dissolve | ナノ
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10 影

イディオ・アクザフルは復讐を誓っていた。出任せではない。完治した筈の鼻がしくしく泣いている気がして、ますます腹が立った。

フィール・カリオウス――!

近頃のイディオは、フィールをどう懲らしめるかを考えるのが専らの楽しみだった。
純血、容姿端麗、頭脳明晰――変わり者ではあるがそれ以外は完璧だ――フィールこそこの自分に相応しいだろうと目をかけてやったというのに、醜く卑しい"穢れた血"を庇い、あろうことか自分に拳を――イディオは怒りでわなわなと震えた。
公衆の面前で恥をかかされ、罰則も馬鹿な寮官のえこ贔屓でちゃちなもの。どうして満足できようか。イディオは壁を殴りつけた。
大広間での朝食時、フィールはリーマスとリリーに挟まれて座っていた。リリーの隣にはジェームズ、そしてシリウスとピーターが続いている。ジェームズ・ポッターとはかなり険悪だったのに――使えない。イディオは密かに舌打ちした。

使えるものはないかとイディオが辺りを見回すと、セブルス・スネイプが忌々しげに集団を睨んでいた。



スネイプはグリフィンドール席に凶悪な視線を投げていた。

視線の先にはフィール・カリオウス――ではない。正直なところ、フィールとは関わりたくなかった。
リリーに構われていたので当初は恨みがましく見ていたが――フィールが時折スリザリン席から感じていた視線はスネイプのものだった――手首を切ったフィールを見て思い知った。異常だ。何を考えているか分からない異常者と、好き好んで関わるものか。

スネイプはジェームズを睨んでいた。どんな不思議が起こったのか、リリーと睦まじく談笑している。肩に手を回している。
スネイプはジェームズが憎かった。元々反りが合わないのもあるが、見世物代わりにいじめられ(とは決して口にしないが)、挙げ句長年想うリリーを掠めとられたのだ。憎まない方がおかしかった。

「やあ、セブルス」

殺気を漂わせるスネイプの肩を、イディオが叩いた。

「何だ」

スネイプの返事は素っ気ない。いらいらしているスネイプに、イディオはうんうんと頷く。

「気に食わないんだろう。僕もさ」
「黙れ」
「なあ、組まないか」

イディオは黙らない。スネイプがいらいらすればするほどいいと思っていたからだ。なので、無礼な態度は流してやった。

「あいつをはめれば、君は欲しいものを取り戻せるし、僕の気もおさまる。悪い話じゃないはずだ。うまくいけばあいつを葬れるんだ」
「正気か?下らん、なぜ僕がそんなことをせねばならんのだ」
「下らないだって?あいつをのさばらせておくのが、愉快だと言うのかい?」
「そうは言っていない。必要がないのでしないだけだ」

スネイプは言った。あからさまな挑発に乗るほど安くはない。

「残念だよ……君の気持ちが変わるといいんだが。考えていてくれよ」

イディオは引き下がったが、諦めた様子ではなかった。
スネイプはジュースをくいっと飲み干した。ジェームズは憎いが、リリーに嫌われるのは嫌だ。
フィールを庇う気はないが、リリーの身に危険が及ばないよう警戒する必要はあるかもしれない。



イディオは舌打ちをした。
簡単に落ちるとは思っていなかったが、セブルス・スネイプが全く揺れなかったからだ。彼はきっと、自分の力を軽く見ている。イディオはジェームズにこそ敵わないが、成績はトップクラスである。
あの場でひっそり服従の呪文をかけてもよかったが、一年生の頃から闇の魔法に精通しているスネイプが相手では危険な賭けだった。失敗すれば敵に回してしまう。

どうすればフィールを懲らしめられる?イディオは悩んだ。
直接的ではなく間接的にスネイプを煽るべきか。
談話室に戻ると、取り巻きが数人イディオに駆け寄った。取り巻きもフィールにカンカンだった。どうにか懲らしめたいと一緒に策を練っているのだ。
取り巻きの一人がイディオにぼそぼそと耳打ちをした。

「本当か?ほう……使えるな。よし、ならばそれを踏まえて策を練ろう」

イディオの口元が意地悪く歪んだ。



フィールはちりちりと感じる視線を無視した。慣れっこだった。
一人で図書室に入ると、本の手続きを済ませて辺りを見回した。いた――フィールは部屋の隅に移動した。

「何だ」

スネイプが顔も上げずに言った。羊皮紙にペンを走らせている。
フィールは持っていた本をスネイプと羊皮紙の間に滑り込ませた。スネイプは苛立たしげに顔を上げ――る前に、本の表紙を確かめて驚いた。

「必要だったのだろう、セブルス・スネイプ」

フィールが持ってきた本は、初めて会った日に取り合いになった本だった。

「遅い。もう済んだ」

スネイプはなるべく言葉を短くして言った。急ぎの用だったのだ。あれから幾日経ったことか。それに、本を見るとあの日をありありと思い出してしまう。
いくら闇の魔法に詳しいとはいえ、生々しい血を見せつけられて、スネイプには幾らかショックだったのだ。

