魔法の言葉 一 | ナノ
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女の子


その日は、いつもより少しだけ温かい日だった。
ソプラノは中庭のお気に入りの場所で、忙しなく本のページを捲っていた。時折疑問点を見つけては、ペンで書き込んでいく。以前使っていた辞典は卒業しており、傍らには次に読む本が不安定に積まれていた。
そんなソプラノを、中庭の掃除をしていた新米女官が離れたところから見ていた。

「サボっちゃダメですよ。何をしているんですか?」

先輩女官がつられてそちらを見る。落ち葉を掃いていた手を止めて、ああ、と納得したように頷いた。

「入り立てだから知らないんですね。あの方がソプラノ姫ですよ」
「そうなんですか?へえぇ、あれが王家の変異って言われていたたっ!」
「こら、無礼ですよ!」

咎めるように新米の耳を引っ張り、そのまま耳元に口を近付け、声を潜める。

「……確かにそうですけど、ソプラノ姫は頑張られています。そんな言い方はおやめなさい。それと……姫様は、とても耳がいいんです」

この広い中庭で距離もたっぷりあるというのに、何を大げさな。
新米女官が痛む耳をさすりながらソプラノの方へ視線を戻すと、ぱちりと目が合った。

「ひっ――」
「礼、しな、さいっ!」

チリッと感じた熱に悲鳴をあげる前に、先輩女官がその頭を無理矢理下げせた。
もちろん新米が感じた熱は全くの気のせいで、ソプラノはただなんとなく視線を感じたから見ただけであり、二人の女官の話は聞こえていなかった。
チェックを終えた本を閉じ、ソプラノは次の本を手に取る。インクの独特の匂いに、胸が高鳴る。
ぺらりと一枚捲ったところで、頭上から葉擦れが聞こえた。

「やっほー!」

ソプラノが背を預けていた大木の枝に、軽業師のようにリュートがぶら下がっていた。

「探したよっ。何の本読んでいるの?」

木から木へと伝ってやって来たのか、髪や服には葉っぱがいくつもついている。
ソプラノは思い切り顔をしかめると、そっぽを向いた。

「リュートには関係ない。読書の邪魔、どっか行って」
「えーっやだよ。じゃあ、邪魔にならないように静かにソプラノを眺めているね」
「嫌」
「じゃあ結婚しよっか!」
「バカじゃないの」

告白も何のその。ソプラノは手にしていた本をパタンと閉じ、傍の本をまとめて鞄に詰め始めた。

「あれ、どこに行くの?」
「リュートがいないところ」
「ちょ、ちょっと待ってよー!」

さっさと歩き出すソプラノをリュートは慌てて木の上から追いかける……が、いくら身軽で慣れているとはいえ地上に比べてスピードが劣る。
仕方なく降りて、ソプラノへ駆け寄り肩を掴んだ。

「待ってってば!」
「離し――」

ぐらり。小さな身で重い本を何冊も持っていたせいで、バランスを崩すソプラノ。

「あっ」
「わっ」

ソプラノにつられて、リュートも一緒に倒れた。
ソプラノは、ゆっくり目を開いた。なんだか、おかしい。芝生の上だからそう痛くないだろうとは思っていたが、それにしても衝撃が軽すぎる。

