11 遊び
ある日の昼下がり、授業がないのでフィールは久しぶりに魔法薬の実験に取り組もうとした。
部屋で薬草と器具を並べ始めたフィールに、三つの影が迫った。
「カリオウス、あなた、何をするつもりなの?」
「もしかしてまた変な……その……爆発したりとか、しませんよね?」
同室の女子達だ。ホグワーツに来てからずっとフィールに怯え避けていた三人だったが、リリー達と仲良くしているフィールを見て警戒を解いたのか、今では普通に話をする仲になっていた。時には宿題の相談をしてくる三人だったが、妙な気配を察知したらしい。素早く三人固まってフィールに話しかけたというわけだ。
「実験をする。爆発するかはやってみないと分からない。実験だからな」
フィールはさらりと答えた。
後ろの一人がヒィッと悲鳴を上げる。以前、よっぽど酷い目にあったと見える。
「あー……カリオウス、せっかくだから談話室でやったらどう?その方が皆喜ぶわ。リリーはいいけど、ポッター達、男子はここに来れないもの」
本音としては、また爆発されてはたまらないだけだ。女子が言うと、フィールはあっさり頷いた。
「分かった、そうしよう」
杖を一振りして器具を浮かせると、フィールはすたすたと談話室に向かっていった。
フィールが去ったのを確認すると、三人は揃って深いため息を吐いた。助かった――とりあえず、この部屋は。
フィールは談話室に着くと、杖を振って薬草と実験器具を並べた。机一つをまるまる占領したが、談話室に人は少なく、誰も咎めなかった。かちゃかちゃと今度は手で器具を動かす。慣れた手つきで、しかし無造作に準備をしていると、ぽんと肩を叩かれた。
「何をしているんだい?」
リーマスだ。
「実験だ、リーマス・ルーピン」
フィールは端的に答えた。
「実験?」
シリウスが顔を覗かせる。胡散臭いと表情が物語っていた。
「そうだ、シリウス・ブラック」
フィールはまたもや端的に答えてから――二人の顔をじっと見た。二人とも、顔や手やらとあちこちに傷を作っていた。傷の多さから、ローブに隠れている部分にもあるのだと容易に窺える。
シリウスとリーマスはじっと見つめられ、どぎまぎしていた。二人とも頬がほんのり赤く染まっている。
「な、何だよ」
耐えかねたシリウスが言った。
「怪我をしているな、シリウス・ブラック、リーマス・ルーピン」
シリウスとリーマスが同時にどきりと身を揺らした。誤魔化そうにも怪我があるのは事実だ。加えて、リーマスはともかくシリウスには医務室に行けない理由があった。
次に何を言われるか身構える二人の前で、フィールがうんうんと頷く。
「丁度いい、少し待ってくれ」
疑問符を浮かべる二人を捨て置き、フィールは実験器具の準備を素早く整えた。
雑に扱われた器具がぶつかる音が響く。シリウスとリーマスは大人しく待つことにした。
緑と赤に色を変える葉を摺り、両端が交互に膨らむ芋虫を刻み、兎の顔のような萎びた木の実の皮を剥き、フィールはどんどん実験を進めていった。
鍋で葉や芋虫や木の実を煮込みながら、フィールは片付けもしていた。手際が良いのか悪いのか分からない。
シリウスはリーマスとずっと黙っていたが――鍋にフィールが入れようとしている物を見て、はっと叫んだ。
「ば……っそんなモン入れたら――!」
時既に遅し。シリウスの叫びをかき消し、鍋は周囲に目に痛い光を放ち粉塵を撒き散らし――つまり、爆発した。
シリウスはとっさにフィールを押し倒した。
モクモクと立ちこめていた煙がゆっくりと晴れていく。談笑していた生徒は逃げるように外か部屋へと消えていた。
ほとぼりが冷めた談話室には、けほけほと二人分の咳き込みが聞こえるだけだ。驚いたことに、フィールは咳一つしていなかった。
「馬鹿!あんなモン入れたら爆発するに決まって――」
シリウスは息を呑んだ。フィールの顔がほんの数センチの近さにあったからだ。フィールは静かに言葉の続きか、シリウスが退くのを待っていた。
シリウスには、自分の下にいるフィールがイディオやスネイプに見せた素早さが嘘のように無防備に見えた。危険過ぎるくらいに……揺れかけたシリウスの首が、後ろに引っ張られた。
「いつまでそうしているつもりだい、シリウス」
リーマスが些か不機嫌そうに言った。
「まあ、フィールを庇ったのは素晴らしいけど」
リーマスは一歩遅れてしまったのだ。
シリウスは我に返るとすぐさま立ち上がった。
「ほら」
「さあ」
もたもたするフィールに、シリウスとリーマスが手を伸ばした。
シリウスとリーマスはむっと顔を見合わせる。第三者がいれば、二人の間に火花が飛び散っていたと証言しただろう。
しかしフィールはどちらの手も取らずに立ち上がると、ぽんぽんとローブを叩きながら鍋を覗いた。
「あーっと――うん。フィール、無事かい?」
行き場のなくなった手を引っ込めて、リーマスが言った。
「爆発による怪我はない。しかし、頭を打った」
フィールがシリウスを見ながら言った。
「仕方ないさ、君がラクダの脂肪なんて入れるから。爆発するってこの間習ったところだろう?」
リーマスがさりげなくフィールの頭を撫でると、手のひらに小さな膨らみが当たった。瘤だ。
リーマスが鍋を覗くと、中身は爆発で殆ど飛んでしまったらしく、申し訳程度にオレンジ色の塵が残っているだけだった。
「失敗は成功のもとって言うしね。何をしたかったかは分からないけどまた頑張って――」
