「そうだな。今日は休む」
フィールはさっさと立ち上がった。
「おやすみなさい、フィール」
リリーが言うと皆が口々に続いた。
「おやすみ」
「しっかり寝るんだよ」
欠伸をしながら背を向けたまま手を振ると、フィールは女子寮に消えた。
「フィールって、苦手なものとかないのかな?」
フィールが座っていた席を見ながらピーターが言った。
「あるさ。"退屈"だろう」
ジェームズが忘れたのかとピーターを見た。ピーターは顔を少し赤くした。
「でも、だって、フィールは"退屈"も気にかけていなさそうに見えるから……」
これにはジェームズも答えられなかった。
フィール・カリオウスの弱点を見つけた。まさにあれこそが弱点であると、そうイディオ・アクザフルは確信していた。
取り巻きの話を聞いてからずっと観察していた。確信するのにそう時間はかからなかった。考えてみれば、なんとも安直なことだった。
有頂天になってイディオは策を練った。もう間もなくこの素晴らしい策を実行に移せる。
フィールへの憎しみでどれだけの羽根ペンが折られ、インク瓶が割られたことか。しかしそれも些末なことだ。策が成功すれば――失敗するわけがないが――羽根ペンもインク瓶も価値ある犠牲に変わる。
「明日だ」
イディオは取り巻き達に言った。イディオも取り巻きもこれ以上ない笑みを浮かべている。
着々と事が迫る――フィールはそんなことなど露知らず、三日分の疲れを取るためにぐっすりと眠っていた。
翌日、フィールはぼんやりと朝食を食べていた。ナイフとフォークの動きが鈍い。
「どうしたんだ?」
「寝過ぎたのよ」
シリウスの質問に、リリーが代わりに答えた。
フィールはようやく切り分けたローストチキンを口に入れていた。どこか食欲がないように見える。
シリウスが様子を見ていると、またもやリリーが答えた。
「フィールが食欲がないのがおかしいと思っているでしょ。普通よ。たまになくなる時があるの。昨日早く寝ていたからこうなると思っていたわ」
出来れば本人から直接聞きたかったのだが無理そうだった。フィールはまだもごもごとチキンを咀嚼していた。リリーはそれが分かっていて代弁したのだ。
シリウスにとってその日はとても変な一日だった。いつもと違うフィールは新鮮だったが、違和感が拭えず気持ちが悪かった。しばらくしてから、自分がフィールを知らないだけだったと気が付いた。
フィールはどうやらぼんやりしているとあまり奇行に走らないらしい。それどころか型にはまった優等生のようにフリットウィックの質問にすらすらと答えていた。フリットウィックがいつもぼんやりしていればいいのにと呟いていたのを、生徒達は聞かなかったことにした。
日が傾き、授業が全て終わった。ようやくフィールは目が覚めてきたらしく、ぱちぱちと瞬きを繰り返していた。
「トイレに行くから先に戻ってて」
リリーを残して――ジェームズが女子トイレに一緒に入ろうとしたのをなんとか阻止して―― 一行は談話室に戻った。
生徒ががやがやと談笑している。フィール、ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーターは空いた席を見つけて座った。
フィールはお腹が空いたのかレモンパイをむしゃむしゃと食べ始めた。
「夕食前だぞ」
「ああ、だから三個までにする、シリウス・ブラック」
十分多いのだが、シリウスは黙った。
フィールがレモンパイを食べている間、シリウス達は久しぶりに悪戯の計画を練った。生徒はシリウス達の悪戯を心待ちにしている――色々あって休息していたことにして、大々的な悪戯で返り咲こうと、夢中で考えた。
コツコツと窓を叩く音にシリウス達は現実に引き戻された。近くの窓にふくろうがいたのだ。手紙を持っている。
リーマスが窓を開けると、ふくろうはすーっと談話室に入り、フィールの前に降りた。
フィールはパイを食べるのをやめて手紙を開いた。ジェームズが覗き込んだ。
「"今夜七時にお会いできませんか。お話したいです"……だって!デートの誘いじゃないか!」
茶化すジェームズに、シリウスとリーマスが顔を顰めた。
フィールは黙ったまま手紙を隅から隅まで眺めた。
「差出人の名がない」
しかしジェームズはお構いなしだ。