「大丈夫?」

目の前の、リュートのおかげだろうか。

「リュート、もしかして」
「うーん?」

事も無げにしているが、彼ならあり得る。もう既に、上級術師も顔負けの魔法を使うようになったと聞いていたのだから。
しかしソプラノはそれを確かめようとしなかった。

「……どいて」
「ええー、もうちょっとこうしていたいな」
「いいから早くどけっ!」

振り払うように起き上がろうとしたその時――ちゅっと可愛らしい音を立てて、唇が触れ合った。

「!?」
「あ」

慌てて後退りするが、時既に遅し。残る感触にソプラノは……見る見るうちに顔を赤くした。

「あは、ちゅーしちゃったね。ソプラノってば大胆〜!もう結婚するしかないね!」
「――っ」
「ソプラノ、照れちゃって可愛いー」

リュートも照れてはいるが、あまりいつもと変わらない上に、単純に喜んでいた。

「……ッ……」

ソプラノは転がっていた本を拾うと――リュートに思いっ切り投げた。
見事に顔面にヒットしたのを確認して、ソプラノは目を回すリュートから一目散に逃げ出した。
今のは事故、不慮の事故。リュートがなんて言おうが、したくてしたんじゃないし、大体リュートがさっさとどいていればこんなことにはならなかったんだし、すぐに離れたし、これは事故だ!
必死に頭に叩き込むが、その日から一週間ほど、ソプラノはリュートと目を合わせられなかった。


 →→


鍵の束を鳴らし、クリップファイルを片手に、ソプラノはスフォルツェンドの長い廊下を歩いていた。
各倉庫の点検。本日は、あと三つの武器庫を残すのみ。
さっさと切り上げて勉強を始めたいと、早歩きになる。
前方に見えてきた光景に、ソプラノは歩みを止めた。
廊下を塞ぐように、給湯室の前に人集りができていた。女官らが数名、中を覗いている。

「あの子ったら、いつの間にあんなに上達していたのかしら」
「恋すると人は変わるって言うものねえ」
「はあ……私も良い人いないかしら」

口々に話す女官らは覗きに夢中で、ソプラノの接近に全く気付いていなかった。

「何をしている?」

騒ぎを遮るように差し込まれた声に女官らは寒気を感じ、声の主を確かめて飛び上がり、揃って仲良く後退った。

「あああああのソプラノ様、これは」
「何をしていると聞いているんだが」
「あっ、そのっ……!」

答えないなら確かめるまでであると、ソプラノは女官らが退いたのをいいことに扉に手をかけた。
室内は、鼻を擽る良い香りが漂っていた。
給湯室の中には、一人の女官。エプロンを纏って簡易キッチンに向かう女官は、ソプラノの訪問に気付かぬほど真剣に、調理に取り組んでいた。

「ふー……さて、と――ひいいいぃぃ!?」

コトコトと煮える鍋の火を消し、洗い終えた調理器具をしまおうとして振り返り、ようやく悲鳴を上げた。
揃いも揃って人を魔族とでも思っているのかと、ソプラノは眉根を寄せる。
更に増した威圧感に震えながら女官はどう乗り切るべきかと、ソプラノの後ろで固まっている同期達に救いを視線で求めるが、返って来たのはもぎ取れるのではないかと言うくらいに首を振る「無理」のポーズであった。
薄情者と叫びたくなるが、ここで叫べるなら救いを求めたりはしなかっただろう。
困り果てた女官の前で、ソプラノは静かに口を開いた。
どんな恐ろしい宣告をされるのか――ぎゅっと目を閉じた女官に届いたのは、死や呪いの類などではなく、目の前の光景の確認だった。

「料理か」
「え……あ、はい」

拍子抜けする女官に、ソプラノは続ける。

「食事が足りないのか?」
「へ?」

抜けた気が戻らず、女官はとぼけた返しをしてしまった。
しかしソプラノは至極真面目に、繰り返す。

「次の食事まで待てないから、間食を作っているんじゃないのか?」

視線が自分から鍋に移ったので密かに安心しながら、女官はまじまじとソプラノを見た。間食には多すぎる量の食事を注視するソプラノはやはり真面目であり、どこか興味を持っているようでもある。
相手が女官であればそんな大食いじゃないわよと笑って返していた。だが相手はソプラノである。素直に答えた場合の反応が、単純に怖い。
これはソプラノが誰彼かまわず威圧的な態度を取るので自業自得であるが、女官は恐怖が和らいでいくのを感じていた。

「違うのか」
「え、ええと……」

女官は再び鋭い視線を受けて言葉に詰まりかけるが、やましいことは何もしていない(にも関わらず、威圧感で相手を黙らせてしまうのがソプラノが距離を置かれる理由の一つである)ので、胸を張って、答えた。