フィールは「そうか」と頷くと、本を棚に戻しに行った。
一体何の気まぐれで他人に無関心な彼女が"ご親切に"本を持ってきたかは分からなかったが、スネイプはフィールが離れたのでほっとした。
異常者の傍にいたくなどない。喋るのも嫌だったが、また異常なことをされても困るので(しかもここは図書室だ。マダム・ピンスに目を付けられては困る)当たり障りなく――スネイプの出来る範囲で――接したのだ。

図書室を出ていくフィールの後ろ姿を、さっさとしろと睨んでいたが、

「おい」

スネイプは呼び止めた。フィールが足を止め、またやってきた。

「何か用か、セブルス・スネイプ」
「あ――その――だな」

スネイプは口をもごもごさせると、すっと息を吸い込んだ。

「馬鹿なポッター共はどうでもいいが、お前のせいでもしリリー……リリー・エバンズに何かあったら、許さないからな」
「何のことだ」
「……もういい!話は終わりだ、呼び止めて悪かった、帰れ」

フィールは一方的な言い分に不満も言わず、あっさり納得して今度こそ図書室を出ていった。



談話室に戻ったフィールを、リリーが心配そうに迎えた。

「フィール、大丈夫だった?セブルス、あなたに酷いことを言わなかったかしら?」

フィールを送り出したのはリリーだった。
フィールが否定すると、リリーは安心したように息を吐いた。

「良かった――本当は一緒に行きたかったの。けど彼、あまり人がいると嫌がるのよ……」
「フィールなら何かあっても大丈夫だろう。フィールの素早さは皆知ってるさ。それにしても、リリー、あんなことがあった後でもよくスネイプなんかと仲良く出来るね?僕が今すぐにでも仕返しに――あのクソ面を――とっちめてやるのに――」

ジェームズがひょっこりと顔を見せた。スネイプをいじめたくてたまらないらしい。

「ジェームズ、やめて。もう誰もいじめないと言ったでしょう?それにあれは、セブルスだけが悪いわけじゃないわ。まさか血を見せるために手首を切るなんて、誰も思わないもの」

リリーが顔を顰めた。

「そうかい?僕は常識だと思うな――少なくともフィールの中では」
「ジェームズ」

ジェームズはフィールにニヤリと笑った。フィールは糖蜜パイをぱくついていた。

「冗談さ、リリー。僕はただ、君に悪い虫がつかないかとね――」
「まあ、そんな心配はいらないわ、ジェームズ。だって私には――あなたしか見えていないんだから」

途端にリリーは頬を染めた。リリーとジェームズは手を取り合うと、クスクスと笑い始めた。
二人を捨て置き、フィールが糖蜜パイに集中していると、ピーターが奥の席から手を振った。シリウスとリーマスもいる。
フィールが席に着くと、シリウスが呆れたように言った。

「また食べているのかよ、おい。太るぞ」

太った方がいいとは思っていたが、それは伏せた。ジェームズ達に紛れて、ようやく話を交わせるまでになったが、シリウスの口をついて出るのはいつも良い言葉ではなかった。

「シリウス、レディになんてことを言うんだい」
「た、沢山食べるのは、元気だからだよ!」

リーマスとピーターがフィールの肩を持った。フィールはまだもぐもぐしている。

「そうかよ……」

シリウスは机に肩肘をついて不貞腐れた。これだ。フィールに何か言えば、必ず誰かが肩を持つ。特にリーマスは絶対だ。
自分も好きで言っているのではないが、こう反対されてばかりではなんだかやり切れない。
溜め息を吐くシリウスに、フィールがクッキーを差し出した。

「あ……?」

ハンサムな顔を間抜けにするシリウスに、フィールが言う。

「牛乳クッキーだ。カルシウムが足りていないな、シリウス・ブラック」

リーマスとピーターが笑いを噛み殺していた。
シリウスは眉間に皺を寄せた。
フィールは、リリーが悲しめば優しい味のキャンディーを、ジェームズが退屈そうならいくら噛んでも味が落ちないガムを、リーマスが疲れていれば甘い甘いチョコバーを、ピーターが落ち込めば元気の出るマフィンをと、皆に何かしらあるとお菓子を渡した。
他の生徒にはそうしていないので一種の打ち解けのサインかと思って、シリウスもいつか自分もと楽しみにしていたが――なぜ自分は牛乳クッキーなのだ。
リーマスとピーターが笑っているので、更に苛立ちが増す。

「馬鹿にするな!」

バンと机を叩くと、シリウスは立ち上がって男子寮の自分のベッドへと急いだ。
まだ笑いながら、リーマスがフィールに言う。

「フィール、していないだろうけど――気にしなくていいよ。シリウスは拗ねているだけだから」

フィールの口には新たな糖蜜パイが詰まっていた。

「そうだよ。だってほら、なんだかんだ受け取ってるしね」

ピーターが続けた。
ぷんすか去っていったシリウスの手には、しっかりちゃっかり牛乳クッキーが握られていたのだ。



2014.06.18
 

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