「失敗などしていないぞ、リーマス・ルーピン」
苦笑するリーマスをフィールは遮った。
さっと杖を出して一振り、二振り。周囲に散らばっていた塵が集まると、鍋に綺麗に戻った。そして倒れていた瓶の蓋を開け、鍋に中身を注ぐ。薄紫の液体だった。
オレンジと薄紫が混じると――空色の液体になった。粘り気のないさらさらの液を小さい二つのフラスコに流し入れると、残りの液を大きいフラスコに入れた。フィールがまた杖を振ると、実験器具は一瞬で片付けられ、きちんと無駄なく整理されて机の端に退けられた。
「待たせたな」
フィールが小さな二つのフラスコを手に、シリウスとリーマスに言った。実験を始める前の言葉の続きだと、二人には分かった。けれど分かりたくなかった。
「使うといい」
フィールがフラスコを二人に差し出す。シリウスもリーマスも受け取らなかった。受け取れなかった。
なんせ、爆発するところを目の前で見たのだ。いくらフィールの手作りだからって、手渡されたからって、飲みたい、塗りたいとどうして思えようか。
「フィール!」
談話室の扉が開いて、酷く焦ったリリーが飛び込んできた。後ろにはジェームズ、少し遅れてピーターが続いた。
「あなた――爆発――て――聞い――!」
「深呼吸するといい、リリー・エバンズ」
息を切らすリリーにフィールが言った。
「何やらかして爆発なんて起こしたんだい?困るよ」
ジェームズがニヤリと笑った。
「そういう時は呼んでくれないと」
「ジェームズ!」
リリーがもっと心配しろとばかりに睨んだ。
「フィール?何もないのね?ああ良かったわ、私本当に驚いて――心配で――」
フィールの頬やら頭やらをぺたぺた触り、一頻り終えるとリリーは安心したようにフィールに抱きついた。
いつでも抱きつけるリリーが少し羨ましいと、シリウスとリーマスは思った。
ジェームズはフィールが羨ましかったが、よく考えればリリーは自分にも抱きついてくるし自分もリリーにいつでも抱きつけるのだと思うと、機嫌を良くした。
抱きついた衝撃でカチャリとフラスコが揺れたので、リリーはそれに気がついた。
「あら、フィール、それは何?」
「傷薬だ。作ろうとしていたところに丁度怪我をしたシリウス・ブラックとリーマス・ルーピンが来た」
フィールが言った。
「そう、そうだったの」
リリーは笑った。そして、早く受け取れとばかりにシリウスとリーマスを見た。
しかし零れた液体がフィールの手に落ちると、ジュッと音を立てて空色の煙が一筋昇ったので、リリーは視線を逸らさずにはいられなくなった。フィールは相変わらず表情が同じなのでどんな感覚だったのか悟らせてくれない。
フィールにとって傷薬とは傷を作る薬なのかもしれない……誰もが使いたくないと思っていると、フィールがジェームズとピーターを見た。
「二人も怪我をしている」
ジェームズとピーターは素早く後ずさった。リリーは困ってどっちの味方にもつけずにいた。
「い、いや僕はいい。かすり傷程度だから!」
「ぼ、ぼ、僕もそんなに大したことないし!」
「お前らも僕らと変わらないだろ!」
逃げようとするジェームズとピーターにシリウスが迫る。
誰が実験台になるか。空気が緊迫し始めるが――フィールがそれをぶち破った。
「遠慮するな、なくなったらまた作ればいい」
そう言って、シリウスとリーマスにフラスコの中身をぶっかけた。
シリウスとリーマスは頭から薬を被った――目を閉じて衝撃に備えようとしたが――痛みは全くなかった。液体は心地よい冷たさで、体に染み込んでいった。
シリウスとリーマスは冷たさに包まれながら感じていた。体中の傷が塞がっていく――マダム・ポンフリーの薬もこう早くはなかった――おまけに疲れが少し取れたようだ。
「……すごい」
リーマスが開口一番言った。
「すごい効き目だよ!君は――本当に素晴らしい!なあ、シリウス?」
「ああ、マダム形無しだ……お前、すごいな」
フィールは隙を見てジェームズとピーターにも液をかけていた。
「遊びたかっただけだ」
フィールは事も無げに言った。その口振りが、何か引っかかった。
「遊び?」
シリウスが聞く。リーマスも聞いていた。リリーは大きいフラスコに入った液体に釘付けだったし、ジェームズとピーターは冷たく不思議な体験を味わっていた。
実験を遊びと称すなんて。フィールにそんな趣味があったのだろうか――シリウスは疑問だった。
「まあ、色々、してるよな」
そういえばフィールは何でもしていた。大食いに早食い、物凄いスピードで本を読んだり本をひっくり返して読んだり、呪文のようなそうでないような言葉をぶつぶつ呟いたり……言い切れない。
「ああ、これも、実験というよりは遊びと称した方が適切だったな。私は遊びたかった」
遊びと強く言うフィールに、疑問が深まる。やはり何かが引っかかる。それはリリー達も同じだったようで、顔を上げるとフィールに注目した。
フィールの表情が陰ったのを、彼らは皆見逃さなかったのだ。
「私は」
フィールの声がスッと談話室に通った。
「何事もそうだ。何事も……心から楽しいと、面白いと、思えないのだ」
淀みのない声だが、潜む陰りは消えていない。
「だから私は、遊ぶ」
談話室が平和になったのを悟ったのか、生徒達がわいわいと話す声が外から近付いてきた。
2014.06.28
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