「違います。彼に振舞おうと思って、ここを借りておりました」
「彼?」
「恋人、です」

はにかむ女官に、ソプラノはまばたきをした。
本来なら理由を知ったのでもう用はないのだが、無理解が足を止めていた。

「どうして、そう……」

ソプラノは、恋人の為に料理を作るという行為が、理解できなかった。
女官はなんとなく――料理するに至った己の経緯と、初めてまともに対面して受けた印象と、城に流れる噂を以って、なんとなく――拙い質問の意味を、悟った。

「好きだから、ですね……美味しいものを食べさせてあげたい、そうして笑顔に、元気になってほしい。喜んでもらえると、嬉しいですから」

盛大な惚気けに二人のやり取りをはらはらしながら入り口で見ていた女官達は顔を顰めたが、ソプラノは静かに聞いていた。それが惚気けだと、ソプラノには分からなかった。

「それに、家族や友人など、相手が恋人でなくても作ることはありますよ」
「……何のために?」
「お礼やお祝いにです。言葉以外で伝える場合に、プレゼントの一つとして料理を振る舞うことがあります。お菓子も同じようなものですね」

そうして女官は、少女に思いを寄せるこの場にいない少年を思って、付け足――

「ソプラノ様も、リュート王子に何か作っ」
「なんで私が」

――せなかった。

「必要ない」

リュートの名前が出た瞬間に、ソプラノはあからさまに不機嫌になると、すっぱりと否定した。

「そ、そうですね。でもその……料理は楽しいですよ。気分転換にもなります!」

女官は慣れ始めたと思ったのは錯覚だったかと内心で残念がりながら、慌てて取り繕う。

「美味しくできれば嬉しいですし、作るのも……あっ、ソプラノ様はお薬を調合されるでしょう?感覚として似ていると思います。一度作られてみてはいかがですか?」

ソプラノはこれには否定せず、考えた。
料理は小間使いの仕事であると言うのがソプラノの認識であり、それをプレゼントなどの贈り物や気分転換としての娯楽にするという発想が、なかったのだ。更にいうと、食事自体もただの栄養摂取としか捉えていなかった。
薬の調合は仕事であるが、素材を綺麗に切り揃えられたり難しい薬を完成させられたりすると、手応えを感じて気分が良くなったことがある。料理もお菓子も一度も作ったことがないが、同じように気分が良くなるのだろうか?
女官は考える少女に、流しの上の棚に置いていた手提げを覗いて、吟味してから一冊の本を取り出した。

「これ、よろしければ。レシピ本です。差し上げます」

女官は返事を待たず、「沢山持っていますから」と、半ば押し付けるように手渡した。

「あくまでも参考に、でいいですから。本当はどんなものが作りたいかで、色々とアレンジをするのも醍醐味と言えますね」
「そういうもの、なのか?」
「はいっ」

強引に渡された本をファイルの上に重ねて、ソプラノは表紙の写真を眺める。作ってよし食べてよし、料理は一石二鳥なのだといういささか色気に欠ける再認識をしてから、目の前の女官に話しかけようと口を開き――閉じた。
その動作に女官は不思議さを覚えるも、また開き、閉じると繰り返され、合点がいった。

「ソプラノ様、お仕事に戻られませんと」
「あ……ああ。そうだな」

言葉に押され入り口に向かうソプラノに、見守って(本人達曰く逃げて、ではない)いた女官らが、揃って壁に並んで避けた。

「お前たち」
「はいぃぃっ!?」

このまま去るのだろうか、とほんのり安心しかけていた女官ズは、不意をつかれ揃って素っ頓狂な声を上げた。

「廊下を塞ぐのはやめてくれ、困る」
「は……はい。申し訳ありませんでした……」

ソプラノはドアを抜けて一度中を振り返ると、小さくお辞儀をして、廊下を歩いて行った。
遠くなる背中を、脱いだエプロンを片手に女官が見送る。

「……一体どういうことなの?」
「まーあ、あなた達には分からないでしょうねーえ」

訝しむ裏切り者達を適当にあしらいながら、女官はエプロンを畳んだ。



2014.06.04
 

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