「照れ屋なのさ。僕もいっぱいラブレターをもらったけど、名前がないなんてしょっちゅうだったよ。なあシリウス!君もそうだろう?」
「はっ!?あ、あー、そうだな」
シリウスは何とも複雑な気持ちになった。気にされないと分かっていても、フィールの前で聞かれるとすごくドキドキしたのだ。
フィールはふくろうを見た。ふくろうはフィールのレモンパイを勝手に啄んでいる。
フィールは羊皮紙の端をちぎると、さらさらと文字を書いた。
「"今夜はごろごろするので断る"……酷いねえ。もう少しマシな断り方があるだろうに」
全く酷いと思っていない、どころか面白がっているような口振りでジェームズは言った。
フィールは羊皮紙を丸めると、ふくろうの足に括り付けた。ふくろうはもう一口だけレモンパイを啄むと、バサバサと窓から出ていった。
ふくろうは間もなく再び現れた。今度は手紙ではなくフィールが出したのと同じような丸めた羊皮紙を持っていた。
フィールは羊皮紙に目を通すと、ジェームズが覗く前に閉じた。
「フィール?」
音を立てて立ち上がったフィールに、ジェームズが聞く。
「用事が出来た。すぐ戻る」
フィールはさっさと談話室を後にした。
「何だったんだい?」
「気が変わって会いに行ったんじゃないかい。案外、付き合ってもいいと思ったのかもしれない――冗談だよ、シリウス」
リーマスへの答えにあからさまにシリウスが顔をしかめたので、ジェームズはすぐさま訂正した。
「ところでこいつをどうしようか?」
ふくろうはフィールの残したレモンパイをつついている。またもや飛び去る様子はない。
「あいつがいないんだし放っておけばいいだろ」
シリウスがぴしゃりと窓を閉めたが、ふくろうは気にも止めなかった。
「あのさ……」
ふくろうより大人しくしていたピーターが言った。
「フィールも気になるけど……リリー、遅すぎないかな」
ジェームズは時計を見た。リリーがトイレに行ってから、もう三十分は経っていた。
イディオ・アクザフルはいらいらと窓の外を眺めていたが、やがて閉めた。
彼は策を実行するため、薄暗い空き教室に取り巻き達と共に来ていた。
「バカふくろうめ、遅過ぎる」
取り巻きが慌てて宥めにかかる。
「カリオウスが返事を書いているんですよ」
「カリオウスが?さっきの返事を見ただろ、あいつがどれだけ時間をかけるって言うんだ!」
しかし逆効果でしかなく、イディオは羊皮紙をびりびりに引き裂いた。
「あのバカ、さっき来た時口に何を付けていたと思う?」
取り巻きは怖がって誰も答えない。イディオは一番近くにいた取り巻きを睨んだ。
「言えよ」
「レ、レモンパイです……」
「その通りだ!カリオウスの奴、僕のふくろうを手懐けたに違いない!」
イディオはいらいらと杖を振っていた。
今にも杖を向けられそうで取り巻き達は気が気でなかった。
「あいつはいつもそうだ……食い物をくれる奴にへこへこと……僕のふくろうにあるまじき素行だ……」
ぶつぶつと呟くイディオは、もう窓を見ていなかった。
その時誰かがドアをノックした。緊張が走る。取り巻きの一人がドアの裏に隠れた。
「私です」
緊張が解かれる。入って来たのは見張り役だった。
イディオはふんぞり返って報告を待った。
「カリオウスが三階の廊下に来ました。なぜかセブルスも一緒です」
「セブルスも?ははあ、あいつ、結局参加したくなったんだな。よし、お前はセブルスをここに連れて来い。お前はその間カリオウスの足止めだ」
ニヤリと意地悪く笑いながらイディオは取り巻きに命じた。
「お、俺が止めるのか?」
取り巻きは狼狽した。何せ相手はイディオを有無を言わせず黙らせたフィールだ。
「心配するな。菓子の一つでも渡せば夢中になって食べる」
「そうか、分かった。行ってくる」
取り巻きは安心すると、ポケットの菓子を確認して出て行った。
残った取り巻き達を相手に、イディオは機嫌良く話した。
「楽しみでしょうがないよ。さあ早く来い――さもなくばこいつがその名の通りの"穢れた血"を、流すことになる」
教室の隅には、猿ぐつわを噛まされ、目隠しをされた上に縄で手足を括られたリリー・エバンズがぐったりと倒れていた。
2014.07.20
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